FF編 第三章

 

「フットボールフロンティアー!!」 

 一日のお休みを経て、翌日。今日の雷門中サッカー部の部室は大盛り上がりである。

 部室の中央には声を張り上げる円堂、そしてはしゃぐ一年生の選手たちの姿がある。[#dn=1#]は部室の端で己のノートを確認しつつ、彼らの楽しげな様子を眺めていた。

 昨夜はフットボールフロンティア地区予選の抽選の日だった。満を持して今日、チームにもようやく対戦相手が発表されるはずだ。この浮かれ具合なら円堂はもうすでに対戦相手を知っているのかもしれない。

 [#dn=1#]は円堂から視線を逸らし恋人である彼の方へと視線を送る。彼、風丸は落ち着いた様相でテンションの高い円堂の姿を見守っていた。

 温厚でよく気が利いて、さらには面倒見の良い彼は率先して円堂のサポートを行っている。そのせいか、助っ人だというのに今やサッカー部の副キャプテンのようなポジションに収まっていた。

 あのような人徳は[#dn=1#]には縁が無かったものだ。陸上部でも宮坂をはじめとする後輩たちに慕われていた。

 決して華やかなカリスマ性があるわけではないが、穏やかな彼の人柄が成しているそのものだ。彼の姿は恋人の[#dn=1#]としても鼻が高い。

「で、相手はどこなんだ?」
「相手は……」

 風丸が円堂に問う。ああ、そうだ。肝心なところはフットボールフロンティア地区予選の初戦の相手。今日一番の注目の話題に[#dn=1#]も耳を傾けた。

 円堂はたっぷり答えを溜めると部室内に緊張を孕んだ沈黙が走った。ごくっと誰かが生唾を飲みこむ音が静寂に響く。

 何しろ初戦の相手だ。一回戦から帝国学園などの全国レベルの強豪に当たれば、苦戦を強いられるどころかほぼ前回の試合の二の舞になる。

 現在の雷門のチーム力と相対的に評価するのであれば、地区予選であれど強豪ばかりに感じるか。尾刈斗中のようにトリッキーなチームが当たるのであれば、あらかじめ情報を収集し対策を講じる必要もある。

 何にしたって相手を知らなければならない、勝利のために相手を知ることは不可欠だ。

「知らない!」

 しかし、ぎりぎりまで高められた緊張を打ち破ったのは円堂の想定外の言葉だった。拍子抜けのあまり思わずコケてしまいそうになる。

 彼はキャプテンなのだからもう知っているのだと思っていたし、知っているからこそこれだけはしゃいでいると思っていたのだが。

 間の抜けた空気が部室を満たす。[#dn=1#]も思わず苦笑しつつ肩を竦めるしかなかった。ちら、と他の部員の反応を見ようとすると隣にいた豪炎寺と目が合った。

 彼もまた何を言うでもないが呆れた様子で腕を組み、部室の壁にもたれている。

「野生中ですよ」

 部室内の空気を打ち壊すように戸が開く音がした。同時に珍しい声がして部員たちの意識が声の主に集中する。

 いつ見ても疲れたような風体、サッカー部の顧問であり監督の冬海教諭だ。[#dn=1#]は冬海の姿を見とめて眉を上げる。

 今日はこれから雨でも降るのか、珍しいこともあるものだ。[#dn=1#]はサッカー部に来てから日々欠かさずサッカー部の練習に顔を出しているが、これまで監督である冬海が練習に顔を出してきたことはなかった。

 いつも忙しいだのなんだのとブツブツ小言を言い、グラウンドはおろか授業以外だと職員室でしか姿を見ない。そもそもサッカー部に対してさほど興味を抱いているようにも見えなかった。

「野生中と言えば去年、地区予選の決勝で帝国と戦っていますね」

 冬海の言葉を受け、春奈が自分の調べたデータを見ながら呟いた。

 野生中……、[#dn=1#]は聞き覚えのある名前に視線を落としながら思案にふける。

 その決勝戦をもしかすると観戦していたかもしれない。去年のフットボールフロンティア、帝国学園で行われた試合は鬼道に呼ばれ、あの場所で観戦をしていた。

 帝国が圧勝した決勝の相手が野生中だったかと言われれば記憶は曖昧だ。あの頃は注力する部分がサッカーではなかったから、観戦していた試合内容に興味はなかったからだ。

 あの頃は、あの人の姿ばかりを……。脳裏に過った赤いマントの靡かせる姿を振り払おうと[#dn=1#]は軽く頭を振る。

 とにかくだ、決勝戦の相手がかなり個性的なチームだったことは覚えている。帝国が完勝したことは間違いないのだが……。

 しかし、[#dn=1#]の記憶は朧げでも春奈のデータから読み取れることがある。それは昨年の地区予選で決勝戦まで勝ち上がっているということだ。一年経ち代替わりがあるとはいえ、戦力は落ちていないと考えておく方がいい。

 となれば初戦で雷門が当たるには少し不安な学校だと言える。何せ、対帝国学園の件で知名度は上がっているが、雷門は未だ試合経験の少ない弱小校であることには違いない。

「初戦大差で敗退なんて、みっともない負け方はしないでくださいね」
「……」

 嫌味のような言葉を吐きながら冬海が部員たちを見た。部員たちは慣れているのか大して気にしていない様子だが、[#dn=1#]はその言葉が気に喰わなかった。

 ボールペンを強くノートに押し当て、ついつい食い込ませてしまう。ページの余白に黒いインクがジワリと広がった。

 決して最初から印象がいいわけではない、期待は一つもしていない。それでも[#dn=1#]は冬海に対して苛立ちを覚えることが度々あった。今もそうだ。

 冬海は仮にもサッカー部の監督だ。そのくせどうしてこれほど無神経な、選手たちの士気を落とすような発言ができるのだろう。

 もっと激励だとか、人間として常識的な応援の言葉はないのだろうか。考えれば考えるほど批判を募らせながら[#dn=1#]は冬海を睨む。

 そもそもこの監督にそんなことを期待する方が間違っているか……。

「落ち着け」

 険しい面持ちのまま、きつい視線を[#dn=1#]が冬海に向け続けていると囁き声と共にぽん、と肩が叩かれた。意識が逸れると、無意識に肩にこもっていた力が抜ける。

 [#dn=1#]の肩を叩いたのは豪炎寺だった。[#dn=1#]は我に返って少し気まずげに豪炎寺を見上げる。

「……顔に出てた?」 
「ああ、思いっきりな」 
「……ごめんね」

 どうやら感情が顔に出てしまっていたらしい。豪炎寺からの指摘に[#dn=1#]は恥じらいながら微笑む。

 クラスメイトである豪炎寺とは、彼がサッカー部に入部してからも不思議な距離感を保っている。

 彼が無口であることを考えればむしろ親しくしている方なのかもしれない。クラスでも部でもたびたび会話を交わし合うことがある。

「それから」

 こっそり[#dn=1#]と豪炎寺がやり取りをしていると、地区予選初戦の話から話題は移り変わっていた。冬海がちらりと部室の外へ視線を送ると、冬海の言葉を遮って誰かが顔を覗かせた。

「ちーっす、俺土門飛鳥。一応、ディフェンダー希望ね!」

 褐色の肌をした長身の少年がひょっこりと姿を現す。その姿に覚えがあって[#dn=1#]は息を呑んだ。

 ぎゅっとノートを胸に押し付け抱きしめる。反射的に髪を整えるふりをして、少年から自分の顔が見えないように手で顔を覆い隠した。

「……?」

 隣にいる豪炎寺が挙動不審な[#dn=1#]を見てあからさまに怪訝な顔をした。しかし今の[#dn=1#]は豪炎寺の方を振り返る余裕はない。ノートを押し抱く手が微かに震える。動揺の眼差しで[#dn=1#]は細身の少年を窺い見た。

 彼と、ここに現れた転校生とは言葉を交わしたことは一度もない。だが、彼が何者であるかを[#dn=1#]は一方的に知っていた。……あの場所で、鬼道から名前を教えてもらったことがあるからだ。

 土門飛鳥、彼は帝国学園サッカー部の選手だ。補欠ではあったが、一軍の選手だったから[#dn=1#]の記憶にもよく残っている。促拍になる息を堪えようと[#dn=1#]は俯いたまま唇を噛む。

 尾刈斗中との試合の日……あの時、鬼道が言っていた。近く、帝国からの密偵を送ると。ということはつまり、土門がきっとそれなのだ。

「土門くん」 
「あれ、秋じゃない?」

 しかし、[#dn=1#]が縮こまるのを余所に秋が土門へ親しげに語り掛けた。土門に対する警戒を高めていた[#dn=1#]は驚いて顔を上げる。秋だけではない、土門も秋を見るなり破顔した。しかも秋のことを名前で呼んでいる。

 ……二人は知り合いか、少なからず親密そうな空気だ。だけど、どうして……。

 帝国学園との試合の時もその後も、秋は帝国学園に知り合いがいるだなんて話はしていなかった。いや、むしろ帝国戦前からの秋の振る舞いを見る限り、帝国学園に知り合いがいるようなそぶりはなかった。

 では、個人的に親しいのだろうか。昔の友人で……、今はどうしているか知らない程度の……? ノートを持つ手に力がこもってページがよれる。

 [#dn=1#]はじっとふたりを観察して関係を図ろうとした。だが考えてみても答えは見つからない。

「[#dn=2#]はどう思う?」

 突然名前を呼ばれて[#dn=1#]はビクっと肩を震わせた。弾かれたように周りを見ると、部室中の部員たちが[#dn=1#]の方へと視線を寄せていた。いったい、何のこと……? 話しの脈略が掴めないで[#dn=1#]は困惑を浮かべる。

 困っている[#dn=1#]を見かねてか、[#dn=1#]に言葉を掛けた張本人である豪炎寺が[#dn=1#]にフォローを入れた。

「野生中について、だ。確か去年の地区予選決勝の会場は帝国学園だっただろう」

 帝国学園戦ゴタゴタもあって、[#dn=1#]が帝国学園からの転入生であることはうっすらと雷門サッカー部の部員たちにも知れている。

 すなわち、昨年度の試合を[#dn=1#]は見ていないかということなのだろう。野生中の情報を期待されているようだ。

 全く無知、というわけでもないが……。[#dn=1#]はさりげなく土門の方を確認する。

 土門はへらへらした態度で秋と話しており、[#dn=1#]のことなどさっぱり気に留めている様子はない。……鬼道には何も言われていないのかもしれない。

「ごめんね、よく知らないの」

 とはいえ、この場で迂闊なことは言うべきではない。動悸と共に身体が冷えていく感覚を覚えながら[#dn=1#]は口を開く。

 土門が[#dn=1#]のことを知らないのだとしても、元帝国出身だとバレてしまうとそれはそれで面倒なことにもなりそうだ。

「……私、その頃はサッカーに興味が無かったから」

 当たり障りのない答えを、平静を取り繕いながら[#dn=1#]は口にした。

 [newpage]

 ミーティング終了後、解散が告げられるとばらばらと部員たちが練習のためにグラウンドへ向かい始めた。[#dn=1#]は部員たちが部室を後にしていくのを見送りながらその場から動かずにいた。

 なるべく土門の目につきたくない、少し遅れて出ていきたい。[#dn=1#]はさりげなく荷物を片付けるふりをして部室のドアに背を向けた。

 これから土門が部員としてサッカー部に在籍する以上、いつまでもこんなふうにコソコソしているわけにもいかないのは分かっている。

 だが、こんなに突然では心の準備もできない。自分が、これからどう振る舞うべきなのかの判断も。

「[#dn=1#]」

 身を縮める[#dn=1#]を彼の声が呼ぶ。[#dn=1#]の傍にやってきた風丸は、そっと[#dn=1#]の肩に触れ彼女の顔を覗きこむ。

 彼の茶色の眼差しには目に見えて心配が浮かんでいた。どうやらミーティングでの[#dn=1#]の表情や様子に違和感を覚え、こうして声を掛けてくれたらしい。

「何かあったのか」
「一郎太くん……」

 普段、[#dn=1#]がミーティングで上の空でいることは一度たりともなかった。マネージャーという立場で選手の意見を理解するために、懸命に話を聞くことを彼女自身が心掛けている。

 だから先程の反応は実に彼女らしからぬことだった。

「さっきもボーっとしていたみたいだし。何か変だぞ」
「……えっと」

 風丸から視線を逸らす、部室の中にはもうすでに風丸以外の姿はなかった。他の選手たちもマネージャーもとっくに部室を出てしまっているようだ。

 早く行かなければ練習に差し障るかもしれない。それでも風丸は[#dn=1#]を心配して声を掛けてくれたのだ。

 そして今も、彼は[#dn=1#]のことが第一とばかりに彼女を見つめている。[#dn=1#]は風丸の眼差しを受けながら、何を言ったものかと口ごもった。

 雷門中サッカー部のマネージャーとして、風丸一郎太の恋人で彼のサッカーを応援するものとして。本当ならば、土門が帝国学園からの転入生でありおそらくはスパイなのだということを風丸に告白すべきだ。

 ――――土門飛鳥は帝国からの刺客。つまりは雷門の敵。

 風丸がこのチームで選手として頑張る以上、[#dn=1#]は雷門の勝利に貢献すると固く決めていた。密偵がいるというのなら告発しなければ、そうでなければ彼に対する裏切りだ。そんなことは分かっている。……だが。

 『賢明なお前なら黙っていてくれるだろう?』

 声に出して打ち明けようとすると彼の言葉が頭の中に響く。支配的でどことなく誘惑的な声、[#dn=1#]の動きを止める体温とそして心を縛る眼差し……。そのすべてが[#dn=1#]の行動を抑制し身動きを取らせない。

 『できるな?』

 まるで彼が傍にいるような克明さに[#dn=1#]の身体は固く硬直する。[#dn=1#]は震える息を吐いて唇を噛んだ。……無理だ、鬼道の命令に背くことなんてとてもできない。期待に添えなかったら、鬼道は自分に失望する……。

「ううん、なんでもない。……ごめん、なんだか頭ボーっとしてて」

 躊躇いは[#dn=1#]の口に蓋をした。[#dn=1#]はギュッと自分の二の腕を握る。当たり障りのない言葉で彼の心配を誤魔化そうと嘘をつく。

 罪悪感に胸が痛まないわけじゃない。それでも、どうしても本当のことを口にできない。[#dn=1#]が俯きつつ呟くと、風丸が表情を強張らせた。

「体調、良くないのか?」

 ガラスに触れるように慎重に、[#dn=1#]の額に風丸の手が押し当てられる。彼のひやりとした手が額に添えられると、[#dn=1#]はビクっと身体を震わせる。ゆっくりと顔を上げておそるおそる風丸の顔を見つめた。

 穏やかで温かみのある茶色。彼の眼差しには[#dn=1#]を慮る気持ちばかりが溢れる。そっと、[#dn=1#]の身体を支えようと背中に触れた手にも頼もしさがあった。

「熱は……、なさそうだが」

 至って真剣な彼の瞳に、[#dn=1#]は本当に熱でも出てしまいそうな気持ちになる。じわじわと火照る頬、こみ上げる激情に[#dn=1#]の瞳が潤む。

 そんなふうに見つめないでほしい……。風丸の瞳の純真さに耐えかねて[#dn=1#]は目を伏せる。彼に対し、忠実であれない自分の不義理さが[#dn=1#]は苦しかった。

 誠実でありたい。今すぐに彼に本当のことを伝えてしまえたら。自分のことをこんなにも大切にしてくれている人に。優柔不断で身勝手な自分を好きだと言ってくれる彼に。風丸から不利を遠ざけたくて仕方がないのに。

「……っ」

 喉元まで押し上げた言葉は、どうやっても薄く開かれた唇からは零れない。すべてはあの日の鬼道の言葉、そしてその言葉を支持する行為が[#dn=1#]の口を噤ませる。唇からは吐息が漏れた。それでも言葉にはならない。

 ……一郎太くん、ごめんね。

 何も言えない以上、[#dn=1#]が今風丸にできることはひとつもない。

「心配しないで。……早く練習に行かなきゃ」

 彼の心配に罪悪感を抱きながら[#dn=1#]は答えをはぐらかす。風丸は[#dn=1#]の言葉をわずかにも疑わず彼女に微笑みかけた。

「ああ……。だけど、辛いならちゃんと言ってくれよ?」

 自分を包み込んでくれる彼の優しさが、今の[#dn=1#]には眩しくて、そしてむしろ苦しかった。
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