恋風 IFストーリー短編
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凍えるような冷たい風に、ふうと温かな息を吹きかければ視界が白く滲む。もしかしたら雪になるかもしれないってマサキくんの好きなじゅんじゅんも言ってたな。菜穂はそんなことを思いながら閑静な住宅街をひとり歩く。
温かいコートにマフラーを巻いたのにお外は凍ってしまうほどに寒くて。それでも菜穂が狩屋の恋人としての使命を果たすための大事なおつとめのためにこの道を行かねばならない。
立ち並ぶおうちの中でも新しめの外観のおうち。何度か遊びに来たことがあるその家の表札を確認してインターホンを菜穂が押せば、とんとんとんと中から足音がしてドアが開く。見知った顔が菜穂を覗いた。
「いらっしゃい、菜穂ちゃん。待ってたよ」
中から顔を出したのは菜穂の姉替わりと言える仲でもある月島花織改め、風丸花織。お日様園のカウンセラーでもある女性だった。今日はお仕事のときみたいに今日は長い髪をお団子にまとめ上げている。そして見慣れない真っ白なフリルの可愛いエプロン。
「さあ中に入って、もう準備はできてるから」
菜穂を中に入るように促して花織が戸を開く。菜穂は頷いておじゃましますと家に上がった。いつ来てもこの家はお洒落だ。お部屋の中はお花に囲まれているみたい。ハーバリウムだとか立体押し花アートが飾られている。どうやら花織のお友達からの贈り物だとか、前に尋ねた時に花織が言っていたような気がする。
「菜穂ちゃん」
花織が部屋のインテリアをきょろきょろとみている菜穂を呼ぶ。ハッと菜穂が我に返ると花織は菜穂にピンク色のエプロンを差し出した。
「コートとマフラーはそこにかけて、でエプロンね」
「うん」
言われた通りにコートとマフラーをハンガーにかけてエプロンを身に着ける。エプロンを付けるとなんだかドキドキしてきた。普段こういうことをする機会がないから緊張もするし、そわそわする。菜穂が落ち着かない様子で部屋の隅っこに立っていると花織が菜穂をキッチンに呼ぶ。リビングが見える開放的なキッチン。ドラマに出てくるみたいなレースの掛かった食器棚。その中で微笑む花織は本当にすっかり奥様、って感じがする。今までずっとお姉ちゃんって感じだったのに。
「菜穂ちゃん、緊張してる?」
花織が首を傾げて菜穂の顔を覗き込んだ。菜穂の海のような瞳がゆらっと揺れる。花織のいくつになっても純真で凛とした瞳は菜穂の心をいつも透かしてしまう。菜穂は俯いて、胸に手を当てた。そしてぽつりと気持ちを打ち明ける。
「私、お菓子作りちゃんとしたことないし……。それに、マサキくん……」
「ん?」
「……マサキくんが、貰ってくれなかったらどうしよう」
そう、今日菜穂が花織の家を訪れた理由は今日、バレンタインデーのチョコレート菓子を各々のパートナーにプレゼントするため。花織にお菓子作りの手伝いをしてもらうためにここに来たのだった。菜穂はもちろん自分の恋人の狩屋マサキにチョコレートを贈ろうと思っている。でも。
お菓子は好きだけど、案外味にうるさいところがある狩屋。流石に目の前で捨てたりはしないだろうけど、うまくできなかったら平然とまずいと言ってのけそうだし……。それを思うと胸は不安で一杯だ。
乏しい表情にも憂いを含ませる菜穂、そんな菜穂に微笑んで花織は菜穂の髪を撫でた。
「大丈夫、菜穂ちゃんの作ったものならマサキくんは絶対に喜ぶよ」
「でも、」
花織は黙って首を振る。菜穂の予期していることは起こらないから平気だと分かり切ったような表情だ。何故……?
「さ、手を洗おう。早くしないと今日の夕方に間に合わないから」
花織が菜穂の背中を叩いてシンクで手を洗うように促した。菜穂はそう強く確信を持つ花織の言葉に反論できなくて、こくんと仕方なしに頷いて流水に手を差し出した。
***
「菜穂ちゃーん! 生地伸ばして型抜きしてくれる?」
湯煎でチョコを溶かして、薄力粉、ベーキングパウダー、ココアパウダー、お砂糖だってたっぷり使ってチョコレートクッキーの記事を練った。チョコレートの甘さはビター。マサキくんにはちょっぴりほろ苦いかも。万が一まずいって言われちゃったら大人の味だよって誤魔化せるかな。
花織の言う通りにクッキングシートの上で生地を伸ばして、型抜きでポンポンと形を作っていく。お星さまとかうさぎさんにねこさん、まる、しかく、さんかく、そしてハート。様々な形のクッキーになる子供たちは見ているだけで楽しい。残らず生地を型抜きしてしまうと花織はそれをオーブンの中に入れた。このまましばらく170℃のオーブンで十分ほど加熱。その間に洗い物をしながら花織が菜穂に呟いた。
「菜穂ちゃん、さっきマサキくんがバレンタインのお菓子を貰ってくれるか不安だって言ってたでしょ。……私もそうだったよ、中学生のときね」
「え……?」
海のような蒼い瞳を大きく見開いて、菜穂が花織の言葉に驚く。風丸と花織は中学の時から交際していて仲睦まじくて喧嘩もほどんどしないようなまさに絵にかいたような理想のカップルだったと聞く。雷門中にも風丸選手の彼女溺愛説は残っていて、むしろ有名だというのに。そんな彼に花織が、菜穂よりも間違いなく積極的だった花織がバレンタインにチョコレートを渡すのが不安だったというのだろうか。
「菜穂ちゃんとおんなじ。一郎太くんもね、女の子に人気で一杯チョコ貰ってた。だから私のチョコなんていらないんじゃないかって」
どくん、と胸が騒めく。
「お姉ちゃん、も……?」
マサキくんは、今日も葵ちゃんや茜先輩、水鳥先輩からチョコを貰ってて、私の知らないところでクラスメイトの女の子や先輩からもチョコを貰っていたかもしれないわけで……。もう私のチョコなんかいらないかもしれない、なんて思っちゃうわけで。菜穂が不安げに花織を見る。花織はかちゃんとシンクの中の洗い物を片付けていきながら懐かしそうに頷く。
「私は、たくさんの女の子に囲まれてる一郎太くんを見て、拗ねちゃって。でも鬼道さんに言われて彼と向き合ったの」
きゅう、と花織が目を細める。そして少し悲しそうな顔をする。菜穂はそれをじっと見つめていた。なんでこんな顔をするんだろう。
そう思うと同時にチンとオーブンがクッキーの焼ける音を知らせた。キッチンにはクッキーのいい香りがしていて、ぐうとお腹が鳴ってしまいそう。花織がハッとして我に返る。そして菜穂に微笑みかけて大胆なことを言った。
「もしいらないなんて言ったら、マサキくんのお口に突っ込んであげればいいよ。私も手伝ったんだから、不味いなんていったらお仕置きしちゃうから」
***
チョコレートの焼けた香ばしい匂い。クッキーの粗熱を取りながら菜穂は、色々な形にくり抜かれたクッキーを眺めている。これからこのクッキーを花織が用意してくれた可愛い袋に詰めるのだけれど。そんな折にかちゃっとリビングの戸が開く音がした。花織があら、と立ち上がってその人の元に駆け寄る。
「おかえりなさい、一郎太くん。早かったね」
「ああ、花織。ただいま」
ちゅっとさりげなく花織の頬にキスを落とすのは彼女の旦那様の風丸一郎太選手だ。帰ってくるなり花織お姉ちゃんを抱きしめて、キスなんてと見ていた菜穂は思わず顔が赤くなる。本当にラブラブなんだ……。
「菜穂ちゃん、いらっしゃい」
「あ……、はい。おじゃま、してます……」
花織の腰に手を回したまま、風丸が菜穂に笑いかける。菜穂は今のふたりのやりとりにコチコチになってしまって言葉に詰まりながらもなんとかぺこっと頭を下げた。風丸はああ、と微笑んで後ろを振り返る。
「ほら狩屋も中に入れよ」
菜穂はその言葉にびくんと椅子から飛び上がりそうになる。動揺しながら恐々風丸が入ってきたリビングの戸の方を覗き込む。花織も風丸の声でリビングの外にいる彼の存在に気が付いたようだった。
「あら、マサキくん! いらっしゃい。一郎太くんと一緒だったの?」
「ああ、雷門の練習に行っててさ。今日花織が家に菜穂ちゃんを呼ぶって言ってたから連れてきたんだよ」
ほら狩屋、と風丸がリビングに入るように狩屋に促す。狩屋は頬を赤く染めてばつが悪そうな顔をしてリビングに入った。おそらく風丸たちのさっきの行為を見てしまったために照れてしまっているのだろう。と菜穂はそんなことを思いながら、狩屋の元へと駆け寄った。
「マサキくん」
「菜穂、何やってるんだよ。風丸さんの家で……」
「バレンタインのクッキーを焼いてたんだよ」
バレンタインのクッキー、きっとそれはもしかして。狩屋はどきっとしてしまう。これは期待してもいいのだろうか。菜穂と狩屋がこそこそと声を交わしていると、その言葉を聞いてか風丸がテーブルに置いてあるクッキーに目を止めた。
「花織、食べてもいいか? 腹減っちゃってさ」
「いいけど、冷めたかな」
そう言って花織はクッキーを一枚手に取る。そしてうん大丈夫、と頷いて風丸のことを見上げた。
「菜穂ちゃんのクッキーだから、つまみ食いは一枚だけね」
「ああ、分かった」
「ふふ、はい。あーん」
そういって花織は星型のクッキーを風丸の口元に差し出す。風丸は戸惑うことなくクッキーを咥えて口に放り込む。その光景を目の前で見せられて狩屋と菜穂は並んでトマトのように顔を赤らめた。何て、大胆な。恋人って、夫婦ってこんなものなの? そう思うと自分と狩屋の付き合いが菜穂にはおままごとのように見えてしまう。
「どう、美味しい?」
「ああ、美味い。上手くできたな、菜穂ちゃん」
風丸がちらっと菜穂を見て微笑む。美味しいって、よかったねと花織も笑顔だったが、菜穂が隣の狩屋に視線を向けると狩屋は少しむくれたような表情をしていた。なぜだろう。
「せっかく来てもらったから晩飯も食べていってもらったらどうだ?」
「そうだね、菜穂ちゃんもマサキくんもそっちのソファーに座って寛いでね。あ、クッキーそっちに持っていこうね」
あれよあれよという間に話が進んでいってしまう。花織は大皿に菜穂と作ったクッキーを盛り付けてソファーの近くのローテーブルに乗せる。飲み物にはホットミルクが用意されて完全なるお寛ぎモード。
「俺はシャワー浴びてくるから、ゆっくりしていけよ」
風丸はひらっと菜穂と狩屋に手を振って部屋を出ていく。花織もどうやら出かけるようなそぶりを見せている。鞄をもってリビングをそわそわ歩いている。花織お姉ちゃん、と菜穂が声を掛ければ花織はゆっくりしててねと微笑んだ。
「私、ちょっと晩御飯の買い物してくるから。何かあったら一郎太くんに言って? 晩御飯お鍋で良いかな?」
「あ……、うん……」
「マサキくんも、いい?」
「……はい」
そういうと花織はぱたん、とリビングの扉を閉めて出て行ってしまった。残されたのは湯立つホットミルクと菜穂と狩屋と焼き立てのチョコレートクッキーだけ。しんとした部屋は少し落ち着かない。菜穂は黙って狩屋を見たが、狩屋は少しむくれているようだ。
「まー、くん?」
とん、と肩に触れて彼を呼ぶ。狩屋はつんとしながら何だよ、と腕組みをして答えた。
「機嫌悪いみたいだから……」
「別に」
菜穂の言う通り、狩屋は機嫌を損ねていた。それは先ほどの風丸と花織の行動にあった。今日一日、菜穂からのバレンタインチョコを顔に出さないようにしつつも期待していた。
学校が終わっても貰えなくてもしかしたら、今年は用意してくれてないのかと散々不安になったかと思えば、花織と一緒にクッキーを作っていたと聞いて安堵したのもつかの間。菜穂が作ったクッキーを風丸さんが食べてしまった。……一番最初は俺が良かったのに。
「マサキくん、あのね花織お姉ちゃんとクッキー作ったんだよ。バレンタインのマサキくんにあげようと思ってたから、食べて」
「いらない。今お腹空いてないし」
「え……、でも」
菜穂が困惑した声で狩屋を見る。狩屋は花織が用意していったホットミルクをずずっと飲んで息を吐く。そして袖口で口を拭って、ソファーにふんぞり返ってしまう。ぐう、とお腹の鳴る音が部屋の中に響いた。
「……」
狩屋が真っ赤になってそっぽを向く。お腹空いてないなんて、嘘だよね。菜穂は素直でない狩屋にどうやったら手作りのクッキーを食べてもらえるかを考えた。そして先ほどの花織と風丸の仲睦まじい様子を思い出す。マサキくんが、食べてくれるなら。ぐっと決意した菜穂は手に一つハート形のクッキーを手に取って狩屋の口元に差し出した。
「マサキくん、……あーん」
ほんのりと染まった菜穂の頬、狩屋は目を白黒させて菜穂を見た。普段の菜穂はこんな恥ずかしいことしない。また花織さんの悪い入れ知恵だろうか。
「……何のつもりだよ、菜穂」
顔を赤らめて軽く睨みながら狩屋が菜穂を見る。菜穂は食べて、となお狩屋に口を開けるように促した。だが狩屋は口を開けずに首を振る。菜穂はハートのクッキーを持った手を胸の前に持ってきて、ため息のように呟く。最終兵器の言葉を。
「風丸さんは花織お姉ちゃんの食べてたのに……」
ちらっと狩屋の目がクッキーを見た。菜穂はちょっと残念そうな表情を作って見せながら胸の中で思う。長い付き合いで分かってるよ。マサキくん、負けず嫌いだもん。他の人を引き合いに出されたら面白くないよね。
「……食べる」
「え……?」
「だから‼ あーん‼」
狩屋が顔を真っ赤にして豪快に口を開けた。菜穂は彼の口にハートのクッキーを咥えさせる。狩屋はそれを口に押し込んでしばらくもごもごやっていたかと思うとごくんとクッキーを飲み込んだ。
「美味しい……?」
クッキーの粉が付いた指を舐めながら、菜穂がそっと狩屋に問いかける。ちょっと香ばしい感じ。狩屋はフンと顔を反らして、呟いた。
「あんまり甘くない、けど……美味かった」
やっぱりマサキくんにはちょっと苦かったみたい。くすくすっと思った通りの反応に菜穂は微笑んで狩屋に言う。
「だって大人の味だもん。マサキくん」