FF編 第一章
春は始まりを告げる。入学、卒業……。そして新たな学年へと進学する者たちの、全てにおいて節目となる。
待ち受けている新たな生活に人が抱く感情は千差万別だ。不安を覚える者もいれば、未来に期待に胸を膨らませる者、あるいは別離の寂しさを抱えている者もいるかもしれない。春は激動の季節だ。そして、ここから物語はスタートを切る。
河川敷の沿い、整備された歩道には均一に並んだ桜の木々が満開の花を咲かせている。花びらを浮かべた川の流れは桃色を反射し、太陽にきらめいた水面の青と混ざり合う。
その美しい桃色の並木の中に一人の少女が姿を現した。長い黒髪をなびかせ、舞い散る桜を身に纏う。優美に桜の中を歩いていた彼女は、一度立ち止まり大きく深呼吸した。
風が凪いだのは一瞬だった。吹き付けた突風と共に桜の花びらと彼女の黒髪が空へ舞い上がる。風と共に少女は強く地面を蹴って走り出した。
風の余韻が立ち消えた後、少女の姿はすでに彼方にあった。ひらりひらりと花びらが地に落ちる。何事もなかったかのように川の水音だけを残して辺りは静まり返る。
彼女の走りを見た者は皆、口を揃えて言う。
その姿はまさに疾風だ、と――。
【 第 一 章 】
ここは雷門中学。稲妻町のシンボル、イナズママークを校章に掲げる在籍生徒数千人を超える私立中学だ。新学期初日の今日、少女は転入という形でこの場所へ足を踏み入れた。四十年以上の歴史を持つにしては新しい校舎の中、彼女は緊張の面持ちで周囲を見渡した。新天地に対する不安を押し込め、長い黒髪を払って耳に掛ける。
少女の名前は[#dn=2#][#dn=1#]。本日付けで帝国学園からやってきた転校生である。色白でやや小柄な体躯、印象深いのは長く伸ばされた艶やかな黒髪だ。
ふいに[#dn=1#]の足が止まる。その髪と同じ黒の瞳が緊張を孕んだまま、職員室の札を見上げた。彼女が探していたのはこの場所だった。転入生として初めて雷門中学へやってきたのだ。まずは連絡をくれた教師に挨拶をしなければならない。
――――冬海先生……、だったよね。
ふゆかい、だなんて。珍しく、また何とも形容しがたい語呂の名前だ。そう思いながら[#dn=1#]は頭の中で再び確認する。とにかく中へ……、職員室の扉に手を掛けて少しためらう。
一度扉に伸ばした手を下ろし、[#dn=1#]は大きく深呼吸をした。身だしなみが心配になって真新しい制服のリボンを少しだけ引っ張る。大丈夫、大丈夫……。そうやって自分に言い聞かせると少しだけ気分が落ち着いた。意気込みを新たに、彼女は今度こそ職員室の扉を開けた。
「失礼します」
凛と通る声と共に職員室へ入室する。[#dn=1#]の声を聞いて数名の教員がちら、と[#dn=1#]の方へと視線を向けた。[#dn=1#]は寄せられる視線に控えめに目を伏せ、緊張に脈打つ胸を撫でつける。できるだけ堂々と平静さを装った。
「おはようございます。帝国学園から転校してきました、[#dn=2#][#dn=1#]です。冬海先生はいらっしゃいますか?」
挨拶と共に用件を告げると動きがあった。[#dn=1#]の声にはいはい……と気だるげな声が答える。のろのろと[#dn=1#]の元へやってきたのは眼鏡をかけた中年の教諭だった。……どこか冴えない印象を受ける。気が弱そうで、しきりに眼鏡を押し上げている姿がやや神経質そうに見えた。無精ひげが生えており、清潔感に欠けるところからあまり良い印象が持てない。
「私が冬海だが。……ああ、君が帝国学園からの転校生かい?」
ちらと[#dn=1#]を一瞥して冬海はまた眼鏡を押し上げる。じろじろと品定めするように[#dn=1#]を見て、冬海は面倒そうにため息をついた。
「君のような子が帝国学園にいたなんて信じられないね。……まあ、だからこそこんなところに転校してきたんだろうが」
「……」
[#dn=1#]は一瞬言葉を失い、冬海の言葉にわずかに眉をひそめた。第一印象もあまり良くはなかったが、今の言葉は何を言いたくて放ったのか。まるで[#dn=1#]が帝国学園には相応しくなかったと言わんばかりの口ぶりだ。
だが……、冬海の言葉が[#dn=1#]にとって全く的外れでもないからたちが悪かった。緊張で早鐘を打っていた[#dn=1#]の心に凍てつくに似た痛みが走る。
実際、自分が帝国学園に相応しくないと言われて否定できない。一年も在籍していたのが不思議なくらいだ。名門・帝国学園からしてみれば私のような生徒は不要だった、胸の中でそう[#dn=1#]は繰り返す。
――――相応しかったなんて、そんなおこがましいことは思っていない。帝国にも彼にも。
「そうですね。……私もそう思っています」
とはいえ、言い返すつもりもない。転入早々、教師相手に反抗してもいいことはないはずだ。胸に込みあげた感情を飲み下し、[#dn=1#]は動揺を隠して微笑んだ。
「今日からはこちらでお世話になります」
固い作り笑いを浮かべて[#dn=1#]は冬海を見上げた。冬海が[#dn=1#]の態度をどう思ったのかは分からないが、フンと鼻を鳴らして背を向ける。
「ついてきなさい。あなたの教室に行きましょう」
職員室を出た後、冬海と共に[#dn=1#]は教室へと向かった。生徒数が多いだけあって、教室の数もかなりのものだ。冬海の案内に従っていくつもの教室を通り過ぎ、階段を登っていく。帝国学園もかなりの敷地を有していたが、学内の雰囲気が全くと言っていいほど違う。重々しい空気を纏った帝国学園に比べれば、雷門中学は賑やかでどことなく清涼な空気がある。
二ーCと書かれた札の教室の前で冬海が足を止めた。
「少し待ってなさい」
そっけなくそう告げた冬海は[#dn=1#]の方を見向きもせずにさっさと教室の中へと入っていった。これがあの先生の通常運転なのか、それともよほど転入生というイレギュラーが面倒なのか。[#dn=1#]は肩をすくめて目を伏せた。だが冬海教諭の態度に関心を寄せていられたのは一瞬だけだった。
教室の中からおはようございます、と生徒たちが揃って挨拶をする声が外まで聞こえてくる。[#dn=1#]はどきりとして忘れていた緊張を思い出した。そうだ、これからこの中に入っていかなければならないのだ。
新しいこの学校で、新しい友達を作って……。今度こそ上手くやっていく。……できるかは分からないけれど。期待よりも遥かに不安が勝る。だがきっと、去年に比べればきっとマシなはずだ。
冬海の"入ってきなさい"という言葉を聞いて、[#dn=1#]は教室の扉を開けた。教室へ一歩足を踏み入れると、ザワザワとしていた教室の喧騒が一気に静まり返る。クラスメイトの視線が[#dn=1#]に集中した。
できるだけ背筋を伸ばして歩き、指示されたとおりに教壇の前へと向かう。そして席についているクラスメイトたちの方を見た。生徒の視線が全て自分に集中していて……正直、どこを見ていればいいのか分からない。
「帝国学園から転校してきました。[#dn=2#][#dn=1#]です。よろしくお願いします」
短いが凛とした態度を保ったまま挨拶を終えて[#dn=1#]が頭を下げる。のちに、ぱらぱらと拍手が湧いた。一大イベントを終え、[#dn=1#]はほっと胸を撫でおろす。頬を桃色に染めて恥ずかしそうにはにかみ、さりげなく頬に掛かった黒髪を耳に掛けた。
「じゃあ[#dn=2#]さんは木野さんの隣の席に座ってください。……以上でホームルームを終わります」
木野と呼ばれた人物であろう少女の隣、空いている席を指し示して冬海は淡々とホームルーム終了させた。号令の間を縫って歩き、緊張の余韻にまだ少しフワフワした気持ちで[#dn=1#]は机に鞄を置く。すると先ほど冬海に木野と呼ばれていた少女が隣から[#dn=1#]に声を掛けた。
「[#dn=2#]さん初めまして。私は木野秋、よろしくね」
「こちらこそ。……よろしくお願いします」
秋の向けてくる柔らかい笑顔に、[#dn=1#]も表情を緩ませる。何かもっと気の利いた返しができればいいのに、そう思いながらも[#dn=1#]にはこれが精いっぱいだった。隣の席の女の子が優しく笑いかけ、声を掛けてくれたことがとにかく嬉しかった。
1/22ページ