FF編 第二章
考えるよりも先に身体が動いていた。
「おい……!」
肩に置かれたままだった豪炎寺の手を無意識に払う。一歩、また一歩と前へ踏み出した[#dn=1#]の足は強く地面を蹴り上げた。
「[#dn=2#]!」
[#dn=1#]を引き留めようと伸ばされた豪炎寺の手が空を掴む。ただただ突き動かされるまま、[#dn=1#]は夢中でグラウンドへと走る。
そして誰よりも大きな声で大切な人の名前を腹の底から叫んだ。
「一郎太くんっ‼」
フィールドに響いた[#dn=1#]の声が双方のチームの選手たちの視線を集める。タッチラインの際、ぎりぎりの理性で[#dn=1#]は踏みとどまった。
白い頬に伝う涙が風に流れて地面に落ちた。艶やかな髪が涙の粒を纏ってきらめく。
雷門イレブンの選手たちは突然現れた[#dn=1#]の姿に驚いた。
だがそれ以上に不遜な眼差しを向けた帝国学園の選手たち数名が、[#dn=1#]の姿に目に見えて愕然とした色を浮かべた。赤いマントが風に大きくはためく。
帝国の背番号八番の選手が、何かに気が付いた様子で試合をボールを枠の外に蹴りだした。ホイッスルと共に試合が止まる。
「[#dn=1#]……」
しかし[#dn=1#]の視線は他の誰をも気にしていなかった。ひたすら風丸だけをその瞳に映して涙をこぼす。地面に伏した風丸が、顔を上げ自分の方を見たことでやっと[#dn=1#]は息を大きく吐けた。
「一郎太くん……」
ひとまず、無事みたいだ。がくがくと震えていた足は安堵から力が抜け、[#dn=1#]は今にもその場に崩れ落ちそうになる。
「……あっ」
……しかし、そうはならなかった。[#dn=1#]が膝から崩れ落ちる前に彼女の身体は力強く抱き留められ、腰からしっかりと支えられた。
この雰囲気……、忘れようがない。
顔にかかった影の主をおそるおそる[#dn=1#]は見上げる。
「き、どうさん……」
ぞわりとした肌が鋭敏になる感覚。まるで直に心に手を触れられたかのような。口にした名前の通り、その人が[#dn=1#]の目の前にいる。
ドレッドヘアに特徴的なゴーグル。これは夢ではなく現実だ。彼……、あの鬼道有人が[#dn=1#]の顔を覗き込んでいる。
「……[#dn=2#]」
先程まで声高に叫んでいた冷酷な声、嘲笑を含んだ声。そのどれにも類しない低い声で鬼道はまるで噛みしめるように[#dn=1#]を呼ぶ。
……帝国で過ごした日々の中で幾度となく聞いた優しい声には、計り知れない感慨が含まれているように思えた。
温かい指がそっと目尻に溜まった[#dn=1#]の涙を拭う。突然のことに言葉もなく、頭も働かない[#dn=1#]は呆然と鬼道を見つめるしかなかった。
視線が合ったのはたった一瞬だったが、ゴーグル越しに見えた瞳は……。[#dn=1#]を飲み込んでしまいそうなほどの深い色でこちらを見つめているような気がした。
「話がある。……あとで雷門中の裏門に来い。試合が終わったらすぐにだ」
耳元でそう囁き終えるのが早いか、鬼道はゆっくりと力の抜けた[#dn=1#]の身体を地面に下ろした。それ以上は振り返らず、鬼道はマントを翻して試合へと戻っていく。
取り残された[#dn=1#]は言葉を失ったまま、鬼道の背中を見つめることしかできなかった。
「[#dn=1#]ちゃん!」
[#dn=1#]が動けないままタッチラインの傍に座り込んでいると秋の声が聞こえた。グラウンドの反対側にいたはずなのに心配してここまで走ってきてくれたようだった。
後ろには見慣れない青い髪の少女もいて、こちらも心配そうに[#dn=1#]を見つめている。
「大丈夫? さっきの選手が助けてくれたの? 倒れかけたように見えたから……」
心底心配を浮かべて秋が[#dn=1#]の顔を覗き込む。どうやら、周囲からは風丸の名を叫んだ[#dn=1#]がよろめいたのを見て、近くにいた鬼道が咄嗟に支えたように見えたらしい。
「とにかくベンチに行こう。ここじゃ危ないから」
数度、首を振って頷く。秋と青髪の少女に支えられ、[#dn=1#]はやっとの思いでふらふらと立ち上がった。
* * *
「一郎太くんっ‼」
頭に受けた衝撃のせいで霞む視界の中、[#dn=1#]の声が聞こえた。俺の名前を呼んでいる……。幻聴か、そう思いながら風丸はゆっくりまばたきをする。
徐々にはっきりし始める景色に見間違えるはずもない彼女の姿を見た。
[#dn=1#]……。望んでやまなかった姿に痛みを忘れるほどの喜びが湧いてくる。やっぱり来てくれていた。たとえここへ来たのが自分の応援ではなくて、帝国学園にいる誰かのついでだったとしてもだ。
――――今すぐ立ち上がって、大丈夫だって言ってやらないと……。
少なくとも俺の名前を呼んでいたんだ。心配をかけたのは間違いない。そう思い、軋む身体を庇いながら風丸は顔を上げる。
しかし顔を上げた風丸の視界ではためいたのは赤いマントだった。
「……!」
[#dn=1#]の方へ歩いていくその男は、これまで風丸たちに向けていた高慢で冷酷な態度が完全に抜け落ちていた。
衝撃に突き動かされているとでもいうように、驚きを浮かべたまま男は[#dn=1#]のもとへと歩いていく。
そしてその男は膝から崩れ落ちそうになった[#dn=1#]を支えた。よろめいた彼女をたまたま助けたように見えたが……、風丸はそうじゃないと思った。
「鬼道……」
帝国学園サッカー部のキャプテン、鬼道有人。
[#dn=1#]を支え、頬に手を伸ばしたその手に。ぞくりと肌が粟立つのを感じる。頭の中、根拠はどこにもないがガンガンと警鐘が鳴っていた。
風丸は身体の痛みよりも増幅する泥のように粘っこい黒い感情に動かされてその光景を睨む。……[#dn=1#]の好きな奴って、まさか。
……いや、まさかなんてぬるい感覚じゃない。
殆ど確信している。疑いようのないくらいはっきりと。鬼道を見ている[#dn=1#]の目を見れば否定しようもない、それに。
[#dn=1#]を捉えた鬼道の表情には、ゴーグルに隠れていながら誤魔化しきれない歓喜が滲むのが見えた。