恋風番外編 短編
カランコロン、カランコロン。彼女が歩くたびに履き慣れない下駄が心地よい音を立てた。きゅっと締め上げた帯が腹部を圧迫して少し苦しい。見上げた夕焼けの橙色が徐々に紺碧へと滲んでゆく。彼女、[#dn=1#]は浮き浮きとした気分を胸に堪えて彼との待ち合わせの場所へと向かっていた。
今日は稲妻町を挙げてのお祭りの日だ。駅前から商店街の出口まで所狭しと出店が立ち並ぶ、その名もまさにイナズマ祭り。商店街の入り口には特設ステージが設置され、様々な催し物が行われるのだと、数週間前から商店街の電柱に張り紙がされていた。かなりの規模なお祭りだと言えるだろう。
”[#dn=1#]、一緒に行かないか”
夏休みに入る前、恋人である風丸一郎太が自分をそうやってデートに誘ってくれた時のことを思い出す。照れくさそうに頬を掻いて、耳まで真っ赤になって[#dn=1#]をわざわざ校舎裏に呼び出して彼は改まった風にそう言った。告白というわけでもないというのに、彼は緊張している様子だった。[#dn=1#]はくすくすと笑いながら彼の誘いに二つ返事で了解して今日の日を楽しみにして迎えたのであった。
サッカー部の練習を終えて自宅に戻り、シャワーを浴びてこの日のために用意した浴衣を身に着けた。髪を結い、髪飾りで髪を飾っていつになく気合を入れて家を出た。
彼とは稲妻町駅前で待ち合わせ。慣れない服装のため、時間に余裕を持って家を出た。カランコロン。[#dn=1#]が歩を進めるたびに下駄が楽し気な音を立てる。すれ違う人々も浴衣を身に着けていたり、縁日の商品を手にしていたりと町全体が浮かれているような空気が漂っている。
「……あっ」
駅前に見えた腕を組んで立つ彼の姿。遠目からでも彼の姿は良く目立つ。彼の自慢の青髪よりも濃い紺色の浴衣に渋い紫の帯を締めたその姿に[#dn=1#]の胸がとくんと、ときめきを覚える。[#dn=1#]の彼氏、風丸一郎太の姿だ。まだ待ち合わせの時間より十分も早いのに、と[#dn=1#]の表情が綻んだ。きっと彼も今日の日を楽しみにしていてくれたのだろう。今日の練習中はいつも通りの頼もしさで、顔には出していなかったけれど。
一郎太くん、そう名前を呼び、少し早足で彼の元まで歩いて彼と合流しようとした。しかし彼の名を呼ぼうとした[#dn=1#]の声は喉に詰まって出てこなかった。人波が風丸と[#dn=1#]の間を流れてゆく。[#dn=1#]の目に映ったのは、風丸とミニ丈の浴衣を身に着けた見知らぬ二人の女性。
「ね!君、風丸選手でしょ?」
「うそぉ、本物だぁ!実物めっちゃカッコいいじゃん!」
風丸はその女性たちと何やら話をしているようだ。[#dn=1#]は少し大回りをして風丸の近くまで歩み寄る。駅の切符売り場からこっそりと彼とその女性たちの様子を伺った。
「ねえねえ、ひとりだったら私たちと一緒にお祭り回らない?」
そう言って女性の一人が強引に風丸の腕を取って自分の胸に抱き寄せた。ぴしり、と影から様子を見ていた[#dn=1#]の表情が凍り付く。ああこれは、[#dn=1#]は眉間に皺を寄せる。自分の身にも覚えがある。これはナンパだ、間違いなく。
「いえ、人と待ち合わせをしているので……」
「えー!私、風丸選手と一緒にお祭り行きたいなぁ」
「もしかして、待ってるのって他のイナズマジャパンの選手?それなら一緒にいこーよー!」
ぐいぐいと風丸の腕を女性たちが引っ張っている。風丸は困り切った表情で彼女たちの腕を振り払うこともできずにいるようだった。[#dn=1#]はぎゅっと胸元でこぶしを握る。先ほどの浮かれ気分は流れ出てしまって、モヤモヤと胸に込み上げる不快感が彼女の中で増幅した。
一郎太くんに触らないで、私の恋人なんです。そうはっきり言えるほどの自信があったなら、[#dn=1#]は彼らの前に歩み出て堂々とした振る舞いを見せただろう。でも彼女にはそうする勇気がなかった。相手は[#dn=1#]よりいくつか年上の、化粧まできっちり施した女性たちだったからだ。きっと自分が飛び出して行っても風丸が恥をかくだけかもしれない。そう思って[#dn=1#]は俯いてしまう。しかしこのままでいることもできない、このままでは風丸が連れていかれてしまう。
「恋人を待ってるんです!」
迷惑そうな声が[#dn=1#]の耳に届いた。[#dn=1#]は面を上げて風丸のことを見る。凛としたその佇まいに[#dn=1#]は手にした巾着を握りしめ、ゆっくりと彼らの前に姿を現した。
「……[#dn=1#]」
[#dn=1#]の姿を見つけて風丸はほっと安堵したような表情を見せる。[#dn=1#]はどんな顔をすればよいのか分からなかったが、ぎこちなく微笑んで彼を見つめて目を細めた。
「お待たせ、一郎太くん……」
「ああ、いや。全然待ってないぞ」
風丸はやんわりと女性二人の腕を振り払いながら、[#dn=1#]の元に歩み寄り手に取った。彼女がいるので、失礼します。風丸はそう言って会釈して[#dn=1#]と繋いだ自らの左手を少し上げて見せる。女性二人が[#dn=1#]の存在に何か言いたげに眉を顰めた。[#dn=1#]は怖くなって不意と視線を逸らしてしまう。
「行こう、[#dn=1#]」
そう言って歩き出した風丸につられて[#dn=1#]も歩き出す。後ろからの非難するような視線と[#dn=1#]に聞こえるように発せられた悪意のある言葉が突きさす。
「えー、あれが風丸選手の彼女?」
「ちょっと無くない?地味すぎじゃん、メイクすらしてなかったよ」
「風丸選手ってああいう子が好みなわけ……?」
あり得なくない?と風丸すらを非難するような言葉にぐっと下唇を噛み締めて[#dn=1#]は俯く。分かっている、彼と自分が釣り合ってないことくらい知っている。でも彼が望んでいてくれるから[#dn=1#]はここに立っている。風丸は何も聞いていないふりをして[#dn=1#]に優しく微笑みかけた。
「[#dn=1#]、行きたいところはあるか?」
繋いだ指をしっかりと絡めて風丸が問いかける。[#dn=1#]は作り笑いを浮かべてその手を握り返した。
「縁日、見て回ろうよ」
***
太鼓や鉦、笛からなる軽快なお囃子の音は祭りという空気を盛立たせる。道行く人々は祭りを満喫しているようで縁日で売られている面を付けたり、綿菓子、りんご飴などを手にして道を歩いている。どこからともなく漂ってくるソースの焦げる匂いが食欲を誘う。多くの人でごった返しているため、はぐれたりしないようにとふたりはしっかりと手を握っていた。
「何か食べようぜ、出店を見てるとお腹が空くな」
「……うん」
風丸が楽し気にあたりの店を見回す。お好み焼きにたこ焼き、クレープにから揚げ、箸巻やフライドポテト。食べ物の露店はたくさんある。どれにしようか、なんて風丸が柄にもなく燥いでる様子を見ながら、先ほどの出来事のせいで[#dn=1#]はどこか引っ掛かりがあるように微笑んだ。少し萎えてしまったような気持ちを抑えて落ち着いて彼に返答する。
「……私は、何でもいいよ」
「そうか?なら、たこ焼きにするか。他にも色々食べたいから、半分こにしようぜ」
風丸はそう言って近くにあるたこ焼き屋を指さす。[#dn=1#]は風丸の言葉に静かに頷く。しかし彼女の視線はたこ焼き屋から隣の出店の方へとちらと逸れた。棚の上に所狭しと並べられた商品。風丸の視線も[#dn=1#]の視線を追ってそちらに逸れた。
「[#dn=1#]?」
お菓子やおもちゃが並ぶその店の中で見つけた可愛いぬいぐるみ。手のひらサイズの例えば鞄に付けたりするのにはちょうどいい、そんなうさぎのぬいぐるみが風丸の目に入った。
「[#dn=1#]、何か食べる前にやってみないか? 射的」
そう言って風丸が[#dn=1#]の手を引いて射的の屋台の前まで来た。正直、風丸はこういうゲームはあまり得意ではない。でも今日、合流してから表情があまり優れない彼女のためにカッコよく景品を取ってプレゼント出来たら。彼女はいつものように笑ってくれるのではないだろうか。そんなふうに考えた。
「おじさん、一回お願いします」
一ゲーム五発。台の前に立って料金を店主に支払い風丸は銃にコルクを詰める。[#dn=1#]は後方でじっと彼の様子を見守っていた。狙いを定めて引き金を引く。パンと乾いた音がしたが、弾は景品を掠めて少し揺れただけであった。
「……くっ、中々難しいな」
二発目を外した風丸が三発目の弾を装填しながら、呟く。[#dn=1#]はその様子を神妙な様子で見つめていた。景品が欲しいならもう少し軽めのお菓子などを狙えばいいのに。それでも彼はあの可愛らしいピンクのうさぎのぬいぐるみを狙っているようだ、そんなにあれが欲しいのだろうか。彼の好みにはとても見えないのに。でも、彼が欲しいというのなら。
「……っ」
パンッ、と四発目の音がして少しだけぬいぐるみがゆらと揺れた。彼氏惜しいねえ、などと屋台のおじさんが風丸に快活に笑う。眉間に皺を寄せて風丸は銃を片手で持ち上げる。ダメだ落とせるイメージがない。そんな時だった。脇からひょいと銃が取り上げられ、腕が軽くなる。
「……[#dn=1#]?」
「最後の一発、貰ってもいい?」
[#dn=1#]が風丸の手から銃を奪って銃のレバーを引き、弾を強く銃口に押し込んだ。[#dn=1#]はこういうゲームをしたことがない。だが、銃ならば帝国学園在学中に嫌というほど訓練で扱った。彼女は浴衣の袖をまくり上げ脇を締める、台に肘をついて腕を固定した。[#dn=1#]の白い細い腕が露わになる。絵になる構え方だ。周囲が射的をしようと集まった客の視線が[#dn=1#]に向く。風丸も彼女の慣れたような様子にただその姿を見守るしかなかった。[#dn=1#]は銃を構え、獲物に照準を合わせる。
先ほどの四発でこの銃の性能は分かった。コルクもなるべく良いものを選んだ。あとは私の腕だけ。[#dn=1#]は銃の柄の部分を頬にぴったりと密着させる。射的は回転の力で商品を落とすのだと聞いたことがある。ならば狙うはぬいぐるみの頭、右上方。唇を噛んで目を細め、狙いすます。そして反動でぶれないようにだけ気を付けて引き金を引いた。
パンッ!!勢いの良い、乾いた音が観衆を打ち抜く。[#dn=1#]の放った弾はぬいぐるみに当り、くるくると回転して棚からぽとりと落ちた。すげえ……、お客さんたちがその鮮やかな一発に称賛の言葉を呟く。屋台の店主と風丸は唖然とした様子で彼女を見つめ、言葉も出ないようであった。[#dn=1#]はクールに銃を屋台に置いて浴衣の袖をスッと静かに整えた。
「景品、貰えます?」
[#dn=1#]が優雅に手を差し出して首を傾げる。店主は参ったねえ、と言ってピンクのうさぎのぬいぐるみを[#dn=1#]に渡した。[#dn=1#]は店主からぬいぐるみを受け取るとそのままそれを風丸に渡す。えっ、と風丸が戸惑ったような声を上げた。
「一郎太くん、欲しかったんでしょ?」
[#dn=1#]が真面目くさった顔をして風丸にぬいぐるみを差し出す。風丸はぬいぐるみと[#dn=1#]の表情を何度か見比べ、そして眉根を下げて苦笑を漏らした。そんな彼の表情に[#dn=1#]は不思議そうに目を瞬かせる。店主のおじさんも、風丸と[#dn=1#]のふたりのやり取りを見て面白そうに笑っている。そりゃあないぜ、嬢ちゃん。店主が呟いたその言葉の意味が分からなくて[#dn=1#]は首を傾げた。そこでやっと、面目なさそうに風丸が頭を掻きながら[#dn=1#]に告げる。
「それ、[#dn=1#]に取ってやろうと思ってさ。[#dn=1#]、今日ちょっと元気がないみたいだったから」
「……え?」
きょとんとした表情で[#dn=1#]が手の中のぬいぐるみを見つめる。……もしかして、[#dn=1#]はやっと気づいたような顔をしてばつが悪そうに風丸から視線を逸らして俯いた。かあっと頬が熱くなっていくのを感じる。風丸は自分のためにこれを取ってくれようとしたのに。
「……私、そんな。てっきり、一郎太くんが欲しいんだと思って」
彼は私が不機嫌なことを悟って気をつかってくれたのに、逆に彼に恥をかかせるようなことをしてしまったのではないだろうか。自分の犯してしまった失態に恥ずかし気に[#dn=1#]が右手で顔を覆って呟く。そんな[#dn=1#]を見つめて風丸は柔らかく微笑んで、ぽんぽんと頭を撫でる。
「凄くカッコよかったぞ、[#dn=1#]。射的上手いんだな」
これ貰うよ、と風丸が[#dn=1#]の手からうさぎのぬいぐるみを手に取る。[#dn=1#]はぬいぐるみを追って視線を彼の元へ上げる。彼は可愛らしいうさぎのぬいぐるみを持って、はっきりと優しい笑みを浮かべて言った。
「[#dn=1#]が俺の為に取ってくれたんだ。大事にする」
どきん、と大きく[#dn=1#]の心臓が跳ねる。赤い頬が益々赤くなったような気がして頬に手をやった。熱い、熱くて自分がアイスクリームだったらきっとどろどろに溶けてしまうだろう。そんなことを[#dn=1#]は思った。私の彼氏はこんなにも優しくてカッコいい。だがその反面、彼女の心の暗闇が静かに言葉を吐きだす。
……今日の私は、一郎太くんに釣り合っていない。
***
それから風丸と[#dn=1#]はまた縁日を見て歩いた。たこ焼きを半分こに分けっこして食べ、ひとつの綿あめを一緒に齧ったりした。金魚は貰わなかったけれど金魚すくいをして遊んだり、ヨーヨーを釣ったりして燥いだ。[#dn=1#]の落ち込んでいた気持ちも風丸がリードしてくれるデートによって徐々に回復しつつあった。商店街の催し物の雑音の混じったアナウンスを聞くまでは。
『十九時半より、舞台にてミス・イナズマ浴衣美人コンテストが行われます! まだまだ参加者を募集しておりますので、振るってご参加ください』
どこかで聞いたような声のアナウンスは次の催し物の内容を告げ、ブツッと音を立てて切れた。すり足気味になっていた[#dn=1#]の歩みがぴたりと止まる。風丸はあまり興味なさそうにりんご飴を舐めながらアナウンスの内容を繰り返して呟いた。
「へえ……、今年はそんなこともやるんだな」
よくよくステージ脇を見てみるとポスターも貼ってある。詳細はミス浴衣コンテストで町一番の浴衣美人を見て納涼しようという催しのようだ。参加条件は三つ。女性であること、十五歳以上であること、そして浴衣を着ていること。
「浴衣……」
[#dn=1#]がポスターを見てぽつりと呟く。じっとポスターを見つめている[#dn=1#]を風丸はちらりと見た。
「興味あるのか? ならステージの近くで……」
「ううん、一郎太くん……」
[#dn=1#]がぎゅっと左手を胸元で握りしめて風丸を見据える。ん?と風丸がただならぬ彼女の様子に首を傾げた。[#dn=1#]は俯いて少し考えるような表情を見せた後、静かに面を上げて風丸を見据えた。そしてはっきりと風丸に言葉を告げる。
「私、エントリーしてみたい」
「え?」
想いにもよらない言葉に風丸が目を見開く。確かに[#dn=1#]は美人であるから、おそらくミスコンに出てもいい線を行くだろう。だが彼女はまず通称ミスコンというものがどういうものだか知っているのだろうか。風丸はまずそこを疑う。普段の[#dn=1#]なら絶対に目立つようなことは避けるだろう。ミスコンともなればステージに立ってしかも見目を他人に判断されるのだから[#dn=1#]の最も避けたい事項のように感じるが。
「で、出るのか……? ミスコンに?」
「うん」
再度確認するように風丸が[#dn=1#]に問いかければ、[#dn=1#]は迷いなくきっぱりと頷いた。
***
さて、あれから一時間。[#dn=1#]は『第一回ミス・イナズマ浴衣美人コンテスト』の予選を順当に勝ち抜き、ファイナリストに選出されていた。地元アイドルや少し名の知れた有名人など[#dn=1#]の他四人が選ばれている。今は最終選考に向けての準備中だ。舞台裏でふう、と[#dn=1#]はひとり最終選考に向けて気持ちを整える。ジンジンと、右足の親指が痛む。
――――本当は、こんな催しになんて興味ない。
俯いた[#dn=1#]はぎゅ、と浴衣の胸元を握る。本当は風丸とふたりきりで過ごす時間を大事にしたい。でも今日彼と出会った時から感じていた冷たい視線。なんで貴女が風丸一郎太の隣にいるの?というような突き刺す視線。[#dn=1#]はそれを振り払いたかった。このコンテストに出て優秀な成績を収めれば周りを黙らせられるだろうと思った。彼の隣に立つ女性として誰より相応しいのだと納得させることができるだろうと思った。
彼女はとても負けず嫌いな性格であった。言われておいてただ黙っているような性格でもなかった。言われればその分見返してやろうと、そんなことを考える性格であった。
「[#dn=1#]!!」
ひとりで決勝に向けて心を鎮めていると聞き慣れた、友人の声が[#dn=1#]を呼んだ。[#dn=1#]はハッとして顔を上げる。そこにはリカと塔子が立っていた。
「どうして、ここに……?」
「そんなん自分がミスコンなんかに出とるからやろ!他の連中もびっくりしとったで」
何でもリカは、夏休みに塔子の家に遊びに行っていてそして今日は二人で祭りを回っていたらしい。そんな中でたまたまミスコンを見ていたら[#dn=1#]が出ていてびっくりしたのだそうだ。リカと塔子の情報伝達は速く、今日祭りに来ている雷門中のメンバーには即座に[#dn=1#]が出場していることが伝わったのだとか。
「そっか……。一郎太くんも、見てくれてるかな」
「ああ、今は円堂たちと一緒にいるよ」
「って塔子、それどころやない‼ ウチは[#dn=1#]のサポートのためにここに来たんや」
サポート?[#dn=1#]は不思議そうな表情で首を傾げる。リカは[#dn=1#]の肩をガッと力強くつかみ、ぐいっと顔を[#dn=1#]に近づけた。
「ええか? こっからの最終選考は正直厳しい戦いになる。アンタはどえらい美人やけど、今のままじゃ勝てへんで」
「……」
リカの言葉に[#dn=1#]は頷く。分かっている。予選を勝ち抜いたからと言ってこのまますんなり勝てるとは思わない。ファイナリストたちはずばり[#dn=1#]よりも美人で、色気があって浴衣が似合っていた。
「せやから、ウチが助っ人に来たった! アンタがこないなモンに参加するゆうてるってことは、優勝狙ろうとるんやろ?」
「リカちゃん……」
[#dn=1#]がほっと口元を緩めて微笑む。リカはにやりと笑って鞄からポーチを取り出した。塔子にも協力して集めた乙女の秘密道具。
「ウチが絶対、[#dn=1#]を優勝させたる!」
****
「エントリーナンバー5番、夏越ほのかさんでした。ありがとうございました! 続いてエントリーナンバー17番、[#dn=2#][#dn=1#]さんです。どうぞ‼」
もはや賽は投げられた。[#dn=1#]は舞台袖で大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。ぴりと痛む足を庇いながら静々と舞台に歩み出た。背筋を伸ばして凛と階下を望む。ステージの下には祭りに来ていた多くのお客がミスコンのファイナリストを見ようと犇めいている。観客たちは[#dn=1#]の登場にざわ、と前の参加者が登場したときと同じように騒めいた。
大きな白い牡丹の花とそれを彩る青々とした葉の浴衣は涼し気な印象を与える。水色の帯も爽やかな色合いで、涼という言葉がよく合う装いだった。自慢の黒髪は綺麗にアップにして纏められ、浴衣に差した葉の青と同じ色の花飾りで飾られている。とても中学生とは思えない優美さであった。
「今大会最年少ファイナリストの[#dn=2#]さんはなんと!昨年FFIで優勝したイナズマジャパンのマネージャーの一人なのです!! そうですよね、[#dn=2#]さん」
「はい、そうです」
向けられたマイクに緊張で震えそうになる声を抑えて[#dn=1#]は凛と話す。その答えを聞いて観客たちがおお、と歓声を上げる。イナズマジャパンのマネージャーと言えばイナズマ町民に取ってみればなじみ深い。
「イナズマジャパンの選手たちも[#dn=2#]さんの応援に駆けつけているようですよ」
司会者の指し示す方向に視線を向ければ、チームメイトたちが集まってこちらに手を振っている。[#dn=2#]ー!!と円堂が大きな声で[#dn=1#]を呼んだ。集団の中には鬼道の姿もある。そして、[#dn=1#]を真っすぐに見つめている風丸の姿も。[#dn=1#]はその姿を見つめて汗ばむ左手を握る。それでも[#dn=1#]は微笑んでたおやかに彼らに右手を振った。
「おや、[#dn=2#]さん。少しお化粧をされましたか?予選の時とは印象が違うような……」
「はい、友人に手伝ってもらって。少しでも浴衣に映えるようにと」
そう返した[#dn=1#]の頬は桃色に色づいている。リカが施してくれた乙女の魔法は[#dn=1#]をかなり大人びて見せてくれた。グロスの塗られた桜色の唇が艶めいて色気を放つ。
「そうなんですか! ところで[#dn=2#]さん、今日このコンテストに参加して頂いた理由を教えて頂いてもいいですか?」
「はい、私は……」
そこまで言って、[#dn=1#]は目を伏せ静かに呼吸をする。目を開ければ群衆の中に彼が見えた。じっとこちらに目線を向けている貴方。私は認められたい、貴方の隣に立つ相応しい女性として。誰よりもそうでありたい。この場で証明したい。証明して見せる。スッと息を吸ってはっきりと凛とした声で[#dn=1#]は宣言する。
「大切な彼の隣に立つ私を、他の人にも認めてほしくてこのコンテストにエントリーしました」
***
人が捌け始めたステージの脇のざわざわとした喧騒の中。行き交う人の声が雑音に聞こえて耳を塞ぎたくなる。虚無感が心を満たして何も考えられなくなる。俯いてもただただ煩い。
「[#dn=1#]」
呼ばれた自分の名に[#dn=1#]はゆっくりと面を上げる。そこには優しく微笑む風丸の姿があった。[#dn=1#]は目頭がじんわりと熱くなるのを感じて奥歯をぐっと噛み締めて気持ちを堪える。風丸が差し出した手を無言で取って彼に従って歩く。足が痛くて、重くて彼の顔を見ることができなくてただただ俯く。風丸は[#dn=1#]の手を引いて人もまばらになった鉄塔広場の空いているベンチを見つけて[#dn=1#]をそこに座らせた。
「[#dn=1#]」
浴衣の裾を気にしながら風丸がその場にしゃがんで、[#dn=1#]の顔を覗き込む。彼の茶色の瞳が[#dn=1#]の黒い瞳を揺るがせた。堪えていたものが熱く零れる。ああダメ、お化粧が崩れてしまうのに。
「泣くなよ、[#dn=1#]」
あれだけの大見得を切ったのに、[#dn=1#]はミスコンでの優勝は叶わなかった。ミス・イナズマに選ばれたのは[#dn=1#]よりも年上で背が高くて浴衣の似合う大人で美人な女性だった。惜しかった、司会者からもその言葉を掛けられた。審査員からももう少し少女のあどけなさが抜けて大人びれば、結果は違っていたかもしれないと言われた。だがそんな言葉は慰めにもならない。
「ごめんなさい、一郎太くん。私……」
胸に手を当てて痛みを堪えて、言葉を詰まらせる。風丸は黙って[#dn=1#]の右足を少し持ち上げた。ゆっくりと[#dn=1#]の足から下駄を脱がせ、自分の膝の上に[#dn=1#]の足を置く。[#dn=1#]は息を飲んで、彼の行動を見守る。
「一郎太くん……」
「足、痛かったんだろ」
[#dn=1#]の右足の親指と人差し指の間は鼻緒ずれができてしまっていた。風丸はいつの間に用意していたのか絆創膏を[#dn=1#]の足の親指に貼りつけて脱がせた下駄の上に[#dn=1#]の足を置いた。[#dn=1#]はただただ驚いた表情をして風丸を見つめる。ずっと隠して歩いていたのに。
「何で、気づいて……?」
「ステージ歩いてるとき、いつもと歩き方が違ったからさ」
俺に遠慮なんかしなくていいんだぞ、と風丸がいつものように頼もしく笑う。[#dn=1#]は俯き彼から視線を逸らした。言えるわけがなかった。楽しそうに年相応にはしゃいでいる彼を見ていて、その気持ちに水を差すような、自分が我慢すればやり過ごせるようなことをわざわざ口にする気はなかった。[#dn=1#]はばつが悪そうに目を伏せる。今日の自分はどこか空回りしているようだ。
「いちろうたく……」
涙目の[#dn=1#]が風丸の名前を呼ぼうとした。だが彼の手が[#dn=1#]の頬に触れ、言葉を止め、その唇が優しく風丸の唇で塞がれる。それと同時にまるでふたりに降り注ぐようにパッと花火が夜に咲いた。
「……っ」
花火の残した音と同時にふたりの唇が離れる。ふたりの視線は空へ向いた。次々と空に美しい光の花が咲き乱れる。[#dn=1#]は圧巻のその美しさに息を吐いた。
「綺麗……」
花火を見上げた[#dn=1#]がポツリと呟く。ああ、と返答をしながら風丸はそっと[#dn=1#]の手を取った。[#dn=1#]がふと風丸の方に視線を寄せる。風丸はじっと、真面目な顔をして[#dn=1#]のことを見ていた。どき、と[#dn=1#]の心臓が大きく高鳴る。
「でも[#dn=1#]の方がもっと綺麗だ」
花火の音に掻き消されることもなく、はっきりと風丸の言葉は[#dn=1#]の耳に届いた。[#dn=1#]は目を丸くして驚く。彼がそんな、そんな台詞を口にするなんて。花火が打ちあがるたびに胸がどくん、どくんと大きく高鳴る。[#dn=1#]は困ったように笑い、でもと彼の言葉に応えた。
「私は今日一番になれなかった、一郎太くんのために一番になりたかったのに」
「俺の一番は[#dn=1#]だ」
弱気に吐き出した[#dn=1#]の言葉を風丸が遮る。ぎゅっと手を握り、[#dn=1#]から目を逸らすことなく風丸ははっきりとそう断言した。花火の光の為だろうか、彼の頬が赤く染まる。[#dn=1#]は強く訴えかけてくる彼の瞳に何も言えずに彼を見つめる。風丸は立ち上がり、そっと[#dn=1#]の手を引いて自分の胸に[#dn=1#]を抱きしめる。そして耳元で囁くように言葉を続けた。
「他の誰が何を言ったって、俺の一番は[#dn=1#]なんだ。俺にとって[#dn=1#]よりも綺麗で大事で……。他の奴なんて目に入らないよ」
ぎゅうと胸が締め付けられて、息が苦しくなる。彼の言葉は簡単に[#dn=1#]の心の中にあった蟠りを口に含んだ綿あめのように簡単に溶かしていく。きっと、風丸は気づいていたのだ。今日待ち合わせ場所で自分がどんなことを思ったのか、何を思ってミスコンなどに参加したのか。[#dn=1#]は涙ぐんで彼の胸に縋る。いつもの彼の匂いがした。
「……ありがとう」
きゅっと[#dn=1#]は風丸の浴衣の襟元を握る。風丸は[#dn=1#]の髪型を崩さないようにしながら[#dn=1#]を抱き寄せ、顔を彼女の方に寄せて目を閉じる。花火の咲く音がふたりの胸の鼓動と共鳴する。大好き、どちらともなく呟いた言葉は夜空を彩る花に飾られてそれでも消えることは無かった。