恋風 IFストーリー短編
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眠りの中から意識を取り戻す。薄く瞼をこじ開けると光が白く視界を覆った。眩しさに固く目を瞑り、もう一度ゆっくりと目を開く。ぼやけた視界が徐々に明瞭になる。
広がっているのは酷く殺風景な部屋だった。背中をあげると体を横たえていたベッドのスプリングが軋む。
まだぼやけた頭を抑えながら周囲を見渡す。見覚えのない部屋だ、なぜここにいるのかも覚えていない。
十畳ほどの広さのその部屋は、何もかも気の狂うような白で統一されていた。部屋にあるのは数少ない家具だけ。今腰をかけている、ダブルベッドより少し幅の広いベッド。その小脇に小さなチェストと冷蔵庫。天井に換気扇はあるが窓はないようだ。
正面に扉があるがノブがない。あれは、開く……のだろうか。焦燥感が胸に込み上げる。
「こ、ここは……?」
そのとき、小さく声が聞こえてびくりと肩を揺らす。今まで全く気づかなかったが、誰よりも大切なその人が自分と同じようにしてベッドに横たわっていた。
ふたりなら、と安堵が一瞬よぎるものの得体の知れない状況がすぐさま心を塗り替える。一緒に危険に巻き込まれたのだとしたらより状況が悪い。
お互いに状況を確認し合い、ここに来るまでのことを思い出そうとした。しかしどちらも何も覚えていなかった。
手分けして部屋を探索し、脱出を試みた。しかし扉は固く閉ざされ、部屋には脱出のすべはない。力を合わせて扉を押しても引いてもビクともしなかった。
水などの最低限生きるために必要なものは備え付けてあったが、脱出に役立つものはひとつとしてない。
何の目的かは分からないが、閉じ込められている。絶望的な状況に置かれていることをふたりは理解する。
もう一度、縋るような気持ちで扉に目を向ける。扉の上に、先程は気が付かなかったが電光掲示板が掲げられていた。
ブゥン、と電力が通る音がして白の中から文字が浮び上がる。
【どちらかがメイド服を着ないと出られない部屋】
「……は?」
でかでかと現れた、緊張感の欠片もない言葉に俺は思わず声を漏らした。
どちらかがメイド服を着る……? 部屋を出るために必要とされた意味不明な条件を、ゆっくりと脳内で復唱する。理解できない、なんの目的があってそんなこと……。
ちらと横目で隣にいる花織を見る。不安をいっぱいに浮かべた花織は縋るように俺の傍に体を寄せた。
「一郎太くん……」
「ああ……」
花織を抱き寄せつつ、そっと背を撫で付ける。少しでも花織を安心させてやりたい。絶対に俺が守るから。
掲げられた馬鹿馬鹿しい文字をもう一回睨んだ。あれを信じるなら、俺か花織、どっちかがメイド服を着れば出られる、のか。
ふと壁に視線を向けると、いつからそこにあったのか。異様な存在感でメイド服が壁にかけられていた。秋葉名戸との試合のときに花織が着せられていたものによく似ている。
スカート丈が短く、胸元が広く開いたヤツだ。花織が着れば可愛いんだろうな。露出が多くないか……?
「私、着ようか……? 着るだけみたいだし、それで出られるなら」
花織がおずおずと俺の腕の中で囁いた。
「いつまでもこんなところにいる訳にもいかないし……」
「……」
おそらく、それが一番平和な解決策なんだろう。
だが、俺は賛成することに躊躇いがあって返事ができなかった。答える代わりに花織を強く腕の中に抱きしめる。
花織の言う通りいつまでもこんなところにいる訳にはいかない。確かに、それは分かってるさ。
今はエイリア学園との戦いの真っ最中だ。イプシロンとの戦いも三日後に迫っている。練習する時間が惜しい。時間はいくらあっても足りないんだ。
可能な限り、少しでも早くここから脱出なきゃな。円堂たちも俺たちが居なくなって探してるんじゃないか。
いったい、俺たちを閉じ込めたヤツらの目的はなんだ?
唇を噛みながら犯人を推察する。雷門に揺さぶりをかけるためのエイリア学園の策略か? それとも警察から逃げ果せた影山がまた花織を狙って……?
俺たちに危害を加えようとするなんてアイツらくらいしか思いつかない。だからといって、こんなバカなことをするのはどうかしてるか……。
異常な状況だ。あのメイド服にさえ、どんな罠が仕掛けられているか分からない。だとしたら、花織に触れさせるわけにはいかない。
ただ……、花織に着せないってことはだ。
「……いや」
腹は決まってる。
「俺が着るよ」
「……え?」
きょとんとした花織の反応に、考えないようにしていた羞恥心が込み上げてくる。女物だよ? とでも言いたげな花織の声は間違いなく俺に対する困惑が向けられていた。
追求する花織の視線を俺は風のようなスピードで避ける。花織が、どんな顔で俺を見ているのか確かめるのが怖かった。
だが、花織の安全には変えられない。花織を危険に晒すなんて俺にはできない。
「いや、だから……」
「……」
「俺が、着るから」
はっきりと語気を強めて宣言した。花織が息を飲んだのがわかって、俺は自分の発言がとてつもない誤解を生んだと思った。
なんかこれ、まるで、俺が着たがってるみたいじゃないか……?
二度も念を押すようにしてメイド服を着る、と宣言した。しかも花織の提案を退けてまで。
確認するのが怖いなんて言ってられるか、訂正しないと。俺は必死になって花織を振り返る。
百歩譲ってメイド服を着るのは構わない。いや、できることなら着たくないけど。花織の為なら俺はなんだってできるから。
だが、それでも俺がメイド服を着たがってる変態だなんて誤解はされたくない……! 花織だけには、絶対に。
「違うぞ! 俺は別に着たいって訳じゃなくて……!」
勢いに任せて花織に言い訳をする。しかし、その一生懸命さがますます俺の滑稽さに拍車をかけた気がした。
これは……。必死にやったらやっただけ、俺がマジで着たがってるって花織は思うんじゃないか……?
「えっと……」
俺の剣幕に明らかに押され、困り顔だった花織は、なんとも言えない顔をして笑った。その顔は俺の想像を裏付けるような、そんな顔をしている。
「花織……」
――――違うんだ、そんな顔しないでくれ。
幻滅されたくない。花織に嫌われたら、俺は……。
顔から血の気が引くのがわかった。急速に冷えていく指先で花織の肩を掴む。言葉じゃ何も、俺の心を証明できそうにない。
苦し紛れに目を背ける。この部屋に閉じ込められどれくらいの時間が経ったか分からない。
だが断言できる。閉じ込められたと知った時より、今この瞬間の方が泣きそうな気分だ。
「一郎太くん……」
そっと柔らかな指が俺の頬を撫でる。温かい、手つきが優しい。これまでと変わらない思いを感じた。
「花織……」
いつもと変わらず笑いかけてくれる花織に分かってくれたのかと期待を抱く。花織のことだ、俺の考えに気づいてくれたのかもしれない。当然だな、花織なら俺のことを分かってくれると……。
「私は、どんな一郎太くんでも大好きだから……。心配しないで」
慈しみ深く俺の事を見つめて花織が囁く。その眼差しにはどんな俺でも受け止めるよと語りかける優しさが滲んでいた。
「……」
前言撤回だ、絶対に伝わってないな……。
脱力感がどっと押し寄せた。花織の肩に頭を乗せて口をとざす。だが、今は時間がとにかく惜しい。
とりあえず、ここを脱出した後に誤解を解こう……。
✿
俺は、絶対に間違ってない。
押し潰されそうな羞恥心をこらえて、何度目か分からない言葉を頭の中で繰り返した。最悪だ、気を抜いたら呻きが勝手に口から出てくる。見たらもっと苦しむことになるんだろうな……。鏡がないから、俺がどんな格好してるのか分からないのが不幸中の幸いか。
とりあえず、メイド服に罠は仕掛けられてなかった。
普通の女用の服だ、俺が着るとサイズが合ってなくてパツパツなことを除けばな。部屋を用意したヤツは、花織のサイズに合わせてメイド服を準備していたに違いない。
花織に着せなくてよかった。それだけは間違ってない。
忌々しい気分で腕を組んで俯く。スカートの下からは筋肉のついた足が剥き出しで、丈が短いせいで下着が多分見えてる。胸も意味無く大きく開いて布が余った。俺にはなんの意味もない趣向が凝らされているが、花織が着たらどうなっていたか……。
こんな部屋を作るような奴だ。どんな変態か分かったもんじゃない。俺が着るって言い張らなきゃ、俺のためにも花織は着ようとしたはずだ。
卑怯な手で花織にこれを着せ、隠し撮りでもする気だったんじゃないか。花織を汚らわしい目で見て、邪な感情を向けるつもりだったんだろう。
そう考えると、恥ずかしさなんてどうでもいいくらい腹が立った。
…………花織は俺のものだ。こんな姿の花織を誰にも見せるわけがない。……誰にもだ。
犯人の目的を想像すると腸が煮えくり返る。花織を辱めようとしたつもりなら、上手くいかなくて残念だったな。
花織のしなやかな足が、白くて綺麗な肌がこんな所で晒されるなんて許せない。というか、そんな奴が用意した服を花織に着させるわけないだろ。
そんな最悪なことになるくらいなら、花織を守れるなら。俺自身のプライドなんかいくらでも捨てられる。
「…………っ」
……それでも、現状は最悪だけどな。
下着が見えるのがみっともなさすぎて、短いスカートの裾を引っ張ることに躍起になる。胸が開いてヒラヒラしてるのはこの際どうでもいい。だけど股が、す、スースーして落ち着かないんだ。
そしたら肩から髪が落ちてくるだろ、なんかヒラヒラした髪飾り付けるのに髪をほどかなきゃいけなかったから。怖いな、どんな酷い格好してるんだ俺は。
全身に、突き刺すような花織の視線を痛いほど感じる。気づいてないふりをしていたが、花織の目がどんな風に俺を見ているのかが正直なところ一番怖かった。
「花織……、あまり見ないでくれ……」
顔が焼けるように熱くなるのを感じながら呟く。情けねえ……、消えたい。お前にはこんな姿見られたくなかった。
感情が追いついてこない。俺はまた泣き出したい気分になっていた。
花織はどんな俺でも好きだって言ってくれたが……。その言葉を俺は信じられない。気を使ったくれただけで、本当はこんな俺を見て幻滅したはずだ。俺は……、俺はずっと花織の期待を裏切り続けてる。
愛想を尽かしても花織からしたら当然だよな。自慢のスピードはチームメイトにさえ勝てなくて、練習しても強くもなれない。更には変態趣味疑惑のあるヤツなんて、好きでいられるわけが無い。
「……一郎太くん」
いつもより少し低い声がする。俺の名前が部屋に響いた。
どんな言葉をかけられるのか怖くなって足が震える。これ以上、俺を見ないでくれ。そんな思いが胸を締め付けて立っていられなくなる。初めて陸上の大会に出た時よりも緊張で吐きそうだった。
俺が膝を着くと、花織が傍までやってきたのがわかった。下を向きっぱなしだった俺の顔を花織の両手がくるんで、否応なしに上を向かせる。
「花織……、んっ」
許しを乞うのに似た気持ちで花織の名前を呼ぶ。だが俺の言葉は柔らかな感触に飲み込まれる。強く押し付けられたその感覚は燃えるような熱を持っていた。
「……、一郎太くん」
チュッと軽い音と一緒に口が離れる。一呼吸したタイミングで花織が静かに俺を呼んだ。上を向かせられたまま俺は花織を見た。
凛とした瞳がじっと俺を見ている。俺を見つめて笑わない。かといって軽蔑するみたいな顔をしてる訳でもなかった。
とりあえず花織は俺に呆れてないらしい……。キスしてくれたってことは嫌われたわけじゃないのか……? 花織の顔にはどことなく険しさが滲んでいる。
その顔に俺は見覚えがあった。
「絶対、私以外の前では着ないでね」
そういいながら、花織はギュッと俺のことを胸の中に抱きしめた。ふわふわで、やわらかくて、温かいとか……、そういうことを考えないために俺は必死に別のことを考える。今一番、噛み締めるべきことをだ。
別れてくれって言われなくてよかった。助かった。花織がいなくなったら俺は……。首の皮一枚繋がった気分だよ。
だけど……、やっぱり怒ってるのか? 俺がこんな格好したことを。他の奴らの前では着るなっていうのは……、やっぱり似合ってないからだよな。そういうことだろうな、きっと。
ガチャン、と背後で部屋の鍵が空いた音がした。
そのとき、ふと思い出す。さっきの花織の険しい顔をどこで見たのか。あれは、確か何日か前……、俺たちが大阪に来た日だった。
そうだ。CCCとの試合の時、花織はこんな顔をしていた。