FF編 第一章
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最初にゴールラインを越えたのは自分ではなかった。
――――負ける気なんかなかった。たとえ相手が男の子でも。
スタートダッシュは成功した。一番に前に飛び出たのは自分のはずだった。何もミスなんかしていない。むしろいつもよりも調子が良かった。自己ベストに迫る走りだったと自負している。
それなのに、あっという間に風のようなスピードが簡単に自分を追い越していった。速い、と花織がそう思った時にはどうにもならなかった。花織は視界の中で揺れる青髪が前方で舞うのを見ていることしかできなかった。
「はぁ…っ、は」
膝に手をつき、乱れた呼吸を整えようとする。動揺が抜けない息も思った以上にうまくできない。ゆっくりと顔を上げ、一着でゴールをした風丸を見る。
少し肌寒い春の風に青が揺れている。その色は晴れ渡った空のようにどこまでも爽やかに見えた。嫌味なんてまったくなくて……、むしろかっこよくて。それが余計に花織の中の悔しさを増幅させた。
相手は男の子だ。常識的に考えて女子である花織が勝てる可能性は高くない。そんなことは端から理解していた。勝てなくて当たり前だと知っていた。何のために競技が男女で分けられているのか、それが何よりの答えで間違いはない。
だがそれでも、花織は風丸に敗北したというショックを飲み下せないでいる。
「うわあ! 月島さん速かったです、女の子なのに」
宮坂が感心した様子で花織に言葉を掛けた。宮坂にはなんとか辛勝したが、とても喜ぶことはできない。
「ありがとう。でも、風丸くんには負けちゃったな」
花織は一着にはなれなかった。取り繕って笑って見せたが、花織の心の中は未だ穏やかではない。
――――負けたくなかった。
しかも後ろから追い抜かれたのだ。百メートルしかないコースで、スタートで勝っていたくせに。彼はどんな走りだった? 後ろ姿しか見えなかった。私はこれ以上ないくらい必死だったから。
どれだけ距離が離れていたんだろう、一番から。
花織は込み上げる悔しさに拳を握った。頭の中に響く声が忘れられない。帝国の誰より、と自分を支えてくれたあの人の声が。
一番じゃなければ、きっとあの人の目に留まれない。負ければその他大勢と変わらない。敗者に価値はない、あの人もそのチームも身をもってそれを証明し続けていた。実際あの人たちは無敗だ、四十年の歴史を継いで。
…………私の誇りはあの人に目をかけて貰えたこの足だけだ。あの人は私のほか全てを否定しても、走ることだけは否定しなかった――――。
「月島」
「……えっ?」
肩に触れられて花織は思考から意識を取り戻した。ちらと声の主の方を見ると風丸が自分を見つめている。どうやら考え込むあまりぼうっとしてしまっていたらしい。
これまであまり大会に出ていなかったとはいえ、出れば大抵負けはなかった。そのため、先ほどの大敗はそれだけ花織にとって衝撃的だったのだ。
「あのさ、その。もし、月島さえ良かったらこれからも時々一緒に走らないか?」
「え、でも」
突然の申し出に花織は答えを言い淀む。思いにもかけない言葉だった。花織としては風丸の走りをきちんと見て研究したい。それを自分の走りの糧にできたらと利点がある。だが、風丸にとっての利は花織には思いつかなかった。
私は貴方に劣る、大敗した。邪魔にしかならないのに。
そう口を開きかけた花織の言葉を封じたのは風丸の笑顔だった。彼は優しく花織を見つめていた。
「入山さんと走ってるときから、月島の走りをすごいと思ってたんだ。今一緒に走ってそれがもっと良く分かった」
花織はギュッと握った拳にさらに力を籠める。
風丸の口ぶりは花織の走りを嘘偽りなく賞賛していた。声にも表情にもそれが分かる親しみと熱意があった。花織と一緒に走りたい、心からそう思っているのだと目を見るだけで思わされた。
……なぜ、こんな自惚れたことを考えてしまうの? それとも本当にこれが彼の……?
「一緒に走った方が俺たちお互いを高めあえる。……そう思わないか?」
自分の走りを認めて肯定してくれている。疑わずにそれを信じるのならば、花織に彼の提案を否定する理由はなかった。
「……うん」
ありがとう、と微笑む風丸につられて花織も表情を柔らかくする。私もこの人の走りを知りたい、もっと。花織は風丸を見つめる、彼の方も花織を言葉なく見つめていた。
「え、ちょっと待ってください……?」
ふたりの視線が外れたのは宮坂が何かに気づいたふうな声を上げたからであった。
「……それって俺じゃ不足ってことですか⁉ 風丸さん!」
風丸が花織に掛けた言葉の意図を宮坂が迫る。そんなことは言ってないだろ、と風丸が苦笑を漏らしながら宮坂を宥めた。
賑やかでこれまでの自分の世界にはなかった光景が今、花織の目の前に広がっている。なんだか言いようもなく微笑ましくて花織はくすっと表情を和らげた。