FF編 第四章
かくして密かに必殺技の練習を始めた風丸と[#dn=1#]であったが、実際何もかも手さぐりな状態であった。やはり他の選手の技を参考にできない環境のせいで雲をつかむような状況であった。
過去の試合を調べれば何か参考になる資料があるかもしれない。[#dn=1#]はそのように考えもしたが、過去の中学サッカー大会の動画データは数が少ないうえにどれも帝国学園の存在がチラつく。……少し、時間が掛かりそうだった。
雷門中サッカー部の必殺技の練習禁止令は今なお続いている。今日もほとんど基礎練習と体力づくりのみで終了時間を迎えてしまった。
片付けを終えた頃には空はすっかり茜色に色づいて、裾には夜が滲み始めていた。あとはもう家に帰るだけだ。
「また明日ね、一郎太くん、みんな。気をつけてね」
「ああ、また明日な」
「[#dn=1#]も気をつけて帰れよ」
別れの挨拶をしながら風丸、円堂、豪炎寺に[#dn=1#]は手を振る。
普段なら[#dn=1#]は風丸と一緒に練習をしたり、そうでなくても一緒に帰ることが多い。ただ今日の風丸は彼らと約束があった、一緒に行きつけのラーメン屋雷々軒へ寄っていくのだという。
前々から噂に聞くラーメン屋には少々興味があるが、男の子同士の付き合いを邪魔してまで着いていきたいとは思わない。
風丸たちと別れ、[#dn=1#]はひとり帰り道を歩き始める。今日は帰ったら何をしようか……、彼女の頭は帰ってからの練習メニューでいっぱいだった。
河川敷でスプリントの練習もたまにはしたい。だけどボールコントロールの精度を上げるためには……。やりたいことが多すぎて圧倒的に時間が足りない。
少しでも時間を捻出するためにと帰りを[#dn=1#]は足を速める。しかし彼女の足は校門を出たところでピタリと止まった。
「あっ……」
声を上げ、[#dn=1#]は鞄の中に手を入れて中を探る。ごそごそと一通り鞄の中をひっかきまわした後、彼女は渋い顔をして回れ右をした。携帯電話をどうやら部室に忘れてしまったらしい。
一日くらいなくたって困りはしないが携帯電話は個人情報の塊だ。マネージャー用の棚に置き忘れた記憶があるが、鍵のかかる場所ではないことも気がかりだった。
幸いにしてまだ校門を出たばかりだ。引き返したところで大したロスにはならない。
足早に部室の前まで戻った時には、さきほどに比べ明らかに人の気配が少なくなっていた。サッカー部の部室の辺りには誰の姿も見えなかった。それもそうだ、[#dn=1#]たちが部室を出たのはほとんど最後の方だった。
あの時は誰が残っていたか……。すでに施錠されていて扉が開かなかったら、職員室まで鍵を借りに行かなければならない。
外から見る限りでは部室の明かりは完全に落とされていて、部屋の中には誰も残っていなさそうだ。職員室にいかなければダメか、と[#dn=1#]は諦め半分でドアノブに手を掛ける。
「……? あれ?」
しかし予想外にも古びた金属音と共に軽くドアノブが回る。少し力を籠めると部室の戸はすんなりと開いた。
電気は消えているのに……? ドアノブを握ったまま彼女は首を傾げる。最後に出た誰かが鍵を掛け忘れて帰ってしまったのかもしれない。不用心なことこの上ないことだけど……。
そんなことを思いつつ、[#dn=1#]は扉を押し開き部室の中に滑り込む。あとは携帯を回収して帰るだけ、それだけのはずだった。
部室の中に入って[#dn=1#]はハッと息を呑んだ。やはり部屋の明かりは消え、窓から差し込む橙色の光が部室を浸している。
しかしそれよりも遥かに煌々とした光源が部室の中心にあった。ノートパソコンの青白いディスプレイから零れる光。そして、そのパソコンの前に座っているのは。
「土門、さん……」
「……[#dn=2#]」
[#dn=1#]との遭遇に目を丸くした土門が薄く口を開く。彼をぐるりと囲うようにして、部室の床には選手に関する資料が散乱している。
ノートパソコンのキーボードに手を置いた土門の酷く強張っていたが、部室へ入ってきたのが[#dn=1#]だと分かると彼は目に見えて肩の力を抜いた。
「なんだ……。まあ、[#dn=2#]ちゃんならいいか」
「……」
ふうー、とわざとらしくため息をつき土門は作業を再開する。[#dn=1#]に見られたことは一切気にも留めていないようだ。
……彼の態度から明らかなことがいくつかある。[#dn=1#]は素早く棚から目的の携帯電話を手に取って握り締めた。壁に背を預けながら警戒と共に彼に問う。
「何を、しているんですか?」
ちら、と土門が面倒くさそうに[#dn=1#]を一瞥する。だがたじろぎながらも[#dn=1#]は引き下がりはしない。
本当は聞かずとも分かっていた。この対面を[#dn=1#]はずっと避け続けていたのだから。床に散らばった資料、明かりを落としこんな風にコソコソとしている土門の態度を見れば十分だった。彼が帝国学園に在籍していたこと、そして何よりも……。
かつて囁かれた鬼道の言葉から、何もかも明らかだった。
「それは、総帥に……?」
「ん、正確には鬼道さんに。鬼道さんがチェックして、価値がある情報を総帥に報告するらしいぜ」
久々に聞いたその名前に[#dn=1#]の表情が一瞬強張る。
……ずっと、ずっと悩んでいた。帝国から差し向けられたスパイの存在を知りながらどう立ち回るべきか。何度も鬼道からの期待と大切な人の存在を天秤にかけて考えた。
今ここに、こういう状況になった以上はっきりさせておかなければならないことがある。
「土門さん……、私」
「……?」
厳しい視線と共に[#dn=1#]は唇を引き結ぶ。
「土門さんが帝国のスパイだってこと、みんなに告発するつもりです。このまま黙ってるつもりはありません」
毅然とした面持ちで、[#dn=1#]は淡々と決意を込めた言葉を吐く。これが悩んだ末に出した彼女の判断だった。
鬼道の頼みを無視したくない、彼の信頼を裏切りたくない。未だに心の中で鬼道の存在が[#dn=1#]を大きく揺さぶる。だがそれ以上に風丸を不利な状況に晒したくないと強く思った。
「鬼道さんにも伝えてください。……たとえ貴方の頼みでも、私は雷門中のマネージャーとしての当然の行動をとる、と」
[#dn=1#]の考えた苦肉の策は、土門を通じて己の意志を鬼道に示すことだった。これも彼の期待に背くことにはなるが……、何も言わずに裏切るよりは筋が通る。
浅はかかもしれない、しかしこれが彼女の最善手だった。
「……」
土門は不可解とばかりの表情を浮かべて少し黙り込んだ。やがて土門はおもむろに腰を上げて[#dn=1#]の前に立ちふさがる。彼の表情は難渋が浮かぶ。
「あのさ、[#dn=2#]ちゃん。……鬼道さんからアンタに伝言があってさ」
土門の手が[#dn=1#]の肩に置かれ、言葉が静かに続く。
「お前が元帝国学園の生徒であるということを総帥は知っている。……もしお前がバカな行動をとればお前はもとより、お前の恋人がどうなるかわからないぞ。……だと」
携帯電話を握る手が震えた。[#dn=1#]は唇を噛んで視線を落とす。
「そんな……」
すでに自分の心が見透かされ策を講じられていることもショックではあったが……。何よりも鬼道が脅迫的な言葉を土門に預けていることに深く傷ついた。
鬼道は……、目的のためならこちらの気持ちにはお構いなしだ。でも本当に彼がこんなことをいったのだろうか。
けれど帝国で過ごした日々の中で彼はいつも[#dn=1#]を気にかけ、[#dn=1#]が求める言葉を掛けてくれた。脅迫をするような人だとは到底思えない。
それともあの日々がおかしかったのか。思いを告げ、踏みにじられてからの鬼道が本当の彼の姿……? [#dn=1#]には鬼道の真の姿が見えなかった。
胸の痛みに呼吸すら堪えようとしている[#dn=1#]を気遣って土門が身をかがめる。
「あのさ、[#dn=2#]ちゃん。俺が思うに鬼道さんの言葉、脅迫とかじゃなくて鬼道さんなりの心配だって。……鬼道さん、アンタのことかなり気にしてる」
息を呑んだ[#dn=1#]の瞳が動揺に揺れた。
「鬼道さんは……。私のことなんて、何とも思ってません」
彼女の肩に宥めるつもりで触れ、そっとその顔を覗きこむ。吐き捨てるように呟いた[#dn=1#]の表情は悲しみを湛え、瞳には深い傷心が映りこんでいる。……まったく、意味が分からない。
――――いや、マジで意味わかんないって。
土門は状況の読めなさに困り果てて頭を掻く。
そもそも[#dn=1#]が妙な宣言を始めたところから何かおかしいと思っていた。むしろもっと前から、[#dn=1#]があの鬼道のお気に入りだと気が付いた時点で土門には色々と納得できないことばかりだった。
ここまでの土門の言葉に嘘はない。鬼道が自分に託した伝言は、彼が[#dn=1#]の身を案じての忠告だと思っている。それに鬼道が[#dn=1#]のことをかなり気にかけているのも事実だ。でなければ帝国からの情報収集リストに”[#dn=2#][#dn=1#]”の項目があるわけがない。
土門は日々、鬼道に定例の報告を電話で行っているが、一度だけ鬼道が[#dn=1#]について聞いてきたことがある。”[#dn=2#]はどうしている”と。
そこに疑問は抱かなかった。[#dn=1#]が帝国にいたとき、見るからに彼女は鬼道にとって特別だったからだ。[#dn=1#]の瞳にも明らかな鬼道への心酔が見て取れた。冬の頃には学則に背いた禁断の恋などと密かに囁かれてもいた。
だから、鬼道に対する彼女の素っ気なさが土門には不可解だった。
「電話とか……、えっと鬼道さんから」
そういえば……。ちら、と土門は[#dn=1#]の胸元の握り締められた携帯に視線をやる。先日こっそり鬼道に[#dn=1#]の電話番号を渡したことを思い出した。あれからしばらく経つ、鬼道から連絡があってもおかしくない。
しかし彼女は瞳にうっすら悲哀すら浮かべ土門から視線を逸らした。
「……連絡先知りませんから」
「……え」
連絡先を知らない? 噂が立つほど仲良くしておいて今時連絡先一つ交換していないなんてことがあるのか? 土門は[#dn=1#]の答えにますます混乱した。だが[#dn=1#]の答えが真っ向から嘘だと批判できないとも思った。だから、鬼道さんは俺に連絡先を調べろっていったのか……?
二人の関係って……。バクバクと心臓が激しく脈打つ。真相に迫らないでいることが土門にはできなかった。
「[#dn=2#]ちゃんは、鬼道さんと両想いだったんじゃ」
「違う! 鬼道さんは……っ、欠片ほども私に興味はないと、お前なんかよりサッカーが大事だって……」
感情的になった[#dn=1#]が土門の手を振り払った。土門を押しのけた[#dn=1#]の目には褪せることのない苦しみが浮かぶ。
だがすぐに我に返って表情を青ざめさせた。いうべきではないことを言ったと彼女は手で口元を押さえる。土門は何も言わなかった。いや、何も言えなかった。
「今のは、忘れてください……」
気まずい空気に耐え兼ねて[#dn=1#]は、土門の顔を一度も見ることなく部室を飛び出していった。
残された土門は衝撃の事実に動くことができなかった。表情は驚愕を浮かべ、彼女が口走った言葉の余韻に硬直させられていた。……いや、だって、まさか。
「嘘だろ?」
冗談じみた話過ぎて思わず渇いた笑いが零れてしまう。
――――鬼道さんが[#dn=2#]を振る?
何度も言うが彼女は鬼道のお気に入りだったのだ。[#dn=1#]が鬼道を振ったというのなら、多少疑問が残れど信じられない話ではない。
だが逆ならば話は別だ。鬼道が[#dn=1#]を振るなんてことが本当にあったのか? にわかには信じられない。
あんなに彼女の前でだけは柔和に笑ってすらいたのに、今だってずっと[#dn=1#]のことを気にかけているのに。[#dn=1#]へ向ける鬼道の特別な感情が薄れているとか、そもそも勘違いだとはとても思えない。
「……」
とはいえ、先ほどの[#dn=1#]の態度も……。
彼女は今、風丸一郎太と恋人関係にある。彼女の言葉をそのままそっくり信じてしまうなら、鬼道への気持ちを振り切って風丸との恋を選んだってことになるはずだ。
過去を割り切れているのならば。それも鬼道に気持ちを傷つけられたのなら……。鬼道に対して義理を立てる必要は微塵もないし、鬼道の言葉にあんなに感情を揺さぶられる必要はないはずだ。
それだけではない、鬼道について語る[#dn=1#]の言葉の端々から鬼道へ向けられた特別な想いを感じた。邪推するならば……、[#dn=1#]がまだ鬼道のことが好きなように土門には感じられた。
どういう状況なんだ? 何か理由が、それとも策略があるのか?
不可解なことばかりだ。鬼道の行動も、[#dn=1#]の想いも。俺が首を突っ込んでいい話じゃない……。そう思いながらも土門はこの謎の真相を知りたいと思わずにはいられない。
[newpage]
放課後の遭遇以降、またも[#dn=1#]は土門との対面を再び避けていた。
給水機のレバーを引きドリンクボトルに水を汲みながら、[#dn=1#]は昨日勃発した出来事を思い返す。ボトルの中で水が跳ね、ドリンクパウダーと混ざり合う様子を眺めていると苦々しさが胸の奥に疼く。状況を打破できなかったからだ。
唯一の一手を塞がれてしまった今となっては、[#dn=1#]は土門の存在を黙認することしかできない。告発するのは簡単かもしれない。
……しかし帝国は冷酷なのだ、脅しは決して口先だけのものではないだろう。報復を受けるのが自分だけならまだしも風丸がその対象になる可能性は看過できない。風丸を危険に晒してまで行動には移せない。
今この状況でせめてできることは土門の行動に注意を払うことくらいか……。
『……鬼道さん、アンタのことかなり気にしてる』
昨日の土門の言葉が頭を過って手が止まる。プラスチック製のボトルを持つ手に知らずのうちに力がこもった。
土門が発した言葉は[#dn=1#]を懐柔するための嘘に過ぎないと分かっている。なのに、自分の気持ちとは裏腹に心が揺れた。
[#dn=2#]、とあの人が自分を呼ぶ声が鮮明に思い出せてしまうのが恨めしい。心を掌握する赤い眼差しが微笑を向けてくれる姿さえ脳裏に容易く浮かぶ。
陸上も勉学においても鬼道は[#dn=1#]の成長を支えてくれていた。帝国学園にいたときは本当に気にかけてくれていたと信じていた。
『[#dn=2#]ちゃんは、鬼道さんと両想いだったんじゃ』
――――違う。
過去に引きずられそうになる思考を振り払おうと[#dn=1#]は被りを振る。いつまで引き摺っているつもりだと己を叱責する。
間違いなくあの日、鬼道さんは私の想いを一切拒絶したのだ。それがすべてだ。
そっと唇に残った記憶に触れる。前回会った時の彼の言葉の数々や理解不能な行動は……、あれは私をコントロールするための手段に過ぎない。私を自分の駒とするための。
――――いつまでも鬼道さんの影を追うのはやめなきゃ……。
鬼道さんが何を考えていようと。今、私のそばにいるのは鬼道さんじゃない、一郎太くんだ。こんな私を受け入れてくれ、支えてくれる優しい彼のために。私は自分ができることをやるだけだ。
ぴしゃりと自分の頬を叩いて己を律する。チラと部室にかかった時計を見て、[#dn=1#]は雷門夏未からの集合がかかっていたのを思い出した。
遅れるわけにはいかない。[#dn=1#]は残ったボトルを片付ける。そして駆け足で指示された場所へと急いだ。
雷門中の敷地内の片隅、マネージャーを含むサッカー部の部員たちは雷門夏未に呼び出しにより集合していた。
あまり訪れたことのない場所というのもあって[#dn=1#]はきょろきょろと辺りを見渡す。ここは体育館裏か、校内の中でも木々が並び周囲の草が伸び放題なのもあってあまり人は寄り付かないだろう。
湿っ土の匂いが鼻を突く。少なくとも[#dn=1#]はこんなところに足を運んだことはなかった。
「不気味なところ……」
不思議と肌寒さが腕を這って[#dn=1#]は己の腕をさする。曇り空のせいか周囲は暗く景色が陰鬱に見える。どこかおどろおどろしい空気感は、まるで”出そう”な雰囲気をこれでもかと漂わせていた。
一部視界の開けた場所には四、五メートルほどの盛り土があり、その中心にはイナズママークの刻まれた鉄製の扉が固く閉ざされている。その出で立ちは防空壕を彷彿とさせた。おおよそ、学内施設としては異質な存在感。
「ここは雷門中学七不思議のひとつ、開かずの扉。昔、ここで生徒が忽然と姿を消してしまった。それ以来ここに入ったものは二度と戻ってこないという……」
部員たちが目金の怯えた解説に各々反応した。ぎょっと顔を強張らせ生唾を飲むもの、目金と同じように表情を引きつらせ、視線を泳がせるものもいた。
[#dn=1#]も無意識に唇をきゅっと結んだが、恐怖よりも先に彼女の興味を引いたものがあった。七不思議……? イマイチピンと来なくて首を傾げる。
「ね、一郎太くん。七不思議って?」
傍にいた風丸に詳細を尋ねてみる。目金たちの怯えように苦笑しているところを見ると風丸はあまり怖がってはいないようだった。風丸は[#dn=1#]の方に視線を寄せるが複雑そうな顔で髪を揺らす。
「ん? ああ、俺はあんまり詳しくないんだが……」
「どこの学校にでもあるようなやつとそう大差ないよ。誰もいない音楽室からピアノの演奏が聞こえてくるとか、人体模型が動くとかさ」
言葉を詰まらせた風丸の代わりに、近くにいたマックスが肩を竦めながら答えた。[#dn=1#]はふうん、と興味があるとも言えない呟きを返した。
どこの学校にもとはいうが、帝国学園では七不思議があるなんて話は聞いたことがなかった。[#dn=1#]にそんな話ができる友人がいなかっただけ、ともいえるか。
ともかく雷門中の七不思議に関してマックスはどうやら余裕綽々のようだ。怯える部員たちに向けた彼の目には愉快そうな色が見える。
「もしかして、[#dn=1#]怖いのか?」
口数の少ない[#dn=1#]を半田が茶化すような目で見た。すかさずマックスが自分だってさっき怖がってたくせに、と半田を肘で突く。そのやり取りに笑いながら[#dn=1#]は首を横に振った。
「不気味だなとは思うけどあんまり怖くはないかな。……だって中に入らなかったらいいんだし」
開かずの間ならそもそも扉が開かないよね、とくすくす[#dn=1#]が笑う。皮肉で返せるくらいには彼女にも余裕があった。
他のマネージャー、秋と春奈は怖がって互いに身を寄せ合っているのに[#dn=1#]は平然としている。そんな彼女の様子にマックスがニヤッとしながら頭の後ろで両手を組んだ。
「可愛くないなあ」
もうちょっと怖がったら面白いのに。と言わんばかりの口調だったが、[#dn=1#]は首を横に振るだけだった。この場にひとりだったら話は別かもしれないが、これだけ人がいる状況で怖がれというのも難しい。そもそも幽霊や怪異をあまり彼女は信じていない。
それに雰囲気だけで言うのなら、帝国学園の廊下の方が別の意味で[#dn=1#]にとっては恐ろしかった。
他愛のないやり取りをしていると、ふっと風が止んで周囲のざわめきが消失した。
ギ、ギギ……とどこからともなく地面を伝って不気味な異音が響く。その場にいた全員の視線が例の扉に釘付けになった。
音の発生源はどうやらその扉のようだった。外開きの扉がひとりでに低い金属音を立てながらゆっくりと動き始める。[#dn=1#]も咄嗟に扉の方へと警戒を露わにし身構える。
それは彼女の左隣にいた風丸も同じだった。
「ギャーー‼」
「キャーー‼」
「うわああああああああああ‼」
開かずの扉と噂されていたそれが開いた瞬間、様々な悲鳴、絶叫が林の中に木霊した。
扉が開いた衝撃よりもチームメイトのその声の方に彼、風丸は驚いて顔をしかめる。耳が劈くような叫びから逃れようと耳を塞ぐために手を持ち上げる。
「……?」
ユニフォームが突っ張ったような感覚がして風丸は違和感に眉を顰める。何か引っかかってるような……、ユニフォームの首元と左腰あたりが微かにしまった感覚があるのだ。
怪訝に思いつつ、風丸は原因を探して視線を落とす。そして目を見張った。[#dn=1#]の左手がきゅっと風丸のユニフォームの裾を縋るように握っていたのだ。
さすがに今のにはびっくりしたのか。彼女の方をみると[#dn=1#]は固く目を閉じて俯いていた。みるからに驚いたらしい彼女の姿、[#dn=1#]の心を想像して風丸はふっと表情を緩める。
……[#dn=1#]、もしかして。
「皆、そろったわね」
開かずの扉の中から現れたのは夏未だった。彼女の背後には扉の奥には暗く深く、地下へと続く階段が伸びている。夏未はサッカー部員たちに下へと降りてくるように指示してまた扉の奥へと消えて行った。
少なくとも幽霊だとかそういう類ではなかった。ほっと安堵した選手たちがぞろぞろと夏未を追いかけ階段を下り始める。
風丸は未だに自分のユニフォームの裾を握っている[#dn=1#]の手に触れる。そして少し冷えた指先を握り締めた。
「怖かったのか?」
風丸が微笑みかけると、[#dn=1#]は面映ゆそうに視線を逸らした。その頬は赤い。
「……みんなの声に、びっくりしちゃって」
消え入りそうな声で[#dn=1#]が呟いた。恥じらいに染まった頬がますます紅潮する。さっきまで散々怖くないと言っておいての今だ、それにさっきの言葉もちょっと言い訳じみていた。
それを子供じみた振る舞いだと思ったのか、[#dn=1#]はもう何も言わなくなってしまった。今や彼女は頬だけではなく耳まで赤くなってしまっている。
この上ない羞恥心で顔を伏せる[#dn=1#]を見て風丸はふっと頬を緩ませる。いじらしい彼女の行動は風丸の心を簡単にくすぐる。普段は凛としている[#dn=1#]だからこそ、こういうギャップがなおのこと愛おしいとさえ思った。
「行くぞ」
握り合わせたままの手を引いて歩き始める。近くにいた豪炎寺が追い抜きざまに[#dn=1#]の肩を叩いた。
「意外と可愛い奴なんだな」
らしくない言葉を吐いた豪炎寺の表情には[#dn=1#]をからかう悪戯っぽい笑みが浮かぶ。[#dn=1#]は豪炎寺の指摘を受けて口元を結び、空いている左手で口元を隠して目を伏せた。
……意外と、じゃないけどな。
豪炎寺の言葉に心の中で訂正を加えながら風丸は[#dn=1#]を見つめて目を細める。
「……恥ずかしい」
どちらともなく握り合わせたお互いの手に力がこもった。