FF編 第一章
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上滑りに時間が過ぎてゆき、すぐに放課後の部活動の時間がやってきた。いつもは集中して何の感情も混ざらないトレーニングがおざなりになっている。風丸に恋をしている。秋の言葉が焼き付いて離れない。花織は風丸のことが……、半田はいったい何を言い掛けたのだろう。すべてを忘れられるのは全力で走っているときだけだった。
花織は気持ちを切り替えようと自らの頬を叩き、男子陸上部の方へと歩を進める。女子陸上部の練習はいつも五時三十分で終了してしまう。その時間以降は男子に交じって練習するのが、花織のこの頃の習慣だった。
相変わらず花織と女子陸上部の部員たちは折り合いが悪く、未だ先輩たちの花織に対する態度は冷たかった。彼女たちは花織に対し、色々と不満がある様だった。男子陸上部とくに風丸と仲良くしていることもその一因であると花織は分かっていた。女子陸上部にとって風丸一郎太という存在はたとえ年下であっても憧れるような存在だと、蔑ろにされるチームの中でもはっきりと感じ取れた。
「風丸くん」
ベンチに座って休憩を取っていた風丸に花織は声を掛ける。風丸は花織の声に顔を上げると、花織を見つめさっと顔を赤らめた。そしてそのまま花織から視線を逸らしてしまう。花織はきゅっとズボンを手で握った。風丸の態度の一つ一つが、花織を不安な気持ちでいっぱいにする。嫌われているの? そう考えるとずきずきと胸が痛む。でもそれならば、傷が深くならないうちにはっきりといってほしい。
競い合える良きライバルになれる。勝手に期待を抱き、勝手に絶望するなどということをもう絶対に繰り返したくない。
「ああ、じゃあ行こうぜ」
「風丸くん!」
そう言い、花織を置いてグラウンドへ向かおうとしてしまう風丸を花織は大きな声で呼び止めた。
「月島……?」
驚いて振り返り、花織を凝視する風丸。彼は久しぶりに花織と目を合せたのだが、今はそんなことは問題ではなくなっていた。花織は深刻な表情で風丸を見つめている。彼女はタンクトップの胸元を握る。
明日になればマックスや半田が花織の気持ちを解説してくれるかもしれない。しかしそんなものをもう待てなかった。花織の思考は完全にこの胸を締め付けるような苦しさを解消したい、それだけだった。
「風丸くん……。私がここに来るの、迷惑だった?」
「え?」
花織の質問に訳が分からないといったように風丸は慌てふためいた。迷惑だなんて、そんな感情を彼女に対して一度たりとも抱いたことは無い。彼にしてみれば彼女の言葉は青天の霹靂だった。花織はただただ思いつく言葉を風丸に告げる。
「風丸くん、最近目が合ってもすぐに逸らしちゃうよね。それに前みたいに話しかけてくれなくなったし……」
言葉に出すと締め付けられるような胸の痛みが花織の心を蝕んだ。目頭が熱くなって、それでも零れ落ちようとする気持ちを押さえつける。ひたすらに花織は自分が感じている彼への不安を打ち明ける。滲み、小さくなりゆく声で言葉を紡ぎ、それでも風丸から視線はそらさなかった。
「私のことが嫌いならはっきり言ってほしい。……何も言わないで、そうやって態度で示されても分からないよ」
「……っ! 俺は月島の事を嫌いじゃない! むしろ好きで……!?」
途端に風丸はしまったと言いたげな顔をする。一瞬訳がわからなかった花織も沈黙と共に彼の言葉の意味を察した。花織の瞳が風丸を映して揺らぐ。一瞬戸惑ったものの、彼はすぐに決心したような真剣な表情で花織を見つめた。その男らしい彼の眼差しに花織はどきりと胸が高鳴り、視線が離せなくなってしまった。
「俺は、月島の事が好きだ。……初めて一緒に走った時から気になってた。ここのところは月島と一緒にいると緊張してうまく話せなかったし、目も合わせられなかった。……お前を不快な気持ちにさせる気はなかったんだ、悪い」
少し照れくさそうに頭に手を当てながら風丸が笑みを浮かべる。しかしすぐに表情を真剣なものへと変えしっかりと花織の目を見つめた。
「もし……、もし月島さえ良かったら俺と付き合ってほしい」
花織の唇から吐息が漏れる。しかし言葉は何も出てこなかった。彼の気持ちには正直驚いた、嬉しいとも思った。何か答えなければと思う。しかし自分の風丸に対する思いがわからない。私は彼をどう思っているのだろう、花織はこぶしを握る。考えてみれば、花織の好きな人はすぐに思い浮かんだ。気持ちなんて、前々から決まり切っている。
恋をしている人が、いる。帝国学園の頂点に立つ彼。鬼道有人を今でも想っている。手の届かない存在だと理解していたが、それでもずっと気持ちは変わらなかった。どれだけ彼に嫌われていても諦められるような簡単な想いではなかった。彼に掛けられた酷い言葉を思い返す。あの日どれだけ絶望し、身を切られるような気持ちになったか。花織は唇を噛む。
裏切られたと思った、あんなに彼は自分に優しくしてくれたのに。そしてそれは風丸も同じかもしれない。今はこうして、真っすぐに自分を見据えて好きだと言ってくれる彼も、いつか心変わりをして自分のことを嫌いになってしまうかもしれない。それを想像するだけで心はひりひりと焼け付くようだ。こんな気持ちで彼の想いに答えることなど、できないだろう。そもそも自分は、彼に恋などしていないのだから。
花織は静かに彼から目を逸らす。風にさらさらと長い黒髪のポニーテールが揺れた。
「ごめんね……。風丸くんの気持ちには応えられない」
花織の小さな呟きが沈黙に溶けた。世界が音を無くしたように風丸は感じた。一瞬心が無くなって、戻ってきたときには冷たく重い石でも詰め込んできたようなそんな気持ちだった。それでも風丸は気丈に笑ってみせる。それが少しでも彼女を傷つけない手段に思えた。
「……そうか。すまなかったな」
だがそれがむしろ花織の心を揺らがせた。何もなかったように取り繕うとする風丸の表情は切なげで、傷ついたように笑っていて自分がどんなに酷いことをしたのか花織に突き付けるようだった。だがこれでよかったはずだ。これ以上最良の選択肢など、なかったはずだ。花織はそう自分に言い聞かせ、風丸に背を向ける。
「……今日はもう帰るね」
そう呟いて花織はその場から駆けだした。特に目的も決めずに走っていればいつの間にか校舎裏に立っていた。花織は校舎に背をつき、ずるずると地面へ座り込む。溢れそうになる涙をどうにか堪えようと顔を覆った。
どうして自分が泣いているのか分からない。苦しいのは自分ではない、こんな自分に好意を抱いてそれを口にしてくれた風丸のはずだろうに。それなのになぜ、涙が溢れてくるのだろうか。花織は涙を拭いながら思考を巡らす。風丸を傷つけた罪悪感だろうか、それとも彼に対する同情だろうか……、もしもそれが同情なのだとしたら風丸に対してこれ以上の侮辱はないだろう。花織は膝を抱える。もしそうなら私は……。それを断ち切らねばならないだろう。
一人グラウンドに残された風丸は右手で顔を覆った。振られた、という事実が想像以上に重く胸に沈み込む。自分が惨めだという気持ちが拭えない。この気持ちを誰かに抱くのは初めてだった。初恋だったのに。
自分の気持ちを中途半端に告げてしまって、もう後には戻れなかった。言わなければならないような気がしたのだ。それに微かに期待もしていた。もしかしたら、花織も自分のことを好いてくれているのではないかと。自分と一緒に過ごす彼女はいつも楽しそうにしてくれていた。だから少しは望みがあるだろうと思っていた。
しかしそれは自惚れだったのだ、風丸は自嘲する。だがそれでも花織の事は諦められないだろう。風丸は確かにそう思った。自分の胸にこみ上げる熱い気持ちの行き場を失くして、張り裂けそうなほどの苦しみを彼は感じた。