恋風 IFストーリー短編
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シンデレラが乗ったのはカボチャの馬車だった。
折り紙で作った黒やオレンジを基調とした手作り感満載の輪っか飾り、画用紙に描いた紫色のお化け。そして本格的にカボチャをくりぬいて作ったジャック・オー・ランタン。着々と園の子供たちの手でお日さま園の食堂は飾られていく。
カボチャって魔法の力でも持ってるのかなあ。食堂の椅子に掛け、菜穂は得意の折り紙で可愛らしいハロウィンの飾りを作りながら、ふとそんなことを思った。
ジャック・オー・ランタンは魔除けの火を灯す道具としてハロウィンに飾られて、カボチャの馬車は優しい魔女の魔法から作られた。もしかするとカボチャには不思議な力が宿ってるのかも。子供じみたことだけど、そんなことを考えると今日この日、ハロウィンという行事に菜穂はちょっぴりワクワクした気持ちになった。
「何笑ってんだよ」
口元に微笑みを浮かべて、せっせと折り紙を折り続けていた菜穂の手が止められる。がやがやと子供たちの声で騒がしい中でも、少しぶっきらぼうなその声は名前を呼ばずとも菜穂に向けられたものであることは明らかだった。菜穂はゆっくりとその声の主に視線を向ける。
「マサキくん」
浅黄色のセミロングヘア。声の主は菜穂の特別な存在とも呼べる彼、狩屋マサキのものだった。彼は頭の後ろで腕を組み、つーんと澄ました様子できゃっきゃとはしゃぐ小学生の子供たちを見ている。
「たかがハロウィンだろ、子供じゃあるまいし」
「でも……、お祭りだし。仮装できるし、お菓子貰えるよ?」
「それが子供っぽいんだよ。まあ、お菓子貰えるのは悪くないし、夕飯にパンプキンパイが出るのはいいとしても……」
どうやら狩屋はお日さま園の子供たちが前々から楽しみにしていたハロウィンというお祭りにあまり興味がないらしい。お日様園では毎年ハロウィンに、園で着まわされてる仮装衣装を小さい子から順に選んで、先生たちにトリックオアトリートと魔法の呪文を唱えてお菓子を貰うのが習わしになっている。
もう十年以上も前から続いている行事だから衣装はかなり年季が入っているものが多いけれど、その分種類が豊富で衣装選びも菜穂にとっては結構楽しいものだというのに。
「マサキくんはハロウィンが嫌いなの?」
「だって仮装とか恥ずかしいだろ、中学にもなってさ」
ぷいっとそっぽを向いて狩屋が呟く。ああ、なるほど。菜穂は納得する、狩屋は仮装するのが恥ずかしいのだ。そういえば去年もかなりの押し問答の末に彼に何とかシーツを被せたのを覚えている。年に一度のお祭りなのだから楽しめばいいのに、菜穂は狩屋の言葉を聞きながらそんなふうに思う。
……マサキくんがハロウィンを楽しめるように、私に何かできないかな。
折りかけの飾りに視線を落とし、菜穂は目を伏せた。しかし何もいい案は浮かんでこない。菜穂が貰ったお菓子を全部彼にあげたとしても、狩屋は喜んでくれないだろうし。面白い仮装をして見せたって、意地悪なことは言ってくるかもしれないけど本気で彼が面白いと思ってくれるとは思わない。
「……」
菜穂は顎に手を当て、無言で首を捻る。すると狩屋が思い出したようにあっと声を上げて菜穂に言葉を掛けた。ハッと菜穂は我に返って狩屋のことを見上げる。
「俺、お前を呼びに来たんだった。菜穂、花織さんがお前のこと探してた」
「花織お姉ちゃん?」
花織お姉ちゃん、菜穂がそう呼ぶ人物はこのお日さま園のカウンセラーを務めている先生だ。花織はまだ菜穂が幼いころからボランティアとしてお日さま園に通っていて菜穂のことを特別可愛がってくれていたから、菜穂も花織のことを慕っていた。お姉ちゃん、彼女のことをそう呼ぶのは花織が本当の姉のような存在であるからだった。
「ああ、多分カウンセリング室にいると思うけど。なんかお前に渡したいものがあるって」
「? ……なんだろう」
菜穂は不思議そうに首を傾げた。時刻は午後五時、花織はもう退勤時刻のはずだ。作りかけの飾りを狩屋に渡し、菜穂は椅子を引いて立ち上がる。
「ちょっと行ってくるね。はい、マサキくんこれ」
「はぁ? おい、ちょっと……!」
狩屋の困り声には聞こえないフリをして食堂を出る。それにしても一体何の用事だろう。菜穂は思い当たることがないなぁ、と思いながらもカウンセリング室に駆け足で向かった。
カウンセリング室の前に立つと、部屋の扉に面談中の札が掛かっていないことをまず確認する。もうこんな時間だから誰かとお話し中ということもないだろう。菜穂はとんとんと扉を軽くノックしてから中を覗いた。
「花織お姉ちゃん……?」
面談室にはテーブルと対面しているソファー、そして奥に作業用のデスクがある。ひょっこり菜穂が部屋に顔を覗かせるとデスクで何やら書類を見ていた女性がぱっと顔を上げて微笑んだ。
「菜穂ちゃん、待ってたよ」
長い黒髪をきっちりお団子に結い上げたその女性、花織はこっちへと菜穂を出迎えながら立ち上がった。菜穂が閉めると花織は何やら机の影から紙袋を取り出す。そしてそれを菜穂にはいと差し出した。花織の大きな目が、優し気に細められる。
「はい、菜穂ちゃんにプレゼント」
「?」
きょとん、としながらも菜穂はそれを受け取った。何だろう、紙袋はそこまでの重さではない。ごそ、と中を覗き見れば赤い布が入っているのは分かった。布?
菜穂は首を傾げて花織を見つめる。花織はくすくすっと笑って出してみて、と楽し気な表情で菜穂に言った。菜穂は言われた通りに紙袋を面談用のソファーに置いて中身を広げてみる。
「……これ」
中に入っていたのは服だった。ただの服ではない、おそらくハロウィン用の仮装衣装。でも見るからにこの衣装はお日さま園のものではなく、新品だ。どうしてこんなものを。菜穂は困惑して花織と衣装を交互に見比べる。花織は菜穂の様子を見てくす、と笑う。彼女の桃色の唇が弧を描いた。
「ハロウィンの仮装衣装、あんまり可愛かったからつい買っちゃったの。菜穂ちゃんに似合うと思って」
「…………でも」
自分だけ、特別に衣装を準備してもらうなんて。菜穂は衣装をきゅっと握りしめて眉根を寄せる。花織が菜穂を特別扱いするのは、彼女がまだ高校生の時お日さま園にまだボランティアとして来始めた頃からのことだ。
今に始まったことではないが、やはりこういうことはさすがに申し訳なかった。そんな菜穂の表情を見ながら、花織は面談用のソファーに腰掛け、そこから菜穂を見上げた。
「気にしないで? 私の衣装を買ったついでなの。あんまり高いものでもないし。お日さま園自体にも寄付してあるし」
「…………でも、お姉ちゃ」
「マサキくん、あんまりハロウィンに興味がなさそうだったね」
彼の名前が急に飛び出て思わず菜穂はどきっとした。花織はソファーの横に立ち尽くしている菜穂を見上げて、タイトスカートから伸びた足をスラリと組む。そして悪戯っぽい顔をして、黒い瞳を輝かせる。
「その衣装、すっごく大人っぽくて可愛いの。菜穂ちゃんがそれを着てマサキくんの前に現れたら。マサキくん、菜穂ちゃんにドキドキしちゃうんじゃない?」
「どきどき…………」
本当に、マサキくんはどきどきするかな? 菜穂は俯く。子供じゃあるまいし、狩屋が先ほど放った言葉を思い返す。ちょっと大人っぽい仮装をして見せたら、花織の言う通り狩屋はどきどきしてくれる? そう思うと菜穂はこの衣装が狩屋を楽しませることのできる一縷の希望にも思えた。
「菜穂ちゃんはそれを着て、ハロウィンを楽しめない恥ずかしがり屋のマサキくんにこう言えばいいの」
花織はそう言って自らの髪を結っていた髪留めを外す。ふわ、と柔らかいシャンプーの薫りが菜穂の鼻腔をついた。長い艶やかな黒髪が花織の背中を流れていく。花織は組んでいた足をスッと戻して立ち上がる。そして菜穂の肩を掴んでその耳元に顔を寄せた。
「トリックオアトリート……。お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃう……、って」
「……っ」
艶を含んだその声に菜穂は思わず真っ赤になってしまった。今のを私がマサキくんにするの? 菜穂はどきどきしながら花織を見やる。花織はふふっと笑って菜穂の頭を撫でた。
「まさかマサキくんも自分がそう言われるなんて思ってもないだろうから、きっとびっくりするね? お菓子も持ってないうちに行けば悪戯できちゃうし」
「悪戯……?」
確かにマサキくんは私にイタズラされるなんておもってもいないだろう。でもイタズラって……。それこそ子供っぽいのではないだろうか。
菜穂はそう思って花織を見つめる花織は菜穂から離れ、デスクの上に置いた鞄を取り上げる。髪を解き、荷物を手にしたということはどうやらもう今日は帰宅するらしい。その鞄を肩にかけながら、花織は何でもないことのように言葉を続けた。
「それを理由にマサキくんに恋人らしいことをしてあげたら、きっと喜ぶよ。私もね、今日一郎太くんにそういうコトをしてみようと思うの。彼、きっとびっくりしてくれるはず。イベントごとにはあんまり関心のない人だから」
花織が楽し気に話すのは花織の恋人の風丸一郎太のことだ。その彼に先ほど菜穂に話したようなことを花織は実際にしてみようというのらしい。
恋人らしいこと……、菜穂が花織の言葉を繰り返すと花織は少し頬を桃色に染め、微笑む。何をするのかは教えてくれなかった。でも、もしかしたらキスとかしちゃうのかも……。私も、マサキくんに……?
菜穂の頬が思わず熱くなる。恥ずかしがり屋のマサキくんは滅多にそういうことをしてくれない。でも、だからこそ、こういうときこそチャンスなのかもしれない。
今日のさよならを言う代わりに、花織が鞄の中からロリポップを取り出して菜穂に差し出した。
「ハッピーハロウィン、菜穂ちゃん。……お互いに素敵な夜を」
***
とんとん、とんとん。ベッドの上で漫画を読んでいた狩屋の耳に扉を叩く音が聞こえた。はぁ、とため息をついて狩屋は時計を見やる。時刻は二十時、園の子供たちが仮装して園の先生の元を回る時間だ。このノックの仕方、多分菜穂だ。……大方、いつまでたっても食堂に来ない俺のことを呼びに来たんだろ。そんなことを思いながら狩屋は漫画をぱたりと伏せてベッドに座る。そして面倒そうに頭を掻きながら扉の音に返事をした。
「菜穂だろ、入れば?」
今年もこの行事が始まる。羞恥心に耐えながら代償にお菓子を貰って回る何が楽しいんだかわからないお祭り騒ぎが。狩屋は仕方がないと腹をくくって立ち上がる。菜穂が毎年楽しそうだから、それと引き換えにちょっと恥ずかしいことするだけだ。それが堪らなく嫌なのだが。がちゃり、と静かに扉が開いた。今年の菜穂の仮装は何だろう、魔女か? それともお姫様とか。どうせ色気のない衣装しか園にはないんだから……。そんなことを思いながら、入ってきた人物に視線を向けた狩屋の動きが硬直した。
「……マサキくん」
「……え」
黄土色の瞳が視線のやり場に困って動けなくなった。予想していた通り、彼の部屋に入ってきたのは彼の恋人の菜穂だった。だが自分の目の前に立った少女の姿は、狩屋の想像していたものを楽々と越えて思いもつかなかったどこかへ飛んで行ってしまうほど愛らしかった。
「え、菜穂……?」
赤いそして可愛らしくセクシーな衣装。菜穂の色白の胸元を晒したビスチェ型のトップスに、三段のフリルになったミニスカート。どちらにも黒のレースで縁取りがされていて、ほっそりとしたミニスカートから伸びる足にはニーハイソックスが履かされている。ミニスカートのお尻の部分からは悪魔を思わせる先のとがったしっぽが伸びていた。
「マサキくん」
菜穂がゆっくりと足を床に滑らせるようにそろりそろりと歩く。狩屋はどぎまぎして驚きに硬直したまま固まった、手の指すら動かせずに火照った顔で菜穂をなんとか見やる。待てよ、近いって、その……色々と。菜穂の衣装によって強調されたふくらみに思わず目が行く。狩屋の頭は混乱を極めていた。そんな狩屋に菜穂は澄んだ海の色の瞳を向け、りんごのように頬を赤くして狩屋に囁いた。
「トリックオアトリート」
「……へ」
「だから、トリックオアトリート」
恥ずかしさで震える声で菜穂が言う。実を言うと狩屋が混乱をしているのと同様に菜穂の心中も穏やかではなかった。花織が菜穂へと用意してくれたこの衣装は実際に身に纏ってみると驚くほど露出度が高く、着てみるだけで頬が熱く火照った。この姿を本当にマサキくんに見せるの? そう思い悩んで一時間鏡の前でモジモジと何とかスカートの丈だけでも長くできないかと悪あがきをしてみるもどうにもならずに腹を決めて今に至る。花織の言っていた通り、狩屋を驚かせることはできたようだが、今の菜穂を見て彼はどう思っているのだろう。どきどき、してる……?
「マサキくん、お菓子は?」
「も……、持ってないし‼ ていうか、菜穂……」
「じゃ、悪戯だね。……マサキくん」
胸元できゅっと菜穂は右手を握る。頬を染めて、恥ずかし気に狩屋を見上げた。どくん、と狩屋の心臓が大きく音を立てる。全身が心臓になったみたいに体中の血管が拍動している。あまりに照れくさくなって菜穂から目を逸らした。菜穂の声が狩屋に囁く。
「この格好、似合ってない……?」
泣きそうな声で菜穂が問いかける。あまりに狩屋が目を逸らしてしまうから、どうしても不安になる。狩屋はちらと菜穂を見た。菜穂の海の蒼が潤み、今にも泣き出しそうな表情。なんでそんな顔するんだよ、似合ってなかったら指差して今頃笑ってる。長い付き合いなんだからそのくらい分かれよ。狩屋は口をもごもごとさせて頭を掻く。そして消え入るような小さな声で呟いた。……悪戯なら、仕方ないだろ。
「……似合ってる」
「……っ」
「だから‼ ……似合ってないとか、言ってないだろ」
その言葉は菜穂に対しての狩屋に出来る最大の賛辞の言葉だった。部屋に響く大きな声で狩屋が目を瞑って言い切った。菜穂は両手で口元を覆って、一瞬で全身に広がった安堵と喜びを噛み締める。言い方はぶっきらぼうだが、菜穂には分かった。今のマサキくんの言葉に嘘はない。マサキくんはすぐに嘘をつくけど、今のは違う。菜穂は照れくさそうにはにかんで、狩屋を見つめる。狩屋の言葉は菜穂に自信という魔法をかけるには十分だった。
「マサキくん」
「な、なんだよ……」
「悪戯するから、目閉じて」
「はぁ⁉ さっきのが悪戯じゃないのかよ……‼」
「いいから」
狩屋はもうやめてくれと言わんばかりの声で、菜穂のことを見やる。だが、菜穂の嬉しそうなワクワクしたような顔を見てやはり何も言えなくなってしまった。もうどうにでもなれ。狩屋はそう思ってほら、と目を閉じる。菜穂はそっと狩屋に近づいて、狩屋のその菜穂と同じくらい真っ赤になった頬にことりのようなキスを落とした。
「……っ」
頬に触れた柔らかな感触に狩屋が閉じていた目をパッと開いた。その途端、菜穂はすっと狩屋から離れていってしまう。狩屋はかあっと熱い頬にさらに熱が籠るのを感じながら、菜穂の唇が触れた場所に手をやる。ふたりにとって珍しい恋人らしい出来事にあわあわと何も言い出せなくなっている狩屋。そんな彼に菜穂は胡桃色の髪を揺らし、悪戯っぽく笑って呪文を掛けた。少しでもマサキくんのハロウィンが、楽しくなったならいいな。
「ハッピーハロウィン、マサキくん」