FF編 第九章
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夕闇の中でボールが跳ねる。花織と風丸はいつものように練習後、河川敷で練習をしていた。陸上も何も関係なくボールを蹴れることが嬉しい、風丸はそんなふうに感じていた。だが、花織とのこうやっての練習も、あと多くて三日……、きっと来週にはこの光景は無くなる。花織がこうやってフィールドを駆ける姿を風丸が見ることも、もうなくなる。
「……はっ‼」
風丸を避けて花織がシュートを放つ。ゴールキーパーのいないゴールには花織のシュートが易々と決まった。さらりと花織の髪が揺れる。その表情には笑顔があった。
「凄いじゃないか、花織!」
「うん……! ありがとう、一郎太くん」
風丸が花織を褒めれば、花織は心底嬉しそうに頷いた。花織は実力差が開きつつあった風丸に対して攻撃を決められたことが嬉しかった。こうやって一対一でシュートを決められることはこの頃なくなってきていたのだ。花織はふうと息をついて額の汗を手の甲で拭った。
「少し、休憩しよっか」
「そうだな」
ベンチへと向かいながら、どちらともなく寄り添う。風丸がさらりと花織の髪に触れて、彼女の髪を靡かせた。
「花織、髪伸びたな」
「そう……? そろそろ結ばなきゃ」
「伸ばすのか?」
いつの日か、花織が自分と御揃いの髪が嬉しいと言ってくれたことを思いだす。もうすぐ恋人同士でなくなることを考えると言い出しにくいことだが、風丸は花織に髪を伸ばしてほしいと思っていた。
「うーん、どうしようかなあ……、一郎太くんはどっちがいいと思う?」
「……俺は」
花織が首を傾げる。風丸は思わず自分の希望を口にしようとしたが口を噤む。俺の好みは、花織には必要ない。自分にそう言い聞かせて風丸は微笑んだ。
「俺はどんな花織でも好きだよ」
「えっ……」
花織は虚を突かれて目を大きく見開く。まさか風丸が、恋愛小説にでも出てきそうなそんな言葉を口にするとは思わなかったのだ。花織は呆気にとられた後、くすっと笑みをこぼす。そして肩を竦めるとベンチに腰かけた。もちろん風丸も隣に腰かける。
「じゃあ、伸ばすね。また一郎太くんと御揃いにしたいから」
「……そ、そうか」
今度は花織が甘い言葉を告げ、ふたりはバカップルのようにいちゃいちゃと言葉を交わす。しかし風丸は花織とこんなふうに言葉を交わせるのもあと数日なのだと思うと胸の中に何かがこみ上げた。花織はそんな風丸には気が付かず、突然あっと声を上げて脇に置いていた鞄の蓋を開ける。
「そういえばね、今日はあるものを持ってきたの」
「あるもの?」
風丸が不思議そうに首を傾げる。花織が取り出したのは保冷バッグだった。その中から、アルミホイルに包まれたおにぎりを風丸に差し出す。
「練習したらお腹すくでしょ? ……たまにはこういうのもいいかなあって思って。おにぎりを作ってきたの」
「俺にか?」
「うん。みんなは雷々軒なんかに寄り道してるけど、一郎太くん、いつも私に付き合ってくれてるからお夕飯までお腹すいたままでしょ?」
常々思っていた。育ちざかりの年頃なのだ、花織ですら帰宅する頃にはおなかがすいて仕方がないのに、彼女よりも運動量の多い風丸の空腹感はもっと大きいだろうと思っていた。流石に花織はいくらお腹がすいていても寄り道をしてまでラーメンを食べる、なんてことはできない。だからこそのおにぎりだった。
「梅干しに鮭、おかかに昆布……。あとから揚げなんかも入れてみたんだけど。よかったら食べない? あ、もちろん塩むすびもあるよ」
「さすがに量が多くないか……?」
保冷バッグに入っているおにぎりのラインナップを述べている花織に、風丸が困ったようなそれでも微笑ましいというように笑う。花織もふふっと笑って風丸を見た。
「うん、でも一郎太くんは何が好きかわからなかったから、とにかくいっぱい作ってみたの。余ったら私のお夕飯にするし、全部食べても食べなくても大丈夫だよ」
「そうか……。ありがとう、花織」
「いいの、私が一郎太くんに食べてもらいたくて作っただけだから。……はい、お手拭」
花織が差し出した濡れタオルで彼は手をふき、保冷バッグの中から一つおにぎりを取る。彼の髪と同じ青色のアルミホイルで包まれたものだ。ゆっくりとアルミホイルをはがせば形の良い海苔の巻かれたおにぎりが姿を現す。
「じゃあ、花織。頂くぞ」
「うん。どうぞ召し上がれ」
結構豪快に口を開けて、風丸はおにぎりを口にする。花織はゆっくりと咀嚼を繰り返す風丸を見つめて微笑んでいる。飲み込んだと同時に彼は花織に笑顔を返してくれた。
「うん、美味いよ。花織」
「本当? おにぎりだからあまり手の込んだものってわけじゃないけど……。それでもそう言ってくれると嬉しい」
彼が食べたのはおかかのおにぎりだったようだ。その後も彼の言葉通りに美味しそうに食べてくれている。花織はじっとその様子を見ては微笑んだ。風丸がそんな花織の様子に頬を掻き、ほんのりと頬を赤くする。
「あの、花織……」
「ん、なあに?」
「そんなに見られると恥ずかしいんだが……」
それを口に出すことも恥ずかしかったのか、風丸は照れたように視線を逸らす。花織は膝に置いた保冷バッグに視線を向けるとぎゅっとそれを握った。彼女の頬も少し赤い。
「ご、ごめんね……。あまりに一郎太くんが美味しそうに食べてくれるから、つい……。ねえ、一郎太くん」
「なんだ?」
花織が今度は桃色のアルミホイルに包まれたおにぎりを風丸に差しだし、彼がそれを受け取ったのと同時に、今風丸が食べたおにぎりを包んでいたアルミホイルを受け取るとじっと彼を見つめた。
「またこうやって私が何か作ったら、食べてくれる?」
「……」
風丸は新たなおにぎりを受け取ると少しだけ俯く。もうきっと、こうやって彼女が自分の為に何かを作ってくれる機会はないだろう。準々決勝は間近に迫っている。もうきっとこうやって彼女に何かを作ってもらうどころか、一緒に練習をすることさえもが最後かもしれないのに。
すぐに答えなかった風丸に、不安げに花織が表情を陰らせる。迷惑だったかと、とても心配になったのだ。そんな花織を元気付けるように風丸は作り笑いを浮かべた。
「ああ、もちろんだよ」
安心したような彼女の微笑みを、苦しいほど胸に刻みながら。