FF編 第二章



 [#dn=1#]が気持ちを落ち着けてベンチに戻れた時には、すでに後半がスタートしていた。

 行方をくらましていたせいで秋や春奈には酷く心配されたが、[#dn=1#]はなんでもないよと愛想笑いで誤魔化した。何をしていたかなんて絶対に言えるはずもなかった。
 
 頭から離れないキスの記憶を振り払いたくて、後半は[#dn=1#]はいつもよりもひときわ大きな声援をチームに送り続けた。

 豪炎寺と染岡のわだかまりが解けたことにより、新たな必殺技ドラゴントルネードを生み出され、雷門中VS尾刈斗中の試合は雷門中勝利で幕を閉じた。

 そして雷門中は約束通りフットボールフロンティアへの出場権を手にしたのだった。
 
「俺たち、フットボールフロンティアに出られるんだな」
「うん。……おめでとう、一郎太くん」
「何言ってるんだよ、[#dn=1#]だってチームの一員だろ」
 
 風丸と帰路を共にしながら、今日の試合を語らい合う。心から勝利を喜び、嬉しさを共有しようと微笑みかける風丸に、[#dn=1#]は取り繕った笑みを浮かべる。

 今日、試合を抜けて鬼道に会っておいて、あまつさえあんな行為をしておいて。どんな顔をして風丸に笑いかければいいのか分からない。
 
「[#dn=1#]」
 
 ぎこちない[#dn=1#]の笑みをみて、風丸は[#dn=1#]の様子がおかしいことにすぐさま気が付いたようだった。
 
「なんかさっきから元気ないな。具合が悪いのか?」
 
 足を止めた風丸は[#dn=1#]と視線を合わせるように少し背を屈める。心配を浮かべた彼の茶色の瞳が、[#dn=1#]の目を覗き込んだ。


 陰りなど微塵もない、ただ自分を案じるばかりの彼の眼差しに[#dn=1#]は居た堪れなくなって俯く。

 心配される資格なんて私にはこれっぽっちもないのに……。
 
 膨れ上がる罪悪感にこのままだと押し潰れそうだ。けれど、何を言い出せばいいのか分からない。
 
「[#dn=1#]」
 
 心配ばかりを浮かべて風丸が[#dn=1#]を呼ぶ。風丸はそっと柔らかに[#dn=1#]の肩触れて、[#dn=1#]を気遣いながらも心に触れようとする。

 何も言わない[#dn=1#]から少しでも気持ちを汲み取ろうとする瞳が優しくて、眩しくて……。[#dn=1#]は胸の痛みに涙を浮かべた。
 
「一郎太くん……」
「どうした?」
 
 隠してはいられない、この事実を黙っているのはあまりにも狡い。
 
 もう今更、あの時の出来事はなかったことにはならない。だったら、せめて彼に対して誠実でありたい。[#dn=1#]はぎゅっとスカートの裾で汗を拭う。

「……っ」

 一度は向き合おうと面を上げたが、風丸の視線に耐えられなくなって視線を落とす。肩にのせられた彼の手に触れ、そっと握る。風丸の手に縋るようにして呼吸を静かに整える。
 
「[#dn=1#]……?」
「一郎太くん、ごめんなさい……」
 
 [#dn=1#]は小さな声で呟く。その謝罪の意図が掴めなかった風丸は、困惑した表情を浮かべて[#dn=1#]の表情を見ようとした。しかし[#dn=1#]は俯いたまま顔をあげられなかった。
 
「あの人が、今日の試合を見に来ていたの」
「……!」
 
 さっと風丸の表情が強張ったのが分かった。動揺に揺れた風丸の手が自分から離れていかないように[#dn=1#]は強く握りしめる。
 
「キス、されて」
 
 キス、と[#dn=1#]が告げた言葉は、思い切りシュートをぶつけられた時に似た衝撃を風丸に与えた。どうして、という疑問とやはりという考えたくなかった推測が頭を交錯する。
 
 尾刈斗中との試合で前半を終えたハーフタイム、[#dn=1#]の姿が見えなかった。時間もなくチームでの作戦会議があったから探しにまでいくことはできなかったが心配はしていた。

 後半の途中で戻ってきたようだったから一度安心はしていたが……。[#dn=1#]がずっといなかったのはその男と、おそらくは帝国の鬼道と会っていたからなのだ。
 
 ――――アイツが試合を見に来ていたのか。
 
 理由が分かって風丸は忌々しい感情が胸に溢れかえるのを感じる。だが、苛立ちを[#dn=1#]にぶつけることはできなかった。

 [#dn=1#]は俯き、涙ながらに事実を吐露する。痛いほど自分の手を握る[#dn=1#]の手は震えていた。
 
「でも、抵抗できなかった。それどころかはっきり嫌だって、それすら思えなかったの。……ごめんなさい」
 
 ……[#dn=1#]が何を言いたいのかは分かっているつもりだ。
 
 煮えくり返るはらわたとは裏腹に、嫌に冷静な頭で風丸は彼女の言葉を紐解く。[#dn=1#]の気持ちは今も鬼道から切れていない。……前々から、その点は理解している。
 
 だが不可解なのは鬼道の行動だ。[#dn=1#]のことを振ったんだろう。それも[#dn=1#]を傷つける言葉を尽くして。そのくせ今更どうしてこんなことをするのか。

 何か目的があってのことか? それとも今更[#dn=1#]が惜しくなったのか。……アイツがどんな気持ちかなんて俺には関係ない。
 
「私は未だに鬼道さんのことを引きずってる。……どこまでも最低な人間だよ」
 
 感情を押し殺そうとした声で[#dn=1#]が呟く。[#dn=1#]の言葉の中に含まれた”鬼道”の名を聞いて、風丸は自分の推測が当たってたことを確信した。
 
「だから、このままじゃダメだと思う。もちろん、一郎太くんを好きな気持ちに嘘はない。……だけど、これからもきっと一郎太くんに嫌な思いをさせる」
 
 言葉を紡ぐ[#dn=1#]は心底辛そうに目を伏せている。長い睫毛には涙の粒があった。必死に呼吸を整えながら、努めて平静であろうとしながら[#dn=1#]は風丸に語り掛ける。
 
「私となんか一緒にいない方がいい。別れた方がいいよ」
 
 別れる。差し出された選択肢に風丸は怖気を感じた。[#dn=1#]が力なく腕を下ろす。繋いだ手を風丸が離してしまえばこのまま終わってしまう気がした。
 
 この手を放して、[#dn=1#]をアイツに差し出すのか。

 どんな考えだったかはしらないが、[#dn=1#]を追い詰めた鬼道に? アイツの一挙一動に傷つく[#dn=1#]を見ていろってことか……?
 
「私の自分勝手な気持ちで一郎太くんを苦しめたくない」
 
 そんな判断、するわけがない。
 
 [#dn=1#]の手を握ったまま、反対の手で[#dn=1#]の背中を強く抱き寄せる。[#dn=1#]が腕の中で息を呑んだのが風丸にも分かった。

 いつもの、甘く爽やかな彼女の匂いを感じながら風丸は噛みしめるように言葉を吐く。
 
「俺は[#dn=1#]と別れたくない。それにさ、今日あったことを責めるつもりもない。……お前が鬼道のことを忘れられないってことは、ちゃんと分かってるから」
 
 元より理解していることだ。鬼道を想う気持ちがあるから、最初の告白は受け入れられなかった。初めから分かっていたことだ。

 [#dn=1#]の気持ちを知りながら説得して、今の関係を築き上げた。
 
「だけど……」
「[#dn=1#]、俺を見てくれ」
 
 そっと、[#dn=1#]の手を自分の胸元に引き寄せて風丸は語り掛ける。おずおずと顔を上げた[#dn=1#]の目には涙があった。

 視線が合うと罪悪感から怯みそうになりながらも懸命に視線を合わせようとしてくれている。そんな彼女のために風丸はできる限り穏やかに微笑みかけた。
 
「[#dn=1#]は、少しでも俺のことを好きでいてくれてるんだよな?」
 
 風丸の問いに[#dn=1#]は間を置かずに頷いた。
 
「……狡いのは分かってる。だけど、私は一郎太くんのことが好き」
 
 その言葉だけで今は十分だと思った。風丸は[#dn=1#]の額に額を寄せ、想いを添わせたいと願う。
 
 これは俺のワガママだ。離れた方がお互いのためかもしれないと思いながら、俺は[#dn=1#]を手放す気にはなれない。

 どんな形でもいいから[#dn=1#]の一番近くにいたい。

 俺だって狡いんだろうな、別れたくないって俺が言えば[#dn=1#]が強気に出られないのを分かってて言ってるんだ。
 
 ……だけど、いつか。[#dn=1#]が本当の意味で俺を振り返ってくれることを信じていたいんだ。[#dn=1#]がいつだって俺に誠実にあろうとしてくれているから。
 
「だったら、いいんだ。[#dn=1#]が俺のこと少しでも好いてくれてるなら、俺はこれでいい。前にも言ったが、いつか俺のこと見てくれればいいから」
 
 今日のことを黙っていることだってできたはずだ。それなのに打ち明けてくれたのはきっと[#dn=1#]の誠意のはずだ。

 [#dn=1#]の気持ちをこれから手繰り寄せればいい。どんな苦境があっても[#dn=1#]の心が得られるならこの手を放す気はない。

 たとえ、この歪な関係を選び続けることになっても。
 
「……ありがとう」
 
 鼻を啜りながら[#dn=1#]が少しだけ表情を緩めた。そんな姿すら可愛いと思ってしまうから重症かもしれない。

 [#dn=1#]の手が再び自分の手を握り返してくれたのを感じながら、風丸は目を細める。
 
 [#dn=1#]が鬼道を好きなことはいい。だが、今日のことでひとつだけ、このまま見過ごしてはおけないことがある。
 
「すまない、どうしても一つだけ許せないことがある」
 
 [#dn=1#]の背に回していた手を滑らせて、彼女の頬に触れる。目じりに溜まった涙を拭いながら、風丸はその深い夜の色をした瞳を覗き込んだ。

 こうしてアイツも[#dn=1#]の瞳に映ったのか、いや、それだけじゃなく。
 
「どうしても、鬼道がお前にキスをしたことだけは許せない。[#dn=1#]が悪いわけじゃないが、その……、妬けるんだ。物凄く」
 
 風丸の言葉を聞き、[#dn=1#]は全てを理解して目を閉じた。

 愚直に自分の願いを聞き届けてくれようとする[#dn=1#]が愛しくて、このまま誰の目にも触れずに閉じ込めておけたらいいのにと浅はかなことを考えずにはいられない。
 
 そうっと優しく、長く触れ合うだけのキスを交わす。頬に添えた手が濡れた感覚を覚えた。また[#dn=1#]は泣いているのか。
 
「……[#dn=1#]」
 
 離れた唇から彼女の名前を囁く。[#dn=1#]は濡れた睫毛を伏せて風丸の胸に縋った。握った手は離さないまま、風丸は[#dn=1#]の身体を抱きすくめる。

 涙の意味を知りたくてもこれ以上知る勇気を今は持つことができずにいた。
19/19ページ
スキ