FF編 第十二章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「風丸」
円堂のマジン・ザ・ハンド修得のための練習を終え、部室に備え付けられているシャワーを浴びた後のことだ。体育館へ戻ろうとする風丸の背後から、彼の名を呼ぶ声が聞こえた。風丸は立ち止まり、声の主を振り返る。まだしっとりと濡れた髪を耳に掛けて、自分に声をかけた人物を見た。
「半田、どうしたんだ?」
下ろしたままの髪をさらりと手で掻き上げながら風丸が問うた。さすがにシャワーの後であるし、寝る前なのだからいつものように風丸の髪はポニーテールにされていない。半田はそれに少し新鮮味を感じていたが、今はそんなことに捕らわれている暇はなかった。
「お前に話がある、一緒に来てくれないか」
「話? ここじゃダメなのか」
風丸が首を傾げた。髪を下ろしているから余計女っぽく見える。半田はそんなことを思いながら頷いた。
「ああ。できればあんまり人に聞かれたくないしな」
風丸は怪訝そうに顔を顰める。だが、普段こんなことを言いだすことはない半田が、これほど深刻そうに風丸に事を頼むのだから、それほどの用事なのだろう。特に断る理由もない、あとはどうせ寝るだけなのだから。風丸はこくりと頷く、そして分かったと了承の言葉を口にした。
❀
半田が風丸を連れてきたのは花織が普段勉学を学んでいる教室であった。廊下は電気が落とされていて不気味であり、煌々と教室内を照らす蛍光灯は、冷たく無機質に風丸と半田に光を注いだ。
「半田、俺に何の用だ。早く戻らないと監督に叱られるぞ?」
真面目な風丸らしい言葉だ。実際、監督に何も言わずに抜け出してきているのだから、今ここに居ることがバレると二人とも多少なりとは怒られてしまうだろう。何しろ合宿中は集団行動が必須であるし、練習のせいで時刻も遅いのだから早く身体を休めるべきだ。
「悪い。でも、早いうちに聞いとかないと後悔するんじゃないかって思ったんだ」
半田は一つ深呼吸をして風丸を見据えた。風丸は半田の真剣みを帯びた表情に僅かに首を傾げる。半田は少しの沈黙の後に核心を口にした。
「風丸、本当に花織とよりを戻す気はないのか?」
お節介で半田がどうこう聞いても仕方のない話だ。半田自身、それは良くわかっている。だがそれでもこのままにしておくのはどうしても嫌だったのだ。風丸は半田の質問に目を大きく見開いた、しかしそれを隠すように彼は俯く。長い髪が風丸の表情を半田から隠した。
「……、その話はこの間しただろ」
「分かってる。でも俺、どうしても納得がいかないんだ」
マックスは、風丸の決断に納得したのらしい。風丸がそう決めたならと花織と風丸を執り成すことを諦め、花織との交友関係すら断とうとしている。花織にはっきりする気がないなら一緒に居てもイライラするだけだから、と言っていた。だが半田は違う。半田はマックスよりも風丸と花織に上手くいってほしいと願っていた。
「花織が鬼道を想うことに嫌気が差したんだったら、もっと前に別れてたんじゃないか?今更、鬼道よりもお前のことを好きだった花織を振るなんておかしいだろ。……本当に風丸が花織のことを好きなら、一緒に居ればいいじゃないか! 花織だって風丸のことが好きなんだから」
半田の真剣な言葉に風丸はふっと自嘲気味の笑みを浮かべた。どうやら半田は風丸が身を引いたことが解せないらしい。
「おかしくないだろ。今更になって嫌気が差したんだ。俺は花織のことが好きだ、でも花織と俺を繋ぎとめていたのは、花織の俺に対する負い目だ。……俺は、ずっと鬼道を想いつづける花織を縛っていた。それが嫌になったんだ。本当に花織が、俺は好きなんだから」
風丸の発言に半田の顔が顰められる。風丸は言葉を続けた。
「俺は花織と鬼道が一緒になれて幸せなら、いくらでも引く。花織が俺に負い目を感じるのなら、そうならないようにいくらだって花織に酷い仕打ちをしたっていい。俺を嫌いになれば、花織は鬼道の傍に居やすいだろうから」
「どうしてそうなるんだよ。花織の意見は無視なのか? なあ、俺思うんだ。風丸は花織に幸せになってほしいとか言ってるけど、今はただ単に逃げてるだけじゃないのか。なんでまず花織と話し合わないんだよ」
半田は、風丸が身を引いたという事実よりも、風丸の自己犠牲の様が気に入らなかった。花織の幸せのためなんて、言葉は良いが逃げているだけではないのか、そう思っていた。
普通なら、花織を本気で好いていて恋人関係を結んでいたなら。何も話し合わないで別れたりしないだろう。ただ単に花織に告げられるのが怖かっただけじゃないのか。半田はそう考えてしまうのだ。花織に、自分よりも鬼道が好きだという宣告のような言葉を告げられることが。
「前にも言ったが俺は鬼道の代りだったんだ。そういう約束だったし、俺はそれが最善だと思った。今じゃ鬼道は雷門にいるんだ、俺が傍にいたらむしろ邪魔だろ。……そう思うのは自然じゃないのか? 話し合う余地なんてないだろ」
刹那、半田はぐっと奥歯を噛みしめた。つかつかと風丸に歩み寄って、風丸の胸倉をつかんだ勢いで半田が叫ぶ。
「お前と花織がした約束は鬼道の代りなんかじゃないだろ!! すり替えるなよ!!」
「……っ」
半田の剣幕に風丸が顔を上げた。その表情は驚きに満ち溢れている。半田は言葉の勢いに任せて話を続けた。
「俺が花織に聞いたお前との約束は今は鬼道でも代わりでも、いつか鬼道を忘れさせる、だ。俺、お前も花織もお互いのことが好きじゃないならこんなこと言わない。ただでさえお節介だって思ってるんだ。でもこのままじゃお前も花織も、どうしようもないまんまだろ……!」
訴えるような言葉で半田が叫ぶ。風丸は始めは半田の剣幕に驚いていたようだが、悲しげに顔を顰めて再び俯いた。
「俺が花織を好きだって、花織は鬼道が……」
「花織が好きなのは風丸だろ」
「違う! ……俺はずっと花織を見てきた、ずっと傍で……。だから誰より花織が鬼道を好いてるんだって、分かってるんだ」
ため息のような声だった。風丸は目を伏せる。好きだから分かるんだ、と言いたげだった。花織は一年前から鬼道を好いていた、そんな簡単に自分の方へ気持ちが向いてくれるような容易い人間ではないことはこの付き合いでよくわかっている。風丸は花織が好いているのは鬼道だというスタンスを崩そうとはしなかった。だが、半田の言葉に風丸はハッとさせられることになる。
「……花織をずっと見てたのは、風丸だけじゃない」
その言葉で風丸は思い出した。半田も、花織に想いを寄せていたのだと。決して、風丸と鬼道だけが花織を特別視していたのではないことを。
半田が今日ここへ自分を呼び出した理由もわかった。風丸と半田の仲にも約束があったからだ。半田は口にはしないが、それを風丸に訴えかけていた。ようやくそれに気が付いた。風丸たちが付き合い始めた翌日、半田は花織を大切にしろと風丸の肩を叩いた。自分はそれに頷いたんじゃないか。
「……半田」
「俺も花織が好きだったから。気づいてたんだろ、風丸。……俺だってずっと花織を見てた。いや、お前らがサッカー部に来てお前らふたりを見るようになった。俺はあの日決めたんだ、花織を応援するって。花織が風丸が好きだって言ったから」
半田は、風丸が決して花織の口からは聞きたくないであろう言葉を実際に聞いているのだ。他の男を好いているのだという気持ちを面と向かって打ち明けられている。しかも彼自身は眼中になく、だ。むしろそれは風丸よりも過酷な立場だったのではないだろうか。
「……」
「さすがに、未だに恋愛感情で花織が好きだとは言わない。……でも花織は、アイツは好きな人である前に仲間だったから。ずっと花織の味方でありたかったから……、半端な俺なりには花織のことを誰より知ってたつもりだ」
風丸は何も言えなかった。よくよく考えてみれば、半田は花織に対しての恋愛感情をおくびにも出さず、今までふたりにあくまでも友人として一緒に居てくれたのだ。
「確かに花織はさ、サッカー部に来たばっかのときは風丸の言うとおり、鬼道の方が好きだったんだと思う。でも、地区予選決勝の時には確実にお前の方が好きになってたんだと俺は思うよ」
半田の意見は聞く価値がある。でも、風丸も根拠なく花織が鬼道を愛してやまないのだと決めつけたわけではない。
「そんなわけないだろ。……花織は戦国伊賀島との試合の前に迷うことなく陸上をやめたんだ。俺と花織にとって陸上のフィールドは、サッカーのフィールドと違って隣に立つことができる場所だった。……それに花織は速さを極める必要はないっていったんだ。陸上をしていた時は俺といつもどうすればタイムが縮まるのか試行錯誤してたのに。これは花織が俺じゃなくて、鬼道の居るサッカーを選んだってことじゃないのか?」
えっ、と半田が驚きの声を上げた。風丸はもしかして知らないのか、花織が今まで速さを求めていた理由。誰よりも速くある必要があった理由や、陸上をやめた理由を。
「……違うぞ、風丸」
「え……?」
「花織が陸上をやめたのは、鬼道の目に留まる必要がなくなったからだ」
風丸は絶句した。目を大きく見開いて半田を凝視する。さらりと風丸の長い髪が揺れた。
「花織、お前がまだサッカーか陸上で悩んでるときに言ってたんだ。陸上は、鬼道が好いてくれるから速くなりたいって思ってたんだって。いわば陸上って、花織と鬼道の始まりみたいなもんだろ。……もう鬼道の目に留まる必要はないからやめるんだって」
「……」
なんで、今更そんなことを言うんだ。風丸は動揺に唇を噛んだ。今思えば半田の言うとおりだ、こんなこと話し合っていればすぐに明らかになっていただろうに。こんなふうに小さく積もって行ったすれ違いが風丸に思い込ませていた。
花織が好きなのは鬼道なのだ。そしてその思い込みが、花織の風丸に対する好意を自分への同情なのだという想いに変換して解釈することになった。それが風丸に花織と別れるという決心をさせた。何もかも、臆病にならず一度話合っていれば済むことだったのに。
「……もっと早く、気づけてたらよかったんだろうな」
大きなため息の後に風丸が零した。その表情には自身に対する呆れが滲んでいる。今更じゃないか、本当に。花織のためを思ってやってたことはすべて花織を傷つけるだけの行動だったのか、そう思うとますます自分が情けなくなる思いだった。
だがもう既にどうにもならないところまで来ている。現在、風丸は花織をとことん無視しているのだ。もう嫌われてしまっていてもおかしくないだろう、花織は今明るさを取り戻しているし、鬼道とは良好な友人関係を築いているのだと聞いている。謝ったところであとの祭りなのは確かで、後にも引けないところまで来ている。
「風丸」
「半田、お前の言いたいことはわかったよ。だがよりは戻せそうもない……、俺は花織をあんなに傷つけたんだ。今更何を言ったって花織はもうきっと、今度こそ俺のことを嫌いになったと思う」
悲しげな目をして風丸が俯いた。だが半田はじっと風丸の横顔を見つめていた。そして再び彼が口を開く。
「別に俺だって、お前からよりを戻せとはいわない。何だかんだ、お前が悪いんじゃなくて、はっきりできない花織が悪いわけだからな。でも、花織がもし風丸と話したいっていうんだったら聞いてやってほしいんだ。拒絶しないで聞いてやってほしい。お前がまだ、ほんとに花織を好きだって言えるなら」
「……ああ」
今になって彼女が俺と話したいと思うなんて。そんなこときっとあるわけないだろう。そう思いながらも風丸は半田の言葉に頷いた。