FF編 第六章
朝、校舎へと吸い込まれていく人の流れを逸れて、土門飛鳥は雷門サッカー部の部室へと向かった。この時間帯なら部室に誰も来ないだろうと予測してだ。誰にも怪しまれないように、ただ部室に忘れ物をしただけという体で向かってはいるが、彼の目的は人に明かせないものだった。
雷門中サッカー部各個人の、イナビカリ修練場における個人データの入手。それが帝国から、鬼道から命じられ土門が果たさなければならない最優先任務だ。情報管理に長けた音無を始め、マネージャーたちによって整理されたデータ。今の雷門中の実力が事細かに記されているものだ。これを手に入れ帝国に渡せば、土門の今回の任務は完了する。
案の定、誰もいない部室に忍び込み、目的のファイルを探す。特に隠しているわけでもないから、それは棚に整然と並べられていた。彼はファイルを手に取り、ページを繰って中を確かめる。求められているものはこれで間違いない。……しかし。
じわりと彼の額に汗がにじむ。土門の中に生まれた迷いが、これ以上の行動を躊躇させた。
地区予選一回戦から、帝国の為とはいえ雷門イレブンの一員として戦ってきたことになる。彼らと過ごす時間は、帝国での厳しい蹴落とし合いとは違った。新鮮で個性的で……、何よりもサッカーを楽しいと思えた。
帝国学園の仲間たちが薄情なわけではない。勝利主義である帝国の方針を除けば、少なくともレギュラーの選手たちは気さくな人間が多い。鬼道の完璧なゲームメイクによる、チームとして統率の取れたサッカー。それを悪しく言うつもりはない。
だが、雷門のサッカーは温かいのだ。円堂が中心に置く、ど根性と勢いのサッカーは土門にかつての友人を想起させた。雷門の一員として過ごすにつれて、彼は忘れていたサッカーに対する気持ちを思い出した。いつしか本気でこのチームでフットボールフロンティアを勝ち抜きたいと思うようになっていたのだ。
情が移った、というのが適切か。それとも秘密裏にスパイを投入しデータを手に入れる。勝つためならどんな汚いことでもやる帝国学園のやり方に疑問を抱いてしまったせいか。他でもない自分が、そのスパイだというのに。
大きくため息をついて土門は肩を落とした。ファイルを元の棚に戻して立ち上がる。わざわざ早朝に、人目を避けてここへやってきたが、結局彼は何もできずに部室を出た。
天候は晴れ、雲一つない快晴だが土門の心は鉛のように重く、どんよりと曇っている。帝国に従うか、それとも雷門にすべてを打ち明けるか……。このままでいいとは思っていない。とはいえ、洗いざらい打ち明けたところで受け入れられるわけでもない……。選ぶ権利は土門にあるが、どちらからも見限られる可能性だってゼロではないのだ。
「……?」
足元の砂地が彼の歩みに寄せて微かに軋む。そのとき、思いつめる彼の目に不審な影が映った。その影は裏門近くの駐車場の方。遠征用のバスが置かれている車庫のシャッターを潜っていった。ざわ、と嫌な予感が身体の奥で蠢いて土門はその影を追う。
シャッターを潜って車庫の中に入ると陽の光が遮られた。日差しの下よりも幾分冷えた空気が肌を指す。開いたシャッターの隙間から仄暗くも足元だけが光に晒される。外の喧騒からは切り離されたように車庫の中には静寂が漂っていた。息を殺し、土門は車の影に身を顰める。
その闇の中には音が響いていた。カラカラと地面と何か軽いものが擦れる音。それが止まると水音が続く。先ほどの人物がこんなところで何をしているのか。少なくとも雷門イレブンにとって害をもたらすことだろうと土門は推察した。土門は汗をかいた拳を握る。
水音が止むと、擦るような重たい足音が聞こえ始めた。誰かがこちらへ近づいてくる。土門は車の影から飛び出して、その人物の名を叫んだ。
「冬海先生!」
険しい土門の声が車庫の中に反響する。影はびくりと飛び上がったが、土門の姿を捉えるとあからさまに安堵の表情を見せた。その影の正体、冬海は両袖をまくり土埃にまみれた姿でそこに立っていた。土門から隠した右手にはスチール製のバケツを下げている。
「何だ、君ですか……。脅かさないでくださいよ」
「こんなところで何をしてるんです?」
土門は強い口調で冬海に問いかける。だが、土門が凄んだところで冬海は陰湿にニヤニヤするだけであった。答えるつもりはないらしい。
「いえ別に」
冬海は、土門と同じく帝国の息がかかったスパイだ。冬海はもうずっと、土門が帝国学園に入学する前から総帥に付き従っていると聞く。同じ立場の人間ではあるが、土門は冬海に好感を持っているわけはない。
「ああそうだ……。少し手伝いませんか、土門くん」
厳しい目を土門は冬海に向け続ける。冬海はすぐにもこの場を離れたいようだったが、それでも土門をちらと振り返った。
「……何をです」
「情報提供です。もし……、[#dn=2#][#dn=1#]さんの写真を持っていたら融通していただけませんかね」
冬海の声にぞわりと肌が粟立つのを感じた。土門は顔を引きつらせて冬海を睨む。
「学校から持ち出せるものがあればいいのですが……、生憎[#dn=2#]さんは転校してきて日が浅いですから」
学校側が保持している彼女の写真はない、と言いたいのか。だから、友人間で共有されている写真がないかを土門に尋ねているのだ。
――――[#dn=2#]の情報を集めているのは、鬼道さんの独断じゃないのか?
これまでそうだと思っていた。鬼道が渡してくる情報収集のリストに[#dn=2#][#dn=1#]の項目があるのは、[#dn=1#]が鬼道の特別であり、未だ鬼道が彼女を気にかけているからなのだと。実際、その推理は時間と共に有力だと思うようになっていた。だが……、冬海がこうして土門に尋ねるということは、もしかすると鬼道の一存ではないのかもしれない。
「なぜ、[#dn=2#]の写真なんかが必要なんです」
「さあね、私の知るところではありません。ただ、命令ですから」
張り詰めた緊張の空気が漂っている。冬海の口ぶりから、本当に彼女に対する興味は薄そうだ。少なくとも変質的な目的ではないのか。だが、帝国の命令だからと言って安心できるわけでもない。
土門は唾を飲み込む。無意識に手がポケットに入った携帯電話を撫でた。
[#dn=2#][#dn=1#]の写真は無いわけじゃない……。少なくとも一枚、この間鬼道に送った秋葉名戸での写真がある。
だが、土門の中で大きく警鐘が鳴っていた。冷や汗が首を伝う、明確な理由はないが差し出すことに抵抗があった。これは恋路を応援して鬼道に写真を送るのとはわけが違う。渡してしまったら、彼女が取り返しのつかない目に遭うような気さえしてくるのだ。
「……持ってません。そんなものは」
低く、土門はきっぱりと断言した。そうですか、と冬海は心底気だるげな様子で土門の隣をすり抜ける。
「……あ、そうそう」
シャッターを潜る間際、冬海は一度だけ振り返り、そして不気味な笑みを顔に浮かべた。
「一つだけ忠告します。このバスには乗らない方がいい」
その警告は帝国の犬である土門への最低限の情けであった。土門は唖然とし、車庫を出ていく冬海の後ろ姿を見送るしかできなかった。
残された言葉から、さっきまで冬海がこんな場所で何をしていたのかを理解した。そして帝国の下した無慈悲な命令と、雷門中サッカー部に訪れる最悪の未来を悟る。何も知らずにこのバスに乗ったものが迎える末路を。
「これが総帥の御命令か!」
卑劣で汚い。勝つためには誰がどうなろうと関係ないというのか。やり場のない憤りがこみ上げ、土門はバスを足蹴にする。
「くそっ! どうすりゃいいんだよ!」