FF編 第二章


 
 雷門中サッカー部が帝国学園との試合に勝利した。衝撃的なそのニュースは瞬く間に学校中へ拡散されていた。
 
 試合のとき、あれだけ多くの生徒が試合を観戦していたのだ。当然と言えば当然か。ついでにいえば、学内新聞の一面大見出しを飾ったことも大きく影響している。

 ここには元々新聞部として試合の取材に来ていたの春奈が一枚かんでいそうだ。雷門中サッカー部の勝利は大々的に学内に知らしめられている。
 
 さて日差しの注ぐ午後、五限目。[#dn=1#]のクラスは美術の授業で学内の自分の好きな風景をスケッチするという内容だった。

 授業終了五分前まで、他のクラスの邪魔にならないよう好きな場所で絵を描くよう解散の令が告げられている。
 
 表へ出ていた[#dn=1#]は目的の場所、木陰になっているベンチに腰を下ろす。ここは陸上部にいた頃、風丸とよく待ち合わせをしたベンチだ。階下には陸上グラウンドが広がっている。
 
 好きな場所、というお題に則す場所はここしか思いつかなかった。[#dn=1#]にとって学内で現状、もっとも馴染み深い場所だ。日差しが遮られて影になっているのもちょうどいい。
 
 画板の上に敷かれた画用紙に鉛筆を添える。無心で黒い線を走らせていくと、心が落ち着き和やかな気分になれた。

 陽光に照りつけられた地面が乱反射して時々きらりと眩しく光る。近くにあるのは風が木の葉を揺らす音だけ。走っているときに似た感覚だ。風を心地よく感じられる。
 
 一際強い風が吹きつけて、[#dn=1#]は乱れそうになった髪を右手で押さえた。その時カサ、と木の葉の音に混じって靴音がしたことに気が付く。人の気配。

 彼女はちらりと音のした後方を見た。
 
「あ……、豪炎寺くん」
「……ああ」
 
 振り返った場所には[#dn=1#]と同じように画板を抱えた豪炎寺の姿があった。歩き回っているところを見ると、まだスケッチする場所を決めていないのか。
 
「えっと……、ここ座る? ずっと日向にいたら暑いだろうし」
 
 夏の太陽が燦燦と降り注いでいるのだ。風が吹くと思いのほか心地よくても、ずっと陽光の中にいると暑いだろう。

 そう思って[#dn=1#]が言葉を掛けると意外にも豪炎寺は素直にそれに従った。

 邪魔するぞ、と言いながら[#dn=1#]の隣に腰を下ろす。それ以上、特に会話はない。[#dn=1#]は再び画板へ視線を落とし、続きを描こうと鉛筆を握りなおした。
 
 ……そういえば、彼と挨拶以外で話をしたのはあの帝国学園との試合のとき以来かもしれない。
 
 薄く黒線を残した画用紙と目の前の風景を見比べながら[#dn=1#]はふとそう思った。

 元々[#dn=1#]は話が得意ではないし、豪炎寺もお喋りなタイプでは無い。目まぐるしい日々のせいもあったが、座席が前後だというのにマトモに顔を合わせたのすら久しぶりかもしれないと思った。
 
「……」
 
 ちら、と[#dn=1#]は豪炎寺の画板を覗く。思った通り彼の画用紙は白紙のままだ。それにさっきから一切、鉛筆を握る様子さえない。

 察するに気が乗らないらしい。無理もない、彼がここにいるのは[#dn=1#]が呼び止めてしまったからなのだ。
 
 呼び止めてしまった手前、せめて何か会話を取り持とう。そう思って[#dn=1#]は豪炎寺にかけるべき言葉を思案する。
 
「お前、サッカー部に入ったのか」
 
 だが、彼女が話題を提起する前に豪炎寺の方が[#dn=1#]に言葉をかけてきた。
 
「……!」
 
 鉛筆を握っていた手に力がピタリと止まる。[#dn=1#]は顔を上げ、ゆっくりと豪炎寺の方へと視線を寄せた。

 まさか、そこに触れてくるとは思っていなかった。そもそも彼が、[#dn=1#]がサッカー部へ行ったことを知っていたことにも驚く。
 
 とはいえ、お互いの共通の話題はこの間の試合くらいしかないのかもしれない。[#dn=1#]は豪炎寺の問いかけに首を縦に振った。
 
「ええと……、うん。この間の帝国との試合の後にね」
「好きになったのか、サッカー」
「好きになれるかはこれからかな……。あの試合を見てて放っておけなくなっただけだよ」
 
 嘘はない答えだ。サッカー自体のことは好きでもないし嫌いでもない。これから好きになっていけたらいいなとは思っている。

 ただ、サッカー部にいる一番の理由は風丸のプレーを近くで見たいからだ。そこまでを豪炎寺に明かすつもりはない。
 
 しかし、面白みのない[#dn=1#]の答えを聞いて豪炎寺は何か納得した様子だった。
 
「……なるほど、あの二番のためか」
「……え、え?」
「図星だな」
 
 目に見えて動揺した[#dn=1#]を見て豪炎寺はふっと口元を緩めた。

 からかいを含んだ眼差しに見据えられて、[#dn=1#]は顔に熱が篭るのを感じながら左手で口元を覆った。どうしてそんなことを豪炎寺が……。
 
 そう思ったが、あの試合で[#dn=1#]は風丸の名を呼んでグラウンドへ飛び出したのだ。推察できても不思議はない。
 
 隠したところで意味をなさなかった。面と向かって指摘され、[#dn=1#]は火照った顔をぱたぱたと仰いで俯く。豪炎寺はさらに問いを続ける。
 
「[#dn=2#]。……お前が避けたかったのは帝国のキャプテンとの接触か?」
 
 そこまで、分かるのか。それとも自分が分かりやすいだけか。まるで名探偵だなと思いながら[#dn=1#]は観念して肩を竦めた。
 
 風丸の元へ駆け寄ろうとしたあの時、思いにもよらなかった鬼道との再会が他からみてどんなふうに映ったかは分からない。

 けれど、[#dn=1#]が鬼道に対して見せてしまった特別な感情は他者にも筒抜けだったのかもしれない。恋心は思いのほか、他人から見ても明白なものだ。
 
 [#dn=1#]は鉛筆を画板に転がし、思いを馳せる眼差しを浮かべながら口を開いた。
 
「……豪炎寺くんに話したっけ、私が春に転入してきたってこと」
「ああ」
「私ね、ここに来る前は帝国学園にいたんだ」
 
 あまり豪炎寺に驚いた様子は無かった。鬼道との関係を推察していたのなら、想定内の答えだったのかもしれない。

 [#dn=1#]は俯き、陸上グラウンドが描かれた画用紙を手で覆ってぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。
 
「鬼道さんとはその、因縁があるっていうのかな……。ただ、私が彼にフラれたってだけだけど」
「……!」
 
 一転、今の[#dn=1#]の言葉に豪炎寺は驚いた様子を見せた。視線を合わせなくとも豪炎寺が息をのんだのが分かって[#dn=1#]は自嘲気味に微笑む。
 
 意外だった? それとも不釣り合いだと思っただろうか。彼が見せた吃驚の理由を思案しながらも[#dn=1#]は言葉を続けていく。
 
「そのことを未だに引きずってるから、あの日は帝国との試合を見たくなかったんだ。フラれたときに引き合いに出されたサッカーもね」
 
 今でも……、帝国との試合を見に行ったことは正解だったのかは分からない。

 あの試合のせいで[#dn=1#]は鬼道と顔を合わせてしまった。鎮火しかけていた心の炎に火がくべられて轟轟と今も燃え盛っている。そのことに苦々しい感情を抱かないわけでもない。
 
 しかし、もちろん[#dn=1#]の心はそれだけではない。
 
「けど、サッカーって不思議なスポーツだね。雷門イレブンのみんなを見てると、もっと近くで応援したくなっちゃった」
 
 帝国学園にいた頃もサッカーを見ていたはずだった。だが、傍で応援したいと思ったことは一度もなかった。

 遠く触れることの許されない高貴な存在。負けることがないと確信していたから、過去に鬼道のプレーを見ていても勝利を願ったことなど一度もない。

 勝つことが必然だった。応援する必要性を感じなかった。
 
 あの試合が初めてだったのだ。負けないでほしいと思ったことも、声を上げて応援したいと思ったことも。
 
「彼が……、一郎太くんがそうしたように、私も力になりたいなって思ったの。だからマネージャーになったんだよ。この間の試合のせいでね」
 
 ちょっとばかり恨めしそうな口ぶりでいながら親しみを抱いている。[#dn=1#]の声色にはサッカー部に対する思いが滲んでいた。

 漆黒の眼差しに輝きを散りばめ、口元には柔らかな笑みを浮かべる。彼女の横顔を見つめ続けていた豪炎寺の瞳にその眼差しが映りこむ。
 
「豪炎寺くんはこの間の試合、どうだった?」
 
 豪炎寺の瞳を覗き込むようにして[#dn=1#]が問いかける。
 
 雷門対帝国学園の試合は、[#dn=1#]にとってサッカーに触れるという大きな転機を与えた。だが、あの試合で心を動かされたのは決して自分だけではないと[#dn=1#]は思っている。
 
 豪炎寺だってあの日ピッチに現れたのだ。目金が投げ出したエースナンバーのユニフォームを身にまとって。
 
 サッカーを辞めたと、これまでそう言い切ってきた豪炎寺が自らの意思で試合に出たのだ。固く誓った決意を曲げる理由があの場にはあったはずだ。……そして。
 
 豪炎寺の左足が蹴り込んだファイアトルネード。ゴールを叩き割ったあのシュートの威力は鮮やかに記憶に焼き付いている。

 全国一の帝国学園のサッカーを間近で見せられていた[#dn=1#]だから分かる。熟練した技術とサッカーに対する熱意がなければあんなシュートは打てないこと。
 
 ……本当は、サッカーをやりたいのではないだろうか、豪炎寺も。
 
「……」
 
 豪炎寺は黙りこくったまま何も答えなかった。少し間をおいて、険しい顔で[#dn=1#]から視線を逸らす。[#dn=1#]はただ穏やかに豪炎寺の態度を見ながら目を伏せる。

 ……何も答えたくないなら無理に聞き出すつもりはない。あの熱を持ちながら、サッカーを諦めなければならない理由がきっと彼にはあるのだろう。
 
「選手たちは豪炎寺くんの入部を期待してる。だけど、私は豪炎寺くんがサッカーをやめた理由は知らないし、そこに踏み込んでまでサッカー部に入れっていうつもりもない」
 
 サッカー部のマネージャーとして、部のことを考えるなら。戦力を見込んで彼を勧誘するべきなのかもしれない。
 
 サッカー部の選手たち、とくに一年生たちは豪炎寺の入部を願っている。しかし[#dn=1#]にその気は微塵もなかった。

 豪炎寺がサッカーをやりたいなら入部すればいいし、したくないならば中途半端に戻るべきではない。……ただ。
 
「ただ……、豪炎寺くん。お礼だけは言っておきたくて」
「……」
「あの日の試合、勝てたこともそうなんだけど……。豪炎寺くんが決めてくれた一点に勝手に感謝してるんだ。帝国に一泡吹かせてくれたから」
 
 せめて、これだけは伝えておきたい。豪炎寺が決めてくれたシュートのおかげで雷門サッカー部は廃部を免れた。

 彼のおかげで風丸の優しさが無駄足に終わることはなかったのだ。そして、それ以上にちょっとすっきりした気持ちもあった。
 
 それは、お高く留まった帝国学園サッカー部の鼻っ柱をへし折ってくれたことだ。別段、悪感情をこれまで抱いてきたわけではないが……。

 ”お前なんか”という鬼道の言葉は未だに[#dn=1#]の胸を蝕む。だからこそ鬼道率いる帝国に一矢報いることができたというのは爽快だった。
 
「ありがとう、みんなの力になってくれて」
 
 硬い表情のままの豪炎寺を見つめて[#dn=1#]は目を細めた。風にそよぐ塗りこめられた黒の髪を抑えて、彼女は表情を緩める。
 
「この間のシュート、すっごくカッコよかったよ」
「……っ」
 
 素直に褒めすぎたせいだろうか。豪炎寺は目に見えてたじろいで[#dn=1#]から視線を逸らしてしまった。
 お世辞だと取られてしまうならそれでいい。だが、心からの気持ちであることには間違いない。
 
 それにしても、余計なことまで話し過ぎてしまった。こんなにぺらぺらと心を打ち明けるつもりはなかったのに。豪炎寺が黙って聞いていてくれるからつい気持ちを吐露してしまったのだ。
 
 すべてをどう解釈しようと彼の勝手だと思いながら、[#dn=1#]は時計を確認する。

 授業終了まであと十分程度。そろそろ教室に戻らなければ集合時間に遅れてしまう。

 結局、豪炎寺と話を始めてから全然スケッチは描き進められなかった。……それでも、白紙の状態の豪炎寺に比べればマシか。
 
「そろそろ戻ろう? 遅れたら先生に怒られちゃう」
 
 ベンチから立ち上がって画板を抱え直す。スカートに落ちた消しゴムのかすを払ってうんと伸びをする。

 そして何も言わず、まだ座ったままの豪炎寺を振り返って[#dn=1#]は悪戯っ子のように笑いかけた。
 
「スケッチが進んでないことお互い気づかれないといいね」
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