FF編 第二章
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あれは秘密の場所に何回目訪れたときのことだったか……。鬼道が[#dn=1#]に練習を良ければ見に来るようにと言ったから、[#dn=1#]はあの場所でサッカー部の練習を見ていた。
サッカー部の練習を見て自主練習の参考にしたい、と出会った日にそう言ったのだから、練習を見に来るように言われるのはおかしなことではなかった。
どうして鬼道が[#dn=1#]のような一般生徒を気にかけ、ここまでの配慮をしてくれているのかということを除けばだが。
ボールを蹴っている選手たちの姿を眺める。素人ながら分かるのは彼らの技術が恐ろしく高いという事だけだ。
ボールはまるで彼らの足に吸い付くようにして動いている。瞬発力も高い、ボールを操りながらあのスピードを維持できるのは並大抵のことではない。……だが、分かるのはその程度だ。
「……」
[#dn=1#]は窓枠に手をかけ、階下を覗き込む。今になって気が付いたが選手たちの中に鬼道の姿がない。どこへ行ったのだろう……、そう思った矢先に[#dn=1#]の背後で自動ドアが開く音がした。
「[#dn=2#]」
「! ……鬼道さん!」
驚きを露わに振り返った[#dn=1#]を見て、鬼道は目に見えて表情を和らげた。優雅にマントをはためかせ、鬼道は[#dn=1#]の隣へと歩み寄る。
彼が近づいてくるたびに[#dn=1#]の身体は固く強張った。極度の緊張の中で[#dn=1#]は俯く。
「俺たちの練習はお前の役に立ちそうか」
「は、はい……、とても」
「ふ……、それならいいが」
鬼道の声は落ち着きを払い、何を[#dn=1#]に求めているのか分からなかった。[#dn=1#]は震える指先を握って唇を噛む。
この場にいられることは身に余る光栄だ。鬼道の傍にいられることも。ただ、それにしてはあまりにも自分が分不相応だと思った。
サッカーのことなど大して理解していない……。小学校の授業で習ったレベルの知識しか持ち合わせていない。
そのくせ中学サッカーの頂点に立つ彼らの練習を見たいなどと言ったのが、咄嗟についてしまった嘘だとはいえ実に浅慮な願いだったと後悔している。
帝国にいながらサッカーに対しその程度の理解しか持ち合わせていないだなんて……。鬼道が知ればどんなに幻滅することだろう。
”手を貸してやりたいと思った。お前が望むなら”
そう言ってくれ、走りに目を掛けてくれた鬼道の期待を裏切ることになる。そんなことになったら鬼道は[#dn=1#]にどんな感情を抱くか。
考えるだけでも怖気が走る。帝国サッカー部に対する侮辱とも取られるかもしれない。
この帝国学園で私を見つけてくれた唯一の人。……情けで抱いてもらえている、欠片ほどの彼の期待を裏切ってしまったら私は。
「[#dn=2#]」
恐れと不安でいっぱいいっぱいになっている[#dn=1#]の異変を察したらしい。鬼道が静かに[#dn=1#]を呼ぶ。
「こっちを向け」
逆らえるはずもない。[#dn=1#]は怯えながらゆっくりと顔を上げて鬼道を見た。鬼道は食い入るように[#dn=1#]を見つめている。
ゴーグルをしているから、彼がどんな眼差しでこちらを見ているかなんて分からない。だが、まるで[#dn=1#]のすべてを見透かすばかりに鬼道は[#dn=1#]を見ている。
そんなはずがあるわけないのに、鬼道には何もかもが丸裸にされてしまう……。そんな感覚に[#dn=1#]は陥る。
「どうした?」
しかしどうにも、鬼道はまるで心配のような感情を浮かべているように思えた。
黙っているわけにはいかない。そしてこれ以上嘘を重ねることもできない……。[#dn=1#]は声を震わせながら鬼道の問いに偽りなく答えた。
「私はその……、私にはこの場にいる資格がないと……思いまして」
「ほう、なぜだ」
一瞬、空気がピリついた。鬼道の声色が少し険しくなったのが分かって[#dn=1#]は身を縮める。耐えかねて視線を逸らし、だが鬼道の問いに答えないわけにもいかずに正直に告白する。
「さ、サッカーに対して……、私はあまりにも不勉強なものですから……。鬼道さんのご期待にはとても添えないので……」
「……」
顔を上げるのが恐ろしかった。いまにも呆れたため息がつかれるのではないかと……。[#dn=1#]は固く目を瞑る。真っ暗な視界の中、微かに衣擦れの音がしてそして鬼道の声が響いた。
「……グラウンドに出る選手の数は十一人。フィールドプレイヤー十人とゴールキーパーが一人。うちの正ゴールキーパーは源田、そこに立っているアイツだ」
「え?」
思わず驚嘆の声が漏れる。
「一つのボールを蹴り、相手のゴールに入れば一点を獲得する。点を多くとったチームの勝ちだ。ゴールキーパーは、ゴールに蹴り込まれたボールを止めるためにゴール前に構えている。選手の中で唯一手を使っていいポジションだ」
想像もしなかった答えが返ってきて[#dn=1#]は驚きのあまり目を見開いた。目の前の鬼道はグラウンドに立つ一人の選手を指さして説明をしている。そして[#dn=1#]の方へちらと視線を寄せた。
「……フィールドプレイヤーのポジションは分かるか?」
「え……、あ」
[#dn=1#]は言葉を無くすしかなかった。そんなことも知らないのかと咎められる想像はしても、まさか鬼道が自分のために基礎中の基礎から説明をしてくれようとするとは思わなかったのだ。
[#dn=1#]が返答できずに固まっていると鬼道は[#dn=1#]を見つめて柔和に微笑む。
「分からないなら覚えればいい。……学ぶためにお前はここへ来たんだろう」
甘い声が囁き、[#dn=1#]の無知さえ否定せずに鬼道に視線を[#dn=1#]に注ぎ続ける。穴が開くほど見つめられて、[#dn=1#]は言葉もなく鬼道を見ていることしかできなかった。
「俺が教えてやる。……お前が知りたいと望むことはな」
[#dn=1#]の左手の甲に意図的かそれとも偶然か鬼道の手が触れる。[#dn=1#]はビクッと身体を震わせて鬼道の表情を伺う。鬼道はそれ以上は[#dn=1#]に触れることなく視線をグラウンドに落としながら言葉を続けた。
「だからすべて俺に聞け。サッカーのことでも勉学のことでも。……俺が及ぶ範囲なら、お前のために答えよう」
言葉の通り、鬼道は惜しみなく[#dn=1#]に知識を与えてくれた。そもそも最後の日以外で鬼道が[#dn=1#]をぞんざいに扱ったことは無かったのだ。
[#dn=1#]が得ているサッカーの知識は全て鬼道が手ずから与えてくれた物にほかならない。……とはいえ、鬼道が期待していたのは[#dn=1#]の走りであったから、サッカー自体に[#dn=1#]がのめり込むことはなかったけれども。
そして帝国と鬼道との縁が潰えた今、サッカーに触れることは二度とないと思っていた。
――――もう近づくことさえないと思っていたのに。
どういう運命の巡り合わせなのだろう。全国覇者の帝国学園がどうして人数も揃わない弱小チームの雷門に試合を申し込んだのか。
理由は分からないが、試合が組まれたということは帝国にも何か目的があるはずだ。できることなら風丸には近づいてほしくない。けれど[#dn=1#]が何を言ったって彼の気持ちは止められない。……そしてきっと。
――――鬼道さん。
風丸はさっき、”ウチでの試合”とそう言っていた。であれば雷門中で雷門対帝国の試合が行われるということになる。
……来るのだ、帝国学園が雷門に。鬼道が雷門に……。試合の場に行けば、彼に会うことができるかもしれない。
――――何、考えてるの。
最低な自分の考えを振り払おうと[#dn=1#]は頭を振って膝を抱えた。私には、私のことを大切に想ってくれる恋人がいる。私だって一郎太くんが大切。
なのにどうして気持ちは褪せてくれないのか。なぜ、こんなことを考えてしまうんだろう。
「鬼道さん……」
もし、あなたに会えたら……、と。