恋風番外編 短編


 いつもと変りない練習日和。グラウンドを片付けて部室で着替えをしているときのことだった。わいわいがやがやと部員で賑わう部室。

 フットボールフロンティアインターナショナルの日本代表選手に雷門中学の選手が何人も選出されたこと、フットボールフロンティアでの優勝で部員が増えたため部室は大変賑やかであった。そんな中、何気なく風丸一郎太が練習用のソックスを脱いだ時、彼の中で事件は起こった。
 
「……あれ?」
 
 右足首に付けているはずのミサンガが、無い。さあっと風丸は背筋が凍るような気持ちになって焦る。そのミサンガはフットボールフロンティアインターナショナル決勝戦の朝、彼の愛しい恋人である[#dn=2#][#dn=1#]が贈ってくれた、彼女の手編みのミサンガなのだ。彼はソックスを裏返してミサンガを探す。するとポロリとソックスの裏側からミサンガであったものが顔を出した。赤と青と白の三色カラーの糸の絡まり。
 
「嘘だろ……」
 
 風丸の表情が絶望感で一杯になる。彼女がくれたミサンガは結び目とは正反対のところからぶつりと切れてしまっている。そういえば今日は練習でよくスライディングをした。

 それに貰った頃からの時期を考えると三か月以上はこのミサンガを付けていることになるがそれでも。そんなことが彼女のくれたミサンガを切ってしまう理由になるだろうか。否、なるはずがない。自分がもっと大切にしていればミサンガは切れなかっただろう。せっかく[#dn=1#]が編んでくれたのに……。
 
「どうしたんだ、風丸?」
「なっ、何でもない……、円堂」
 
 着替える手が止まっている風丸を心配した円堂が風丸に声を掛ける。彼は掌に乗せていたミサンガをぎゅっと強く握りしめて隠した。そしてとりあえず制服のポケットにミサンガを突っ込んで真に迫った表情で着替えを進めていく。

 頭の中が酸素不足でぐるぐると回るが何も考えることができない。[#dn=1#]の編んでくれた、俺だけのために作ってくれたものが壊れてしまった。それがあまりにもショックでめまいがする。
 
 とにかくこれは未だかつてない緊急事態だと言っていいだろう。
 
 着替えを済ませて心ここに在らずの風丸はふらふらと部室を出た。外では既に着替えを済ませた[#dn=1#]が風丸のことを待っていて風丸が出てくると[#dn=1#]は風丸に手を振った。いつものように美しい彼女の黒髪が風に靡いている。風丸は繕った笑みを浮かべて[#dn=1#]に手を振り返す。[#dn=1#]の元へ歩み寄れば、[#dn=1#]がさり気無く風丸の手を取った。
 
「遅かったね、何かあったの?」
 
 ドキ、と風丸の心臓が跳ねる。正直に言うと何かあった。それはもう一刻を争う事態が起こった。だがもしもミサンガが切れたなんて[#dn=1#]に言ったらどうなるだろう。もしかしたら、もしかしたら[#dn=1#]は新しいものを編むと言ってくれるかもしれないが、彼女が悲しむのは必至。今のふわふわした心理状況でミサンガが切れたなんて報告ができるわけがない。
 
「いや……、なんでも、ない」
「そう? ……でも、なんだか顔色悪いみたい」
 
 [#dn=1#]がそう言って手を繋いでいない左手を風丸の頬に伸ばして触れた。何気ない、普段からしている行為だというのにビクッと風丸は飛び上がってしまう。慌てて後方に飛びのいて風丸は[#dn=1#]の手を避けた。
 
「本当に何もないんだ……。帰ろうぜ」
「……うん」
 
 怪訝そうな顔をして風丸を見つめた[#dn=1#]だったが、何でもないと言い張る風丸にしょうがなしに首を縦に振った。そして帰り道、[#dn=1#]の家の方に向かって歩いているが風丸はどうもいつもと様子が違うのは[#dn=1#]には明白だった。
 
「一郎太くん」
「……」
「一郎太くんってば……」
 
 声を掛けてもずっと反応はない。何か深く考え込んでいるようだ。[#dn=1#]はぐっと握っている彼の左手を引っ張って彼の耳元で名前を呼ぶ。
 
「一郎太くん」
「……わっ‼ どうしたんだ、[#dn=1#]?」
「どうしたんだ? じゃないよ、一郎太くんこそどうしたの? ずっと何か考え込んで」
 
 どうやら気が付かなかったが、風丸はずっと道中深刻な顔をして黙り込んでいたらしい。[#dn=1#]は風丸を心配そうに見つめて繋いでいる彼の手を両手で握った。
 
「ねえ、何かあったなら私が相談に乗るよ?」
 
 風丸は[#dn=1#]のその表情にグッと胸が痛んで、目を逸らしてしまう。今ですらこんなに悲し気な顔をさせているというのに、ミサンガを切ってしまったなんて言ったらもっと悲しませてしまうに決まっている。俺は[#dn=1#]を悲しませたくないんだ。風丸は首を横に振って作り笑いを浮かべる。
 
「本当に何でもないんだ」
「……絶対嘘」
「嘘じゃないさ。さぁ、行こう」
 
 早く帰ろうと促して[#dn=1#]の手を引っ張る。手を引く風丸は深く悩みこんだ顔をして、一方手を引かれる[#dn=1#]は酷く悲し気な顔をしていた。手を繋いでいるのに今にも千切れてしまいそうな糸のように心がすれ違いかけていた。
 
 ***
 
「……というわけなの」
 
 翌日、休み時間に[#dn=1#]は昨日の風丸の様子、また今朝のあまりに余所余所しい態度を親友の木野秋に相談した。

 風丸のおかしな態度は部員の中からも声が上がるほどで、また[#dn=1#]に対しての態度が明白に違うことなどから風丸一郎太浮気説すら浮上するほどだった。実際今、昼休みも[#dn=1#]と風丸は共に昼食を食べるはずなのに用があるからと風丸は[#dn=1#]との約束を反故にした。
 
「[#dn=1#]ちゃんには心当たりはないの?」
「全然……。昨日の練習までは一郎太くん普通だったから」
「確かに……」
 
 秋は昨日の練習の様子を思い返してみる。風丸が活躍すれば[#dn=1#]が応援の声を投げ、風丸はそれに応えるプレーを見せていた。休憩時間は[#dn=1#]のメモを元に風丸のプレーの研究をしていて、いつもどおりのふたりだった。だが帰るときにはもうすでにそのよそよそしい風丸一郎太になっていたのだという。これはいったいどういうことだろうか。
 
「何かあったのかな。……それとも、嫌われちゃった?」
「まさか」
 
 そんなことがあってたまるかと言わんばかりに秋が声を上げる。今の今まで散々すったもんだ色々な事件を積み重ねては周りを巻き込んでおいて一夜にして愛想をつかすなどあってたまるだろうか。
 
「私が風丸くんに話を聞いてみてくるね」
 
 秋が[#dn=1#]を置いて立ち上がる。[#dn=1#]は泣きそうな目をしてよろしく、と弱弱しく呟いた。一体何があるというのだろうか。秋は風丸の教室へと向かう。そして彼女はその真実を目の当たりにしたのだった。
 
 ***
 
 放課後、練習が始まる前に風丸は[#dn=1#]を自身の教室に呼び出した。昼休み、何とかミサンガを修復できないかと千切れたミサンガを前に四苦八苦していたら、突然木野秋がやってきて風丸を見るなり噴き出した。

 しかし器用な秋ならどうにかできるかもしれない。そう思った風丸は事情を説明すると秋は呆れたように笑いながら、素直に[#dn=1#]に理由を話しなさい。とそれだけ言ってその場を去っていったのである。
 
 風丸は男ならはっきりとすべきだ、と思い[#dn=1#]を呼び出し今に至るわけである。今は[#dn=1#]を待つため一人教室に残っている。改めて手の中にある無残なミサンガだったものを見つめた。やっぱり[#dn=1#]は悲しむんじゃないだろうか……、今更になって不安が込み上げ目を伏せる。するとガラリと教室の扉が開いた。
 
「一郎太くん……?」
 
 [#dn=1#]だ。こちらもまた風丸と同様に不安げな面持ちをして教室に入ってきた。風丸はぎゅっとミサンガを手の中に握りしめる。[#dn=1#]は風丸の傍まで歩み寄ると泣き出しそうな面持ちで風丸を見上げた。すでに泣きそうじゃないか、風丸の表情が強張る。
 
「話って、何……?」
 
 よりによって彼が二度目の告白をした教室という場所で。風丸は黙って右手を差し出した。[#dn=1#]が首を傾げる。そして風丸はすまない、と前置きをして掌を開いた。
 
「その、[#dn=1#]がくれたミサンガが、昨日の練習で切れてしまって……」
「……は?」
 
 ぽかん、と[#dn=1#]が間の抜けた表情を見せる。教室の空気が固まった。[#dn=1#]はしばらく何も言えずに黙っていたが静かに風丸の右手を握ってはーっと大きくため息をついた。力の抜けたように彼女が床にしゃがみ込む、風丸もつられて腰を下ろした。
 
「よかった……、てっきり別れてほしいって言われちゃうのかと思って」
「え? そ、そんなこと言うわけないだろ‼」
 
 とんでもない、というように風丸が首を振る。[#dn=1#]はくつくつと笑いながら風丸を見るそしてぎゅっと彼の頸に抱き着いた。
 
「っふふ、でも本当に心配したんだよ。よかったー……。嫌われたんじゃなかったんだ」
「俺が[#dn=1#]を嫌いになるわけがない。……でもミサンガが」
 
 風丸が抱き着いた[#dn=1#]の背を撫でながらそういうと、[#dn=1#]は腕を緩めて風丸の手に触れる。そして風丸をみつめておかしくて堪らないというような顔をして彼の手の上のミサンガを撫でる。
 
「一郎太くん、ミサンガは千切れたらお願いが叶うんだよ?」
「え? そう、なのか……?」
「うん。……ふふ、知らなかったんだね」
 
 [#dn=1#]は風丸を見つめて慈しむようにミサンガに指を這わせ赤、青、白の色をなぞる。
 
「私ね、ミサンガ編んでるときに御願い事をしてたんだよ」
「……どんな、願いを」
「赤には一郎太くんが十分な実力を試合で発揮できるように。白には一郎太くんが試合で怪我をしないように。一郎太くんの色の青には直向きに前だけを見つめる風丸一郎太の活躍を願って」
 
 謳うように[#dn=1#]が囁く。風丸はじんと胸に声が[#dn=1#]の想いが染み入るのがわかった。どれだけの想いを[#dn=1#]はこのミサンガに編み込んでくれていたのだろう。受け取った時にも彼女の想いを十分に受け取った気持ちではあったが、自分の理解は全然彼女に及んでいなかったのだと知る。
 
「……[#dn=1#]」
 
 堪らなく[#dn=1#]が愛しくなって彼女の身体を抱きしめる。この少女を好きになるのは必然だった。こんなにも自分を愛してくれる愛しい少女。自分は彼女にどれだけの気持ちを返せばいいのだろう。
 
「一郎太くん」
 
 [#dn=1#]が背を仰け反って風丸の頬を撫でる。そして優しく彼の大好きな笑顔で微笑んで唇にキスを落とした。
 
「大好きだよ、一郎太くん」
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