恋風番外編 短編


 
 神というものは俺を弄ぶのがお好きらしい。ゴーグルは顔が隠れるからしてはいけないと無理にクラスメイトに取り上げられた。俺のトレードマークだ、していても問題ないだろうと言えば、王子様の様相に欠けるというのだから言葉を飲み込むしかない。
 
 そう、今日の俺は王子様だ。と言ってもそれは学園祭の学園演劇「白雪姫」の役職にすぎない。望んでこの役を得たわけではない、いや、そういってしまうと嘘になるだろうか。何故なら今日の俺が救うことになる主演の白雪姫役は俺が焦がれてならない[#dn=2#][#dn=1#]だったからだ。
 
 配役を決めるための籤で[#dn=1#]が白雪姫をひいたときは肝をつぶした。何故[#dn=1#]が、いや適役ではあるだろうが。そう自分の中で混乱し、[#dn=1#]を凝視した。[#dn=1#]の王子などたとえ演劇で在ろうとも許すものか。そうやって王子役を引き当てる誰かを心から呪おうと思った。
 
 だがそれがまさか俺になるとは思いもしなかった。実際になってみると出番は少ない王子という役だが最大の見せ場キスシーンがあると知っているため、周囲の反応は思春期のそれそのものだった。

 ただ、彼女の恋人の風丸一郎太がただの演劇だもんな、と笑って俺を許してくれたのが幸いか、不幸か。俺はそんなにアイツに信頼されているのだろうか。
 
 キスシーンは確かにフリで、練習もこれまで[#dn=1#]に口づけたことは一度もない。だがそれでも嫌な気持ちにならないものか? 俺ならば恋人がそんな配役をされたら我慢ならないが。まあアイツらは色々な試練を乗り越えてきたのだからそう思えるようになるのも自然なことなのかもしれない。
 
「鬼道くん出番だよ」
 
 舞台袖で出番を待っているとクラスメイトに添う背中を押される。俺は硬く目を瞑ってから赤いマントを翻し、目を見開くと姫が死んでしまったと嘆く小人たちの前に姿を現した。
 
「どうしたんですか」
 
 俺が登場した瞬間に騒めく観客、差し込むスポットライト。だがそんなものはどうでもいい。俺には関係ない。淡々台詞を吐きながら舞台から客席を見下ろせば最前列に円堂や風丸たちの姿が見えた。
 
「姫が死んでしまったのです」
「姫……?」
 
 そうしてやっと俺は白雪姫に視線を向けることを許された。目を見開き、無意識に歩を踏み出して彼女が眠る棺の傍に傅いた。口を開けど声は出ない。ああ、なんと……。
「……なんと、美しい姫なのだろう」
 
 思わず息をのむ。これは俺の心からの言葉だった。[#dn=1#]を白雪姫に抜擢したのはこの世の全ての理よりも間違いなく正しい。艶やかで美しい黒檀のような黒髪、雪のように白くすべやかな肌。そして薄化粧によって施された血のように赤い唇。

 おとぎ話の世界からまるでそのまま飛び出したかのような姿。素人が作った安っぽいドレスも、折り紙で作られた彼女を飾る花も全てが本物に見えるように[#dn=1#]の美しさは偽りを本物に見せた。
 
 フリだと分かっていても眠る[#dn=1#]の姿はあまりも美麗で、このままとどめておきたいと思ってしまう。白雪姫に登場する王子が本当は死体愛好家で、完璧に美しい白雪姫を眠るまま連れて帰ったというグリム童話に共感してしまいたくなるほどに俺は今ここから[#dn=1#]を連れ去っていつまでも[#dn=1#]の眠る顔を見つめ続けていたいと思う。
 
 瞳に映る世界の全ては[#dn=1#]によって色づいているのだと思う。[#dn=1#]に出会う前の世界の色をもう俺は覚えてはいない。知る必要がないのだ、[#dn=1#]の頬にそっと手を添えてその美しい姿を見つめる。世界の外で客席があまりの間の長さに騒めいて、不安げなクラスメイトの視線が俺を突き刺す。だが俺はこのままでいいと思ってしまう。永遠にこのままでいられたら。
 
「……」
 
 くい、と胸の上で手を組んでいた[#dn=1#]が頬に添えられた俺の腕の袖口を引っ張る。ハッと我に返らされた俺は目を細めた。口づけを求めているのか……。ドクン、と心臓の拍動が大きく高鳴り、ドッドッと飛び出らんほどに激しく収縮を繰り返している。
 
 いつもはフリだけだ。棺の中に身体を傾ければそれらしく見える。だが、俺は。……俺を弄ぶ神に足掻く。掌で踊らされる人形になったりしない、たとえこの後に何が起ころうとも。
 
 静かに[#dn=1#]に顔を寄せる。そして一瞬のような永遠のような時間の中で光に祝福されながら俺は[#dn=1#]に口づけた。
 
 クラスメイトの動揺も客席の騒めきも、今風丸がどんな顔をしているかさえも俺には関係ない。全ては演劇、虚無の出来事。いくらでも誤魔化しは利く。
 
 俺の口づけを受けて[#dn=1#]はゆっくりと目を開く。演劇のシナリオ通りに身体を起こしたが、その仕草は優美で驚いた顔はしていなかった。まるで俺が本当にキスをすることが分かっていたかのように俺を見つめて柔らかく微笑んだ。そんな[#dn=1#]が愛しくて俺は[#dn=1#]の手を取る。どうか私と結婚して頂けませんか、そんな台詞。必要ない。
 
「俺と結婚してくれ」
 
 唇が微かに[#dn=1#]、と呼ぶ。[#dn=1#]は泣きそうな顔をしてそれでもやっと微笑んだ。はにかんだ唇からセリフは続かない。

俺はそれが、今のお前の答えなのだと理解している。それでも、今になっても諦めきれない。
 
 俺は握った[#dn=1#]の手の指先にキスを落とす。このままお前を連れ去れたならどんなにいいだろう。静かに舞台に幕が降りて行く。せめてこの舞台の中だけでも果たされたのは、淡く儚い俺の夢。今は虚構の現実と成り果てたもの。
 
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