FF編 第六章



 放課後、鬼道有人は土門に呼び出されて雷門中を訪れていた。

 目的はイナビカリ修練場の個人データ。その受け渡しのため、鬼道は人気の無い雷門中の体育倉庫裏に身を顰めている。ここなら、他に邪魔が入らないだろうと踏んでだ。部外者である鬼道の侵入が明るみになれば少々厄介なことになる。

「ふ……」

 建物の影に身を顰め、鬼道は小さくため息をつく。これほど近くまで来ているのだ、何かの間違いで視界の範囲にその姿が現れないかと思った。可能ならばどうにかして顔を見たいものだが、それはフットボールフロンティアで優勝、いや三連覇を果たすまでは叶わないことだ。接触は許されていない。

 …………ダメだと、分かっているのにな。

 目を伏せると、記憶の中で艶やかな黒髪が翻る。その姿は振り返って鬼道に微笑みかけた。途端に会いたい、という気持ちが胸の中に膨れ上がる。この願いだって許されるわけではなかったが。

 深く思いを馳せようとする鬼道の耳に一つの足音が聞こえた。足音は鬼道が背を預けている壁の角で止まる。どうやら待ち人がきたらしい。

「イナビカリ修練場のデータは?」

 気配の主を確認して、鬼道は低い声で呟く。建物の影に隠れた鬼道の会話の相手は即答はしなかった。だが少し間をおいて、小さくもはっきりと彼の問いに答える。

「まだ手に入ってません」
「……なら、何故呼び出した」

 建物の影にいる土門の回答に鬼道は眉間に皺を寄せた。その声には微かに苛立ちが滲んでいる。目的のデータが手に入ったら連絡をしろと命じたのだ。なにしろ、鬼道のスケジュールは細かく詰まっている。用もないのに呼び出されては困るのだ。

「鬼道さん」

 だが、土門は鬼道に何も用がないというわけではないようだった。いつもの平身低頭な態度とは一転、鬼道に対していつになく強気な口調だった。

「本気なんですか? いくら何でもやりすぎですよ、移動用のバスに細工するなんて」

 非難の声が鬼道にそう告げた。土門が放った衝撃的な言葉に鬼道はゴーグルの奥で目を見開く。

「何だって……!」
「やっぱり鬼道さんも知らなかったんですね」

 驚愕を隠しきれない鬼道の言葉にわずかに土門は険しさを緩めた。しかし、鬼道は穏やかではなかった。想像してもいなかった告白に、悍ましい想像が膨らんで吐き気すら催す。

 ……確かに、総帥の雷門に対する執着と深い憎悪は顕著だった。だが、まさかそんなことを企んでいるとは思わなかった。

 移動用のバスに細工などすれば、間違いなく大事故を引き起こす。そうなったら、バスに乗るはずの雷門イレブン、大切な人たちがどうなるのか。分からないほど彼は愚かではない。怪我で済むならまだ幸いだ、命すら危険に晒される。

「これが帝国のやり方なんですか⁉ 総帥はいったい何を考えているんです!」
「……っ」
「なんか俺、もう総帥についていけなくなりました! あの人のやり方は強引すぎる……。そんなにしてまで勝ちたいんですか!?」

 狼狽する鬼道に、土門は勢いに任せてまくし立てる。

 今しか説得の機会はないと思った。いち生徒の自分にはどうにもできなくても、鬼道の言葉なら総帥の考えを覆させることができるかもしれない。土門は一縷の望みに掛けていた。鬼道への告発は、帝国のやり方を改めさせるための数少ない土門の手段だった。

「それ以上言うな。俺たちに総帥の批判は許されない」

 しかし、土門の言葉に対し鬼道は冷淡だった。それでも引き下がれないと土門は切り札を切る。

「でも鬼道さんだって、[#dn=2#]を危険な目に遭わせたくないんじゃないですか⁉」

 [#dn=2#][#dn=1#]の名前は、土門が持つ鬼道との交渉において最強のカードだった。鬼道の想いを悟っているからこそ、彼女の名前に効力があることを期待した。

 実際、効果はないわけではなかった。鬼道は脈絡なく飛び出した[#dn=1#]の名前に目に見えて狼狽えた。しかし、すぐに平静を装い淡々と土門に言葉を返す。

「アイツは関係ない」
「でも[#dn=2#]が大切なんでしょう? だから俺に[#dn=2#]のデータを集めさせた、違いますか?」
「……俺は必要な情報を集めていただけだ」

 苦し紛れに答える鬼道と夢中になって土門は押問答を続ける。話に白熱するあまり、二人は周囲の警戒を怠っていた。彼らの傍に、足音が近づいてくることに気が付かなかった。

「お兄ちゃん!」

 突然響いた女子の声に土門は慌てて建物の影に引っ込んだ。身を隠しながら、壁の向こうの状況を窺う。影に隠れる寸前、鬼道もかなり慌てた表情をしていた……。

 向こうに現れたのは誰だ……? 土門は息を潜めて耳を澄ます。響いた女子の声には聞き覚えがあった。土門は声の主に思い当たって、右手で口を覆う。あれは……サッカー部のマネージャー、音無春奈の声だ。

「雷門中の偵察にでも来たの?」

 凄んだ音無の声は普段の明るさを掻き消すほど険しい。鬼道を問い詰めているようだったが、鬼道の方は何も答えない。沈黙を潰すように靴底が地面と擦れる音がする。土門はそうっと建物の影から鬼道と春奈の方を窺う。

「待って!」
「離せ……」

 鬼道の声は冷ややかだった。春奈を無視し、挙句の果てに彼女が掴んだ腕まで振り払った。春奈の方は驚きと、傷ついた表情を浮かべて鬼道を見ている。それでも鬼道は春奈とは視線を合わせずに言葉を吐き捨てた。

「俺とお前は会っちゃいけないんだ」

 素っ気ない態度を突き通し、鬼道はこの場から去っていった。春奈は寂しげな表情を浮かべていたが鬼道の後を追えないようだった。

 衝撃的な事実を受け、土門は壁に背を預けてずるずると座り込む。開いた口がふさがらなかった。

「音無と鬼道さんが兄妹……⁉」

 容姿が似ているわけでもない。接点など想像したこともなかった。音無春奈と鬼道が兄妹であることなど、きっと鬼道の右腕の佐久間や源田ですら知らないはずだ。

 ――――いや、重要なのはそこじゃない。

 衝撃に霞んでいたが、土門は自分の数少ない手段が潰されたことを受け入れなければならなかった。鬼道に進言すれば、何か状況を変える手立てが得られることを期待していたが……。鬼道は、妹や大切な人がどんな目に遭うのかを知りながら、総帥に従うことを選んだのだ。

 頼れない。それどころか共感することだってもうできない。決裂、という言葉が胸を過る。この状況は自分の力で解決するしかない。自分がどういう結末を迎えることになったって。土門は震える自分の両手に視線を向ける。そして選択の恐ろしさに拳を握りしめた。
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