FF編 第一章
桜の葉の中に、風に揺れる黒髪を見た気がした。風丸はぼんやりと窓の外を見つめながら緩慢に瞬きを繰り返す。
眠気を誘う午後の授業、単調に歴史を語る教師の言葉はスムーズに頭に入ってこない。板書だけは真面目に取りながら、風丸は小さくため息をついた。
とうとう幻覚まで見えたのか? 未だに失恋から立ち直れない自分を笑いたくなるくらいだと彼は思う。
桜の中に[#dn=2#]の姿を見るなんてどうかしてる……、今は授業中だぞ。体育やってるのは一年生のクラスみたいだし。
見えるわけがないと思いながら、風丸はもう一度窓の外をちらと見る。だが今度はハッキリと校舎の前を通る生徒の黒髪が見える。風丸は目を丸くして階下を覗き込んだ。
まさか……、これだけ距離は離れていて顔なんて見えないはずなのにそれが誰かは一目瞭然だった。
――――[#dn=2#]?
いや、正確には彼女だけではない。もう一人……、彼女は誰かに負ぶわれているようだった。あれは……、半田か? サッカー部の。
なんで二人が授業中、一緒にいるんだと疑問を抱く。[#dn=1#]と半田は仲が良かったはずだ。……揃って授業をサボる理由ってなんだ。
状況が嫌な想像を掻き立てる。胸の内に沸き立ち始めた黒い感情を抑えて、さりげなく教室を見渡した。
誰も彼も退屈そうに授業を聞いている。その中に一つ、午前にはなかったはずの空席を見つけた。……アレは、マックスの席か?
マックスと半田は二人とも[#dn=1#]と仲の良い友人であることを思い出す。半田と[#dn=1#]が二人きりではない可能性を考えると、何か他に授業を受けられない理由があったのかもしれないと推測する。その理由は見当もつかないが。
何をしていたのかは気になる。だが……、風丸は気を紛らわせようとシャープペンシルを数回ノックしては戻した。……それは俺が理由を聞けるようなことなのか。
「遅れてすみませーん」
授業ももう終わるころになって飄々とした様子でマックスが教室へと戻ってきた。教員はマックスが遅れてきたことを咎めるわけでもなく、早く座りなさいとそれだけ言った。
教員側はマックスが遅れてきた事情を知っているというわけか、これはますます何かあったのではと思う。
彼の周りの生徒たちがマックスに何かあったのか、と声を掛けているのが聞こえるが、マックスは「ちょっとヤボ用でねー」と曖昧に言葉を濁した。
風丸はその様子をじっと窺う。一度だけマックスがこちらに向けて思わせぶりな目配せをした、ような気がした。
何があったかなんて分からない。推測もできない。もどかしい思いで風丸は教室の時計を見上げる。授業が終わるまであと十分程度。今日は職員会議があって授業はこの五限目で終わる。
ホームルームが終わったら、答えてくれるかは分からないがマックスに遅れてきた理由をきいてみようと風丸は思った。
[newpage]
ホームルーム終了後、素早い動きで教室を出ていったマックスを追って風丸は教室を出た。マックスを追いかけて廊下を歩いている間に様々な生徒の声を耳にした。
[#dn=1#]が五限目の授業に出ていなかったこと、昼休みに怪我をしたらしい。今は保健室で休んでいるらしい。彼女と仲の良い木野秋が慌てて保健室に走っていった……など。
憶測だと分かっていても妙に信憑性があって、風丸はどんどん気持ちが不安になっていった。彼女に何かあったなんて考えたくもない。
「おい、マックス、半田」
マックスが向かっていたのは円堂や[#dn=1#]の教室だった。マックスは半田は人がまばらになった教室で顔を突き合わせて話し込んでいた。風丸はためらいなく彼らの後ろ姿に言葉を掛ける。
「……風丸」
二人は風丸の登場に驚いたようだった。一瞬目を丸くして言葉を詰まらせる。半田とは円堂を介して知り合いではあるが、とても仲がいいというわけでもない。
だから、話しかけられたことに驚いているのだろうか。だが、そこに気を割いている余裕は風丸にはなかった。
「聞きたいことがある」
単刀直入に風丸は二人に問いかけた。
「[#dn=2#]に何かあったのか」
廊下で聞いた噂話のせいで散々不安を煽られている。風丸は一刻も早く真相を求めた。マックスと半田はお互いに顔を見合わせ、二人ともそれぞれ複雑そうな表情をして見せた。
ただ……、状況がシリアスであることは雰囲気から伝わってくる。いったい何だ……、風丸は不可解さに眉を顰めた。少し間をおいて、マックスが静かに口を開く。
「何から説明したらいいのかな……。[#dn=1#]、ちょっと部活の先輩とトラブってさ、まあそのケンカ? っていうか、嫌がらせ……ってのが正しいかもだけど」
「⁉ ……は、どういうことだ?」
想定外のマックスの答えに言葉を失う。嫌がらせなんて、[#dn=1#]がそんなことをされる要素がどこにある? それに女子陸上部の人たちだってそんなふうには見えなかった。
「まー……、[#dn=1#]が目障りだったんだって。実力があって、生意気だって思ってたみたいだよ。入部したときからずっと険悪だったのは[#dn=1#]からも聞いてたし」
「……そう、なのか」
知らないことばかりだった。あれだけ一緒に練習をしていたのに、[#dn=1#]が女子陸上部で先輩と折り合いが悪かったなんて聞いたこともない。そんな話になったことがなかった。
……相談してくれたらよかったのに。風丸は言葉にできない悔しさから眉間に皺を寄せる。
俺は、[#dn=2#]にとってそんな相談ができないほど信用がなかったのか……。実際フラれるくらいなのだからそんなものかとも思う。
「……知らなかった」
苦々しい表情を浮かべる風丸を、見定めるようにじっとマックスは見ていた。不機嫌そうな表情を浮かべた半田は、あからさまに大きなため息をついてぼそりと言葉を吐く。
「だって、言えるわけないだろお前に。……アイツら、風丸と[#dn=1#]が仲良いってのも気に入らなかったんだから」
「え……?」
「こっちが本命ってことだよ、風丸。[#dn=1#]がキミを傷つけたってことが」
「……何、を」
何を言ってるんだ、そう言おうとして風丸は言い淀む。傷つけられただなんて思ってもいない。
しかし[#dn=1#]と距離を置くことになった一件は間違いなくある。そしてマックスも半田も、それどころかおそらく男女問わず陸上部内でもその件が広まっていることを今になって理解した。
「まー、そこはどうでもいいんだよ実際。もう解決したことだからね、先輩たちは先生に今頃こってり絞られてるってとこでしょ。今日の職員会議の主題になるんじゃないの」
「いや、どうでもよくないだろ……」
「そんなことより重要なことがあるからね。風丸、キミにとっても」
半田の突っ込みを余所にマックスは話をつづけた。
「ボクの口から言うのは随分と憚られることだけど……。どうやら[#dn=1#]、キミに熱を上げてるみたいで」
「は?」
話の展開についていけない。風丸は衝撃的な発言にぽかんと口を開けた。何を言っているのか、分からない。そんなことがあるはずがない。
この前、[#dn=1#]は風丸の想いに応えられないと言ったのだ。そんな彼女が自分のことを好きだなんて……。何かの冗談を言っているのか、と風丸は訝しむ。
だが、マックスも半田も真剣な顔で風丸のことを見つめていた。
「キミの気持ちを受け入れられなかった理由があったってことだよ、[#dn=1#]にはね」
マックスと半田は[#dn=1#]が先ほど語った帝国学園での出来事を手短に風丸に伝えた。風丸は今になって[#dn=1#]が自分の告白を断った背景を知る。
……混乱はしている、急にこんな話をされて。だが、[#dn=2#]が俺を嫌っているわけじゃないのなら……。
「[#dn=1#]は中途半端な気持ちで風丸を傷つけたくなかったんだ。……帝国の時に好きだった奴を、今でも忘れられないから」
複雑な感情が入り乱れる。[#dn=1#]が今も思慕している名も知らない帝国の男には怒りを覚えた。[#dn=1#]が掛けられた酷い言葉の数々を聞いた。……よくも、そんな言葉を掛けられたと思う。
「だけど[#dn=1#]自身もこのままじゃダメだって分かってる。……でも、どうすればいいのか分からないってさ。恋心ぜーんぶ捨てたいって思って髪切ったんだって」
あんまりに不器用で、優柔不断だと思わない? とマックスが笑う。半田は何も言わずにそっぽを向いていた。
「……俺にできることは、ないのか」
勝手に言葉が口をついて出ていた。凛とした風丸の眼差しがマックスを見る。
[#dn=1#]の過去を聞いて、少なからず想いを知った。だがそんなことを抜きにしても、風丸自身が彼女に寄せている気持ちを曲げることはできない。
[#dn=1#]のために何かをしたいと思う。どんな些細なことでも、小さなことでも……。このまま引き下がって、傍観していることはできない。
気持ちが風丸を動かしていた。諦められないと、熾火のようにくすぶっていた気持ちが胸の中で確かに燃え上がる。
熱の籠った風丸の瞳を見て、マックスはやれやれと首を振った。半田は風丸のことをチラとも見ずに廊下の方へ視線を向けている。
「知らないね、そんなこと。キミのお姫様に直接に聞いてよ」
ちょうど戻ってきたみたいだし、とマックスが呟く。その時、教室の戸がガラリと開いた。ゆっくりと教室へと入ってきたのは秋と、秋に支えられている[#dn=1#]だった。
風丸はわずかに目を細める。……まだ慣れない、短くなった彼女を見るのは。
[#dn=1#]がゆっくりと席に腰を下ろしたのを見計らって歩いて行ったマックスが歩き出す。それに従って彼女の傍へ歩き出そうとすると不意に名前を呼ばれた。
「……風丸」
風丸を呼んだのはさっきまでそっぽを向いていた半田だった。彼は真剣な眼差しで風丸を見据えている。
「[#dn=1#]を頼む。……アイツのことが好きなら、お前が誰より[#dn=1#]を理解してやってほしいんだ」
「……」
「お前に任せるから」
ポン、と肩を叩いて半田が風丸の先を行く。半田の背中を見ながら、風丸は半田が風丸に託した想いの意図に気が付いた。……合点がいった、半田がさっきからずっと俺の方を見なかった理由を。
だが、それを知ったからって譲ってやれるわけでもない。
「[#dn=1#]。……風丸がさ、キミを心配してここに来てる。少し話をしてみたら? 今度こそちゃんと」
「……」
俯いていた彼女の視線が持ち上がって風丸を見つめる。これまで見た中で一番弱った姿だと思った。
今にも泣き出しそうな顔をしているが、すでに涙のあとがあった。左足に巻かれた包帯も、切りそろえられた髪さえ痛々しい。
一歩ずつ彼女の傍に歩み寄っていく。[#dn=1#]が物怖じしたように視線を逸らしたが、風丸はそれでも立ち止まらなかった。
「[#dn=1#]、ちゃんと正直に話せよ。俺らは先に帰っとくから」
「木野もそうするよね」
「……うん、私も先に帰ろうかな」
半田とマックスの言葉で、秋もここからの流れを察したようだった。てきぱきと身支度を整え、秋は鞄を手にもつ。
「秋ちゃん……」
「[#dn=1#]ちゃんは風丸くんと話してから、……ね?」
縋るような[#dn=1#]の声にも秋は毅然としたものだった。子供を諭すような言い方で[#dn=1#]を説き伏せ、三人は教室を出ていった。
教室には風丸と[#dn=1#]、ふたりだけが残される。風丸はゆっくりと[#dn=1#]の近くまで距離を詰めてゆく。そして、彼女を見つめて静かに口を開いた。
❀
特別なあの子を好きにならないなんて、初めっから無理な話だった。
風丸と[#dn=1#]を残し、教室を出た半田は黙り込んだまま廊下を進む。これでよかったんだよな、何度もそうやって自問自答を繰り返す。
風丸に任せるって言った、他に何か言えたことがあったか? 考えたって答えは出ない。けれど自分が決めたことだと胸の痛みを抑えつける。
「ねー半田ぁ、キミ忘れものしてるんじゃない?」
「……は、忘れものなんて」
なんの脈絡もなく、マックスが頭の後ろに手を組みながら素っ気ない口ぶりで言った。鞄は持っているんだし、忘れものなんかするわけない。
怪訝に思いながらマックスに視線を寄せる。一緒に歩いていた秋も、大丈夫? と半田の方を振り返っていた。
「今しかないよ、きっと」
意味深なマックスの言葉に半田は苦笑した。黙っていれば分からないと思っていたが、普段を知るマックスには気持ちを隠しきれていないことを悟る。
……そうだな、たまには素直にマックスの言うことを聞くのもいいかもしれない。
半田は秋とマックスに別れを告げて、回れ右をする。そしてそのまま階段を登り屋上へと向かった。
屋上から階下を覗くと、下校する生徒たちが見える。正門前の桜並木を見て半田は目を細めた。
……あの辺、だったよな。[#dn=1#]のことを初めて見かけたの。
春風が頬をくすぐる。そうだ、あの日の朝もこんな感じの風が吹いてて、でもまだ桜が満開だった。
まだ眠いなって思いながら校庭を歩いてた時に初めて[#dn=1#]と出会った。
最初に見えたのはふわっと舞い上がった桜の花びらだった。一瞬、何が起こったのか分かんなくて……。でも景色がスローモーションみたいに見えたのを覚えている。
可愛い女の子だった、全力で走ってるのにびっくりするくらい綺麗で。流れるような黒髪に桜の花びらが絡んで……、春風そのものみたいに見えてその場に立ち尽くした。
”友達になってくれ!”
声かけたのはその日のうちだっけ。……廊下でたまたますれ違ったから、何も考えずにそう声かけて、で友達になったんだよな。控えめな笑顔もすごくかわいく見えた。
――――初めて見たときから好きだった。
でもすぐに分かった。[#dn=1#]が風丸を好きだってことは。
好きなんだから見てれば、聞かなくたって全部伝わってきた。見ていてお似合いだったし。風丸だって[#dn=1#]のこと好きなんだなってのもイヤって程分かってた。
――――これでよかったはずだよな。
喉の奥からこみ上げそうになる気持ちをぐっと飲みこむ。ホントは、俺が守ってやるとかそういうカッコいいこと言えたらよかったんだけど。
だけどこんなこと言っても[#dn=1#]を困らせるだけだから。アイツの為を思ったらこれが最善だろ。中途半端なりにちゃんと考えてる。本当に今の[#dn=1#]のためになることを。
想いは叶わないかもしれないけど、俺はせめて[#dn=1#]のいい友達でありたい。俺、そのために努力するよ。
[#dn=1#]にとっていざっていうときに、ちゃんと頼ろうって思える友達になれるように。