FF編 第二章



「一郎太くん……!」

 なんで辞退なんか。彼が不可解な行動をとった理由が知りたくて風丸を呼び止める。[#dn=1#]は風丸の元へ駆け寄って、彼を引き留めようと手首をつかんだ。

「[#dn=1#]」
「辞退って……、どうして?」

 息が乱れているわけでもないのに声が震えている。どんなに考えても風丸の判断が解せないのだ。

 今日も変わらずに練習に参加していた。怪我をしているわけでもなければ、大会に出られない理由があるわけでもないはずだ。

 何かしらの理由があるのなら、日々一緒に過ごしている[#dn=1#]に教えてくれるだろう。少なくとも彼はこれまでそんなことを仄めかしてはいなかった。

 狼狽を隠しきれない[#dn=1#]を前に、風丸は眉根を下げて微笑む。

「[#dn=1#]。俺、サッカー部の助っ人に行くことにしたんだ」

 落ち着いた声色で告げられた言葉は、さっきの辞退の言葉よりも衝撃的だった。ビリっと電流に似た感覚が[#dn=1#]の背筋を抜ける。
 ……助っ人? いや、そんなことよりなぜここでサッカー部が出てくるのか。

「……どういうこと?」
「円堂が来てただろ。あれさ、部員募集で来てたんだよ。サッカー部は、来週ウチでやる試合で勝たないと廃部にされるんだって」

 [#dn=1#]はあからさまに眉間に皺を寄せる。しかしだからといって風丸がサッカー部の助っ人に行く必要はないはずだ。

 帰宅部なんて大勢いる。他にも暇な人間は山ほどいるに違いない。[#dn=1#]はやはり納得がいかずに、風丸の腕を掴んだまま彼に言い縋る。

「でも、そのために大会を諦めるの……? 中学生の大会で一番大きな競技大会で、代表に選ばれなかった先輩だっているのに」

 記録会への参加が少ない[#dn=1#]が言えた口ではない。それを分かっていながらも[#dn=1#]は厳しい目を風丸に向けた。

「一郎太くんを信じて、監督たちは選んでくれたんでしょ……?」

 女子陸上部は目もあてられなかったが、男子陸上部はきちんと統率が取れた部だ。仲が良くもきちんとした先輩後輩関係が築かれている。

 そうありながら、誰の意見も蔑ろにはしない。一年生の宮坂が臆することなくいられるのはそういう環境があるからだ。

 今回の選抜メンバー、キャプテンは監督と顧問が決めたと言っていたが、少なからず三年生の意見も反映された決定だと[#dn=1#]は考えている。

 それを蹴るのは自分の身を置いてまで雷門中の栄誉、ひいては風丸自身のために選出を決めてくれた人たちに失礼ではないか。

 風丸は陸上部のエース、部内外問わず雷門中の期待の星だ。期待を裏切ってまで、己の目標のはずの競技大会までどうしてご破算にしてサッカー部に行こうと思えるのか。

「分かってくれ、[#dn=1#]」

 しかし、[#dn=1#]の訴えにも風丸は引く気は無いようだった。険しい表情を向ける[#dn=1#]をなだめようと風丸が彼女の顔を覗き込む。

「俺には来年がある。だけど円堂たちは今度の試合で負けたら終わりなんだ。……放っておけない」
「……」

 風丸の真剣な言葉に[#dn=1#]は息を詰まらせる。

 友達を助けたいという彼の気持ちも分からない訳では無い。

 実際、[#dn=1#]もサッカー部に属している秋や半田とは仲が良いのだ。性別の問題上かなわないことだが、仮に自分が彼らに頼み込まれたとしたら……。風丸のように彼の力になりたいと思ったかもしれない。

「アイツの力になりたいんだ」

 [#dn=1#]の心が揺れる。風丸を見つめて[#dn=1#]は張り詰めた感情を緩める。……彼は、自分の損得だけで状況を判断していない。円堂のために、友人のために力を尽くしたいからこの判断をしたのだろう。

 私を助けてくれた優しい彼だ。そう思うことは当然なのかもしれない。……彼のそういうところを私は好きだと思う。

 ぎこちなく[#dn=1#]は風丸に微笑み返した。ゆっくりと掴んでいた風丸の腕を離す。彼は譲らないだろう、意外と頑固な人なのだ。

「……」

 とはいえ……、どこか不安な気持ちは拭えない。……サッカー。それが[#dn=1#]にとっての気がかりだった。

 これから風丸が助っ人に行こうとするのは、あの人が所属していたのと同じサッカー部。サッカーというスポーツには言い知れぬ魅力がある。次々と人間を虜にしていく……、そんな魅力を帝国にいた頃からひしひしと感じる。

 心の片隅に生まれる不安がないとは強がれない。考えてしまう、風丸もサッカーに魅せられてしまったなら。私と走る今を捨ててしまうかもしれない。お前なんかと、あの人と同じように。

 初恋を引きずり続けながら、それでも[#dn=1#]は恐ろしいのだ。風丸に嫌われて、幸せな今を失うことが怖い。彼を失ってしまう未来を想像するだけで胸は締め付けられるように痛む。

「……サッカー、か」

 顔を上げ続けていることがどうしてもできなかった。[#dn=1#]は風丸の視線から逃れて俯く。

 [#dn=1#]の表情、なにより呟かれたサッカーという言葉を聞いて風丸は目を見開いた。今にも泣き出しそうな[#dn=1#]の表情の理由を彼は察する。

 [#dn=1#]の想い人については風丸も既知のことだ。ふたりの関係が変わった日に半田たちから聞いている。

 [#dn=1#]の想い人が帝国学園のサッカー部に所属していたこと。そして[#dn=1#]が想いを告げたときに”お前なんかよりサッカーが大事だ”そう吐き捨てられたことを。

「[#dn=1#]」
「……」
「そんな顔しないでくれ。……心配いらない、俺が[#dn=1#]を好きになったんだから」

 諭すように、[#dn=1#]に言い聞かせるように。風丸は[#dn=1#]の肩に手を置いてゆっくりと言った。[#dn=1#]は風丸を見つめ、固く結んでいた唇を緩める。

 まっすぐな茶色の瞳、彼の瞳はどこまでも穏やかで純真だ。そこには嘘がないと信じられる。

 ――――一郎太くんは、あの人じゃない。

「対戦相手は……どこ?」

 元々説得できる気もしなかったが、もう自分が折れるしかないのだと[#dn=1#]は悟る。

 風丸が決めたことなら、自分にできることは精いっぱい応援をすることだと思った。容認を示す意味で雷門中サッカー部の命運を決める試合の相手を問う。……しかし。

「……えっと」

 今まで毅然とした態度を貫いていた風丸が急にうろたえた様子を見せた。風丸は気まずげに[#dn=1#]から視線を逸らす。数秒間をおいて彼は詰まりながら答えを吐いた。

「帝国……、学園」
「帝国……⁉」

 絶句するしかなかった。……まさか、そんな。動揺を隠しきれずに[#dn=1#]は息を吐く。帝国……。鬼道の率いる、帝国学園。

 帝国学園サッカー部のことは、サッカー部関係者でなくても元帝国学園生であれば知らないはずもなかった。

 帝国学園のサッカーは弱者を認めないことを基本とする。負けたチームの学校を破壊し、選手を傷つけることもある。負けに価値はない、敗者は蹂躙されるのみ。

 勝利への執着は四十年の無敗を結果として残している。絶対的王者、それが帝国だ。

 そんな帝国学園が、人数も揃わない雷門中サッカー部を弱者と見なさないことがあるだろうか。答えは火を見るよりも明らかだ。

 負けたチームがどんな目に遭っていたのかを[#dn=1#]は知ってしまっている。試合に参加すれば風丸がどんな目に遭うか……!

「ダメ、帝国には勝てない。……お願い、やめて」
「[#dn=1#]、落ち着け。大丈夫だから」

 震えている[#dn=1#]の背を彼はそっと撫でつけた。だが、[#dn=1#]は落ち着いてなど居られずに首を横に振る。

 助っ人に行きたいという彼の気持ちは尊重したい。だが、対戦相手が帝国学園ならば話は別だ。帝国学園との試合だなんて無謀にもほどがある。

 サッカー部の監督も何を考えているのだ。帝国学園との試合勝利をサッカー部の存続条件にするだなんて。サッカー部を廃部にする気なのだとしても、こんな仕打ちは……。

 無事で終わるわけがない。圧倒的な戦力差だからといって帝国学園は手加減などしない。

 かつては、帝国学園側から試合を見ていた。あの人を見るために。だから帝国学園の強さは知っている。圧倒的な優位に王者としての風格と畏怖を覚えた。

 鬼道に憧れを抱いていた、彼のすべてを肯定していた[#dn=1#]ですら、絶対的な司令塔として君臨する鬼道の姿を時々怖いと思うことだってあった。

 彼を頂点に立つ人だと崇めながら、その容赦の無さにまったく恐れを抱かなかったと言えば嘘になる。

 その帝国学園に敵対するのだ。風丸が危険な目に遭う可能性は高い。分かっていて呑気に応援していられるほど[#dn=1#]は帝国に対して無知ではなかった。

「ごめん……、相手が帝国なら話は別。一郎太くんに助っ人に行ってほしくない」
「[#dn=1#]の気持ちも分かる、だけど……」
「ごめん、少し一人にさせて。……今日はもう、帰るね」

 触れていた風丸の腕を払って、[#dn=1#]は彼に背を向けた。

 友人を救いたい風丸を止めることはできないと分かっている。だからといって、帝国の残虐さを知っていながら彼をサッカーに送り出すのか。重たく暗い感情が[#dn=1#]の心を浸していく。

 一人で帰路についた[#dn=1#]は、自分の部屋に入るなり鞄を放って床に座り込み膝を抱えた。何の因果でこんなことになるのだ。帝国学園とは、あの人とは縁が切れるはずだったのにどうして……。

 ”[#dn=2#]”

 あの人の囁く声が頭に響く。忘れようとしているはずなのに、どうしても帝国の日々を思い出してしまうことがある。最近やっと、思い出さずにいられるようになったのに。
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