FF編 八章
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サッカー部がフットボールフロンティア地区予選で優勝を果たし、全国大会への切符をつかみ取ったというニュースは、瞬く間に校内に広まっていた。
つい数週間前まで廃部寸前と笑いものだった雷門サッカー部は、今や一躍、学校のヒーローだ。雷門中の生徒の誰もが彼らを惜しみなく賞賛し、エールを送る。その快進撃は学校のトップの耳にも届いていた。雷門夏未の父であり、この学校の最高権力者である雷門総一郎理事長も雷門サッカー部の活躍をいたく評価してくれた。一度はサッカー部の廃部を決めた他ならないその人がである。
理事長は自ら雷門サッカー部のボロボロの部室に赴き、全国大会出場のご褒美として部室を新しくしようと破格の提案をしてくれた。
「一郎太くん」
「どうした、花織」
「さっきの言葉、凄く格好良かった」
部室からグラウンドへ向かう開けた道のり。窓辺の学友たちが送る声援に片手をあげていた風丸のユニフォームの裾を花織はちょいと引っ張った。そして内緒話をするようにそっと耳打ちをする。その表情には柔らかでありながら、どこか誇らしげな笑顔が湛えられている。
花織が言う”さっきの言葉”とは理事長が部室を訪れたときの一幕のことだ。部室の新調という、理事長の太っ腹な申し出を円堂が「俺、このままでいい」と突っぱねたのだ。ボロボロで廃屋のような部室かもしれない、それでもこの部室も俺たちの仲間だと円堂は言った。そして風丸もまたは「部室に全国優勝のトロフィー、飾ってやろうぜ!」と円堂の言葉を全面的に支持したのだ。
少なくとも四十年、響木監督が学生だったころから雷門中サッカー部を見守ってきた部室。長い歴史の積み重ねがあり、選手たちの汗と涙が浸みこんでいる場所だ。それを重んじ、「仲間」として大切にする心に花織は酷く胸を打たれた。
「え? 俺、何か言ったか?」
「ふふ、何でもない」
風丸にとっては意図して口にした言葉ではなかったのかもしれない。花織が嬉しそうに褒めてくる理由が分からず少々困惑している。
だが、花織は風丸のその飾らない反応を見てますます彼のことを素敵だと思った。偽善でや計算で繕った言葉ではなく、心の底から当然として放った言葉だからこそ花織が褒める意味を理解していない。そういう彼の人間性が花織はとても愛おしいと目を細めた。
「あ、風丸さんに月島さん!」
そのとき、随分と久しい声がふたりの名前を呼ぶ。
風丸と花織はほとんど同時に顔を見合わせ、声の主を振り返った。風丸の後輩、宮坂の姿がそこにはあった。陸上部のランニングの列を一人はずれ、快活な笑顔を浮かべた宮坂はふたりのもとへと駆け寄る。
「宮坂、久しぶりだな。練習、がんばってるか?」
「はい! 風丸さんも月島さんも今から練習ですか?」
風丸がサッカー部に来てからは顔を合わせていなかった。元気そうな後輩の姿に風丸が表情を綻ばせる。宮坂は陸上部の後輩の中でも、事実上エースである風丸に対し、並々ならぬ憧れと尊敬を抱いていた。ある意味で熱烈なファン、と言ってもいい。
それに、宮坂は花織にとっても風丸との絆を語る上では欠かせない人物だ。陸上部で風丸と花織の距離が一気に縮まったのは、花織の走りを見た宮坂が一緒に走ることを提案し、男子陸上部に招いてくれたことがきっかけだった。
「ああ。さっき理事長から激励の言葉を貰ってな。今からまた練習に戻るところだ。な、花織」
「うん。……宮坂くん、最近は一郎太くん、シュートの練習をしてるんだ。ディフェンダーだから今までシュートには絡まなかったんだけど、一郎太くんにピッタリの必殺技をOBの方に教えてもらってね。だから、次の試合は一郎太くんのシュートが見られると思うの。私、それがすごく楽しみで……」
「おいおい花織、あんまりハードルあげるなよ。そこまで特別なことじゃないだろ」
珍しく饒舌な花織を制するように風丸が苦笑する。
花織が言うシュートとは「炎の風見鶏」という必殺技だ。先日、響木監督の計らいで、響木監督の当時のチームメイト伝説のイナズマイレブンのメンバーと試合をする機会があったのだ。そこで過去に監督たちが編み出した必殺技を伝授してもらうことができた。それが炎の風見鶏、二人の連携必殺技だ。パワー面は豪炎寺が、スピード面で風丸が適任だと大抜擢され、今はより高い精度を求めて練習を重ねている。
柄にもなく自慢げに風丸のことを語る花織だが、彼女も相手が宮坂だからこそこの話題を選んでいた。尊敬する風丸の活躍を話せば、きっと宮坂は目を輝かせて飛びついてくるはずだと花織は確信していた。
しかし、宮坂の反応は想像よりも薄い。それどころか、あまり興味がなさそうに白けた表情をしている。
「へえー……。でも、そうなるとうちにはいつ戻るんですか?」
「……えっ」
風丸と花織の表情が固まった。喉が硬直し、お互いに何も言えなくなったのが手に取るように察せられた。ふたりに走ったのは衝撃だった。
元々、風丸がサッカー部に足を踏み入れたのは、部員が足りずに困っていた円堂を助けるためだった。部員の足りないサッカー部が帝国学園との練習試合を行うために助っ人、それが本来の風丸の役割だった。出場メンバーに加え控えに回る選手が出ている現状だ、当時の人数不足という問題はすでに解消されている。
今となっては、風丸がサッカー部に残留し続ける公的な理由はない。その事実に気が付いてしまったのだ。薄く開かれた風丸の唇から隠しきれない狼狽えが零れる。
「やだなあ、サッカー部助っ人だって言ってたじゃないですか。月島さんもそうでしょう?」
忘れないでくださいよ、と言わんばかりに宮坂が笑う。花織は女子陸上部からサッカー部マネージャーへの移籍だ。正直どこに属していようと宮坂に直接的な影響はない。だが、問題は風丸だった。
「ああ……。そう、だったな。助っ人か……」
その場を凌ぐための覚束ない言葉を風丸は紡ぐ。その表情は取り繕っているものの複雑な感情が漏れ出していた。
「そうだ、久しぶりにみんなに会いに来てくださいよ。みんな会いたがってるんですから!もちろん、月島さんも一緒に!」
嬉しそうに声を弾ませる宮坂の提案に、風丸と花織は目配せをし合った。眩しい宮坂の笑顔を前に、このままサッカーの練習があるからと突っぱねるのも心苦しい。最近は陸上部のほうには全く顔を出していなかった。
今日は炎の風見鶏がメインの、風丸ありきの練習だ……。とはいえ、風丸の参加は必須といえど、あいさつ程度に顔を出すくらいなら、遅れても大した問題にならないだろう。
「どうした? 風丸、月島」
立往生していたふたりに、後からやってきた円堂が不思議そうに声を掛ける。風丸は我に返ると、何でもないとばかりに爽やかに、ごく自然に円堂に笑いかけた。
「先に行っててくれ、俺と花織は遅れていくから」
❀
校舎の裏手に回り、風丸と花織は宮坂に先導されて久しく陸上部のグラウンドへと足を運んだ。
少なくとも花織はサッカー部のマネージャーになって以来、一度も陸上部のグラウンドに近づいていない。風丸が陸上部のトラックにいないのであればここに来る理由はない。
しかも彼をめぐる一件があって、女子陸上部の部員たちとは修復不可能な関係性に至ってしまっているから尚更だ。タータンの上を走りたくてもこの場所を選ぶ必要性は皆無だった。
もしも女子陸上部の先輩たちと鉢合わせてしまったら、どういう振る舞いをすればいいか……。そんな気まずい状況を想像するだけで胃の奥がキリキリと痛む。次第に花織の歩幅は狭くなっていった。
「花織……?」
吹き付ける向かい風に足を止めてしまった花織の名を風丸が呼ぶ。彼はすぐさま花織の異変に気が付いた。花織が躊躇いがちに胸の前で拳を握り締めると、風丸は花織が何を考えているのかを察したようだった。彼は来た道を戻り、ものともせずに力強く花織の手を取る。
「大丈夫だ。行こうぜ」
「うん……」
彼の体温が手のひらから伝わる。風丸の温かさを感じて花織は凍てついた足先を解いて動かすことができた。
お互いの足並みを揃え、とんとんと階段を下っていく。階段下のグラウンドではすでに宮坂が風丸を連れてきたことを、男子陸上部員たちへ声高に話していた。花織は頼りなさげに辺りを見渡す。幸いなことに花織が恐れていた女子陸上部の先輩方はこの場にいないようだ。
「お久しぶりです、先輩」
「お久しぶりです」
がやがやと賑う陸上部員たちの輪にまざり、風丸と花織が並んでお辞儀をする。見知ったの男子陸上部の部員たちは、風丸のみならず彼の後ろに控えていた花織までも快く受け入れてくれた。しかしあることに気が付いたのか、彼らはやれやれとばかりに顔を見合わせた。
「おいおい風丸、相変わらず月島と仲がよさそうで何よりだが、それは彼女がいない奴らに対する嫌味か?」
「あーあ、彼女持ちはいいよなあ」
陸上部二年生、風丸と同学年の総細と岩手がにやにやしながら風丸を肘で突いてからかった。風丸も花織も一瞬呆けたものの、彼らの視線を追ってハッとする。彼らを前にしてもお互いの手が指先まで固く繋がれたままだったのだ。
さすがに気まずくなってどちらともなく手を放さざるをえなかった。風丸は気まずそうに頬を掻き、花織は俯いて誤魔化すように前髪をいじった。
「まあ、月島が風丸について行った時点で見せつけてるようなものだから、それは今更だな。……風丸、月島」
パン、と小気味いい音を立てて手を叩いたのは陸上部三年の開川だった。彼は一瞬で冷やかす部員たちを諫めると、風丸と花織に笑いかける。
「凄いじゃないかサッカー部! 全国に出るんだってな」
「はい、先輩」
開川の問いに背筋を伸ばして風丸が頷く。
「やっぱ風丸が助っ人したたおかげだろ、月島?」
「うん、そうかも。一郎太くんはディフェンスの要だから」
「おいおい花織、冗談はよせ。岩手も分かってるだろ、俺の他にも助っ人はいっぱいいるんだから」
謙遜を口にする風丸に花織は思わず肩を竦める。冗談でも身内贔屓でもなく、花織は本気で風丸を雷門中サッカー部のディフェンスの要だと思っているのだが……。しかしそんな和やかな空気を打ち壊す「あの問い」が、今度は別の部員の口から容赦なく投げかけられた。
「いつ戻ってくるんですか、先輩?」
「えっ、いや、それは……」
本日二度目になる問いかけだが、風丸はまたもぎこちなく言葉を濁す。尋ねたのは宮坂と同学年の一年の山椒だった。純粋に、尊敬する先輩が戻ってくる日を心待ちにしている下級生ならではの悪意のない、だからこそ辛辣な疑問だった。
焦りを浮かべて風丸は作り笑いをし、それ以上言葉を続けられない。だが、今度は宮坂の声がその場を救った。
「はいはい、みんな落ち着いて。風丸さんは僕が連れてきたんだよ」
「何だよ宮坂、お前風丸のマネージャーか?」
「いやいや、風丸のマネージャーは月島だろ」
大袈裟に場を仕切り、手で皆を制止ながら割り込んできた宮坂。一年ながらその堂々とした振る舞いに、呆れを滲ませた橘花が突っ込みをいれる。だが宮坂は負けじとこぶしを握って言い返した。
「だってみんな会いたがってたじゃないですか! 僕が仕切ってもいいでしょ」
「わかったわかった、好きにしろ」
自由奔放な宮坂の振る舞いにも寛容に開川が笑った。男子陸上部は元よりギスギスした上下関係の厳しさはなく風通しがよい。先輩方の了承を得たことに満足したのか、次に宮坂は花織と風丸をくるりと振り返る。その瞳には大きな期待が輝いていた。
「久しぶりだし、ちょっと走りませんか? もちろん月島さんも!」