FF編 第七章
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ついにフットボールフロンティア地区予選決勝、帝国学園との試合当日を迎えた。鳴り響く目覚まし時計の音に急かされて花織は緩慢に身体を起こす。瞼が重たい、身体もどことなく気怠い。原因は考えるまでもない、ほとんど眠れなかったせいだ。
昨夜の出来事は花織の心にまだ深く恐怖心を根付かせていた。帝国学園の総帥、影山の策略……、風丸たちが偶然居合わせてくれたから幸いにも難を逃れることができた。だからこそ、起こりえた自分の未来を想像すると怖気が走る。まだ完全に問題が解決していないのだから猶更だ。
静まり返った部屋の中にまだ目覚まし時計の音が響いている。両親はもうすでに仕事に出ているのだろう、でなければとっくに目覚ましを止めるよう花織の部屋に来ているに違いなかった。目覚ましを停止させると一際部屋の中が静まり返る。布団の中にいても冷たい孤独が花織の心を苛んだ。
――――元気出さなきゃ。
今日はフットボールフロンティアの地区予選決勝戦なのだ。この試合で雷門が勝利すれば念願の全国大会出場へと駒を進めることになる。選手たちは一丸となって今日のために必死に特訓してきた。暗い顔をして仲間たちの士気を下げたくない。
頬を叩いて花織は大きく深呼吸をする。それで胸中の不安が拭いとれるわけでもなければ、昨日の恐ろしい体験が忘れられるわけでもない。だが刻々と集合時間は迫る。何時までもベッドでうずくまっていることはできなかった。
重たい呼吸を吐き出す。視界の端でふと、枕元に置いた携帯がチカチカと点滅していることに気が付いた。のろのろと手を伸ばして携帯を拾い上げる。通知欄には新着メールが一件、中を開くと花織の肩が小さく揺れた。
『花織おはよう。今日は一緒に駅まで行こう、八時に迎えに行く。家の中で待っててくれ』
「……一郎太くん」
メールの送り主の名を呟くと思わず目が潤みそうになった。端的な文章。だが言葉以上に彼が花織を心配してくれていることが伝わる文章だった。花織は一言メールを送り返してベッドから確かに一歩踏み出して立ち上がる。地に付けた足の感覚はまだ覚束ない。……だが。
風丸がここまで迎えに来てくれる。その気持ちが背中を押して花織の竦む足を奮い立たせる。
インターホンは約束した時間ピッタリに彼の来訪を知らせた。ドアスコープから慎重に彼の姿を確認してから花織は外へと顔を出した。朝の涼しい風が花織の頬をひやりと撫でる。風丸は花織と目が合うと優しく花織に微笑みかけた。
「おはよう、花織」
「……一郎太くん」
おはよう、と掠れた声が花織の唇から洩れる。風丸の姿がここにある、それだけで胸がいっぱいで花織はギュッと口を噤んで俯いた。昨日のお礼をいわなきゃ、迷惑かけてごめんなさいと謝らなきゃと。いうべき言葉は頭にたくさん浮かんでくる。それなのに、上手に身体と思考が噛み合わない。
「花織」
青ざめた花織の頬に風丸の右手が触れる。ここまで軽く走ってきたのかもしれない。風丸の指が熱い線を頬に滑らせる。花織の顔を覗き込むようにしながら、彼の親指が花織の目じりをそっと撫でた。
「眠れなかったのか? ……そんな顔するなよ、って言っても難しいな」
「……」
「なあ花織」
温かみのある赤みがかった茶色の瞳。穏やかで優しい風丸の眼差しがじっと花織を見つめる。暗く沈んだ花織の心に直に触れて、水の底からすくい上げるように。頼もしい声色ではっきりと彼は花織に告げた。
「お前を危険な目には合わせない。何があっても、俺はお前を守るために俺にできることをするから」
その言葉は宣誓に等しい。
「……花織が少しでも安心できるように」
風丸の色を映した花織の瞳が大きく揺らいだ。それは花織の心に同期した、大きな一石を投じる波紋だった。
――――大好き……。
心に動かされるまま、花織の両腕が風丸に向かって伸びる。目覚めてから今まで空回り、噛み合わなかった身体と心。それが今になってやっと同じ思いで突き動かされた。そしてその腕で花織は風丸に身体を沿わせた。
「う、わっ! 花織⁉」
身体がぴたりと密着すると、ガチャンと玄関の扉が閉まって世界の音が閉ざされる。ここにあるのは風丸の、そして花織の鼓動と息遣いだけだった。花織は腕の中に閉じ込めた、戸惑う風丸の体温を五感すべてで感じ取る。傍には目覚めたときと同じくらい音はないのに、心の中は驚くほど温かさに満ちていた。風丸がここにいる、それが花織にとっての揺るぎない安心だった。
「……一郎太くんは、いつも私を助けてくれるね」
数えきれないほどだ、昨日のことだけじゃない。彼は初めて出会ったときからこの優しさと頼もしさで花織を何度も助けてくれた。ずっと傍にいて支えてくれている……、風丸の温もりと信頼が花織を強く勇気づけてくれる。風丸がここにいてくれて、ようやく花織はしっかり自分の足で立てる気がした。
「ありがとう」
情けなく震えた声、それでも気持ちを伝えたかった。こんな言葉ではとても足りない。そう思いながらも他に何を伝えるべきか分からずに、手繰り寄せた彼の首筋に顔を埋める。耳元で彼の呼吸が規則性を乱した。
「な、何言ってるんだよ。……当たり前だろ、そんなの」
花織の行動が想定外だったのか、彼は少し驚いているようだった。大きく頼もしい手が、花織の背中に躊躇いがちに触れる。戸惑いを含んだ声が揺れて、だがそれでもすぐにいつもの落ち着きを取り戻す。風丸は花織に応えるように顔を寄せた。彼の温かい手が花織を力強く支える。そして。
「花織は俺が守る。……絶対に」
決意を噛みしめるように呟いた。