FF編 第十一章
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広い修練場内にどんっと着地音が響く。
「ふっ……」
ようやく今日も自分のノルマをこなせた。花織は息を整えながら伸びをする。彼女の気持ちは時間の流れによって、またさまざまな人物の助言により落ち着きを取り戻した。そして以前のような凛とした芯の強さを瞳に再び映すようになった。もちろん、内に秘めている気持ちはある。だがそれを微塵も外へ見せなくなっていた。
マネージャーとして積極的に選手のサポートに当たり、終了後はこうして修練場のマシンを使って身体を動かしている。言わずもがな円堂と監督の許可は得てだ。今はちょうどそのマシンが停止したところだった。
「レベル四も、もういいかな……」
先日はやけを起こしてきた場所だが、今は単純に身体能力の向上を目的にここへきていた。土門と秋には誰にもこのことを話さないよう、固く口止めをして。しかし花織が軽いストレッチをし、身体を伸ばしていると、彼女のほか誰もいないはずの修練場に厳しい声が響き渡った。
「またここにいたのか、花織」
その声に花織は驚き、焦る。振り返ると遠くに特徴的なドレッドヘアが見えた。もうそれだけで、それは誰であるかなど簡単に分かってしまう。
「き、鬼道さん……」
「全く、俺は以前にお前に無茶なトレーニングはやめろと言ったはずだが?」
つかつかと彼は花織のいる壁際へ歩み寄ってくる。わずかに憤りのようなものを見せている鬼道に対して、花織はばつの悪そうな顔で俯いた。
「どうして……、私がここだと? それよりどうしてこんな時間に」
「俺は、お前がまだ俺を避けていた時から、お前が怪我をしているのではないかと疑っていた。……最近は試合の関係で有耶無耶になっていたが、今日は土門を付けてお前がここにいるということを確認した」
腕を組んだ彼はゴーグル越しにも分かるような鋭い視線で花織を見据える。花織は大きくため息をつき、目を伏せた。土門と秋を口止めしていたのは、こういうことが起こらないようにするためだったのに。想像よりも早く、事が露見してしまうなんて。
御影専農との地区予選の試合日、花織は修練場での無茶な特訓はやめろ、と鬼道に言われていた。加えて今までは風丸にもだ。花織が怪我をするといけないから、と特に風丸には口を酸っぱくして言われていた。正直、風丸が嫌がるから今までずっと修練場を使わなかったのだ。
だからこそ花織は、先日風丸と別れ、鬼道を避けていたあの時にこの修練場を使おうと思ったのだ。きっとここはストレスに付いて考えることもなく、ただ自分を追い詰めることのできる場所だと考えた。だが今は、花織と鬼道は和解し、良好な友人関係を一歩ずつだが築き始めている。再び注意を受けることは目に見えていた。だから秋と土門を口止めしていたのに。
「鬼道さんの目はさすがに誤魔化せませんね。……でも私、ここでの練習をやめる気はありませんから」
「花織」
咎めるような口調で鬼道が言う。花織も意志の強い瞳で彼を見た。この頃、この二人の関係は変化していた。鬼道が友人として待つから、と友人らしい接し方を花織に所望したからだ。だからこそ、口調こそは敬語のままでも花織は、以前のように鬼道の命令に従わなければいけない、という強迫観念のようなものを払拭しつつあった。
「鬼道さんには関係ないでしょう? ……ここで練習するのは私の意思。鬼道さんにも、誰にもとやかく言われる筋合いはない」
「何も俺はここで練習することだけに限定して、制約を掛けようとしているわけではない。こんな時間まで残っていることにも問題があるんだ」
「今までも残ってましたし……」
時刻は二十時前、確かに女子中学生が一人で帰るにはあまりよろしくない時間帯だ。だがそれでも花織は引こうとしない、もちろんそれは鬼道も同じだ。
「花織」
「……っ、いたっ」
鬼道が花織の名を呼んで、素早く花織の身体を壁に押し付ける。花織は突然のことに驚く。ぞくりと背筋に冷たいものが走った。一瞬、あの夜道での出来事を思い出す。抵抗もできずに鬼道のされるがままだった。それでもあの時と違って嫌悪感を感じないのは、やはり花織が彼に対して特別な感情を抱いているからだろうか。
鬼道は花織の両腕を拘束して自らの顔をじっと彼女に寄せる。花織は彼との顔の近さにどぎまぎして、声にならない声を上げた。だがそれでも鬼道はスタンスを崩さない。
「少しは考えろ。中学生の俺の手さえ、お前は振り払えない。……そんなお前が夜道で、しかもお前が臆する細い路地で、お前を狙うような変質者に出会ったらどう対処する? 相手は男の、しかも大人だ。……もしかしたら影山の手下かもしれない」
花織は鬼道の言葉にハッとする。いや、始めから分かっていたはずだ。鬼道がいつも自分の身を案じてくれて、花織の為に動いているのだということを。現に今だってそうだ。他の部員など、きっと一人も残っていない。それなのに、彼は花織に忠告するためにこの場に残っていた。
「……」
「分かっているだろう? お前のような魅力的な女が歩いていれば、妙な事を考える輩が出てもおかしくはない。俺はお前の身を案じて言っている」
鬼道の言うことすべてに同意はできないが、花織はもちろん彼の言いたいことは分かっている。夜道がどれだけ怖くて危険なのかだってわかっている。……ただ、少し鬼道に反発してみたかったのだ。
好意と、信頼と、尊敬とそういった正の感情の中に埋もれる彼への負の感情。花織の心は落ち着いているようだがめちゃくちゃだ。鬼道とこのまま本当に友好関係を築き、いつか答えを出せるのか。彼の傍にいるとやはりよく分からなくなってしまう。複雑でどう対応していいかわからないから、先ほどの彼の高圧的な、自分を束縛するような態度が妙な反抗心を花織の中で生んでしまった。
「もしもお前がまだ分からないというなら――――、俺が分からせてやろうか?」
背筋に電流が走るほど艶めいた声が花織の耳元で囁く。鬼道有人という人間は本当にズルい、彼自身もそれは自覚していた。
友人としてなど、心から思えるものか。上辺では確かにそう言い、花織の前では鬼道はそう取り繕った。だが本心はそうではない、彼女に友人としてなど思ってほしくはなかった。異性として、一人の男として彼女が自分を意識することを、彼は腹の中では望んでいる。だから今の状況のような、無防備で隙だらけの彼女に対して過剰な、それでいて親切と思わせるような行動をとるのだ。
「……ごめんなさい、鬼道さん」
「分かればいい。……俺も悪かった。お前に理解させるためとはいえ、怖い目をみさせて」
花織が項垂れて謝罪の言葉を口にすれば、鬼道もそっと花織の腕を拘束する手を緩めた。鬼道の力によってうっすらと赤くなってしまった彼女の腕を鬼道が優しく摩る。
「ただ俺はお前が心配でな。……無理のない練習なら俺も何も言わない。それに」
「……?」
鬼道が花織に微笑みかける。そして少しだけ気障で、それでも彼の本心とも取れる言葉を口にした。
「どんな場所に居ようとも、俺がお前を守る。必ず、な」
「……っ」
かああ、っと花織の頬が赤くなった。やはり鬼道はズルい、友人として接するなどといったくせに。以前と、花織に想いを伝える前とそう変わらない態度で花織と接する。それは確かにあからさまに花織に対して好きだとか、お前が欲しいだとかは言いはしない。それで好意を微かに滲ませて彼は花織に接するのだ。
「……あ、ありがとう、ございます。……でも、さっきはああ言いましたけど、さすがにこれからはあんまり残って練習はしませんから。決勝も近いですし。それに」
「それに?」
「……マネージャーが自分本位では、どうしようもないですから」
花織がふっと悩ましげに目を伏せて呟いた。するとすっと明らかに先ほどまであった甘ったるい空気が引く。鬼道も切り替えが早かった。花織が提示する話の内容が変わったことを瞬時に悟ったのだ。
「円堂君……。この頃不調ですよね、正確にいうと木戸川清修の試合中から」
「ああ。ゴッドハンドが破られて、かなり堪えたようだな。……今のままでは世宇子には勝てないだろう」
「ええ。私も世宇子中学の準決勝をビデオで見ましたが……。とてもじゃありませんが今のままでは勝てないと、そう思っています。いつもの彼らしさもないですし」
やってみなくちゃわからないじゃダメなんだよ、円堂はそう言っていた。今までは「やってみなくちゃわからない!」と言ってすべてを乗り切っていた彼が、そういうのだ。精神的にかなり追いつめられている。そしてそれはチームの士気にすら影響しかねない。
木戸川戦でも一本、危ないシュートがあった。そのシュートは壁山と栗松の援護で何とか彼は止めることができた。しかし、ディフェンスがずっとキーパーの援護をするわけにもいかない。あれはタイミングが良かっただけだ。世宇子との試合ではできない可能性が高い。
「奴は今、壁にぶち当たっている。それを乗り越えられるかは円堂次第だ。乗り越えられればさらにレベルアップできるし、できなければ沈む」
「円堂くんは諦めが悪いですから、そう簡単には沈まないでしょう? ……もし沈みそうなら私たち、マネージャーがバックアップします」
「フッ……、そういう話を今日一之瀬たちともしたんだ。……マジン・ザ・ハンドという、ゴッドハンドよりも強い技があるらしい。円堂がそのマジン・ザ・ハンドを習得し、アイツがキャプテンとして、ゴールキーパーとしていつもの調子を出せるよう、俺たち選手が支えていかなければならない、と」
鬼道は選手で、花織はマネージャーであり、元々スポーツをする人間だ。そしてチームメイトでも感情的にならずに、客観的に選手を評価できる。こういう点ではとても鬼道と花織は相性がいい。花織は選手として、マネージャーとして忌憚なき意見や疑問を述べるし、鬼道はそれに答える。
「……女子が大会に出られないのが本当に残念でなりません」
「試合に出たいのか、花織?」
鬼道の問いに花織が頷く。自分が選手で在れたのなら、もっとチームに貢献できる。もっとチームを良く知り、フォローができるのに。ボールを通してチームメイトの気持ちを知ることができるのに。……また彼と、フィールドを駆けることができるのに。
「出たいです。……外にいたのでは、みんなの世界は見えないから」
花織はそう言って悲しげに微笑を浮かべる。地面に転がったサッカーボールに視線を落として思った。私には見えない。フィールドを出て、陸上のトラックを出て、見えなくなってしまった。彼の世界も。彼の心も。