FF編 第二章



 宣言のとおり、風丸は本当にサッカー部へ行ってしまった。日が昇ったままのまだ明るい空の下で[#dn=1#]はため息をつく。

 部活の後は涼しく晴れやかな気分になるのが常だが、風丸がサッカー部に行ってしまった日からそんなふうには感じられなくなってしまった。
 
 当然のことながら、サッカー部の練習に参加するため風丸は陸上部へは顔を出さなくなった。風丸が男子陸上部と[#dn=1#]の仲介を担ってくれていたのだ。

 彼がいないとなると[#dn=1#]はこれまでに比べて男子陸上部とさらに距離を置きがちになった。
 
 もちろん、男子陸上部の部員たちは[#dn=1#]を気にかけ、親切にしてくれようとした。だが不要な気遣いをさせてしまうことを逆に申し訳なく感じてしまう。
 
 せめて彼らが風丸の不在を嘆いてくれていればいいのだが、男子陸上部の部員たちは風丸の選択に批判は無いようだった。

 風丸がサッカー部に行った事実を、未だ受け入れがたい[#dn=1#]が寄り付きにくい理由はここにもある。風丸を慕っている宮坂と話した時もそんな感じの反応だった。
 
「もちろん競技大会のことは残念ですけど……。でも助っ人ってだけだから、落ち着いたらここに戻ってくるんですし」
「そうだけど……」
「風丸さん、優しいからサッカー部のこと放っておけないんですよ」
 
 ちょっと寂しいですけどね、とそれでも宮坂はあまり気にしていない様子で笑っていた。
 
 [#dn=1#]だって風丸が人情に篤い人であることは重々知っている。彼のそういうところに助けられたからこそ今があるのだし、彼のことを好きになった。

 かといって、簡単に気持ちを割り切ることもできない。
 
 憂鬱は日々募るばかりだった。今週、あの日を境に風丸とは一度も話をしていない。とはいえ、話の機会を避け続けているのは[#dn=1#]自身だ。どんな言葉を掛けられたって今は風丸の意見に納得できる気がしない。
 
 往生際が悪いが、今も風丸にサッカー部に行ってほしくないと思っている。そして帝国学園との試合には絶対に出場してほしくない。きっと話をしたところで意見が平行線になるだけだ。
 
 ……しかし、このまま風丸の言葉に耳を貸さないのは無駄な行為だとは分かっている。自分のワガママに風丸を付き合わせるのはおかしいことだ。

 彼が望んで決めたことだ。素直に応援するしか選択肢はない。そのくせ頑なに拒む自分がいけないのだ。
 
 この一人ぼっちの帰り道も[#dn=1#]自身が作り出したもの。己の行いにため息をつきながら[#dn=1#]はとぼとぼと校庭を歩く。

 帰ってから、気を紛らわすためにも走るしかない。そんなことを考えながら校庭をとぼとぼと歩いていく。
 
「[#dn=1#]ちゃん」
 
 不意に肩を落とした[#dn=1#]の背後から声が掛かった。

 振り返るとジャージ姿の秋が背後に立っている。サッカー部の雑務をひとりで担っているのだろう、手にはかご一杯のタオルを抱えていた。
 
「秋ちゃん……」
「ちょっとお話しない?」
「だけど……、秋ちゃん部活中だよね」
 
 会話を避けようと[#dn=1#]は視線を逸らしながら秋に言葉を返した。大切なマネージャーの仕事を邪魔してはいけない。

 サッカー部のことを慮るつもりでもあったが、同時にこの状況で秋が何を言おうとしているのかも容易に察せる。そのため[#dn=1#]はつい消極的な反応を見せた。
 
「大丈夫、少しくらい平気だから」
「……なら、いいけど」
 
 そう言われてしまっては逃れようもない。[#dn=1#]はやむを得ず部室へ戻る秋に続く。彼女が持っていたかごを持つのを手伝い、二人でサッカー部の部室へと向かった。
 
 古びた外観は廃屋を思わせるサッカー部の部室。ところどころラクガキがされており、かなり年季が入っているようだ。

 きちんと整備された陸上部の部室に比べると妙に待遇の差がある。サッカー部だけが特異なのだろうか、他の部活の部室は部室棟に集められているのに。
 
 [#dn=1#]は秋と共にサッカー部の部室へ入り、タオルで一杯のかごを机の上に置いた。どうやら秋は外に干していた洗濯物を取り込んできた帰りだったらしい。
 
「えっと……何か手伝おうか?」
 
 荷物を置いてすぐ、用件だけ聞いて帰りたかったはずなのに、つい[#dn=1#]はそう聞いてしまった。

 サッカー部にマネージャーは秋一人だと聞いている。彼女は選手のサポートをしながら、こういった雑事までを一人でこなさなければならないはずだ。

 ここまで来てしまった手前、この大量のタオルを見て見ぬふりをして帰るのはあまりにも薄情な気がしてしまう。
 
「え、いいのいいの。[#dn=1#]ちゃんはお客さんなんだから」
「だけど……」
 
 [#dn=1#]がこうして立ち尽くしている間も秋はてきぱきとドリンクの準備を始めている。話をしたいと言ったのは秋だが、ゆっくり話などしている暇もないのではないだろうか……。

 [#dn=1#]が落ち着かずにソワソワしていると秋は[#dn=1#]の心中を察してかニコリと笑いかけた。
 
「じゃあ、タオルを畳むの手伝ってくれる?」
「うん」
 
 秋が仕事をしているなら何かさせてもらっていた方が落ち着く。[#dn=1#]は頷き、言われるがままかごの中のタオルを畳み始めた。
 
 作業を開始してしばらくは[#dn=1#]も秋もお互いに何も言わなかった。だが頃合いを見計らっていたのだろう、数分経って秋の方が本題を切り出す。
 
「[#dn=1#]ちゃん。……風丸くん、頑張ってるよ」
「……!」
 
 ピタリと[#dn=1#]の手が止まる。そうだろうと思った。普段クラスで一緒にいる秋が、わざわざこうして部室に[#dn=1#]を連れてきて話そうとすることなんてこれくらいしか思い浮かばない。
 
「ものすごく一生懸命練習してる。円堂くんも風丸くんが来てくれて嬉しいって言ってたよ。風丸くんしっかりしてるし、すごく助かるって」
「……そう」
 
 秋が風丸に対する誉め言葉を並べる。彼女はこのところの[#dn=1#]と風丸の間にある微妙な距離を察していた。

 風丸がサッカー部に来てから、明らかに教室で過ごしている[#dn=1#]のため息の回数が増えた。
 
 ……そもそも、付き合い始めてからはずっと磁石でくっついたみたいに一緒にいたふたりだ。それが風丸がサッカー部に助っ人に来てから一度も一緒にいる姿を見ない。

 となれば、理由は考える必要もない。秋も[#dn=1#]が風丸と付き合い始めたあの日、[#dn=1#]の初恋事情を知った人間のひとりだ。

 サッカーに抱く[#dn=1#]の複雑な気持ちを察するのは容易い。サッカー部への助っ人を申し出た風丸の決定に[#dn=1#]は納得しないだろうということも。
 
 せめて仲直りのきっかけを作ることができれば……、そう思って秋は[#dn=1#]を今日ここへ呼んだのだった。
 
「何よりすっごく足が速いよね! もちろん知ってたんだけど、やっぱりサッカー部の誰よりも速いから近くでみるとびっくりしちゃった」
「……」
「一年生のみんなも頼りになるって風丸くんのこと慕ってるんだよ」
「……そう、なの」
 
 目いっぱいの秋の報告に[#dn=1#]は言葉を詰まらせる。
 
 風丸のスピードに対する賞賛、人望が得られていることも。彼を見ていれば当然だと思うし、そうなのかと受け止めるほかない。
 
 彼が上手くやっていること、彼が褒められていること。どちらも喜ぶべきことのはずなのに[#dn=1#]は上手く喜べなかった。
 
 ――――もう、サッカー部に馴染んでるんだ。
 
 自分を置いて彼はサッカーに適応している。そう思ってしまうと、胸がじくじくとした痛みを覚える。
 
「それならよかった。……心配してたから」
「うん。だからね、[#dn=1#]ちゃん」
 
 靴音がして秋が近づいてくるのが分かった。[#dn=1#]はゆっくりと顔を上げて秋の方をみる。神妙な面持ちの秋は懸命に[#dn=1#]に語り掛けた。
 
「明日の試合、見に来ない? 風丸くん、きっと[#dn=1#]ちゃんに見に来てほしいって思ってるはずだよ」
「……」
 
 手に持っていたタオルを掴んだ手に力がこもる。[#dn=1#]は迷いを露わにして再び俯く。黒髪がさらりと揺れて[#dn=1#]の表情を隠す。短くなった彼女の髪は[#dn=1#]の肩に当たって動きを止めた。
 
 ……見てみたいとは思っている。彼が風の中で長い髪を揺らし、あの圧倒的な速さでピッチを駆け抜ける姿を。

 軽やかにボールを奪って、相手チームをスピードで翻弄していく。もしも、そんな彼の姿が見られたのなら。
 
 無論、試合の相手は帝国学園だ。スピードだけがどんなに勝っていても風丸はサッカーに関しては初心者も同然。実現しえない妄想だとは分かっている。
 
 それでも、たとえ力及ばないのだとしても……。

 風丸が懸命に走る姿を応援したい。サッカーのフィールドを走る彼の姿をこの目で見たい。心配な気持ちもあるからこそ、きちんと近くで彼を見たい。そう、思っている。
 
「……」
 
 だが、[#dn=1#]に決断をさせないのは帝国学園の、なにより鬼道の存在だ。
 
 必死に蓋をしている気持ちが、鬼道を見たときにどう転がってしまうかは[#dn=1#]にも分からない。思い出でだけでここまで[#dn=1#]を縛り、未だに心を焦がされているのだ。

 時間を掛けてやっと薄れ始めた気持ちは、もしかすると彼を見て再び燃え上がってしまうかもしれない。

 そうすれば誰が一番傷つくことになるのか。答えを知っているからこそ簡単には頷けない。
 
「試合、明日の放課後だから。……考えてみてほしいな」
 
 そろそろみんな戻ってきちゃうかも、と。さりげなくタイムリミットを知らせ、秋は[#dn=1#]の手の中で握り締められていたタオルを受け取る。

 このままサッカー部の部室にいるわけにはいかない。[#dn=1#]がここにいればきっと話がややこしくなってしまう。
 
「……秋ちゃん」
 
 鞄を手に取りながら、[#dn=1#]は複雑な気持ちの中で秋を見つめた。秋は[#dn=1#]へ向け優しく微笑む。

 答えを急かすつもりはなさそうだが、秋がどういう答えを求めているのかは明白だ。だからこそ答えを出せない自分が情けない。
 
「……考えてみるね、ちゃんと」
 
 複雑な気持ちが胸を渦巻いている。どうすればいい、何を選べば正しいのか。どれだけ考えても答えは見つからずにいる。
 
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