FF編 第二章



 足は軽い、調子も悪くない。二週間近く走っていなかったことを考えれば十分すぎるくらいだ。目的の場所を目指しながら[#dn=1#]は自らのコンディションを分析する。

 走れなかった間、前のように走れなくなったらどうしようという危惧が心のどこかに常にあった。受傷後、足を動かすたびに響く痛みに不安で押し潰れそうになる時も。

 捻挫くらいで大袈裟かもしれないが、走ることは[#dn=2#][#dn=1#]という人間の大部分を占める。拭えない恐ろしさが離れず付きまとっていた。

 けれど、[#dn=1#]を想い傍で支えてくれる人がいてくれた。[#dn=1#]のため日常のサポートだけではなく、心を砕いてくれていた彼のおかげで今日がここにある。彼は彼女自身以上に[#dn=1#]のことを心配してくれていた。

 坂の下から高くそびえる鉄塔の方を見上げる。登り切った坂の上、木に寄り添うように立つ風に揺れる青髪が見えた。その姿を見間違えるはずもない。

 ふわ、と彼女は心が浮き上がった感覚を覚える。足もますます軽くなった気がして、急いで彼の元へと[#dn=1#]は駆ける。

「一郎太くん!」

 走ってきた自分を見てほしくて息の整わないままに彼の名前を呼ぶ。彼、風丸一郎太は[#dn=1#]の声に気が付くと彼女の方を振り返った。

 息を切らせて自分のもとへ駆け寄ってきた[#dn=1#]の姿を見て、風丸は嬉しそうに表情を綻ばせた。

「[#dn=1#]! 足はもういいのか?」
「うん……っ、もう大丈夫だって」
「そうか……、良かった」

 まるで自分のことのように風丸は[#dn=1#]の完治を喜んでくれた。[#dn=1#]は息を整えながらさりげなく髪にも触れて乱れを直す。

 [#dn=1#]が怪我をしてからの、この二週間ほどはお互いにとって長い時間だった。走ることで共鳴し合う彼らにとって、足を奪われていた時間は大きな痛手であったのには違いない。

「……一郎太くん、ありがとう」
「え?」

 笑顔を向けてくれる風丸に対し、[#dn=1#]は目頭が熱くなるのを感じながら彼を見つめた。

 自業自得で負った左足の負傷だ。それなのに心の底から風丸が心配を向けてくれ、手を差し伸べてくれたことには感謝しかない。

「怪我してる間、ずっと一緒にいて助けてくれて……」

 走る時間が得られなかったこと、それは確かに痛手だった。しかしながら、ふたりにとってはそればかりではない。

 [#dn=1#]の身を案じて共に辿った通学路、休み時間。風丸の部活を見学し、その終わりには練習の代わりにお互いの一日を話した。

 風丸が傍にいてくれたから、[#dn=1#]は走れなくなるかもしれないという不安を乗り越えて過ごすことができた。

 恋人として心を通わせた今は、共に過ごした時間こそ、以前にも増してより価値を感じられる。雷門に転入してきた時とは違った意味で、[#dn=1#]は日々を新鮮で楽しく……、何より愛しいと感じられていた。

「何言ってるんだよ。そんなの当然だろ。……だってその、[#dn=1#]は俺の……」

 風丸の言葉は尻すぼみに小さくなっていった。頬を赤らめ、彼は照れくさそうに視線を背ける。彼の態度を見ていると[#dn=1#]の方も急激に感情がせり上げてきて、なんとなく気恥ずかしい気持ちから視線を落とした。

「……」
「……」

 傍にいるのを当然としているくせに、恋人同士と声を大にしていうのはまだ少し気恥ずかしい。顔を真っ赤にして俯いたふたりの間に沈黙が訪れる。どきどきと心臓が大きく音を立てているのは走ってきたせいではない。

 友人関係があったときからの仲の良さはあるものの、恋人としてお互いを意識するのはまだ慣れず初々しさがあった。

「……[#dn=1#]」

 そうっと差し出された手に[#dn=1#]は顔を上げる。手を[#dn=1#]の方へ伸ばしつつもまだ彼の頬には赤色が残っている。彼の手に[#dn=1#]が自分の手を重ねると、風丸はギュッと指に力を込めてわずかに[#dn=1#]の腕を引いた。

「一緒に走ろうぜ。……お前の全力を見なきゃ、足がちゃんと治ったんだって安心できないからな」
「うん……!」

 待ちわびていた瞬間に[#dn=1#]の瞳がきらめく。やっと彼と走れるのだ。この喜びは他には変えられない。そう[#dn=1#]は信じている。

 手に手を取ってふたりは駆け出す。彼らの恋は夕暮れの鉄塔広場を抜ける風のように穏やかに、そして順調に育まれている。波乱が近づいていることなど微塵も感じさせなかった。
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