ツイステッドワンダーランド 短編
狭い水槽に押し込められることに魅力など無いはずだった。四方を窮屈に囲まれる空間はテラリウムだけで十分。水の中では存分に尾びれを動かして水を蹴り、思うままに自由に泳ぎ回ることが常で有意義なのだ。しかし今、ジェイドは浴槽という名の小さな水槽の中に身を沈めている。
陸に上がって初めて知った習慣だった。人間は身を清めるために湯に浸る。初めて体験した時には、己を茹で食おうとする何かに騙されているのではないかとそんな物騒な想像もしてみたこともある。人魚の姿で湯に入れば、温度によっては全身火傷も免れないかもしれない。人の姿でしか湯に入ったことはないから、これまで火傷をしたことはないけれど、逆上せてふらふらにしたことは数度あった。
月日が経った今は、入浴と言う日常生活の一コマを当たり前に行うようになっている。一般的には広めだがジェイドには少々手狭な浴槽から、ちらと外を盗み見る。シャワーの音が響く浴室の床には水が跳ね、大理石の上をもこもことした泡が流れていく。その泡が流れてくる先には現在のジェイドのものと同じ形状をした真っ白な足。泡が水の中に消えるとすらりとした足がジェイドの方を向いた。
「ジェイドさん、少し詰めて頂けますか」
足を生やして陸に上がった時には考えもしなかった現実が目の前にある。肌を晒していても普段と変わらぬ冷艶な赤の眼差しが、ジェイドを見つめてそう尋ねた。彼は吸い込まれそうな闇の色をした髪より滴った雫が、曲線の多い身体を滑り落ちるさまを見る。魔法薬で作り上げた今のジェイドの身体とは違う体つき、人間の女性の肉体だ。
こんな未来があるとは思っていなかった。その姿態から目を離せずにジェイドは彼女を見つめ続ける。奇想天外、憧れの陸に上がってよかったと心の底から思わずに居られない。人間の体に欲情する事も想定外だったし、肌を重ねるような人ができるとも思っていなかった。全寮制男子高校で番を見つけ、あまつさえこんな小さな浴槽に収まってしまおうとしていることなど、入学した時は全く想像していなかった。
「……私の身体に何かついていますか?」
言葉もなくじっと彼女を見つめていた。濡れた体を温めたいのか、黙っていたジェイドに彼女が問いかける。ジェイドはパッと我に返って答えるよりも早く彼女、監督生の方へと手を伸ばした。その手にエスコートされ、彼女は浴槽の仕切りを跨ぎ越す。
「いいえ、しいて言うなら」
ちらっとジェイドの金色の眼が視線を動かす。柔らかそうな内ももに散らした、彼女の瞳の赤に引けを取らない色を見た。その色に言いようのない満足感を覚えると、湯に身体を沈めた彼女を見つめジェイドはにっこりと微笑んでみせる。
「僕の印が付いていますね」
「……」
その言葉に異論がありそうな眼差しで彼女はジェイドを見る。彼女の肌にくっきりと残った跡は、学友や寝食を共にしている魔物に見つかっては困るのだという彼女を押し切ってつけた印だ。本気で嫌がっているのなら、絶対にこんなことはしない。けれども見つからないような場所を選び、配慮をしたことは汲んで欲しい。
実際のところ、見つけた時に彼女はあ、と声を上げたもののジェイドに対して抗議もしなかった。それは自分自身の好意を受け入れてくれているからだと彼は解釈している。
「……狭」
彼女はジェイドの足の間でもぞもぞと動いた。ジェイド一人でも足を伸ばしきれない狭さだ、ふたりだと窮屈なのは当然の事。
「やっぱり狭いですね、ふたりだと」
別々に入ればよかったかもしれませんね、と言いつつ小さく足を折りたたんだ彼女は髪を掻き上げる。……この楽しいひと時を台無しにするわけにはいかない。ジェイドは器用に広げた足を彼女の腰に絡めて、己の体幹に監督生の身体を引き寄せようとした。
「僕に背を預けてみては? しっかりと密着すればもう少し手足を伸ばせるかもしれません」
目を細め、ジェイドは魅力的な提案をした。ぴったりと自分の腹と彼女の背を合わせてくっつけたのなら、平常心でいられる自信はとてもないが何よりきっと心地よいはずだ。ジェイドの提案を聞き、彼女はじっと彼の顔を見た。キュッと絞められたシャワーから一滴落ちた雫が大理石を叩く。
「……いいえ」
監督生は少し体を前傾させてジェイドの方へと手を伸ばす。ジェイドの瞳を覗き込みながら、賢者の色をした赤を愉快そうに輝かせた。
「私が背を向けたら、ジェイドさんの顔を見てお話しできませんから」
彼女の声は浴室の中に、ジェイドの五感に響き渡る。ジェイドは一瞬言葉を見失って何とか微笑みだけは崩さないように取り繕った。身体は湯に浸されるだけでも熱されているのに、今や茹で上がりそうなほど熱を持っている。逆上せてしまったのか、頭が少しくらりとした気がした。
「……なるほど」
いっそう足を巻き付けて彼女を逃がさないように心がける。彼女が自分の手の中に在るのならばそれで構わない。熱さは得意ではないが、彼女の眼差しに焦がせるのならば本望だ。ああ本当に、陸に上がった時には考えもしなかっただろう。
「貴女がそう望むのなら僕はどちらでも構いません」
茹でられることにも狭い水槽にも魅力を感じられそうだなんて。