FF編 第六章
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雷門イレブンは波乱の中にあった。一通の告発文により、ついに帝国のスパイの存在が明るみに出たのだ。
理事長の娘である雷門夏未によれば本日、差出人の書かれていない封筒が理事長室に届けられたのだという。内容は遠征用のバスに細工がされており、雷門中がフットボールフロンティアに出場できないよう目論まれている。そしてそれを仕組んだのは雷門中サッカー部の監督、冬海教諭であるとの告発だった。その手紙にはこれから起ころうとしていた恐ろしい計画が記されていたのだ。
夏未の機転により、サッカー部員たち全員の前でバスへの細工が証明された。冬海は帝国の指示でこれを行ったと白状し、結果夏未の権限で雷門中学から即刻追放の処分を受けた。
だが、明るみに出たのはこの事実だけではない。冬海が苦し紛れに残した一言によってもう一人、帝国のスパイとして名指しされた人間がいる。それは他でもない土門飛鳥だった。
彼は皆の前で自分がスパイであることを晒され、自分の行いへの罪悪感からどこかへ走り去ってしまった。そしてそれを追うために円堂と秋が飛び出していってしまっていた。
部内は騒然としている。それが今だった。残された部員たちはとても練習どころではない。部室で頭を寄せ合い、先ほど冬海が繰り広げた驚愕の顛末を口々に語り合っている。
さらに土門の裏切りも部員たちにとっては衝撃的だった。裏切者だったのか、だが告発文の筆跡から手紙を送った人間もまた土門だということはチーム全体の知るところとなっている。
土門が敵か味方か、議論が展開される部室の片隅で花織は小さくなっていた。土門への批判の言葉を聞くたびに花織は身を竦める。耳を塞ぎたくなりながらも自分にそんな資格がないことは分かっていた。花織だってスパイの存在を知っていた。雷門イレブンを裏切っていたのだ。
風丸を盾にされていたなんて言い訳だ。自分の意思でスパイを黙認することを選択した。雷門の皆に背く判断だと分かっての上でだ。花織は皆の声に耳を傾けながら俯く。
自分だって土門と同罪だ。それなのになぜ土門だけが糾弾され、責め立てられなければならない?
そう思っているくせに、花織は声も上げられずに縮こまることしかできなかった。皆の前で自分の過ちを告白する勇気はない。あんな風に非難を受けるのだと思うと怖くて足が竦む。私は狡い人間だ。自分の情けなさを花織は胸の奥で噛みしめる。
――――だけど。
弱虫な感情の中でもひとつ、奮い立つ思いがあった。足に力を籠めて花織は立ち上がる。そして意を決して前に進みだした。彼女の心にはただ一つだけ信念がある。
――――一郎太くんだけには正直でいたい。
「あの……、一郎太くん。今いい?」
これからの展開を想像し、怯みながらも花織は風丸に声を掛けた。風丸は豪炎寺と神妙な面持ちで話し合っていた。
円堂が不在の今だ、いつも彼をサポートし副キャプテンのようなポジションにいる風丸は、今からのチームの動きについて話し合っていたようだ。結論は、出ていないようであるが。
「ん? どうしたんだ、花織」
声をかけると風丸は表情を和らげて花織を見上げた。
「話をさせてほしいの。……ふたりだけで」
言葉を絞り出して花織は風丸に囁く。ちら、と彼女が豪炎寺の方へ視線を寄せると、彼の瞳が僅かに揺れた。豪炎寺は何を言うでもなく目を伏せ、ゆっくりと花織から視線を逸らす。
「……ダメかな」
「いや……。すまない豪炎寺、少し出てくる」
深刻な面持ちでいる花織から何かを悟ったのか、風丸は席を立つ。立ち上がった風丸から視線を逸らしたまま、豪炎寺はああ、と抑揚なく返事をした。
❀ ❀ ❀
豪炎寺の了解を得てふたりは部室の外へ出た。ふたりで話ができるようにと、花織が風丸を引っ張ってきたのはサッカー部の部室裏だった。意外とここは人目に付かない。それに、部室の中での議論があれだけ白熱しているのだ。邪魔が入ることもないだろう。
「一郎太くん……、あの」
口を開くも、すぐに花織は言葉を詰まらせる。わざわざ部室裏まで彼を連れ出したくせにうまく話が切り出せない。時間の経過と共に焦りと不安が積もった。
鬼道の命令に従い、スパイを黙認していた……。風丸がその裏切りを知ったらどう思うだろう。
怒るだろうか、それとも軽蔑するかもしれない。今になって、これまでしてきた自身の選択の重さが身体にのしかかってくる。
「あのね……」
彼にだけは、本当のことを言わないといけない。そう思っているのに、喉が押しつぶされたように声が出なくなる。自分の言葉を待ってくれている風丸の反応さえ恐ろしくなって花織は俯いた。
怖い……、言えない。冷えた指先の感覚が分からなくなる。彼から失望される可能性に竦み上がって、このままふらりと倒れてしまいそうにさえなる。そんな資格も自分にはないのに。
「……花織」
何も言えず花織が俯いたままでいると、そうっと温かい手が冷え切った花織の手に触れた。優しく自分を呼ぶ声に導かれ、花織はゆっくりと顔を上げる。風丸はぎゅっと力強く花織の手を握った。だが、それでいてそれ以上何も言わず、ただ彼女の言葉を待っている。彼の温もりに触れて花織は瞳を潤ませた。
――――そんなふうに優しくされる資格、私にはないの。
こうなると罪悪感がいっそう込み上げて、口を閉ざしている方が息苦しいと思った。心の奥から膨れ上がった思いが、重く閉ざしていた花織の言葉を口から押し出す。
「一郎太くん、ごめんなさい……っ。私、土門さんのこと」
意を決し、裏切りの事実を口にした。だが、風丸の反応は花織にとって思いにもよらないものだった。
「知ってたんだろ? ……アイツがスパイだってこと」
「……え?」
開いた口が塞がらない。花織は仰天し顔を上げる。至極穏やかに自分を見つめる風丸を凝視しながら花織は問いかけた。
「知ってた、の……?」
この瞬間、彼女の胸中には困惑しかなかった。風丸は土門がスパイだと知っていたのだろうか? 花織が黙っていることに気が付いていたのか、まさか知っていたうえで何も言わなかった……?
様々な疑問が彼女の中で噴出する。風丸は戸惑いを隠せない花織の顔を見つつ、そっとポケットに手を伸ばした。
「いや……、これで知ったんだ」
その言葉と共に風丸が差し出したのは白い封筒だった。見覚えがある、それはさっきまでは雷門夏未の手の中に在った。理事長室に送られてきたという告発文、すなわち土門からの手紙だ。
どうしてそれを風丸が持っているのか。理解が及ばず、花織は封筒と風丸の顔を見比べる。
「さっき、雷門が俺に渡してきたんだ。貴方は彼女の為にも読むべきだって」
どういうことか分からない。花織が返すべき言葉を見つけられずにいると、風丸が読んでみろと封筒を花織の手に乗せた。言われるがまま、花織は土門の手紙を開いて中を改める。
その手紙には冬海の策略の詳細、土門がこれまでしてきたスパイ行為に対しての謝罪などが便箋にびっしりと綴られていた。誠実なその文面の最後に、月島花織のことについてという一文があった。唐突に自分の名前が登場したため、花織は目を見張る。
『月島花織は恋人を人質に取られ、スパイの黙秘を強要されていた。彼女は被害者だ、責めないでやってほしい。それにワガママな願いだけどこれは伏せておいてほしいんだ。この事実を公表するのは、もしも誰かが彼女が元帝国出身ってだけで非難をしたときだけにしてくれないか』
文章を読み終え花織は複雑な思いに息を吐く。これを読めば明白だ、スパイを黙認していたのに寛容すぎる風丸の態度も。それは土門が花織を庇ったからに他ならない。
「俺の為だったんだな。……スパイについて黙っていたのも、新しい必殺技を隠していようと言ったのも」
土門が語る事実を知った彼は優しく花織に囁きかけた。花織は目を逸らして軽く唇を噛む。手紙を持った手が微かに震えた。
……確かにそうだ、表向きはそれで間違いない。疾風ダッシュの完成をチームに伏せたかった理由は帝国のスパイを警戒してのことだった。けれども。
受容を見せる風丸の表情に対して花織の表情は晴れない。それは帝国のスパイについて発言できなかった理由が風丸を守るため、というただ一点ではなかったからだ。それが耐え難く胸を痛ませて花織は胸苦しさに言葉を吐く。
「どんな理由があったって……、私はスパイについて黙ってた。それが事実だよ。……本当にごめんなさい」
この期に及んで全貌を明かせない罪悪感に花織は深く頭を下げることしかできなかった。だが、言えるわけがない。言いたくない。誠実でありたいと思っているのに。
ーーーーあの頃のまま鬼道への気持ちに抗えなかった弱い自分のことなんて。
「花織」
頭を上げない花織の肩を風丸が軽く叩く。促されるまま花織が顔をあげると、風丸がそっと花織の髪を掬って耳に掛けた。茶色い眼差しが花織を見つめて柔らかく微笑む。
「そんなに自分を責めないでくれ。もし仮に俺がお前の立場だったとしても、多分同じことをした」
「……」
「……それに不謹慎だが、少し嬉しいんだ」
嬉しい……? 彼の言葉の意味が理解できなくて花織は思わず首を傾げる。
「嬉しいって……?」
「花織にとって、俺に人質としての価値があったってことがな」
花織の足枷になったってのは情けない話だが……。そう続けながらも風丸は屈託なく言葉を紡ぐ。花織からの愛情を噛みしめるような眼差しを向けるほどだ。その瞳に覗き込まれると、花織はますます己の不誠実さに胸を締め付けられる。掠れた声でせめて本心を語る。
「だって、一郎太くんは私の大切な人だから。当たり前のことだよ……」
「ああ、それでも」
風丸はもう一度花織の手を取ってギュッと握り締めた。花織の全部を包み込むように彼の頼もしい手は花織を支えてくれる。
「俺は嬉しい」
花織は彼の瞳の中に、自分に向けられる彼の確かな気持ちと理由の分からない寂しげな光を見た。どうして、そんな顔をするのだろう。その理由は花織には分からなかった。