FF編 第十章
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鬼道と風丸が花織に対して心配を抱いた、その翌日のことだ。何と、アメリカから秋と土門の友人がやってきた。彼の名前は一之瀬一哉、爽やかで明るい人で既にチームに馴染んで練習に参加している。
彼は幼い頃、交通事故に遭い、二度とサッカーをできないと宣告されたらしい。そのため友人である秋と土門には自分は死んだものとして伝えていたから今まで秋たちは一之瀬の生存を知らなかったのだということだ。
彼はアメリカではフィールドの魔術師呼ばれている、天才ミッドフィルダーなのだそうだ。確かにと花織は思う。彼は鬼道とボールを競り合っても全く引けを取らないどころか、ほとんど互角に渡り合っている。
「凄いね、一之瀬くんって」
「うん。小さい頃からあんな風に凄かったんだ」
花織が思わず漏らした感嘆の言葉に、秋が嬉しそうに微笑む。きっと昔と変わらない一之瀬のプレーが見られることが嬉しいのだ。花織の言うとおり一之瀬のプレイは凄い、人の目を引くそのボール捌きはプロのような鮮やかさだ。
「皆も楽しそう」
花織がチームメイトを見ながら呟く。一之瀬に触発されてか、皆今日は特にモチベーションが高い。ぼんやりと彼に目を向ける。笑顔でボールを蹴る彼は楽しそうだ。何も考えず、ひたすらに彼を目で追う。彼が楽しそうに笑うたびにぎゅっと胸を締め付けられるような気持ちに襲われた。彼の練習をこんなふうに見ているのが好きだ。でも彼と走るのはもっと好きだった。
「秋」
花織が悲しげな表情で彼を見つめていると目の前に人影が掛かった。ふっと花織は顔をあげ、その人物の顔を見る。一之瀬だ。
「隣、いいかな」
彼は真っ直ぐに秋を見ている。その姿に思うところがあった花織は席を立った。
「なんだかお邪魔みたい。……私、向こうで記録付けてくるね」
「え、花織ちゃん?」
急に立ち上がった花織を秋が不思議そうな顔で見上げる。花織の行動の意味を理解したらしい一之瀬は秋から視線を外し、花織のことを見た。
「気にしなくていいよ。君もここに居たら? 秋の友達なんだろ」
「いえ、いいんです。……幼馴染だったら積もる話もあるだろうし」
ひらりと手を振って花織はふたりから離れる春奈と夏未の座るベンチを越えて、一人フィールド端のベンチに腰かけた。そしてジャージのポケットから自分の手帳を取り出した。以前の手帳は鬼道がしばらく預かっていたから、雷門中に来た時に新調した新しい手帳だ。
中には自分が練習を見ていて気が付いた点をメモしてある。時々、選手の為になりそうならば指摘をしたりしてきた。最初は自分のプレーについてだった。帝国に居た時からずっとそうしてきた。以前のページを繰ろうとして花織はハッとする。結局、そのままページを見ないでやめてしまった。
またぼうっと目に映る青色を追いかけている。得られるものはきっともう何も無いはずなのにやめられない。最早、これは彼女にとって日常でほとんど癖のようなものなのだろう。
「やあ」
急に声を掛けられて花織は彼から視線を移す。振り返ると秋と話していたはずの一之瀬が、先ほど秋に見せていたポーズで笑っていた。
「一之瀬くん……。秋ちゃんとお話してたんじゃないですか?」
「逃げられちゃった。円堂のことを話したからかな」
花織の隣に腰かけながら一之瀬が言った。え、と問い返して花織が一之瀬を見つめる。花織の驚いた表情に一之瀬は苦笑しながら頭を掻く。
「秋は円堂が好きなんだね」
「一之瀬くん……? あの」
いきなり何を言い出すのだろうこの人は。だが、それは確かに核心を突いていて、咄嗟に花織は否定できなかった。いったい何と答えればいいのやら、花織はしどろもどろになって取り繕おうとする。
「ああ、気を遣わなくていいよ。もうわかってることだからさ。目は口ほどに物を言うっていうだろ、わかるもんだよ。さっき君が俺の気持ちに気が付いてくれたみたいに」
やけにあっさりとした返事だ。花織はぽかんとして一之瀬を見る。彼は秋への想いを花織へ知られたことも、秋が円堂を好いていることも何も思っていないようだ。いったい彼が何を考えているのか、花織には分からなかった。
「……君の目と同じだね」
澄んだ瞳で一之瀬が花織の目を見つめる。一之瀬が本気で何を考えているのか、全く分からない。もしかして、花織が彼を見つめていたのに気が付いたのだろうか。花織はふいと一之瀬から視線を逸らした。……一之瀬と花織がそれぞれ誰かに対して同じ想いであるはずなど、ない。
「私は……、違うから」
触れられたくない部分に触れられた花織は、唇を噛みしめることしかできなかった。一之瀬の想いは秋に対する純粋な恋心だろうが、花織は違う。彼に対する未練や憧憬、罪悪感や迷いが織り交ぜられ、胸の中で泥のように粘っこくどろどろになった感情が渦巻いている。それを一之瀬の想いと並べるのは申し訳ない。恋や愛と呼ぶことすら憚られるほど汚いと花織が感じている感情なのに。
「違わないよ。……違うとすればそれを隠そうとしているか、していないかさ」
「え……?」
きょとんとした花織に一之瀬が微笑む。そして静かに空を見上げてぽつりぽつりとつぶやき始めた。
「俺は秋が好きだ。でもただ秋が好きだって感情だけが、俺の中にあるわけじゃない。昔からの仲間意識とか、そういうものもある。でも秋に好かれる円堂が羨ましいとか、昔に少しでも俺の気持ちが秋に伝わってたら違ってたかもとか……、嫉妬や後悔、未練もある」
何でもないことのように自分の胸の内を語り始めた一之瀬に、花織は目を剥く。どうしてそんな大切な自分の気持ちを、一之瀬と秋だけが知っていればいい気持ちを、出会ったばかりの自分に話せるのだろうか。花織はただ、一之瀬の話を聞くことしかできない。好きだけがすべてじゃない。一之瀬の気持ちも花織と同じくらいごちゃごちゃに混ざったものだった。
「でも俺は諦めない。自分が行動をやめてしまわない限り、俺はこの状況がどうにかなると信じてる。現に、サッカーを諦めなかったから今の俺がある。……だから君も、もっと素直になりなよ。そんなふうに悲しい顔ばっかりしてても何も変わらない」
にっこり、爽やかな微笑を花織に向けて一之瀬が言う。今まで色々な人に言われてきた言葉と同じだった。だがそのどれよりも彼の言葉は花織に響いたような気がする。どうしてだろう。一之瀬の言葉は誰より説得力があった。花織がそう感じると同時に一之瀬はベンチから立ち上がった。
「じゃあ、俺はそろそろ練習に戻るよ。彼らを見てると座ってなんかいられない」
「あ……、はい」
花織は立ち上がった一之瀬を見上げてこくんと頷く。一之瀬はそのままフィールドに向かおうとしたが、何か思い出したようで再びこちらへもどってきた。
「そういえば君、名前は?」
「え、あの月島……、花織です」
「花織、君の気持ちは君のものだよ。だからそんな顔ばかりするなよ」
晴れやかな一之瀬の笑顔に何となく元気づけられたような気がした。