ツイステッドワンダーランド 短編


 今まで手に入れたものが、最初から自分のものであったことが今まで果たしてあっただろうか。授業終わり、いつものようにラギーは購買部へ寄り道をした。レオナから預かった財布を握りしめ、普段と変わらぬ道を。寮長のレオナからのお使いを頼まれるのはもはや日常茶飯事。かねてより思うことだが財布を誰かに預けるなどという信じられない行為を、よくもレオナはラギーの手癖の悪さを知っていながら簡単にできるものだ。レオナの財布には故郷であれば、何人もの兄弟が空腹を満たせるほどの金が入っている。さすが夕焼け草原の第二王子、腐っても自分とは手持ちが天と地ほど違う。今後の損得を計算して今は金をくすねることはしないが、そのレオナの不用心さ、それを生み出した環境に対し醜く妬心を抱いている。決して口にしたりはしないが。
 
 目的の品を買い込んで足早に購買から立ち去ろうとする。自分のものを買うような金はない。レオナは自分の財布の残金など見たりしないから、勝手に使い込んだって分かりはしないだろうが無駄に必要のない贅沢をするのは気が引ける。奢ってやると言われたなら遠慮なく食い尽くすが、面倒ごとを呼び込むかもしれない可能性ははじくべきだ。利害計算を絶え間なく繰り返し、ぷらぷらと買い物袋を振りながら店のドアを開けようとする。そのとき、認識するよりも早く気配を感知した。この学園では妙によく聞こえる声が彼の名を呼ぶ。
 
「ラギー先輩!」
 
 振り返ってその姿を確認すると、なんとなく眩しい気がして目を細めた。この学園において身長が高いとは言えない自分よりも、はるかに華奢で小柄な。この子を見る度に毎度の事ながら、今すぐにでも何者かに丸のみにされてしまいそうだと思う。隠しきれていない雌雄の違いや誰にでも花が咲いたような笑顔を向けてしまうその無防備さのせいか。
 
「監督生くんじゃないっスか。今日はグリムくんと一緒じゃないんスね」
 
 ラギーは、彼女といつも一緒にいる二人で一つの魔物の所在を確認してみる。いても別に害はないが、いなければそれはそれで邪魔者がいなくて都合がよいように、ラギーは思う。彼の問いかけに彼女はこくんと小さく頷いてペラペラと自身の事情を語った。
 
「はい、グリムは今エースたちと一緒で。これから一緒にゲームをするんです。だからその、お菓子の買い出しに」
 
 じゃんけんで負けちゃったんで、と面映ゆそうに横髪を指に巻き付けながら言う。その言葉を聞いて、彼女を見つめているラギーの瞼がぴくりと痙攣する。先ほどよりも心なしか抑揚を抑えた声がラギーの口から零れ出た。彼の尾は強く左右の太ももを交互に打っている。
 
「……ひとりで?」
 
 そんなこと問うまでもないことだ、今ここに彼女はひとりでいるのだから。興味がないように装って、ラギーは首の後ろを掻きながら彼女に問いを返す。そうですよと、何故当たり前のことを聞くのだろうと言いたげな彼女を見て言葉が出なくなってしまったラギーは肩を竦めた。
 
 彼女といつも行動を共にする一年坊三人組はあれだけの時間を共にしていながら何も察しないのだろうか。気づいているのかいないのかはラギーの知るところではないが……、空が薄闇に染まり始めたこの時間によくこの子をひとりで外を歩かせられるものだ。この子はひょいとつまんでおやつにされてしまいそうな、これまた不用心なおまぬけさんだというのに。
 ……彼女を食べてしまおうと画策している獣が、どこにいるかもわからないのに。
 
「……じゃあ、途中まで一緒に帰るっスか?」
 
 放っといてまた変なトラブルを起こされても面倒だし、と仕方なしにラギーが提案すると彼女の表情がぱあっと華やぐ。キラキラした瞳をラギーに向け、ぜひご一緒したいですと。彼女は他意のない嬉しそうな表情をラギーに見せた。彼女には魔力なんて欠片もないはずなのに。まるで己が有するユニーク魔法を掛けられたみたいに、表情筋が締まりなく緩みそうになるものだから、ラギーは慌ててそっぽを向いた。
 
 ***
 
 街灯の明かりがぼうっと夜道を照らしている。人の気配も遠くには感じるものの、時間帯のせいかまばらのようだ。ちょこちょこと着いてくる彼女の歩幅に合わせてやりながら、ラギーは寮へ繋がる鏡のある鏡の間へと向かう。
 
 それにしてもすっかりと空気の匂いが冬に近づきつつある。今年もまたウィンターホリデーが近づくだろう。今からでも故郷の土産の算段をつけておいて……。
 
 隣を歩く監督生のことを横目で気にしながらそんなことを考える。途中まで一緒に帰るかと提案しておきながら何を話せばよいのか分からない。周りに人を絶やさない彼女とこうして一対一で話せる機会は滅多にないチャンスなのに。
 
 そもそも、彼女に近づいてどうするのだという気持ちがラギーの中には存在する。オンボロ寮の監督生、明るく朗らかでいつもニコニコと愛想よく笑う。レオナが彼女のことを草食動物、と呼ぶたびにまさにそうだと思わされるような人物。
 
 彼女の存在はこの場所に特異だ。伏されてはいるが、知る人ぞ知る学園内唯一の女性。個性の強すぎる面々の中にいて各々を宥め、和をもたせることのできる協調性がある。聞くところによると異世界から来たのだとか。異世界云々は単なる噂なのかもしれないが、とにかく光あふれ眩しさを感じるような存在であることには変わりない。彼女の放つ光にラギーは惹きつけられている。自分でも、それがはっきりとわかっている。
 
 だが彼女に対して自分はどうだろう。貧しく卑しい生まれ、存在するだけで人に疎まれることがある。これまでに、きっとこの子の想像のつかないような悪行だってやった。すべては自分や家族が生きるため。己の行動に後悔を抱いたことは一度もないが、手が汚れていることには違いない。そんな自分が彼女に触れることが許されるのか。その部分においては別問題だ。彼女には、自分のように惨めな思いはさせられないだろう。
 
 かといって、こんなに美味しそうな獲物をみすみす逃すのか。その狭間に腹の底が煮詰まっておかしくなりそうなことが、時々ある。
 
「……くしゅん」
「……どうしたんスか。もしかして寒いの?」
 
 沈黙を破ったのは小さな彼女のくしゃみ。ラギーが歩を止めて彼女を振り返ると、彼女もその場に足を止めた。よくよく考えてみれば彼女、先ほどから少し二の腕をさするような動きがあった。この季節、今の時間は特に冷える。ラギーは買い物袋の持ち手の輪を抜いて、器用に上着の袖を抜く。
 
「ちょっと待って。……監督生くん、ほら」
 
 素早く制服の上着を脱ぐと有無を言わせずに彼女の肩にかける。監督生は大きな目をますます大きく見開いて、わたわたと慌てた様子を見せる。
 
「えっ、ラギーせんぱい、そんな、申し訳ないので……」
「いいから。……荷物貸してくださいッス、キミ小さいから袖も通せるでしょ?」
 
 ちょいと自分の能力にも手伝ってもらって。ラギーはかさばる彼女の荷物を半ば強引に受け取り、上着を着るように促した。監督生は少し迷うような表情をして固まっていたが、少しの間をおいてようやくラギーが肩にかけた上着に袖を通した。
 尾が浮き上がるような気分だ、彼女が自分の上着を着ている。それはなんと男にとって喜悦すべきシチュエーションだろうか。他の雄に対する優越感すら湧く、この子に邪な視線を向ける奴らに見せびらかしてやりたい。ラギーの中に生まれたその感情は彼女の言葉に押し潰される。
 
「大きいんですね、ラギー先輩の制服」
 
 獲物を取り合った時、鋭く喉笛に牙を突き立てられたみたいにヒュッと息ができなくなる。思わぬところから現実を突きつけられた気分だった。ぶかぶかの上着の袖をラギーがするのと同じようにまくり上げて、余った袖を頬に寄せる彼女ははにかむ。
 
「なんだか落ち着きます。先輩に包まれてるみたいだな……って」
 
 その笑顔をとても見ていられなくてラギーは目を逸らした。胸の内から込み上げてくる、腐ったものを含んだ時に勝るほどの嘔気に喉を鳴らす。
 
「ああ、そうッスか……。でもそれ、元はレオナさんのなんで」
 
 繕う余裕もなく、冷えた声が返す。ラギーの家に名門校ナイトレイブンカレッジの制服を新品で用意するお金の余裕はなかった。何とかレオナのおさがりを融通してもらい、それで凌ぐことで儲けといつも思っていたのに。今は惨めすぎて彼女を見ることができない。己が優位に立てることなどないのだ、何故なら自分には他の誰より優り、誇れるものなどない。
 
 ハイエナも人間も同じだ。雌はより強い雄を求める、肉体的にそして権力的に。この子もそう、だからサイズの大きい制服に対して強い雄の存在を感じて俺を褒めようとした。
 
 ……でもそれは俺に向けられたものじゃない、レオナさんに。
 
「アンタが感じる安心は……、オレじゃないでしょ」
 
 永遠に上り詰められない差を突きつけられたと思った。雌は他に劣る雄を選ばない、きっとこの子はオレを選んだりなどしないのだろう。……だったらどんな手を使っても引きずり落して同じところに立たせてしまえば。緑がかった灰色の瞳が、ぎらりと監督生を睨む。彼女はこれから取って食われることも知らないで、呑気に袖口をすんすんと鼻を動かしている。
 
「……? でもこれ、ラギー先輩の匂いですよ」
「……は」
 
 彼女が何を言い出したのか、ラギーは虚を突かれてつかめなかった。監督生は屈託なく微笑んで、街灯の明かりできらきら輝く瞳をラギーに向ける。そこには全く曇りなどなかった。
 
「ラギー先輩の匂い落ち着くんです。香水とかじゃなくて……、なんていうか自然な。とにかく、ほっとするっていうか……」
 
 わけわかんないですよね、としどろもどろになりながら監督生が言う。いつも見るたびに白くてやわっこそうだと思うその頬には、うっすらと赤が差しているのが、彼の眼には良く見て取れた。
 
 ”包まれてるみたい”って……、もしかしてオレの匂いにってこと? そんなことがあるわけないと思いながらも、彼女の反応からその可能性が否定できなくなってラギーは手で緩みそうになる口元を覆う。全力疾走をした後のように激しく波打ち始めた心臓の音が、彼女にきこえてやしないか。先ほどまで抱いていた仄暗い感情が光に晒されて隅っこに追いやられる。
 
「……本当に、おまぬけさんッスね」
 
 口の中でそう呟く。呆れた、本当に無防備で男にそんなことを言って、オレじゃなかったら今この場で食われたに違いない。……だがそんな彼女だから、決められた物差しではかることもなく、自分にすら目をかけてくれるようなこの子だから。どうしようもなくラギーは惹かれているのかもしれない。
 
「じゃあ、一晩五百マドルでレンタルするッスよ。好きなように使っていいんで」
 
 シシシッと悪戯っぽく笑って、ラギーが軽い足取りで校舎に向かい始める。監督生は慌ててそのあとを駆け足で追いかけていく。
 
「えっ、いやいや! 返しますよ! お金ないですし!!」
 
 馬鹿みたいに正直なこの子の声が、今日はちょっぴり嬉しいと思えた。
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