FF編 八章
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風丸の、そして花織の心が決まらないまま、夏の熱量を閉じ込めたかのようなフットボールフロンティア全国大会開会式がとうとう幕を開けた。燦燦と降り注ぐ太陽のもと、ただの開会式だというのに超満員のスタジアムは歓声に包まれている。
雷門中サッカー部の選手たちは大舞台への入場行進を控え、今はおそらく通路で控えているころのはずだ。
本日会場入りできるのは事前に選手登録されている選手たちと代表マネージャー一名だったため、その大役は最古参の秋に任せた。部員がいなかったころからマネージャーとして部を支えてきた秋が代表になるのは自然の流れである。そして夏未は先日事故にあったという理事長の見舞いで不在の為、花織は春奈と共に観客席に回って彼らの勇姿を眺めることになった。
すり鉢状に広がるスタンドの最前列に春奈と横並びにかけ、選手たちの登場を今か今かと待ち構えている。ほんの少し前まで部員も揃わず、廃部寸前だったサッカー部がフットボールフロンティア全国大会に出場する。ここまで目まぐるしくあっという間の出来事だったが、思い返すと感慨深い気持ちがこみ上げてくる。
「花織せーんぱいっ」
わくわくとした高揚感をいっぱいに詰め込んだ春奈が花織に笑いかける。
地区予選決勝の時には鬼道の件で一時険悪になってしまった花織と春奈だったが、試合後に春奈の方からの誤解していたと謝罪があった。そして現在は元の先輩後輩関係に戻っている。それどころか、春奈はどういうわけか以前にもまして花織になついている様子さえ見せた。その理由が何であるかは花織には不明だったが、これからも仲良くできるのなら喜ばしいことはない。
「いよいよ全国大会ですねーっ! 私たちマネージャーも気合入れて皆さんのサポートをしていきましょうねっ」
「うん、そうだね。一緒に頑張ろう」
煌めく太陽のように眩しい春奈の笑顔に花織もつられて微笑んで見せる。春奈はそんな花織の顔をじいっと凝視すると、途端に顔を赤らめて視線を背けた。
「?……どうしたの、春奈ちゃん?」
「い……、いえ、何でもないんです」
あわあわと慌てて顔の前で両手を振りながら春奈が誤魔化す。落ち着きなく髪をいじっている春奈を見て花織は首を傾げる。その奇妙な春奈の態度を不思議がって花織は言葉をかけようとしたものの、花織の言葉を遮るように入場行進が始まった。
威勢の良い入場曲と共に列をなした選手たちが姿を現した。近畿ブロック代表、戦国伊賀島を筆頭に、続々と全国の強豪校のチームが後に続いた。
そして待つことしばらく、ようやく彼女たちの所属する雷門中学の選手たちが入場してきた。
「雷門中学は地区予選に置いてあの帝国学園を下した恐るべきチーム! 伝説のイナズマイレブン再びと注目が集まっています‼」
スタジアムを実況アナウンスが震わせる。
「……………」
花織は、遠目にどこにいても鮮やかな青髪を見つけて目を細める。この姿を少しでも近くで、克明に見るために春奈と共に最前列を確保した。なびく髪の合間に覗く凛々しい面立ちを見つめ、その雄々しい勇姿に感嘆を吐く。
誰よりも大切な自分を支えてくれる恋人。そして彼も同じくらい、いやそれ以上に自分を大切にしてくれている。花織が傍に居てほしいとき、助けを必要としたときには絶対に彼は隣に居てくれた。そんな彼を裏切れない、自分も彼の愛情に誠実に応えたいと頭では思っているのに。
「さらに、昨年の優勝校、帝国学園が特別出場枠にて参戦! 関東ブロックでの地区予選決勝において熱い死闘を繰り広げながらも惜敗した、超名門帝国! 特別枠にて王者復活を狙います‼」
アナウンスの言葉に同調するようにして、切り替わるように花織の瞳に映ったのは鮮烈な赤いマント。ドレッドヘアにゴーグルという一見奇異な取り合わせ。だが、彼が身に纏えばまるで皇帝の身に着ける装飾品のようだった。威風堂々としたその姿は帝国の頂点に立つに相応しい。
一年も前からずっと思い続けてきた。孤独だった花織の心を虜にして離さなかった人。そして自分の心を偽ってまで花織を守ることを選択した人。今となっては忘れてしまいたいほど、複雑な思いが身勝手に暴れ出す。
「あの……」
呆然としたまま、花織が遠ざかる赤いマントの背中を見つめていると春奈が彼女の肩を叩いた。
「花織先輩。花織先輩はお兄ちゃんのこと、好き……なんですよね?」
遠慮がちな声色だった。しかしそれは核心を容赦なく突く問いかけだった。覗き込むようにして花織を見つめる春奈に、思わず花織は身を引いてしまう。心臓を素手で掴まれたかのようだった。
「えっ……」
「この前、花織先輩が言ってたじゃないですか! お兄ちゃんが好きだって。……あれ、嘘じゃないですよね?」
さぁっと背筋に真夏のスタジアムの熱気とは相対する冷たさが滑り落ちる。
嘘、ではない。嘘であってほしいと願っても嘘にできない。曖昧に花織は春奈の問いに頷いた。すると、春奈はかつてないほど生真面目な、切羽詰まったような顔をして花織に詰め寄った。
「私、花織先輩にお願いがあるんです」
曇りのない真っ直ぐな熱の籠った春奈の視線に見つめられ、花織は狼狽える。どうしたの、と苦笑いすると春奈は間髪を置かずに口を開いた。
「お兄ちゃんとのお付き合い、考えてくれませんか?」
地区予選のあの日、春奈は風丸に誠実であるようにと花織を叱責したはずだった。それとは完全に手のひらを返したような懇願に花織が言葉を失っていると、春奈はこほんと咳ばらいをして自分の席に座りなおす。熱狂する周囲の喧騒はもはや花織と春奈の間には存在しなかった。春奈は少し俯いて要求の理由を続ける。
「お兄ちゃん、私を引き取るためにいろんなこと我慢してたんです。……花織先輩に酷いことを言ったのも、きっと無理に花織先輩を諦めようとしたからだと思うんです。……私の為に」
春奈はどうやら自分の存在のせいで、鬼道が花織と付き合えなかったと思っているらしい。自分のために自ら花織を傷つける選択をしてまでサッカーに道を捧げたのだと。悲しげな顔をして俯く春奈に花織は思わず胸がつきんと痛む。
――――そうじゃないよ。
すぐにもそう返すべきだったのに、あまりにも自分が惨めな気がして花織は口を噤んだ。彼は、鬼道有人とという男は、確かに春奈の言う通り自分を犠牲にしてきたのかもしれない。春奈に向けられた深い愛情を見るに、鬼道がどれだけ愛情深い人間なのかを花織は深く理解したつもりだ。それでも彼はその時に必要な選択を最良のかたちでとったはずだ。
「お兄ちゃんってすごく優しいんです。正義感も強くて……。私、昔は仲間はずれにされていじめられてて……。そんな私をお兄ちゃんはいつも守ってくれてました……。今回だってずっと、私のために」
「……!」
ずきっと花織の心に切り付けられたような痛みが走る。周囲は熱いのにとても寒い。黒の瞳がじわじわと揺れる。ずっと分からなかったパズルの最後のピースが、今ピタリとハマったような気がした。
鬼道は自分と春奈を重ねている、その疑念の中にはずっと拭えない矛盾があった。なぜ、この眩しいほどに明るい春奈とかつて帝国で影のように生きていた花織を重ねたのか。そこだけが結びつかなかった。
だが今の春奈の言葉がすべての答えだった。推測は間違っていなかった。花織の瞳に淀みが落ちる。
――――やっぱり、そうだったんだ。
鬼道は花織を、幼き日の春奈と重ねていたのだろう。帝国学園という環境の中、馴染めず孤立して肩を丸めている花織が、懐かしい記憶の離れ離れの最愛の妹の姿に重なったから。それが花織の導き出した答えだった。鬼道は花織に同情して手を差し伸べてくれたわけでも、そこから異性としての恋情を抱いてくれていたわけでもない。ただ、会いたくて仕方ない妹の幻影を花織に見ていただけだ。
「……」
昏い失望に胸がちぎれてしまいそうになる。声を上げて泣きたいほどだ、恋敗れた時よりも屈辱的な痛み。この痛みで百年の恋も冷めてしまえばいいのに、それでもあの赤を、グラウンドの中で圧倒的な存在感を放つ美しい人を視界の中から追い出せないことが花織は苦しかった。
「この間と、私が真逆こと言ってるってことはわかってます。でも、お兄ちゃんがこのまま報われないなんて。……だから、花織先輩が本当にお兄ちゃんのことを好きだって言ってくれるなら、少しだけでも考えてもらえませんか? お兄ちゃんの彼女になること……」
乞い縋るような春奈の言葉に花織は作り笑いを浮かべるのが精いっぱいだった。
なんて答えればいいのか分からない。
気持ちに思考が追い付かなくて苦しい。素直に吐き出せれば楽なのに、信頼する友の助言が花織の心を縛りつけ、喉を潰した。時間を掛けて悩め、早くはっきりしろ。鬼道を取れ、風丸を取れと。周囲の誰もがそれぞれの正論をもとに花織に答えを迫る。
何が正解なのか、どうすれば皆が納得し誰も傷つけずにいられるのか。分からない闇の問いの中に身を置いている。選ばなくては、そう思うと指先の感覚が薄れ、喉が引きつる。花織はやっとの思いで声を絞り出した。
「うん……。でも、私、一郎太くんのことが好きだから……」
「あ、風丸先輩と別れろっていうわけじゃないんですけど……っ、その、先輩が本当に風丸先輩のことが好きなら」
春奈が慌てて付け足した言葉がいっそう花織の心を抉る。
”本当に風丸先輩のことが好きなら”
春奈がその仮定を立てるそれこそが、花織が風丸に向ける愛情が「何かの代わり」のように映っている事実を語っている。覚束ない指先が縋るものを探してスカートをぎゅっと握り締めた。
『お前は風丸を本気で想っているのか?』
地区予選決勝の日、鬼道有人に掛けられた言葉が花織の脳裏をよぎる。ひりつく感情を花織はやっとの思いで飲み下した。周囲の人間には花織が風丸と付き合っているのは、ただ風丸に同情しているだけだと思っているのか。自分が鬼道から受けた痛みを風丸に与えたくなくて、恋人ごっこに興じていると思われている……。
――――同情なのかもしれない……?
花織自身も自分の心を掴めずにいる。なぜなら、花織はこれほどまでに答えを迫られていても未だに答えを出せずにいるのだから。