FF編 第一章



 新しくスタートを切った学校生活は想像以上に上手く行っている。友人も過去とは比較にならないくらいできた。

 まさに夢に描いて憧れていた学校生活がここにある。走ることにだってますます喜びがあって毎日が楽しい。だが、そんな日常の中で[#dn=2#][#dn=1#]にはひとつだけ悩みがあった。

 教室の窓の外、なびく青髪が見えてあっと口から息が零れる。彼の方もこちらに気が付いたようでちらりと[#dn=1#]を見たが、[#dn=1#]と目が合うと慌てて目を逸らして行ってしまった。

 あからさまな彼の態度の変化、それに[#dn=1#]はちくりとした心の痛みを覚え憂色を浮かべる。悩みというのは彼、風丸のことであった。

 最近になってから急に、風丸が自分に接する態度に変化が生まれたことを[#dn=1#]は肌で感じ取っていた。

 落ち着いた雰囲気で頼りがいがあって、優しくて……。転入してきたときから気さくに言葉を掛けてくれていた風丸だが、どうにもこの頃は会話の中にぎこちなさを感じる。

 他愛のない話で笑い合って、考え方も似ていて気が合う。転入後からずっと傍にいてくれたはずだった。それなのに最近は会話すらテンポよくいかず、言葉少なになることがあった。

 避けられているみたいだ、と[#dn=1#]は風丸の態度からそう思ってしまっていた。……前までは、そんなふうに感じたりしなかったのに。

 なんせ、先程みたいに目が合ってもすぐ逸らされてしまうことすら時々ある。あからさまに視線が避けられると、[#dn=1#]はまるで自分が拒絶されているように感じてしまった。

 もしかすると何か自分が気に障ることをしてしまったのかもしれない。そのせいで彼に嫌われてしまったのかも……。

 考えれば考えるほど不安で、胸が苦しくて仕方がなかった。折角できた友人、肩を並べて走ることのできる唯一の人なのに。

 風丸との時間は穏やかで心地よく、何より楽しい。爽やかに駆ける彼の姿が、隣を歩いてくれる彼の微笑みが[#dn=1#]の心をゆっくり開いてくれた。

 最近、自分でもよく思う。帝国にいた頃に比べて笑っていることが増えたと。友人がたくさんできたこともあるかもしれないが、きっとその理由の大半には風丸の存在があった。

 ……彼は、他の誰とも違う。風丸のことを思うと[#dn=1#]の中に込み上げてくる感情があった。その気持ちに酷似したものを、帝国学園にいた頃にも抱いたことがある。

 ……いいや、風丸に抱いているものはそれとは違う。……同じはずがない。

 それなのに、思い出や痛みが薄れるのに反して風丸の存在は[#dn=1#]の中でどんどん大きくなっていく。[#dn=1#]はそれを自覚していながら、上手く受け入れることができないでいた。

 きっと自分は寂しさから、心に空いてしまった隙間を風丸で埋めようとしているだけだ。風丸の存在が自分の中で大きくなるにつれ、[#dn=1#]は必死に自分にそう言い聞かせなくてはならなかった。

 過去から逃れられず、[#dn=1#]の心は今も雁字搦めになっている。彼女の心はただ一人、今も思いを寄せる少年に向けられたままだ。

 その少年は帝国学園での生活において、[#dn=1#]のすべてだった。何があったって、どうやったって忘れられない。

 風丸と彼を重ねてしまうのはきっと……、拒絶が脳裏をよぎるからだ。[#dn=1#]が何よりも恐れること……。

 [#dn=1#]は目を伏せ、心を占める唯一の人を想った。鮮明に思い出せる、慕ってやまない彼の姿も声も。彼に掛けられた優しい言葉も、そして酷い言葉でさえもすべて。

「[#dn=1#]ちゃん? どうかしたの?」

 深く考え込んで俯いていた[#dn=1#]に言葉を掛けたのは秋だった。彼女はオレンジ色のお弁当の包みを持って[#dn=1#]の顔を覗き込んでいる。

 [#dn=1#]はようやく思考を切り離してちらっと教室の壁にかかった時計を見る。もう昼休みが始まって随分と時間が経ってしまっているようだった。

「ほら、もう休み時間だよ。一緒にお昼にしない?」
「……うん」

 まだ半ばぼんやりとしたまま秋の言葉に頷いて[#dn=1#]は自分の鞄を手に取った。中からお弁当の包みを取り出して立ち上がろうとすると、彼女の席の傍に二人の男子生徒が姿を現した。

「[#dn=1#]、お昼一緒に食べようよ。……あれ、木野?」

 そこに立っていたのはマックスと半田だった。コンビニのビニール袋を提げた彼らもまた、[#dn=1#]を昼食に誘いに来てくれたようだった。

 親しくなってから、彼らも[#dn=1#]に気さくに声を掛けたまにこうして昼を誘いに来てくれることがあった。秋とそしてマックスと半田と、一緒に過ごすのはそれぞれ週に半々といったところか。

「ああ、えっと……。今日はみんなで食べる? せっかく秋ちゃんも二人も来てくれたんだし」
「俺たちはかまわないけど……。木野はいいのか?」
「うん、一緒に食べよう」

 秋と半田は同じサッカー部でもあることだし普段から交流もある。異を唱えるものは誰もいなかった。

 それじゃあ、と三人は周囲の机と椅子を動かして座席を確保した。そしてそれぞれ弁当の包みや包装を開け始める。しかし[#dn=1#]は鞄から取り出した弁当包みを前に視線を落としている。またも心ここにあらず、といった様子だ。

「[#dn=1#]、食べないの?」
「あ……、ううん。食べるよ」

 ぼうっとしているのを見かねたマックスが[#dn=1#]に言葉を掛けた。その言葉で我に返った[#dn=1#]は慌ててお弁当の包みを開く。箸を取り出して手を合わせ、ようやく弁当に手を付け始めた。

「どうしたの? さっきもぼうっとしてたみたいだったし……。今日の[#dn=1#]ちゃん、なんだかずっと考え事してるみたい」

 明らかに普段とは異なる[#dn=1#]の様子に秋が心配そうな顔をして見せた。[#dn=1#]は秋の眼差しに曖昧に微笑んで、そうかなと呟く。

 確かに風丸の件が心に憑りついて離れないのは事実、だが……。そこまで表に出ていたなんて。

 何を答えたらいいのか、正直に胸の内を打ち明けてもいいものなのか……。友人との交流というものに乏しい[#dn=1#]にはそれが分からなくて口を噤む。

「何か悩みでもあるのか?」

 黙り込む[#dn=1#]に助け船を出したのは半田だった。[#dn=1#]は小さくその問いに頷く。

「ちょっと。……気になってる事があって。大したことじゃない、と思うんだけど……」

 言葉を選びながら[#dn=1#]が言葉を紡ぐ。大したことはない、と口では言いつつも[#dn=1#]自身にとって放っておけないことでもあった。

「え、何? どうしたの?」

 思い悩む感情を言葉に出すとマックスが興味津々に身を乗り出して[#dn=1#]に尋ねた。[#dn=1#]はマックスたちの反応を見ながら考える。

 ……話せば、少しは解決の糸口が見つかるだろうか。一人で悩んでいても何も答えは出そうにない。

「風丸くんの、ことなんだけど……」

 ほんの少しだけ、できたばかりの友人に心を打ち明けてみる決意をした。[#dn=1#]は三人の厚意に甘えることにして己の悩みを語り始める。

 風丸から自分に向けられる態度に壁を感じていること、そしてそれに[#dn=1#]自身が抱く感情を。

 簡潔に[#dn=1#]が状況を説明すると三人はお互いに顔を見合わせ……、そしてそれぞれ表情を変えた。秋とマックスは訳知り顔で笑っている。もっとも、その浮かべている笑顔には違いはあったが。

 秋は微笑ましげに[#dn=1#]を見つめるのに対し、マックスの方は面白いことを聞いたと言わんばかりにニヤニヤとしている。そして半田は、彼の表情には笑みはなく少しだけ複雑そうな表情で顔をしかめていた。

「[#dn=1#]ちゃん……、もしかして風丸くんに恋してるんじゃない?」

 その問いかけは核心を突くものだった。秋の言葉に[#dn=1#]はどきりとする。ここ数日、[#dn=1#]だって自分が風丸に感じている感情の意味を考え続けている。恋、というものも選択肢になかったわけじゃない。

 ……ただ、[#dn=1#]は秋が出した”恋”という答えだけは絶対に違うと自分に言い聞かせてきた。[#dn=1#]は静かに首を横に振る。

「違うと思う。……分からないけれど」
「分からない? それ、本気で言ってるの?」

 ここまで言っておいて? と言いたげに苦笑いをしながらマックスが[#dn=1#]の言葉を繰り返した。彼らからすれば、[#dn=1#]が風丸に対し特別な感情を抱いていることは明白だった。百歩譲って恋じゃないにしても風丸を他と違うように感じているのは隠しようがない。

 そしてそれは[#dn=1#]に限った話ではない。話に聞く風丸の様子、そして彼ら自身が目の当たりにした風丸の表情や態度を見れば。風丸の方だって[#dn=1#]に特別な思いを抱いているのは手に取るように分かるほどだった。

 第三者にしてみれば、好意は明白で疑いの余地すらない。しかし、それでも[#dn=1#]は続ける。

「本当に……、分からないの」

 分からないというより分かるまで突き詰めること、それに対し[#dn=1#]はためらいがあった。

 本当の意味で[#dn=1#]は彼らにすべてを明かせてはいない。これだけ親しくしてくれる友人にも、そして風丸にも。[#dn=1#]は帝国学園に在籍していたときの詳細を一度たりとも誰かに口外したことはない。

 ……好きだ、と今でも思う人が帝国にいること。初めて誰かに恋をした思い出がそこにあるということも。一切口にしなかった、[#dn=1#]自身もあまり思い出したくなかった。まだ、心の整理が十分とは言えない。それどころか。

 [#dn=1#]の答えに不服そうな声を上げたのは半田だった。眉間に深く皺をよせ、険しい表情をしている。

「でも聞いてる限りじゃはっきりしてるじゃないか。[#dn=1#]は風丸のことが……」

 しかし半田の声を遮るって昼休み終了を知らせる鐘が鳴る。それを合図に一斉に周囲がざわつき始めた。クラスメイト達は早々に席に着き、次の授業の準備をし始める。

「やばっ、もうこんな時間じゃん」

 [#dn=1#]たちもそのままでいるわけにはいかなかった。慌てて弁当を片付けて机を元の場所へ戻す。

「じゃあこの件はまた今度ね!」

 去り際にバタバタと慌てながらマックスが言葉を残していく。また今度……、原因究明が遠のいたのを悟って[#dn=1#]は落胆の色を浮かべた。

 大したことじゃない……、そうやって自分にも言い聞かせてみる。だが、どうやっても風丸のことが頭から離れてくれない。整理のつかない気持ちのせいで、授業にも身が入らない。

 ――――今すぐに答えが欲しいのに。

 答えを待ち続ける猶予は彼女の心の中にもうあまり残されてはいなかった。
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