FF編 第三章
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あくる日、花織が移動用の鞄にボールを詰め込んで部室を出たとき、そこに選手たちの姿がなかった。今日は練習場所を抑えられなかったからこれから河川敷に移動するのだと思っていたが……。
遠くから野球部と思しき部活の掛け声、ボールがバットの芯を捉える音が響いている。サッカー部もいつもなら練習に入っている時間帯だ。
しかし部室の周囲を見渡してみても、他の部の生徒や下校する生徒の姿はあるもののサッカー部の誰の姿も見つけられない。花織は部室の脇でドリンクの用意をしていた秋の傍に歩み寄って彼らの所在を尋ねた。
「あれ、みんなはどこ?」
秋は花織を見て微笑みその疑問に答える。
「皆、理事長室だって」
「理事長室……? 急にどうして?」
理事長室などますます不可解だ、縁のない場所だろうに。不思議とばかりに花織が首を傾げると秋はドリンクの準備をしながら続けた。
「円堂くんのお祖父さんの秘伝書があるんだって。だからみんなで潜入中」
「あぁ、必殺技の……?」
「そう」
秘伝書、と聞いて花織は今朝の登校時に風丸と話した会話を思い出す。
昨日、円堂と寄り道をしていた彼は、行きつけのラーメン屋の主人に「イナズマイレブンの秘伝書がある」という話を聞いたと言っていた。きっと、彼らが捜しに行っているというのはそれのことか。
「潜入だって、みんなでね」
秋はくすくすと笑いながら皆が理事長室に向かった時のことを語った。十人もの男子中学生が身を隠すでもなく、ただこそこそと理事長室に向かっていたのだそうだ。
「へえ……。でも、潜入なのに大勢で行っちゃうんだ。……ふふ」
その様子を連想して花織も思わず口元を抑えて微笑む。大勢で向かったのならこっそりしたって無意味なのに。なんだか小さな子供みたいだと花織は思う。
もしかして彼も、風丸もその中にいて、こっそり理事長室への潜入を図っているのだろうか。
いつも落ち着いていて大人びてすらいる彼の、普段は見せない子供じみたところ……。想像してみると体の内側から無性に愛おしさがこみ上げてくる。
……見たかったな。花織は想像を膨らませながら肩にかけた鞄のひもをギュッと握り締める。意外と熱血で、キャプテンである円堂の誘いだったらすぐに乗ってしまう彼を。
「あ、花織ちゃん。風丸くんのこと考えてるでしょ」
花織の心を秋は鋭く言い当てた。花織は驚き、咄嗟に両手で口元を覆う。
「え、どうして……?」
「わかるよ。風丸くんのことを考えてる時の花織ちゃん、なんだか幸せそうだもん」
頬が熱い。秋の言葉を受け、花織は照れくささを感じながらも、しかし穏やかに目を伏せる。
幸せそうに、見えるんだ。風丸を想う自分がどんな風に見えているかを考えたことはない。けれど秋の言葉を否定するつもりはない。
風丸のことを考えると勝手に頬が緩む。彼の喜ぶ顔が見られたら、優しい微笑が見られるのなら。そのためなら何でもできる、と思えることがある。
自然に湧き出てくる気持ちが花織のかつての痛みを忘れさせる。花織の世界は、明確に変わりつつあった。
「あれ? 土門くん?」
校内放送のチャイムが鳴り、秋と花織は校舎を振り返る。ふと、秋の視線が止まり呟く。
「みんなと一緒だと思ったのに。どうしたんだろう……」
秋の口から零れた名に花織もちらと視線をやる。正門グラウンド脇の青々とした並木道を駆けている少年は確かに土門だった。
花織は硬い表情で彼の後ろ姿を見る。彼はランニングをしながらそのまま足を止めずに行ってしまった。
……彼は、みんなと一緒に理事長室にはいかなかったの? チームから離れて彼はどこに。彼に目的があるのだとしたら……。
不可解な土門の動きに推測はいくつか立つ。だが花織は根が生えたようにその場から立ち尽くしたまま、土門が姿を消した校門から目を逸らした。
***
待ち合わせ時間にはピッタリ着くはずだ。
土門飛鳥は軽く息を上げながら普段よりもスピードを乗せてランニングをしていた。
イナズマイレブンの秘伝書がある。これは重要な情報だった、有用性はどうあれ帝国学園が求めているものには違いない。
必殺技だとあれだけ盛り上がっていたのだ、誰も自分の不在に気が付かないだろうと土門は踏んでいた。密かにチームを抜け出して、さりげなくチームに合流すれば誰も土門を怪しむことはない。
校門に沿って雷門中学の外周を回って土門は目印を探す。人気のない通学路に響くのはランニングシューズがアスファルトを刻む音と彼の息遣いばかりだ。
学校を出て三つ目の角を曲がったところで土門はスピードを緩める。目的のものを見つけたのだ。
「よーし、ちょっと休憩」
わざとらしく呟いて彼は電柱に背を預けた。呼吸を整えながら、首にかけていたタオルを掴んで顔を覆う。
暑さのせいもあり汗が出る、だがタオルで顔を覆った理由はそれだけではない。土門はちらりと電柱の影へと視線を寄せ、周囲の気配を警戒しながら口を開いた。
「……円堂大介の秘伝書があります。しかし、円堂守以外の誰にも読めないので手に入れる価値はないでしょう」
低く囁く土門の声は風の音に消える。しかし伝達には何の問題もないようであった。土門は電柱に落ちた影を見ながら報告を続ける。
「それと、月島花織のことですが……。どうやらディフェンダーの風丸一郎太と恋人同士のようです」
「……」
恋人同士、土門がそう告げた瞬間、穏やかだった空気が微かに揺れた。電柱の陰、完全に気配を隠していたそこから一瞬、感情が漏れ出る。
姿、表情は土門からは見えなかったが、電柱の陰からのぞく彼の拳が強く握りしめられているのが見えた。それどころか微かに震えているようにも。
彼の、らしくない反応に土門は訝しげに眉を顰めた。
「……鬼道さん?」
土門の問いかけに彼の報告を聞いていた張本人、鬼道有人は何も答えなかった。
ただ土門の呼びかけに我に返り、冷静さを取り戻したようだ。もう感情は読めなかった。
「詳しいことはまた報告します。……とりあえず今はこれだけ」
土門は鬼道の反応を窺いながら、電柱に打ち付けられた広告の隙間にそっと紙切れを差し込む。
「よし、休憩終わり!」
再び大げさに言いつつ、土門はランニングを再開した。走り出した後、土門は一度たりとも後ろを振り返ることはなかった。
土門の足音が遠ざかって住宅の並ぶ狭い路地には、風が木の葉を擦り合わせる音のほかはなく静まり返る。
土門が去った静寂の中、電柱の影から鬼道は姿を現した。
情報の収集と定期的な報告、鬼道が土門に与えた指令だ。
すなわち、総帥の命令でもある。土門が得た情報を彼が他の事項の偵察も兼ねてここまで赴き、受け取りに来たのだ。土門の報告を精査して必要な情報を総帥へ上申する。
「……」
彼は、鬼道は深く眉間に皺をよせ、唇を固く結んでいた。
ゴーグルで瞳の色は隠されていながら、それでもどことなく悔しさと苛立ちを匂わせる。鬼道は硬い表情のまま、土門が置き去った紙切れを手に取って開く。
紙切れにはいくつかの数字が走り書きで綴られていた。そして、その番号の上に短く言葉が書いてある。”月島花織”と。
その文字に目を留めて、鬼道の眉間に寄せていた皺が消える。彼の指先がそうっと「花織」の文字に触れる。
手の中のメモを丁寧にポケットにしまい込みながら、彼は薄く唇に微笑を浮かべた。