FF編 第十一章
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彼の特徴的な青が風に舞っている。花織はタオルを畳むためにベンチに掛けていたが、その手は止まっていた。視線はじっと、その先の爽やかに笑う彼に向けられている。呆然と、流れるように走る彼を花織は見つめ続けている。この頃の練習はこうやって彼ばかりを見つめることが多かった。
気が付けばそうしている、部活の時はもちろん昼休みなどの休み時間も、彼が視界に入ればそうだ。こうやって彼を眺めている。迷惑だとわかっていてもだ。それは無意識の中で行われていることなのだから、花織にどうにかできることでもない。
「気になるの?」
「……っ」
急に声を掛けられて花織はびくりと背を伸ばす。ぎこちなく隣を見れば、微笑を浮かべた秋が、花織の顔を覗き込んでいた。花織はたじろぐ。何となく気まずくて中断していたタオルを畳む作業を無言で再開させる。
「誤魔化さなくてもいいのに」
「……きっと、私が見ていても迷惑だから。……ね、それより円堂くんはどう? 秋ちゃん、どうにかして彼を元気づける方法、見つかった?」
話しを逸らすために、秋の想い人である円堂の話題を花織がさり気なく提示する。花織の問いかけに、秋は見事につられて花織からすぐに円堂へと視線を逸らした。先日秋は、自分が円堂に何をしてやれるだろうと悩んでいたのだ。そして今の円堂はいつも通りに振る舞っているのかいつもの明るい円堂でいる。秋が何かしたのだろうか。
「見守ることにしたの」
「見守る?」
花織が不思議そうに問い返した。
「そう。夏未さんにも言われちゃった。こういうとき、マネージャーとして彼を見守ることも大切なんじゃないかって。なるほどなって、私思っちゃった」
秋が寂しそうに目を伏せる。花織にはその訳がよく分かった。マネージャーとしても円堂へ恋心を向けるライバルとしても、夏未に後れを取ったことを秋は心のどこかで悔しく思っているのだろう。そしてそれと同時にそんな発想が出てくることが凄いという尊敬の気持ちもあって、ただ夏未の言う見守りしかできない自分が悔しいのだと思う。
「見守り、ね……」
花織は秋の言葉を繰り返す。花織だったら、そんなこと耐えられない。見ているだけで何もできないなんて辛すぎる、でも自分が秋の立場だったらどうするだろう。マネージャーの立場だとすれば秋と同じく見守るだけで済ますかもしれないが、それが自分の大切な人だとしたらどういう手助けをするだろう。
「花織ちゃんだったら、どうする?」
「私だったら……」
彼が悩んでいたら、自分の壁を打ち破れなくて無理をして笑っているようなことがあったら。花織は思考を巡らす。おそらくきっと、見守るなんてできない。一緒に練習して、彼の壁を打ち破るためのヒントを作るきっかけになりたいと思うだろう。自分にできることをして精一杯彼の力になりたいと願うだろう。もちろん、秋もそう思っているだろうが、とにかく花織は何か行動し、彼に尽くしたいと思った。
「……見守ることも大切だと思う。それでも私は、彼の助けになりたい。大したことはできなくてもシュートでもドリブルでも彼の打開のきっかけになるためなら何でもしたい。……選手ほどは役に立てないかもしれないけれど」
彼女は未だに彼を目で追っている。その言葉はじっと誰かに焦点が向けられ、語られているように秋は思った。彼の為にサッカーが上手くなりたいと言っていた花織ならではの回答かもしれない。そして今もその思いはその彼に注がれているのだろう。
「そっか。……花織ちゃんらしいね、風丸くんの相手になりたいからって言ってた花織ちゃんらしい」
「あれは……、自分のためだから。私が、彼と走りたかっただけで」
花織が彼からあからさまに視線を逸らした。秋はふっと困り顔で微笑む。花織の中でちゃんとこの件に関してやはり答えが出ているのだと実感した。ただそれを花織が認められないだけなのだ。いろいろな周りからの威圧と、彼らへの負い目などのせいで。
「花織ちゃん、本当はもう答えが出てるんじゃない? ……花織ちゃんが誰を好いているのか」
「……私は」
「あ、そろそろ休憩だね」
秋が時計を見て話を切り替える。秋は首から下げたホイッスルを吹き鳴らし、甲高い笛の音をフィールド全体に響き渡らせた。その笛の音にボールを追いかけていた選手たちの足が止まる。花織はドリンクやタオルの準備を始めた。
「はい、花織ちゃんはタオル配って。春奈ちゃんはドリンクを。私は、貰い損ねた人の為に構えてるから」
秋が指示を出し、マネージャーの仕事を振り分ける。花織と春奈は頷いてそれぞれの荷物を抱えた。今日は理事長の見舞いの為に夏未はいない。それでも三人もマネージャーがいれば十分に手は足りていた。
花織は先ほど畳んでいたタオルとは別の洗濯をしてある真っ白なタオルを腕に下げ、選手に配り始めた。選手はハードな練習のせいでみんな汗だくだ。きちんと汗を拭いておかないと身体を冷やしてしまう。
「どうぞ、染岡くん。お疲れ様」
「おう、サンキュ」
「影野くん、頑張ってるね。はい、タオル」
「……ありがとう」
花織はフィールドのラインぎりぎりに立ち、出てくる選手たち一人一人に声を掛けながらタオルを手渡す。こういう声掛けも大事だと花織は常日頃から思っている。選手のモチベーションが褒められることで保たれるのなら、また何か悩みがある場合声を掛ければすぐにわかるのだから、やらない手はないと思う。何より、声掛け一つできなくてマネージャー業は務まらないだろう。
「お疲れ様です、豪炎寺くん、鬼道さん」
「ああ、ありがとう」
「悪いな」
花織がタオルを差し出せば、二人もきちんと受け取ってくれる。花織がふっと笑いかければ、鬼道も微笑みを返してくれた。
「頑張っているな、お前も」
「ありがとうございます、鬼道さん」
些細な言葉であってもやはりそれが嬉しくて花織は鬼道に会釈して、次にやってきた一之瀬、土門にそれを配る。そして足が止まった。彼が、上がってきたからだ。長い髪を揺らして、宍戸と談笑しながらこちらへ向かってきている。ここの所、ずっと話をしていない。
普通に声を掛ければ迷惑だろう。でも、タオルを渡すだけだ。あとは彼らだけなのだから、彼らだけに渡さないというわけにもいかないだろう。
私は、マネージャーとして当然のことをするだけで。妙な緊張を押さえながら花織は二人の元へ歩み寄る。花織の瞳に彼が映る。花織が自分に歩み寄って、自分に声を掛けようとしているのが分かったのか、彼もちらりと花織を一瞥した。
「一郎太くん……」
それは一瞬の出来事だった。風は静かに花織の横を吹き抜けて行った。
「木野! タオル貰えないか?」
花織の目が大きく見開かれる。風丸さん! と宍戸が慌てて風丸が追っていくのを花織は呆然と見ていた。一瞬、何が起こったのかよく分からなかったが、花織はすぐにそれを察した。風丸は花織を一瞥しただけで、目を合わせようとはしなかったのだから。
拒絶。その二文字が花織の脳内を支配した。花織はこぶしを握る。怖くて後ろを振り返ることができなかった。現実が衝撃的で絶望的な何かに胸が支配された、目頭が熱くなった。
「花織ちゃん!」
ひらりとタオルが地に落ちる。堪えられなくなって花織はその場から逃げ出した。ダメだ、ダメだ。このままでは、チームの空気を悪くしてしまう。士気が高まっている選手たちの前でこんな情けない姿を見せるわけにはいかなかった。
さて、残されたチームメイトがこの異様な空気に気づかないわけがない。もちろん早々に休憩に入っていた部員たちは何が起こったのかよく理解できなかったようだが、勘の良い選手や事情を知っていた、または目の当たりにした者たちは今の一瞬で何が起こったのかを察した。
あるものは花織を追い、あるものは風丸を凝視した。それでも風丸は何事もなかったかのように秋の前にやってきた。秋は今起こったことに対して何も言えずに、ただ風丸を動揺した瞳で見つめている。風丸の表情からは何も感じられなかった。
「風丸先輩! どうしてさっきみたいなことを!」
春奈が先ほどの風丸の態度に憤慨して彼に食って掛かる。春奈も、花織と同じように選手たちにドリンクを配っていたのだ。彼女は間近で先ほどの出来事を見たのだろう。でなければここまで彼女が激昂することは無いと思う。
「いくら別れたからって、無視なんて酷すぎますっ! 花織先輩は先輩にタオルを渡そうとしただけなのに!」
先ほどの花織の表情、風丸が花織に別れを告げた時と同じくらいショックを受けた表情をしていた。本当に彼女を以前少しでも愛していたなら、風丸があの表情に何も感じないわけがない。春奈はそう思っていた。花織の幸せを願って別れるのだと言ってた。確かに花織がはっきりしないから風丸は報われなかった。それでも未だ風丸との別れの傷心が癒えぬ花織に、今の仕打ちは酷すぎるだろう。
「…音無に、何がわかるんだ?」
「え……っ」
風丸は春奈を見下ろす。冷たくていつもなら見せるはずのない、見せたことのない感情を堪えたような無表情な顔を彼はしていた。春奈は戸惑う。風丸は秋の手からタオルを受け取りながら、彼は言葉を続けた。
「花織と俺はもう付き合ってるわけじゃない。それに花織に対して俺がどんな反応を取ろうが、俺の勝手じゃないか。別れたのに、いつまでもアイツの気持ちに付き合ってられないよ」
「でも、あんなのって……」
「俺は、花織と話したくないんだ。構わないでくれ」
そんな、と春奈が言葉を漏らす。あれだけ花織を好いていた風丸の様変わりした言葉に春奈は酷くショックを受けたようだ。だが、秋は違った。風丸の表情を見て、それが彼の真意ではないことを察する。
彼が未練を断ちきれるほど器用なら、こんな悲しい顔で花織を傷つけたりしない。本当に風丸が花織に対する踏ん切りがついたのだとしたら、きっと花織と何事もなく話せるはずだ。一応は自分の気持ちに決着をつけている鬼道のように。だが、風丸はそれができないでいる。すなわち、彼は未だに花織への想いを振り切れないでいるのだ。
実際、秋の推測は当たっていた。風丸は彼女を傷つけたことに対する身を切られるような痛みを享受しながらもこれでいいのだと自分に言い聞かせていた。俺がはっきりと花織を嫌いにならなければ、花織はいつまでも俺に気を遣うだろうから。
俺が本当に花織に対する恋愛感情を打ち消せるのはまだまだずっと先だろう。でも俺がこんな態度を取りつづければ花織が俺を嫌いになるのは時間の問題だ。それにこうでもしなければ俺も花織に対する気持ちを切れないから、いつまでも他人に笑い掛ける花織に嫉妬してしまうから。
仮の拒絶を行動に移せば、きっと気持ちもそちらへ傾く時が来るだろう。それが何年先だろうと、彼女の幸せの為に風丸はそうする覚悟があった。それが自分のため、彼女のためにきっとなる。だから今は、こうするしかない。風丸は自分自身にそう言い聞かせていた。