FF編 第七章
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秋はどこかテンポの狂ったようなチームメイトの様子に疑問を抱いていた。ちらりと隣に立つ音無春奈へと視線を向ける。春奈はここへきてからずっと、いつもの元気がない。それに時々ふらりとどこかへ行ってしまう。表情も憂いを浮かべていて、遠くを見つめる目はどことなく寂しげだ。しかし、秋の心配はそれだけではない。様子がおかしいのは春奈だけではなかった。
秋の想い人、円堂守も先ほどから不自然なミスをしてばかりだ。手洗いから戻る前、彼のプレーは好調だったのに、どうしてか手洗いから戻ってきたその時からプレーに全くと言っていいほど冴えがない。
「しっかりしろよ、アップで怪我してたらシャレにならないからな」
耳に飛び込んできた声。その声に秋は声の主の方へと視線を向ける。風丸一郎太、彼も今日どこか、調子のおかしい選手のうちの一人。いつものように優しく頼もしい調子で壁山に声を掛けてはいるけれども、秋にはそれは彼がそんなふうに取り繕っているようにしか見えなかった。ふとした瞬間、とても悲しそうな目をしている。
花織がいないからだろうか。風丸の憂いには少しだけ推測の余地があった。この場所に到着したときに起こった出来事。花織が帝国学園のキャプテン、そして花織にとって恋心を抱き続けてきた相手でもある鬼道有人に着いて行ったことだ。あれが風丸にとって何かが心を蝕む原因になっているのかもしれないと秋は思う。しかし同時にこうも思った。
あの時花織は、鬼道についていくことを明らかに拒否しようとしていた。しかしそれを風丸が鬼道に強引に着いて行くよう押し付けたようにも見えた。……どうしてだろう? 風丸はいつも花織が他の異性と仲良くしているとあまりいい顔をするわけでもないのに。
花織の元気がなかったからだろうか。そういえば花織も今朝から調子がおかしかった。いつもなら笑顔で挨拶をくれ、いろいろな人の話を真摯に聞く彼女なのに、今日は違った。落ち着きなく辺りを見回して、風丸の陰に隠れているように思えた。だからこそ、花織の鬼道に対する恋心を知っている風丸が、花織を元気づけるために鬼道に引き渡したのだろうか。いや、そんなはずがない。それにそもそも花織が本当に落ち込んでいたのか、また落ち込んでいたとしてもその理由が全くわからない。
どうして、何が起こっているの? 秋には疑問ばかりが浮かんでくる。ボトルの蓋を閉める手が止まった時、想い人の声が聞こえた。顔、洗ってくる、その声に秋は立ち上がる。そしてボトルをベンチにおいて円堂の後を追った。とにかく今は少しでも選手が不安としている何かを取り除かなければいけない。マネージャーとして、チームに何が起こっているのかも知る権利がきっとあるはずだ。
一方その頃風丸は、いつものようにアップをこなしていきながらも胸の中にモヤモヤとしたものを感じていた。ずっと、あの時から気にかかって仕方がない。花織を鬼道に引き渡したあの時から、風丸の心は平静を装っているかのように振る舞っているが、全く穏やかではなかった。今二人の姿が全く見えないこともその思いを増長させる一因で、それを堪えてボールを蹴ることに風丸は必死だった。
俺は花織を好いている。昨晩、至極当たり前のように告げられた鬼道の言葉だ。鬼道は花織についての好意を隠す気など微塵もないかのような口調でそう言い放った、きっと彼女に対する態度もその好意の現れたものなのであろう。だからこそ、花織と鬼道が二人きりでいるこの状況で、二人が何をしているのかが気にかかって仕方がない。何が起こったっておかしくない。花織だって鬼道のことが好きなのだから。
……決して俺が口を挟めることじゃない。たとえ自分が花織にとって恋人という特別な地位を獲得していたとしても、風丸はそれを鬼道の代わりという約束で自分のものにした。それだけじゃない、その偽りの恋人という地位に立つ風丸のために鬼道と会わないという約束まで提案してくれた花織を、自らの手でその鬼道に引き渡したのだから。
だから、もうきっとこれでよかったのだ。御影専農との試合のときから決めていた。いつか花織を手放すことを。本当はまだ決心などつかなかった、でもこうすればきっと花織は自分から離れて鬼道の元へ行く。花織も本当に好きな男といられて幸せだろう。風丸はそんな思いで今の状況に立っていた。俺にできることはチームにとっての最善を、花織の為に何が正解かを選ぶことだ。
ちらりとベンチの方へと視線を向ける。いつもそこからアップの時ですら、自分を見てくれている彼女の姿はそこにはない。しかし、いつもそこに立って自分を応援し、プレーを一心に見つめてくれる彼女の姿がありありと思いだされた。本当は手放したくなんてない、誰にも渡したくない。俺の傍にいて、俺だけを応援してほしい。そんな気持ちを押し殺して風丸は何も言うことができないでいた。
❀
花織と鬼道はまた長い廊下をひたすらに歩いていた。この帝国学園は敷地が広い、加えて影山総帥が仕掛けた罠というものがいったい何なのかがはっきりしないため、探すこともかなり困難だった。花織は自分の手を握って離そうとしない鬼道の顔を見つめる。
「何も見つかりませんね……、鬼道さん」
「ああ」
花織が不安げに鬼道を見れば、少し彼も何も見つからない今の状況に焦っているようだ。花織はちらりと鬼道から視線を逸らし、別の通路へ視線を向けた時だった。
「何をしているの!?」
突然響いた鋭い怒号。花織は身を竦めてしまう。先日の出来事のせいか、暗く狭い道が花織は少し怖かった。鬼道の手を離さないのもそのせいかもしれない。……きっとそれだけが理由ではないのだろうが。とにかく二人がその怒号の主へと振り返ると、厳しい顔をした春奈がつかつかとこちらへ歩み寄ってきていた。
「何をしているの!」
また同じ問いを春奈が鋭い声でかける。鬼道はじっと春奈を見たまま、低く問い返した。
「どういう意味の問いかけだ」
「だから、アップもせずにここで何をしていたの、って聞いてるのよ!」
しかも花織先輩を連れて、と春奈が続ける。しかし鬼道の返答は冷たいものだった。
「お前には関係ない。……行くぞ、花織」
鬼道が花織の手を引き、春奈の横をすり抜けようとする。しかし春奈が花織の、鬼道が掴んでいるのとは反対の手を掴んだ。
「一緒に戻りましょう、花織先輩! この人と何があったかは知りませんけど、こんな人と一緒にいるべきじゃないです! 風丸先輩も待ってますからっ」
「春奈ちゃん……」
花織は強く掴まれた腕と春奈を見た。とても悲しそうな顔をしている。花織はそんな春奈を振り切れずにいると鬼道が強く花織の腕を引いた。花織がバランスを崩して彼を振り返れば鬼道は黙って首を振る。……何も言うな。黙ってついて来いと、そう彼が言っているのがわかった。花織は鬼道と繋いでいた手を離すと、その空いた左手で春奈の手をそっと引き離した。
「ごめんね……、今はまだ戻れないの。鬼道さんとお話しすることがあるから」
「どうしてですか!? ……決勝戦前なのに、先輩は雷門のマネージャーじゃないですか。風丸先輩を傍で応援しようとは思わないんですか?」
春奈の言葉に、花織はぐっと締め付けられるような胸の痛みを覚える。自分を鬼道へ引き渡した風丸を思うと本当に胸が苦しい。しかし、だからこそ自分は鬼道に着いて行かなければならなかった。昨日の出来事、鬼道と彼の父との約束、風丸と鬼道の約束すべてを包み隠して。だが花織は隠すことはできても嘘をつくことなどができるはずもなく、この場を混乱させるだけの言葉を口にした。
「私は鬼道さんが好きなの。……今までずっと、一年以上前から好いてきた人。だから鬼道さんに着いて行く。鬼道さんの頼みを断るわけにはいかないから」
「……っ!? 先輩の言ってた帝国の人がお兄ちゃん……?」
花織の言葉に春奈は動揺したようだった。じっと花織と鬼道の顔を交互に見つめ、吃驚を露わにしたような表情で呟く。しかしすぐに首を振って春奈は花織に詰め寄る。
「でもこの人は……!! 鬼道家に行ってから、私たちが別々の家に引き取られてから、一切私と連絡を取ろうとしなかったんですよ? たった二人の兄妹なのに……っ。きっと私が邪魔になったんです」
春奈の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。鬼道の真意を理解していない春奈に、花織は思わず鬼道が知られたくないであろう言葉を勢いで言ってしまう。
「違う、鬼道さんは春奈ちゃんのことを」
「先輩言ったじゃないですか! ……酷い振られ方をしたんだって。この人は一度は先輩のことが邪魔になったくせに、先輩が雷門にとって価値が出てきたから先輩の気持ちを利用しようとしてるに決まってます!」
だがその言葉は遮られ、春奈の叫びに掻き消されてしまった。それでも花織は言葉を続けようとする。
「でも……っ、鬼道さんは!!」
「先輩には風丸先輩がいるじゃないですかっ!!」
突きつけられた究極の言葉にハッと花織は息をのむ、そして俯いた。どんなことを言っても、どんな状況にあっても花織が鬼道と風丸の間で揺れていること……、悪く言えば二股をかけているという事実は変わらない。特にこの状況は春奈にとってみれば、鬼道も花織も簡単に人を切り捨てるような残忍な人間に見えるだろう。
「もうやめろ。花織、時間がない。……コイツに構っている暇はない」
鬼道が花織の肩を掴んで自分の方へと引き寄せる。その言葉と動作に春奈は唇を噛み締めた。……自分が邪魔だと、間接的にだが彼女は言われたような気がした。じわりと春奈の目に涙が浮かぶ。
「貴方は……、貴方はもう優しかったあのお兄ちゃんじゃない、他人よ!」
春奈が絶叫する。そしてそのまま彼女は走り去ってしまった。握り締められた鬼道のこぶしがやるせなさにぶるぶると震えるのを花織は見た。しかしそれでも、鬼道は花織にそれを気取られないよう、寂しげにだが笑って見せた。
「行こう、花織」
「……鬼道さん」
花織が何か言おうと口を開いたが鬼道は花織の右手を取り、彼女の言葉を遮った。
「気にしないでくれ。……何も、問題はない」
そう言って再び歩き出した鬼道の背中を見ながら花織は、鬼道の想い、風丸の想い、春奈の言葉を胸の中で反芻させる。ただただ苦しいこの感情に答えは見いだせなかった。