恋風番外編 短編


 
 トリックオアトリート。日本語に訳すといたずらか、ごちそうか。私が魔法の呪文を唱えたら、彼はどちらを私に差し出してくれるだろうか。そんなことを考えながら[#dn=1#]は髪を乾かすために使っていたドライヤーのスイッチを切った。
 
 十月三十一日。静まり返った住宅街は不気味なほど静かで、大きな月が浮かび煌々と光るHallowe'en。元々は秋の収穫をを祝い、悪霊などと追い出す意味合いのあった日だけれども、日本では仮装をした子供たちが家を周り、呪文を唱えてお菓子を貰う、そんなお祭りに成り果てていた。そして今日は、そのお祭りに便乗してみようと彼女はしゅるりとつま先からソックスを履かせながら着々と仕度を進めていた。
 
 時刻はすでに夜の十時を過ぎている。[#dn=1#]の前々から計画していた企みを実行するにはちょうど良い時間だ。今夜の作戦結構のため、[#dn=1#]は今週ずっと彼の家にお泊りさせてもらっている。先日帰国したばかりの彼は二か月ほど海外遠征に行ってしまっていて声だけしか聴くことができなかったから、[#dn=1#]はずっと寂しい思いをしていた。

 彼に触れたくて、触ってほしくて堪らなく彼が欲しかった。だから彼が同じ思いでいたのかを問いかける。イエスオアノー。私が欲しいと思ってくれていた? そんなことを不安に思うと他の不安も顔を出す。もしかして彼、今日がハロウィンだなんて知らないかな? だってあまりにも今日は何事もなく平和だったもの。
 
 風呂上がりに身支度を整え終えて[#dn=1#]は深呼吸をする。洗面台の鏡に映った自分はあまりにも挑戦的な姿をしていた。一歩間違えれば彼にはしたないと思われてしまうかもしれない。でも、[#dn=1#]はぎゅっとこぶしを握る。たまには私だってこういうことをしてみたい。

 長い黒髪をさらりと揺らし、鏡の前でポーズをとってみる。……意外とセクシーに見えたりして。鏡の中の自分に[#dn=1#]は微笑む。衣装を注文したときは似合うかどうか心配だったけれど、フリルが一杯のスカートを着た魔女や可愛いお姫様になるよりは性に合ってるかもしれない。今から彼女が実行することを思えば。今から[#dn=1#]が囁く呪文はお姫様には似合わない。
 
 [#dn=1#]は鏡の中の自分を見てふーっと深呼吸をする。そして決心したように鏡の自分に頷いた。大丈夫、恥ずかしくて堪らないけどきっとうまくいく。……だって、私が一郎太くんを誘惑できなかったことなんてないんだから。

 自らの右手ですうっと撫でた桜色の唇にぽんとひとつ、魔法のお菓子を放り込む。初めは甘く蕩けて、中からどろりと苦い味。彼に見つかったら絶対に食べさせてもらえない禁忌のお菓子。きっとそれは[#dn=1#]をより大胆にしてくれるはず。月光を白雪の肌に受け、[#dn=1#]は艶めかしく微笑む。準備ができたならさあ、扉を叩きに行こう。とびきり美味しい最高級のお菓子を貰いにいかなければ。
 
 とん、とん。二度ほど扉を叩くような軽い音が鳴ったことに気づいたのは人の気配を感じた後だった。リビングのソファに深く腰掛け、[#dn=1#]が風呂から上がるのを雑誌を読みながら待っていた。

 寝仕度はすでに整っている。[#dn=1#]がリビングに戻ってきたらふたりで寄り添ってソファーに掛けて、テレビでも見ながらだらだらと時間を過ごそうか。そんなふうに彼、風丸一郎太は考えていた。目の前に立った風呂上がりのはずの彼女を見るまでは。
 
「トリックオアトリート」
 
 頬を桃色に染め、色気を纏った[#dn=1#]が指を立てて風丸に問いかけた。風丸はその姿に思わず手にしてた雑誌を取り落とす。バサリ、と雑誌が騒がしく音を立てたが風丸にそんなものを気にしている余裕はなかった。何か言葉を発しようと口を開こうとするが思うようにいかない。それもこれも全て彼女の身に纏っている衣装のせいだった。

 へそ出しベアトップというのだろうか、彼女の胸の部分しか覆っていないトップスは彼女の締まったくびれを露出させ、さらには胸部分もたわわに実った果実の谷間を存分に見せつけるばかりか、中央の布にハート形の穴をあけ、今にもそれが零れてしまいそうな印象を見せる。その上に羽織った上着はパフスリーブのアームカバーだけで背中には小悪魔の翼のようなものが付いている。ホットパンツから伸びたスラリとした足には黒のオーバーニーソックスを履かせよりセクシーに色気を纏わせていた。

 なんだかわからないが非常に露出度の高い、そして何よりそそる格好であった。こんな淫靡な衣装が[#dn=1#]に似合っている、とは思いたくなかったが、風丸の目に映る彼女はとてもエロチックでどくんと全身の血流が早まった気がした。
 
「えっ、[#dn=1#]……その格好は」
 
 風丸は混乱した頭で何とか言葉を紡ぎだす。何とか落ち着きを払おうと[#dn=1#]から目を背けようとした。だが[#dn=1#]はそれを許してはくれない。[#dn=1#]はソファーに掛けている彼の膝の上に股を開いて腰掛けた。ソファーのスプリングが[#dn=1#]の体重分深く沈む。

 ふわっと風丸が使っているのと同じシャンプーの匂いが彼の鼻腔を擽った。風丸は[#dn=1#]が落ちないようにと咄嗟に彼女のウエストを支えたがすべやかな素肌が露出している底に触れるだけで指先から熱を持っていく。こんなの、耐えられるわけがない。
 
「ふふ、いちろーたくん? お菓子持ってないの?」
 
 微笑みながら[#dn=1#]がつうっと指先で風丸の頬を撫ぜた。風丸は頬を真っ赤に染めて[#dn=1#]を見つめる。気のせいかいつもより潤んでいる黒の瞳。何て煽情的なのだろう。風丸は[#dn=1#]の腰に添えた手に力を籠める。

 待て、これはいけない。このままだと本当におかしくなりそうだ。風丸は落ち着こうと[#dn=1#]から目を逸らして壁に掛かったカレンダーを見る。今日は十月三十一日……。目を向けたその紙には今この状況に陥っている理由がはっきりと明記されていた。ああそうか、ならば[#dn=1#]のこの格好にもお菓子という発言にも納得がいく。今日はハロウィンなのだ。
 
「ねえ、よそ見しちゃやだよ」
 
 するりと[#dn=1#]の両の腕が風丸の首に回る。[#dn=1#]はぐっと風丸に顔を近づけて目を瞬かせた。口元に浮かべた悪戯っぽい微笑みがいつにも増して可愛らしい。頬を赤らめた彼女はぎゅうっと風丸に抱き着いた。彼女の背中で揺れる小さな翼。

 彼女の仮装は何だ、小悪魔? それにしては露出が多すぎるように思えるが。[#dn=1#]をしっかりと抱きとめながら風丸は引き千切れてしまいそうな衝動を何とか繋ぎ止めている。本当に今の状況はぎりぎりだ。こんなことをされると今すぐにでも彼女をソファーに押し倒して[#dn=1#]の全てを暴きたくなる。
 
「[#dn=1#]……っ」
「お菓子、持ってないよね? 一郎太くん。でもいいの、私はあまぁいお菓子より……」
 
 [#dn=1#]の細い指先が風丸の首筋をなぞった。ちゅ、と彼女の柔らかな唇が風丸の首筋に押し当てられ、彼女の熱い舌がぺろりと風丸の首を這っていく。煽り立てられ、ムクムクと首を擡げる欲望が風丸を飲み込もうとしている。それを助長するように艶めかしい声で[#dn=1#]は風丸の耳元で囁いた。
 
「一郎太くんを食べちゃいたい」
 
 淫猥な響きに風丸はゾク、と駆け抜けるような衝動が走る。それを知りながらそっと[#dn=1#]が風丸のズボンの上から彼のソレを一撫でした。既に彼のモノがズボンを押し上げようとしているのは彼の太ももに座っているからわかっていた。

 とうとう堪らなくなって風丸は[#dn=1#]の唇を荒々しく奪う。何度も何度も深く唇を押し付け、舌先で[#dn=1#]の唇を押し開けば[#dn=1#]の舌が、彼の舌に熱く絡みついた。いつになく積極的だ。そして何となく甘い味がする。まるでチョコレートのような。だが今の風丸にそんなものを推察する思考力は残っていなかった。
 
「んん……っ。ちゅ、はぁ……」
 
 彼女から甘い声が漏れている。ただただ[#dn=1#]を求め、情熱的に舌を絡めさせ合えば、口の端から唾液が零れそうになる。それすらを逃すまいとじゅるりと音を立てて彼女の唾液を飲み込んだ。舌を吸啜しながら[#dn=1#]の身体をソファへと押し倒した。さらりと彼女の絹のような黒髪がソファーに流れる。

 彼女の口腔内を思う存分、蹂躙して彼女を解放してやれば、はぁと艶めかしく[#dn=1#]が息を吐いた。彼女の口の端からはどうしても零れてしまった唾液が伝い落ちている。それを風丸は自らの袖口で拭ってやると頬を上気させた[#dn=1#]がいやらしく風丸に笑いかけた。
 
「キスだけ……? やだ、もっと欲しい。一郎太くんでお腹いっぱいになりたいの」
「[#dn=1#]……」
 
 風丸はごくりと生唾を飲み込む。もう止まれないと分かっているくせに。風丸の理性の糸がぷつりぷつりと彼女のすべてによって切断されようとしている。すべては[#dn=1#]の思い通りだ。[#dn=1#]は身体をくねらせて風丸を誘う。それに合わせて彼女の大きな胸がたゆりと波打つ。[#dn=1#]は既に蕩けたような表情で風丸を見つめる。
 
 一郎太くん、サキュバスって知ってる? 男の人を惑わす悪魔。今日の私はサキュバスなの。貴方が私の極上のお菓子よ、貴方の全部を貰いに来たの。お子様じみた悪戯なんてまっぴら。ふたりでハロウィンに興じましょう? こんなはしたないことをしてしまうくらい私の身体は一郎太くんを欲しているの。
 
「一郎太くん……」
「[#dn=1#]、好きだ……。もう優しくしてやれないからな」
 
 掠れた声でそう囁けば、再び熱いキスが[#dn=1#]に捧げられる。[#dn=1#]が風丸の首に腕を回してそのキスに応えれば、彼の手は彼女のベアトップをたくし上げた。小さな布で支えられていた彼女の柔らかな果実はぽろりと風丸の手の中に零れ落ちる。[#dn=1#]は内心ほっとして彼が己の身体に触れる感覚に至福の喜びを感じた。
 
「トリックオアトリート……」
「え?」
「ハロウィンだろ、トリックオアトリート。[#dn=1#]はどうするんだ?」
 
 [#dn=1#]の首筋に舌を這わせ、時々吸い付きながら風丸が[#dn=1#]に問いかける。その間も彼の手はやわやわと胸に触れ、もう抑えの利かない様子らしい。ちゅっと音を立てて[#dn=1#]の胸に赤い印を刻んだ彼は顔を上げて[#dn=1#]を見つめる。

 ほんのりとサディスティックさを孕んだ茶色い瞳。今日の彼はきっと[#dn=1#]を貪るだろう。その瞳にすら快感を覚えて[#dn=1#]はぶるりと身体を震わせる。そしてとびきり色っぽく微笑んで、舌ったらずの甘えた声で彼の問いに答えを返した。
 
「うふふ、とりーと」
 
 そう言って[#dn=1#]は風丸のシャツのボタンを一つずつ開けていく。とびきり美味しいかはわからないけど。彼のためのお菓子になれるように今日は頑張るって決めていた。

  ね、一郎太くん。私は貴方を変身させたかったの。だって今日はハロウィンだもの。私だけの狼さんになってくれてもいいでしょう? ねえ好きなだけ私を食べて。一郎太くんの思うままにめちゃくちゃにして? ずっと寂しかったの、貴方が欲しかった。ずっと貴方に抱かれたかった。だからお祭りに乗じてこんなことをするの。
 
 既に熱に浮かされた身体を揺らして、[#dn=1#]は潤んだ瞳を風丸に向けて物欲しげな表情を浮かべる。風丸の残った理性を焼き切るように[#dn=1#]は彼の狼さんに魔法の呪文を唱える。
 
「私を食べて、全部一郎太くんのものにして」 
 
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