FF編 第七章
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刻々と試合開始時間が迫る。現状、雷門中の選手たちに特別危害が加えられた様子はない。控室、廊下や手洗いは何も仕掛けられていないとなれば、やはりピッチの上が疑わしいか。いつもとどこが違う、とフィールドを睨む鬼道の顔に、徐々に焦りが隠しきれなくなり始めている。隣に立つ花織が息を堪えたその時だった。
「ぎゃあああああああああああああ‼」
耳を劈く悲鳴がスタジアムに響き渡る。鬼道が咄嗟に花織を自分の背へと隠すようにして彼女を庇う。しかし悲鳴以上にスタジアム上に変化は見られない。
さっきの声は……。花織はピッチの上に集まり始めた選手たちの姿を目で追う。どうやら叫んだのは一年の宍戸らしかった。天井から何かが落ちてきたらしい、ということがここまで届く会話の断片から判断できた。
「どうしたんでしょう……」
「分からない」
天を仰ぐ鬼道に花織が問いかけたが当然ともいえる答えが返ってきた。スタジアムの天井は高すぎて、見上げても暗い闇が覆っているだけだ。鬼道に心当たりがないのなら……、視線を落とそうとしたその時、一瞬鬼道の表情が色を変えたことに花織は気が付いた。それとほぼ同時に鬼道が花織の手を放す。
「花織、そろそろお前は雷門のベンチに行け。まもなく試合が始まる。……もうこれだけ人が集まってるんだ。ここからピッチを回って雷門側の通路に降りていけば、総帥もお前には手は出せないだろう」
「ですが……」
浮かない表情のまま花織が食い下がる。このままチームのもとに戻るのは簡単だが、策略の尻尾は依然として掴めていないのだ。問題解決ができないまま、不安を抱えて試合開始を待つのも心が落ち着かない。だが、鬼道はそんな花織の不安を拭おうと彼女の髪をそっと撫でつけた。
「大丈夫だ。誰一人として傷つけさせない」
これだけ探して手がかり一つない。そのはずなのに鬼道の声はいとも簡単に花織を掌握する。何の根拠もない言葉でさえ、彼がいうのなら本当に大丈夫だと確信を抱かせた。数秒の沈黙を経て、花織は鬼道を見つめ迷いなく頷く。
「分かりました。……いい試合にしましょうね、鬼道さん。雷門は絶対に負けませんから」
信頼を告げて花織は鬼道に背を向けようとする。だが、最後に鬼道が花織を呼び止めた。
「花織、あとで話がある。……聞いてくれるか」
夜の海の色をした暗い眼差しが静かに揺れる。花織は目を伏せつつも、鬼道の願いを聞き入れ首を縦に振った。
雷門イレブンはスタジアムへの入場を控えて、階段下の通路に待機していた。花織はスタジアムの端を通って、そそくさと通路へ繋がる階段へ降りる。ぱたぱたと花織の足音が響く。その音で緊張と興奮を控えた選手たちも花織が戻ってきたことに気が付いたようだった。円堂が振り返って花織の姿に顔を綻ばせる。
「月島!」
「今戻りました、遅くなってすみません!」
階段を降り切るや否や花織は勢いに任せて頭を下げた。今までそれどころではなく考えてもいなかったが、チームは花織に対してどのような反応をしているのだろう。帝国に到着したと同時に敵チームのキャプテンに連れていかれ戻ってこなかったマネージャー……。言葉にするとあからさまにチームに対する裏切りに聞こえる。
厳しい視線を覚悟して顔を上げられない花織だったが……、しかし。彼女を取り巻く視線は予想していたものではなかった。
「お疲れ、花織。仕方ないだろ。監督命令だったんだし」
「え……?」
そう言ったのは半田だった。花織は想定外の言葉に顔を上げて首を傾げる。監督命令……、とは。いったいどういうことだろうか。花織が訝しげな顔をしてると半田の言葉にマックスが続いた。
「元帝国の生徒だった花織だからこその仕事があるって、監督が言ってたんだよね」
「先輩、何やってたんですか? 鬼道さんの弱点を探してたとか⁉」
期待の眼差しで花織を見たのは、先ほど間一髪の目に遭いかけた宍戸だ。それに感化されて一年生の壁山と栗松、少林がワイワイとありもしない想像を並べ始めた。花織はその目に狼狽えて前髪に触れる。何も言えずに戸惑う花織の肩を叩いたのは風丸だった。
「おいおい、ただの書類関係のことだぞ。全員の入場許可のために手続きにいってくれてたんだ」
「そうそう。帝国のセキュリティは超厳重だからね。何より帝国の生徒の付き添いがないとだめだし。ってわけで、鬼道さんと知り合いだった花織ちゃんが適任だったってわけ」
俺が行くわけにはいかないしな、とシリアスな笑いを取り、作り話で話題をさらっていく土門たちに花織は唖然とする。だが、誰がそんなことを言ったのかはすぐに察した。昨日の事件を知り、花織が鬼道のもとに付き添わなければならないことを知っていた人間。風丸と、……おそらくは豪炎寺だ。頭の回るあの二人が土門を抱き込んでチームの混乱を避けるために作り話をしたのではないか。
なんだー……、と落胆する一年生を横目に見ながら、花織は風丸を振り返る。花織が視線を向けると風丸は少しだけ眉根を寄せて花織を見つめた。
「一郎太くん……」
「花織、大丈夫だったか?」
花織を見つめている風丸の眼差しには、不安と安堵が織り交ぜられていた。花織は冷えた指先をギュッと握り締める。彼はずっと、花織のことを心配してくれていたのだろう。
「うん、大丈夫だよ……」
「なら、いいんだ。……そろそろ整列しようぜ、もう試合が始まるぞ」
平静を装い、何も気にしていないと明るく振る舞う。風丸の優しい笑顔こそが花織の胸を抉った。花織は鬼道から自分を守るための風丸の約束を聞いている。すべては花織を守るために。恋人である彼がどんな思いで選択をしたのかを花織には図り切れない。ただ少なくとも一言で片づけられるはずがないことだけが、花織の胸を押し潰す事実として突き付けられている。彼の心を深く傷つけたのかもしれない、そう思いながら花織は踏み込む勇気が出せない。
「……一郎太くん」
皆を追いかけるために進み始めた風丸の背に花織がしがみつく。ユニフォームの背番号を覆うように握って、彼の背中に額を押し付けた。
「ごめん。……ごめんね」
硬く強張った風丸の背中に縋って囁く。自分を守ってくれようとしたこと、自分の気持ちで振り回してしまっていることも全部謝りたい。その気持ちが口を突いて出る。独りよがりかもしれない。謝罪したところで彼の気持ちが晴れるとも思えない。それでも言葉は勝手に口から零れてしまう。
「……花織」
凪いだ海のように穏やかな声だった。風丸は振り返って花織の肩を叩く。恐々と花織が顔を上げると風丸は眉根を寄せ、花織の肩を撫でた手をそのまま持ち上げて黒髪に触れた。さらりと指先で髪を遊ばせ、そして耐え兼ねたように指を引く。
「俺が選んだことだから。花織が責任を感じることじゃない」
「でも」
「そんな顔しないでくれ」
少しだけ彼の声に険しさが混じる。これ以上の言及を避ける彼の言葉は、花織の口を簡単に噤ませてしまう。花織が戸惑ったのを見てか風丸は目を伏せた。そして大きく深呼吸をしたあとに、決意を固めた面持ちを花織に向ける。
「俺さ、試合頑張るから。お前と練習した疾風ダッシュを必ず成功させる」
ピッチへ続く暗い通路に風丸の宣誓が響く。彼は花織の手を握って、祈るように握り締めた。口元は笑みを浮かべてまっすぐに花織を見つめる。穏やかな茶色の眼差し、いつもと変わらない声色。そのはずなのに。
「だから、応援してほしい。……頼むよ」
花織はどうしても彼に笑顔を返すことができなかった。行こうと背を向けた風丸の背中に花織はたまらずにまたもしがみつく。どうしても離れているのが辛いのだ。彼の髪が鼻先をくすぐる。
「一郎太くん……」
足を止めてくれた彼の鼓動を背中越しに聞いた。広い背中から伝わる優しい温もりに、落ち着いた覚悟の音に。花織は言うべき言葉を見失う。
こんなに強くて優しい人を、私は鬼道さんの代わりにしていた。
「……ごめん」
突きつけられた事実が胸をえぐる。その重さに耐えかねた花織の声に、風丸の呼吸が一瞬リズムを乱した。