恋風番外編 短編



 放たれたシュートがゴールネットを貫く。白いネットが揺れたのと同時に歓声が渦巻きグラウンドを包んだ。目を見張る鮮やかなラストプレー、試合を決めたヒーローがピッチを駆ける。

 ジリジリと照りつける日差し、座っているだけでも汗ばむ陽気の中。歓声を受け、夏空よりも澄んだ青髪が風と共に舞う。華々しい姿を見つめながら、[#dn=1#]は喜びと賞賛を込めて恋人へ拍手を送った。

 風丸の傍にいるようになって随分と時間が過ぎた。出会ったのは中学二年のときだったから……、もう三年は経つのか。初めて彼の走りを見た瞬間からそのスピードは圧倒的だった。なのに、一段と彼の走りには磨きがかかるばかりだ。

 それも当然か、中学から高校に進学して身体はどんどん大人に近づいていく。身長は高校に入ってから十センチは伸びたと言っていたし……、体つきはちょっとがっしりとして逞しくなった。

 それに加え、顔つきも大人びた雰囲気を漂わせる。初めて出会った時には中性的な彼の見た目に戸惑ったものだが、今の彼がどれだけ髪を伸ばしていても女性だと見間違える人はいないだろう。

 あの頃よりも筋力はさらについたのだ、あの瞬発力も頷ける。試合終了のホイッスルの音を聞きながら、[#dn=1#]は風丸の姿を目で追い続けた。

 それにしても、陸上競技の世界から彼の足が失われたのは損失だろう。チームメイトと勝利を喜び合う風丸の姿を追いかけながら思いを馳せる。目も覚めるような彼のスピードなら日本記録も夢ではなかったかもしれない。[#dn=1#]自身も陸上競技をしていた身だから、時々惜しいと思う気持ちが過ぎることがある。

 ただ、彼が選んだ答えを否定する訳では無い。風丸がサッカーを選ばなければ今は無かったのだから。サッカーこそが彼の才能を本当の意味で開花させ、身体的にも精神的にも風丸を大きく成長させた。

 それにだ、サッカーのフィールドでも彼はこの上なく結果に残している。なんせ、少年サッカーの世界大会の日本代表に選ばれた経歴を持つ。陸上競技界が損失をしたのではなくて、サッカー界が恩恵を得た。それだけだ。

 誇らしい気持ちでいっぱいになりながら[#dn=1#]はさらりと黒髪を耳に掛ける。自分に直接関係があるわけではない。風丸のことになれば言葉通り自分のこと以上に心を動かされる。FFIの元日本代表、ルックスも抜群で女子ファンも多い。彼の恋人である[#dn=1#]の立場を羨む人間も多いことだろう。

 とはいえ、[#dn=1#]は風丸に才があるから彼のことを好きだというわけじゃない。見た目がどうという訳でもない。それらがなくたって、むしろ情けないところでさえも彼は誰よりもカッコいいのだ。

 ユニフォームの襟首で汗を拭う風丸の姿にきゅっと胸が締め付けられる。一緒にいる時間がどれだけ長くなっても心からそう思える。むしろ前以上に彼を愛おしく感じていた。

 だから彼には何も惜しみたくない。彼の想いと同じだけ、自分も風丸に気持ちを返したい。こちらに向かって手を振る風丸の姿を見つめながら[#dn=1#]は柔らかく目を細めた。

 日差しが雲の中から顔を出す。試合終了からすでに数十分が経過していた。[#dn=1#]は風丸の姿を探してサッカーコートの周囲を右往左往していた。[#dn=1#]が試合の応援に来た日は、たいていの場合彼の解散を待って一緒に帰路につく。

 待ち合わせをしているのだから風丸を探す必要などなく、いつものように正門の辺りで待っていればよいだけなのだが……。今日は彼が決勝点を決めたのだ、少しでも早く一言だけでも声を掛けたかった。

 とはいえ、部外者があまり校内をうろうろするのもよくないかもしれない。風丸はそうでも[#dn=1#]自身はここの生徒ではないのだ。別々の高校に進学したものだから、中学生の頃に比べるとこういうところが実に不便だ。

 風丸が試合のたびに観戦に来ているものだから、チームやサポーターにはそれなりに認知されているが……。それでも我が物顔で歩くわけにもいかない。控えめに周囲の状況を窺いつつ、きょろきょろと辺りを見渡す。

 風丸を探したい衝動と、うろつくわけにもいかない理性がぶつかり合い葛藤を繰り返す。しばらくして、シャワーを浴び終え部室へと向かうサッカー部の選手たちが[#dn=1#]に声を掛けてくれた。

 ついさっきまで風丸がシャワー室の近くで監督と話をしていたと、彼らは[#dn=1#]に教えてくれた。[#dn=1#]はその情報を頼りに風丸を見かけたというその場所へと足早に向かう。

 上手く鉢合わせることができればいいが……。そんな[#dn=1#]の考えは杞憂に終わった。

 教室棟とは離れた、運動部のために誂えられたその建物の傍。爽やかな夏風に揺れる青い髪を見る。それだけで[#dn=1#]の表情は柔らかく綻んだ。

「一郎太くん……!」

 監督と話をしていたと聞いていたが、どうやら彼は一人らしかった。話は終わったのだろうか? 木陰に立つ彼は何をするでもなく、ただ静けさの中に佇んでいるように見えた。

 [#dn=1#]の足は次第に駆け足になる。すぐにも今日の試合の感想を、彼の決めたゴールの素晴らしさを伝えたくて心が逸った。

 待ちわびていた瞬間を前に彼の傍に立ち止まる。軽く乱れてしまった息を整えながら[#dn=1#]は風丸の顔を見上げた。

「さっきのシュートかっこよかっ……」

 視線がかち合って、[#dn=1#]の言葉はそれ以上続かなかった。ドクン、と音を大きく立てた心臓の鼓動は、先ほど軽く駆けていた時とは比にならないスピードで走り始める。震える息を吐いて[#dn=1#]は無意識に喉を鳴らした。

「……っ」

 一目見た瞬間、彼の瞳の中の熾火のように燃える興奮を察した。興奮、と呼ぶのも生温いかもしれない。まるで、狩りを終えたあとの獣のような高ぶりが彼の沈黙した眼には宿っていた。

「いちろうた、くん……」

 急激に喉が渇いて彼の名前が口の中に絡まる。圧し潰すような心臓の拍動が[#dn=1#]を揺さぶる。彼の首筋を流れる汗がユニフォームへ伝う。そこ張り付いた彼の髪先までしっとりと濡れている。抑えきれない色気が全身から漲っていた。

 何より、兎にも角にも彼の目だ。[#dn=1#]を捉えて逸らさない瞳には隠しきれない情欲が浮かぶ。熱にまみれた、狂おしいほどの視線を注がれると下腹部でじくじくとした感覚が疼く。

 ――――こんな姿、彼のファンの女の子が見たら失神してしまうに違いない。見せるなんて絶対にしないけれど……。

 お互いの間に流れる沈黙の中には、油を焦がすのに似たセミの鳴き声が響いていた。蒸すような暑さに[#dn=1#]の首筋にも汗が浮かぶ。艶めかしく浮き出た白い首筋を風丸の視線が舐めるように這う。

「……」

 風丸の視線に耐え兼ね、[#dn=1#]は拳を口元に当てて彼から視線を逸らす。恥じらいもある、が……。それ以上にこのまま目を合わせていると食べられてしまいそうだと思った。

 どうして彼が未だチームメイトと合流していないのか、こんなところで一人で立っていたのか。[#dn=1#]は理由を薄らと悟る。なんせ風丸と[#dn=1#]は長い付き合いなのだ。

 ――――きっと、彼は私を待っていた。

「……[#dn=1#]」

 そして風丸の方も[#dn=1#]の反応を見逃さない。

 漂うフェロモンに中てられて[#dn=1#]が俯くと、低く欲を孕んだ声で風丸が彼女を呼んだ。トレーニングシューズが土を擦る音、それと同時に熱気が[#dn=1#]の肌に迫る。

「こっち向けよ」

 いつもに比べ余裕を欠いた、それ以上に支配的な感情に侵された声に囁かれて[#dn=1#]に成すすべはなかった。顔に影が掛かったのをきっかけに口元を引き締めて息を呑む。そして風丸の顔をもう一度見上げた。

「……」

 ぎらぎらとした噎せ返るような熱情が彼の瞳の中で鈍く蠢く。いつもよりも体温の高い湿った手のひらが[#dn=1#]の手を握って、指一本一本までも逃がさないとばかりに絡みついた。

 いつも穏やかで優しい彼、我を通そうとすることは少なく、[#dn=1#]に欲を押し付けることは滅多にない。だが、極稀にこういう一面を見せることがあった。内から突き上げる何かを理性で必死に抑え込んでいるような、そんな顔をすることが。

 [#dn=1#]はきゅっと風丸の指を握り返す。彼が何を望んでいるのか……、分からないほど子供だというわけでもない。

   ❀ ❀ ❀

 セミの鳴き声は薄い壁を隔ててほとんど聞こえなくなった。静まり返った狭い空間の中には、シャワーヘッドから滴り落ちる水音。そしてふたりの粗い息遣いだけが充満していた。

「ん……、ふぅ、ん」

 唾液で濡れた唇の端から声が零れる。狭いシャワーブースの中に身体を押し込め、かろうじて扉を閉めた途端に言葉もなく唇を重ねた。唇が触れた瞬間は、彼にもわずかに躊躇う気配があったがそれはすぐに霧散した。離れた唇は間を置かずに強く押し付けられる。

 乾いたアクリルの仕切りに身体が押し付けられるたび、密着した熱い彼の体温を感じる。熱くて重くて息苦しい、シャワーは止まっているはずなのに狭い小部屋は濡れた空気に満ちていた。酸素を求めて息をしようと口を開けば、彼の舌先が口内に滑り込む。

 懸命に息を吸うと、彼の汗の香りと髪に残った陽の匂いが鼻孔を突く。貪欲に深さを増すキス、きつく腰と背中に巻き付けられた風丸の腕。風丸に与えられる感覚が[#dn=1#]のすべてを支配している。

 部屋の中に響く湿った水音は、もはやシャワーから滴る水滴のものではなかった。熱い、暑い。唾液で濡れた口づけを交わしながら、ますます昂ぶりを強める風丸の瞳に身を委ねる。シャワーは浴びていない、なのに肌までもが気付けば湿り気を帯びていた。

 試合の時の興奮が消えない、そうとしか思えないほど熱された彼の身体。茶色の瞳にはゴールを狙うときの気迫、ボールを奪う瞬間の研ぎ澄まされた力強さに満ちている。何もかもを焼き尽くしてしまうその熱に[#dn=1#]は翻弄されるしかなかった。

「……は、ぁ」

 唇から意味のある言葉は一つも出てこない。漏れ出るのは吐息と彼の強熱に浮かされたくぐもった嬌声だけだ。

 次第にキスの焦熱に溶かされ全身の力が抜け落ちる。かくんと膝を折ってしまった[#dn=1#]の足の間に風丸の足が差し込まれた。内股に彼の膝の感覚が触れる、だが[#dn=1#]が動揺したのはそこではなかった。

「……っふ」

 右腰に触れる固い感覚、身体に触れたどこよりも高ぶった温度を感じて[#dn=1#]は大きく目を見開いた。戸惑いと、ぞわりと肌を撫ぜた興奮に中てられた声で[#dn=1#]が風丸を呼ぶ。

「一郎太、くん……っ」

 唇が離れた瞬間に待って、と声を絞り出す。だが[#dn=1#]の微かなその声はまたもキスに飲み込まれてしまった。舌先を強く吸啜されるたびに水音と共に甘い痺れが響いた。

 ねぇ、待って。本当にこんな場所で……? もはやしがみつくことしかできずに[#dn=1#]は彼のユニフォームの背中を握る。その間にも[#dn=1#]のスカートの裾がまくり上げられ、太ももをがっしりとした手が這う。彼の手のひらが汗ばんだ[#dn=1#]の肌を撫でるたび、ぬるりとした感触を彼女の肌に刻んでいく。

 今までベッドの上でしか風丸とは肌を重ねたことはない。お互いに身体を清めた後に少しずつ心を高めて触れて……。彼は理性的な人だ、どんな時でも[#dn=1#]が少しでも痛がったり怖がる素振りを見せれば自分の欲を抑え込んだ。

 だから、一度もないのだ。少なくともこんなふうに荒々しく汗にまみれた状態で、いつ誰が来てもおかしくないような場所で。欲のままに事に及ぼうとしたことは。

「[#dn=1#]」

 けれども……、こんな眼差しをみるのは初めてじゃない。彼の唸りに似た声はいつもより低く、欲望に浸された響きを帯びていた。理性で抑え込もうとする震えが、その一言に滲み出ている。

 中学の頃にだってこうして色濃く彼が感情を見せてくれることがあった。一線を越えたりはしなかったけれど……。思考を灼く濃厚なキスを繰り返すたびに[#dn=1#]の理性は蕩けていく。

 風丸が[#dn=1#]の首筋に顔を寄せ、まるで獲物を確かめる獣のように鼻先で彼女の匂いを吸い込んだ。今や[#dn=1#]の臀部に触れていた風丸の指先に力がこもって肌に食い込む。

 [#dn=1#]を見上げるその眼差しには支配的な雄を感じて、彼女の身体にはゾクゾクと電流に似た感覚が走った。噛みつくように重ねられた唇が飲み込むように深さを増す。閉鎖的な空間の中は彼の匂いに満ちている。それだけで酸素が十分に行き渡らない頭は酷くクラクラとした。

 嫌だってわけじゃない、むしろ……どんな時だって彼に求められるのは嬉しい。煮溶けた感情の中、自分自身の身体にも汗とは異なる湿り気が帯びるのを感じる。理性では戸惑いながらも、彼の興奮に共鳴するように自分の心の高ぶりを[#dn=1#]も感じていた。

 ―――― 一郎太くんがしたいなら。

「いちろうたくん……」

 彼が望むのなら、こんな場所でだって構わない。背中に回していた手を、やっとの思いで持ち上げて[#dn=1#]は彼の頬に触れる。汗で冷たく湿った髪に触れ、彼の前髪をそっと払ってその瞳を覗き込んだ。唇が離れたのを合図にして乱れきった呼吸のままに彼を見つめる。

 互いの唇を繋ぐ唾液の糸がぷつりと切れて風丸の顎先に滴った。ずくんと下腹部に響く熱情に焦れながら、[#dn=1#]はようやく意味のある言葉を口にする。

「すき」

 ここまで蕩けさせられたのなら、いっそもうめちゃくちゃにしてほしい。風丸を求めて[#dn=1#]が甘えるように囁く。風丸の瞳が彼女の言葉に大きく揺れた。

「[#dn=1#]……」

 瞬間、[#dn=1#]の身体が強く抱きすくめられた。先ほどまで濃厚に充満していた熱がわずかに勢いを弱める。風丸は[#dn=1#]の首筋に顔を埋め、かすれた声で彼女の名前を呼ぶ。

「すまない、[#dn=1#]……」
「……?」

 何を、という前に[#dn=1#]は口を噤む。言葉を選ぶよりも先に、自分を抱きしめる彼の手が微かに震えていることに気が付いた。

「[#dn=1#]を見たら止まらなくて……」

 こんな場所で、と彼が苦しげに呟いた。先ほどまで見せていた獣のような荒々しさはどこかに消え失せている。何をきっかけにしたのか分からないが、声にはすっかり彼の理性が戻り始めていた。

 そして、こんな場所で無理やり行為に及ぼうとしたことを恥じているようだった。

「……」

 とはいえ、急に理性で感情を抑え込もうとしても、風丸の身体がどうしたいと思っているのかは正直だ。[#dn=1#]はなおも自分の腰に触れた熱に意識を取られる。その固さに対し[#dn=1#]は嫌悪感は欠片も抱かなかった。むしろ愛おしいくらいだ。

 さっきからの一連の行為に傷つけられたとは微塵も思っていない。彼にも求められることは[#dn=1#]にとって至福の喜びだ。むしろ、彼が自制も利かないほど自分を求めてくれただなんて……、彼女冥利に尽きる。

「一郎太くんがしたいなら……」

 今や、[#dn=1#]の眼差しのほうが風丸の欲に対する期待感が滲ませる。恍惚に蕩けた視線を送りながら、[#dn=1#]の指が汗ばんだ風丸の首筋をなぞって筋肉質な胸元に触れる。

「いいよ……? どこでも」

 彼の眼差しを見つめながら決意を込め、蠱惑的に[#dn=1#]は心を打ち明けた。[#dn=1#]がそう囁きかけるとビクっと風丸の身体が揺れる。生唾を飲みこむ音が狭い小部屋の中に響いた。だが、風丸は眉間に皺を寄せて首を振る。

「よくない」

 きっぱりと、そう言い切って彼はつづけた。

「俺はお前が大事だから。……こんな場所じゃ、ダメだ」

 穏やかさを取り戻しつつある瞳の奥に狂熱が掻き消えたわけではない。だが、ただそれ以上に深い愛情をもって彼の眼差しは微笑みと共に[#dn=1#]に語り掛けた。先ほどとは違う、けれども風丸の誠実な瞳の色は、固く決意までした[#dn=1#]の心をいとも簡単に撤回させてしまう。

「……うん」

 出会ってからどんなに時間が経っても……、彼に与えてもらえるときめきは[#dn=1#]の心を打ちぬいてしまう。彼が、そうしたいというのなら[#dn=1#]はもうこれ以上は何も言わない。風丸の意志を尊重したい。

 軽く唇を寄せ、一つになってしまいそうなほど寄せ合っていた身体を離す。身体を覆っていた熱が薄れていくのは少し寂しい。名残惜しげに[#dn=1#]が風丸を見上げると風丸は苦笑しながら[#dn=1#]の髪を撫でた。

「俺、頭冷やすよ……。それに汗でドロドロだしな」

 汗で湿り、泥で汚れたユニフォームを摘まんで風丸が呟く。そんな身体で[#dn=1#]に触れたことに対し、バツが悪そうな顔をして風丸は肩を竦めた。

「少しだけ待っててくれないか」

 その声にはもうすっかりいつも通りの落ち着きを取り戻していた。さっきの荒々しい風丸は嘘のように消えている。[#dn=1#]はなんだか自分だけ置き去りにされた気分だった。……少しだけ、気に入らない。

 いつも通りに戻ってしまったら、風丸がシャワーを浴びて着替え終わったら。きっとふたりで一緒に家へ帰る。風丸が[#dn=1#]を家に送り届けて、さっきまでの時間は有耶無耶になっておしまいになるのかもしれない……。だけど。

 さっきまで散々好きなようにして、こんな気持ちにさせて……。それでお預けだなんて。

「一郎太くん」

 風丸に急かされてシャワーブースを出る間際、[#dn=1#]は最後の最後に風丸を振り返る。彼の方へと手を伸ばし、ギュッと風丸の首に腕を巻き付けて背伸びをした。

「今日ね、家に誰もいないの。だからあとで……」

 彼の耳元に唇を寄せてそうっと囁きかける。このまま逃がしてなんてあげない。ここまで高ぶらせられた責任はしっかりとってほしい。

「……っ」

 [#dn=1#]の言わんとすることを察して、みるみるうちに風丸の耳が真っ赤に染まっていく。[#dn=1#]、と風丸が呻く声を余所に[#dn=1#]は続ける。確信的にちゅ、と軽く真っ赤になったその耳に口づけを落とし……、そして。

「さっきの続き……、して?」

 獣を狩るための言葉を正確に射た。
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