FF編 第十章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「はぁ……っ、はっ、はあ……っ」
花織は全身の鈍い痛みを享受しながら、胸いっぱいに酸素を吸い込む。修練場の床は冷たく、気持ちがいい。火照りきった身体を冷ましてくれるようだ。
数分前にようやくマシンが停止した。とてもハードだった、以前体験した時とは比べ物にならない。何も考えなくていいほどすべてが真っ白で、億劫で息を継ぎ走ることが精一杯だった。花織は少し首を動かす、それですら怠くて仕方がない。
今から帰ることを考えると嫌になるが、頭はすっきりとしていて爽やかだった。マシンの動きはハードで怪我も多少はしたものの、全くついていけないわけではなかったし実行して良かったといえるだろう。花織は大の字に手足を伸ばす。疲れだけが身体を支配する今が、とてもここ数日の中で一番快適だった。息をすることしか考えなくていい。
「花織ちゃん!!」
心地よい疲労感に花織が目を伏せていると、突然声がかかった。花織は驚きに飛び上がる。ぼろぼろの身体をおして、上半身を持ち上げる。修練場の入り口から土門と救急箱を抱えた秋が焦った様子でこちらへ駆けてきていた。
「な、何で……、ここに」
花織が寝転がったまま、脇へ座り込んだ秋に問いかけた。秋には土門と帰るから先に帰れと言って何も言わなかったし、土門にももちろん帰れと言った。なのにどうして彼らはここに居るのだろう。花織が驚愕していると秋が少し怒ったような口調で花織の身体に触れた。
「土門くんから教えてもらったの! それにしても、どうしてこんな無茶をしたの?」
「練習したかっただけだよ。鈍ってたのかな……、無茶したつもりはないんだけど」
あまり抑揚のない声で花織が呟く。彼女はあまりそれを気にしていないようだが、花織の身体はぼろぼろで腕や足には擦り傷、片膝からは流血もしている。
「あー……、それは俺のせい。ごめん、俺らの練習の設定のままだったんだ」
頭を掻きながら、土門が申し訳なさそうに言う。花織はそう、と頷いて天井を見上げた。再び地面に寝ころべばいくつもの電燈が花織を見下ろしている。
「皆、こんな練習を軽々こなしてるんだね。凄いなあ……」
「凄いなあ、じゃないよ! どうして私に話してくれなかったの!? 土門くんにも本当は帰らせるつもりだったんでしょう! もし花織ちゃんが怪我をして自力で動けなくなったら、どうするつもりだったの!?」
秋が珍しく怒りを露わにして強い口調で花織に言う。花織は目を伏せ、小さく言葉を吐き出した。
「……言いたくなかった。話したら全部本音が零れそうで。……私、また逃げだそうとしてたから」
「え?」
思いにもよらない花織の言葉に秋と土門が疑問符を浮かべた。逃げる? 秋は首を傾げる。花織は目をゆっくりと開ける。そして土門と秋の表情を見て静かに話し始めた。
「私、自分のせいでチームの空気が乱れてるってわかってた。皆、腫物に触るみたいに私に話しかけるし、目も合わせてくれない人もいたから。私自身もどうしても気持ちを上げきれなくて皆の士気を下げてばっかり。……情けないよ、もうすぐ準決勝が控えてるのに。だから、身体に負荷をかけて何も考えられなくなりたかった。……辛いことも、悲しいことも忘れてしまいたかった」
花織が目を再び伏せる。つうっと彼女の瞳から涙がこめかみの辺りを伝って落ちた。花織は自らの手で自分の顔を覆う。
「でも、忘れられたのは夢中になってる時だけ。……忘れられるはずないよ、一郎太くんのあんな顔。私のせいでどれだけ彼が辛い思いをしたのか」
胸が張り裂けそうだ。風丸の言葉、表情、声色、瞳……。思い出すだけでぽろぽろと涙が零れ落ちてしまう。しかも彼のプレーに支障が出ていないところを見ると、彼がずっと前から決心を付けていたのか。はたまた花織に愛想を尽かしたのかどちらかということが花織には分かっていた。どちらにしても風丸を苦しめたという事実は変わらない。
「それでも私、大好きなの。いつも一緒だったから、彼が隣にいないだけで不安で寂しくて、苦しくなる」
傷つけたのは風丸だけではない、鬼道のこともだ。あの後彼は花織を慰めようとしてくれたに違いないのに、花織はその手を見向きもせずに振り払ってしまった。
彼はずっと花織への想いを温めて、ようやくそれを成就させようとしただけだったのに。中途半端な優しさを積み重ねてしまった。我儘な自分がどうしようもなく憎い、花織は嗚咽の中に、悲哀を交えた声を漏らした。
「こんなに人に迷惑をかけるなら、誰も好きになりたくなかった……っ」
秋は、黙って花織が気持ちを吐露するのを聞いていた。何故花織が自分に言いたくなかったのかはよくわかった。完全に花織の取った行動は完全に逃避だ。今までは抑圧し続けていたが、とうとう自分の中では堪えきれなくなったのだろう。だが、それならなぜ尚更自分に相談してくれないのだろう。秋はそう思った。
「花織ちゃん、本当にそう思うの?」
秋が花織を見据えて問いかける。
「確かに、花織ちゃんは結果的に風丸くんを傷つけたかもしれないけど、風丸くんを傷つけただけの関係じゃなかったはずでしょ」
「……っ」
花織の中ですべてが巡る。
一緒にトラックを駆け抜けた。帰り道を寄り添って歩いた。ボールを蹴って互いの実力を高め合った。おめでとう、とチームの勝利を喜び合った。手をつないだ。好きだといった。抱きしめた、キスをした。全部、風丸と過ごした幸せな時間だ。
「……風丸のやつ、花織ちゃんのこと無意識だろうけどたまに惚気たりしてたぜ。花織がいつも練習に付き合ってくれる、とか花織の話は面白いから聞いてて飽きないんだ、とかな。本当にごく最近の話しだぜ?」
土門が苦笑する。花織は大きく目を見開いた。土門の言葉にじわりじわりと熱く花織の胸の中で想いがこみ上げる。折角止まりかけていた涙が再びぼろぼろとこぼれ始めた。秋が花織の髪を優しく撫でながら、花織の顔を覗き込む。
「花織ちゃん。思い出しても本当に、風丸くんを好きにならなきゃよかったって思う?」
思い出を胸に抱えて花織は目を伏せる。右手で口元を抑え、込み上げる嗚咽を抑えた。
「思わ、ない……っ」
絞り出すような声で花織が呟く。秋はふっと表情を和らげて花織をそっと抱き起こそうとする。土門もさり気なくそれに加わり、花織を抱え起こし床に座らせた。
「でしょう? ……ね、花織ちゃん。今はまだ花織ちゃんの気持ちが落ち着いてないんだろうから駄目だけど、本当に心が決まったらもう一回、風丸くんと話してみたら?」
「……でも、一郎太くんは」
もうきっと私と顔を合わせたくないと思う、そう言おうとした花織の言葉を秋は遮り、ポケットからハンカチを取り出した。そして涙でぐしゃぐしゃになった花織の顔をそっと拭う。そしてにこりと花織に微笑んで見せた。
「大丈夫! 風丸くん、あんなに優しいじゃない。花織ちゃんの話をちゃんと聞いてくれるよ。…………ただし!」
秋が花織の肩をとんとんと叩いて花織を見つめる。
「風丸くんに自分の気持ちを伝えるのは、全部終わらせてから。今度こそ、はっきり返事を決めて挑まなきゃ。もしかして今の風丸くんに対する気持ちが同情なのかもしれないし、鬼道君への気持ちが同情なのかもしれない。……私は花織ちゃんの気持ちをわかってるつもりでも、本当に花織ちゃんにとって誰が一番大切なのかは決められないもん」
「……私」
マックスと半田は風丸を選ぶことを、春奈は鬼道を花織が選ぶことを期待している。花織の表情が少し翳った。結論を出すということがチーム内に軋轢を生みそうで怖かった。だが、そんな花織の考えを悟ったのか、土門が花織の肩を掴む。
「花織ちゃん、誰も関係ねえよ。付き合うのは花織ちゃんだろ。じっくり考えろって言ったのは俺だし。俺は最後まで花織ちゃんの味方だぜ。花織ちゃんが誰を選んでもな」
「そうだよ、私も花織ちゃんを応援してる。この前も言った通り、ずっと味方だから」
花織は唇を噛んで俯いた。じんわり胸が暖かくなる。……本当にそうすることができたらどんなにいいだろうと思った。今までできなかったことだ、できる気はしないが努力はしてみたい。どんなに時間が掛かっても。
「ありがとう……。秋ちゃん、土門くん」
「うん。じゃあ今から怪我の手当てだけして帰ろっか!」
花織が微かに笑って礼を言えば、秋は頼もしく笑顔を返してそういった。