FF編 第七章
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影山総帥の仕掛けた罠を探す。その目的の元に鬼道と花織は捜索を再開した。危険物がないか、不自然なところはないか……。考えながら鬼道の後ろをついて回るが成果は得られていない。形も大きさも、そもそも存在も分からないものを探すというのは困難極まりないのだ。
「……」
花織も鬼道も互いに長く口を閉ざしている。せめて意見交換をすればヒントが得られるだろうか。この沈黙に耐え兼ねて花織が口を開こうとした瞬間のことだった。
「何を企んでいるの‼」
沈黙を切り裂いたのは花織の声でも、鬼道の声でもなかった。花織は驚いて声の方に視線を向ける、鋭い声色の主は肩を怒らせてこちらの方を、正確には鬼道を睨みつけていた。音無春奈だ。彼女はいつになく険しい表情をしてまた声を荒げる。
「信じないから‼ キャプテンや花織先輩は騙せても、私は信じないから‼ 貴方は変わってしまった‼」
春奈の怒号は広いスタジアムの中に雷のように響いた。花織はどういう顔をしていればいいのか分からずに鬼道の方へ視線を送る。鬼道の表情を見て花織は顔を強張らせた。かつて見たことがないほど、鬼道が悲しみに表情を歪ませたからだ。
「変わった、か……」
小さく呟きながら鬼道が縋るように手に力を込める。鬼道は春奈の言葉に背を向けて何も言わなかった。
スタジアムから控室に続く通路へ降りると、煌々とした光の灯るスタジアムとは打って変わって景色が闇に落ちる。沈黙が続いていたが、それは先ほどまでとは異なる空気だった。
鬼道は通路に降りてから花織の方を一度も振り向かなかった。だが、その後ろ姿から、握られた手の感触から。鬼道が心を乱していることを花織は察していた。花織は恐る恐る、できる限りの柔らかい声色で鬼道に語り掛ける。
「鬼道さん。……あの、随分春奈ちゃんに、その、素っ気なくなさるんですね。……妹さんなのに」
「⁉」
花織の指摘に対し、鬼道の肩があからさまに揺れた。彼は振り返って花織を見つめる。彼の声には動揺が隠しきれていなかった。
「どうして、お前がそれを……」
「土門くんが教えてくれました。春奈ちゃんが鬼道さんのことを”お兄ちゃん”と呼んでいたと」
「……」
「だから私、ずっと疑問でした。鬼道さんへの制裁の相手に私が選ばれたことが。鬼道さんを動揺させたいなら、人質として春奈ちゃんの方が価値があるはずで……」
「いや、総帥は春奈を人質にはしない」
驚くほどバッサリと鬼道は花織の推測を切り捨てた。どうしてですか、と花織が口を開く前に鬼道が話を続ける。
「確かに、春奈は俺の実の妹だ。俺たちは幼い頃に両親を亡くし、別々の道を生きてきた」
「そう……、だったんですか?」
初耳だった。花織は先に進み始めた鬼道の背中を見つめる。帝国学園在学時、鬼道とは色々な話をしたつもりだった。でも鬼道はそんなことは一切言わなかった。自分は鬼道家の一人息子で、その名を継ぐために果たさなければならない義務があると彼が言っていたことは覚えている。……彼が、花織に己の身の上を打ち明けたことはほとんどなかった。
「俺は養父と約束をした。俺がフットボールフロンティアで三連覇を成し遂げたら、鬼道家に春奈を引き取ってくれと。それまでは一切交流を持たず、鬼道の後継者として最善と尽くすとな。俺は兄として春奈をこの手で守らなければならない……」
「……」
「だからこそ俺は、総帥を信頼している父の言うとおりに総帥に従ってきた。父も俺も総帥を信頼していたからな」
そもそも、孤児院にいた俺を鬼道家に推薦したのは総帥だ、と鬼道は告げる。あくまでも鬼道の養父は影山の裏の顔を知らない、と鬼道はそう言いたげだった。
「……いわば春奈は俺と父との交渉材料だ。その春奈に危害を加えれば、俺を懐柔するどころか俺が勝利に固執する理由が欠ける」
「……」
花織は鬼道の言葉にぎこちなく頷いた。春奈が総帥の標的に選ばれなかった理由には一応は合点がいった。だが、同時に鬼道の話を聞いたことで花織の中に一つの推測が立った。花織がなぜ、春奈の次点として人質に選ばれたのかということについてだ。
意図的に花織に伏せられていた鬼道の家族の話。帝国学園時に鬼道が与えてくれた庇護と優しい導き。手のひらを反すように花織の恋心を踏みにじった態度。そして価値がないのに人質に選ばれた理由。鬼道の先ほどの言葉が、花織の頭の中で再生される。
『俺は兄として春奈をこの手で守らなければならない……』
辿り着いた推論に目を見開く。全身を悍ましい冷たさが包んでいく。
「鬼道、さん……」
花織は一瞬、この先の言葉を躊躇う。自分が至ってしまった結論が恐ろしくて口を閉ざすしかできなかった。目の前に立っているはずの、尊敬と愛の未練を未だに抱えてやまないその人を見るのが言いようもなく恐ろしく感じる。
「花織」
言葉を失う花織の名を鬼道が呼んだ。おぼつかなく顔を上げて花織は鬼道を見つめる。鬼道は柔らかく微笑んで、指を絡めた花織の手をさらにしっかりと握りしめた。なぜ、この人は私の手を握るの。以前はお前なんかと振り払ったはずなのに。この期に及んで、私の手を握る理由があるの?
「……怖がらなくていい。お前は必ず俺が守る」
守る、と何度も誓う鬼道の言葉に花織は声を失う。重ねられる度に、疑問がありつつも甘美に感じていた鬼道の言葉。それが急速に体温を冷やしていく。飲み込んでしまった言葉はとても声にできない。ゴーグルの奥に隠された瞳の真意を花織は理解できない。
その眼差しは本当に花織を見つめているのか。触れられない手の代わりに花織を求め、花織を誰かに投影していないと何故言い切れる。鬼道が邪魔だと言ったものが、もしかして花織の”恋情”に向けられたものだとしたら。
……鬼道さん、あなたにとって私は。もしかして私は。
勝手な推察だ、信じたくないのに恐ろしいほど綺麗にすべてが噛み合う。
あなたにとって私の存在は、春奈ちゃんに会えない寂しさを埋めるための”代わり”だったの……?
[newpage]
鬼道と花織が探索を続けている間、雷門中の選手たちは試合開始にむけてウォーミングアップを始めていた。今日の帝国学園との試合はフットボールフロンティア地区予選決勝。誰もがいつも以上に気合を漲らせている。……そう思っていたのだが。ベンチから選手を眺める木野秋にはどこかチームのテンポが狂っているようにも見えていた。
ちら、と横目に隣に立っている同じマネージャーの音無春奈を見る。春奈は帝国学園に到着してからずっと浮かない表情をしていて、いつもの弾ける元気はどこにもない。それに時々、ふらりと姿を消している。遠くを見つめるその目はどことなく寂し気で憂いがあった。
様子がおかしいのは春奈だけではない。キャプテンの円堂も先ほどトイレから戻ってから不自然なミスを繰り返していた。それまではずっと好調だった彼のプレーは明らかに精彩を欠く。
もしかして怪我? でも、そんな様子はなかったけれど……。
「しっかりしろよ、アップで怪我してたらシャレにならないからな」
考え込む秋の耳に飛び込んできた人物の声に彼女はハッと顔を上げる。そう、彼も様子がおかしい人物の一人だ。風丸一郎太、彼はいつもと同じ頼もしい調子で壁山に声を掛けている。だが、風丸がいつも通りでいることがおかしいのだ。
秋は風丸を、そして彼の恋人である月島花織を取り巻く恋模様について知っている。そして、風丸が意外とヤキモチ妬きで、花織のことで取り乱しやすいことも。その彼が、花織をあの鬼道有人に任せて、通常通り振舞っているという状況が普通ではない。
――――風丸くんはどうして鬼道くんに……。
そう考えて、今ここにはいないが花織の様子も今朝からおかしかったことを思い出す。大人しい性格であるが、笑顔を絶やさず活発に動く彼女。その彼女は今日は集合したときからずっと風丸の陰に隠れるようにして立ち、落ち着きなく周囲を見て怯えているようだった。……だから、風丸は鬼道に花織を任せた? 花織の心を落ち着けるために? 風丸も花織の初恋の相手が鬼道だということは知っているから……。そこまで考えて秋はあり得ないと首を振る。かつて花織は鬼道に失恋したと聞いているからだ。
――――何が起こってるの?
状況がつながらずに秋は蚊帳の外で見ているしかない。考えていても仕方がないか、と肩を竦めた秋の耳に今度は円堂の声が聞こえた。顔、洗ってくる、と言ってピッチを走り去る円堂の姿を見つめて秋は立ち上がる。勝手に足が走り出していた。
一方、ピッチから走り去る円堂を横目にしながら風丸はいつも通りにウォーミングアップを進めていた。足を止めると、胸の中から黒くモヤモヤとした感情が這い上がってきて動けなくなりそうになる。気にしないように振る舞っているが、チームからはどう見えているか……。心中全く穏やかではない彼は、本日何度目か分からないため息をついた。
――――これで、良かったんだよな。
鬼道に花織を預けたあともずっと風丸は同じことばかりを考え続けている。そのたびにこれが最善だと繰り返し自分に言い聞かせたが、二人の姿が帝国側にも全く見えないことが風丸の心に焦燥を植えた。
二人きりで、チームに姿を現さずに何をしているんだ。
『花織は俺にとって唯一無二の女だ』
昨晩、至極当たり前のように告げられた鬼道の言葉が頭の中を反芻する。そう考えている男が、花織と一緒にいるだけで胸が焼けた。何が起こっていてもおかしくないと思った。風丸は誤魔化すようにユニフォームで手汗を拭う。……なぜなら花織も鬼道のことが好きなのだから。
――――俺が口を挟めることじゃない。
ボールを蹴り上げながら風丸は言葉を自分に叩きこむ。
花織の恋人は確かに俺だ。だが、そもそも前提が間違ってるんだ。俺が鬼道の代わりでいいって言ったから花織は俺を受け入れてくれた。花織の恋人という特別な地位を、一度は拒絶した花織を無理に押し切って自分のものにした。
それだけじゃない。その仮初の恋人という立場を利用して、俺は花織に鬼道に会わないという約束までさせた。花織はそれを守ってくれていた。花織が俺のためにそこまでしてくれていたのに、花織をみすみす鬼道に明け渡した。
……でも、これでよかったんだ。御影専農との試合、あの日からもう決めてた。いつか花織を自由にしてやるって。まだ決心はつかないけど、でも花織は俺より鬼道の傍に居たいはずだ。花織が笑ってくれるなら、俺はそっちの方がいい。俺にできることはチームにとっての最善を、花織のために正解を選ぶことだ。
ほとんど無意識の中で風丸はベンチに視線を向ける。いつもならピッチに立つ風丸を見つめてノートを取り、彼の視線に気が付くとはにかみながら小さく手を振ってくれる花織がいた。試合の時も練習の時も、風丸のプレーを一心に見つめ心の底から応援してくれる花織が。
だが今、その姿はここにない。いつか、これが当たり前になるのかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになる。
本当は手を放したくなかった。誰にも渡したくない。俺の傍で、俺だけを応援してほしい……。心が叫ぶ気持ちを押し殺して風丸は再び地面を蹴る。