FF編 第七章
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「鬼道さん……!」
様々なところへ視線を向けながら歩く鬼道に、握られたままの手を引いて花織が俯く。長い長い廊下を二人だけで歩いていた。暗く重々しい雰囲気のこの学園は、ただでさえ息がつまりそうで仕方ない。それなのに、今この不可解な状況はさらに花織の呼吸を妨げた。
恋人と、風丸と約束したのに。もう鬼道とは会わないようにすると。そしてそれを、鬼道自身も承諾したはずなのに。風丸と鬼道の行動は花織の約束に反するものだった。よくわからない、風丸の行動も鬼道の意図も。
「花織」
「……!」
その場に立ち止まって歩き出そうとしない花織を見て、鬼道も足を止めた。それと同時にするりと鬼道の腕が花織の身体を抱き寄せる。花織はびく、と身体を震わせてそれから逃れようとしたが思うよりも鬼道の腕の力は強かった。
「お前が無事で……、本当によかった」
どくん、と大きく心臓が拍動して、花織の身体が熱くなる。彼の声は心の底から安堵したのだと分かる。それに満ち溢れた声色をしていた。いつもの冷静な彼ではなく、本当に感情に任せて花織を抱き寄せている鬼道に花織は少なからず動揺していた。
「鬼道……、さん?」
疑問符を浮かべたような声で花織が恐る恐る尋ねる。鬼道は掠れた声で花織の身体を抱きしめたまま話し始めた。
「お前が、お前が攫われかけたという話を風丸から聞いて、ずっと心配していた。俺自身が制御できないくらいに。……お前の身に起こった出来事が、俺のせいだというのだから尚更だ」
「どういう……、意味ですか?」
鬼道のせい、とはどういうことなのだろうか。花織には昨日の記憶が曖昧にしかなかった。あの時、襲われたときのことは鮮明に思い出せるが、その風丸に助けて貰うまで……。その前後どうしていたのかはよくわからない。
花織は昨日の出来事を思い出す。後をつけられ、背後から拘束された。本当に殺されるのではないかと思った。あの恐怖を思い出せば自然と身体が強張った。それを察したのか鬼道が花織の背を撫でる。二、三度彼女の背を撫でた鬼道は花織を自分の腕から解放し、再び花織の左手を握った。
「話せば長くなる。……今は時間がないから、かい摘んで説明しよう」
鬼道が再び歩き始める。
「俺は総帥と決別することにしたんだ」
「総帥、と!?」
花織が吃驚を露わにした顔で鬼道の顔を見つめる。鬼道にとって総帥とは絶対的な存在であり、何より遵守すべき存在だと花織は思っていた。そんな花織の反応を見て鬼道は苦笑する。
「お前のその反応を見るに俺は相当、総帥に心酔していたんだな。……だが、もうあの人の考えについていけない、他の奴らもそうだ。だから俺は総帥に意見した」
ぎゅうと鬼道の手が花織の手を握る力が強まる。花織の方へちらりと顔を向け、眉根を下げた。
「その結果がこれだ。お前を昨晩、危険な目に遭わせてしまうことになってしまった。……すまなかった」
「いいえ……。一郎太くんがいてくれたから、私は特に怪我もしていませんし……。でも、どうして私を標的にしたんでしょう?」
花織は考え込むような口調で零せば、鬼道が振り返る。花織は本当によくわからなかったのだ。鬼道にとって自分が価値があるとは思えなかった。その根底は数か月前に鬼道に掛けられた言葉にある。鬼道は困ったように笑って花織を見つめた。
「お前が風丸にとっても、雷門サッカー部にとっても、……そして俺にとっても大切な存在だからだ」
「……?」
花織は怪訝そうに顔を顰める。風丸とサッカー部の花織に対する思いは同等ではない。しかし仲間として大切に思われていると、ここでは仮定してもいいのかもしれない。しかし鬼道は……?
先日の言葉と統合するに鬼道にとって花織という存在はどうでもいいわけではないが、サッカーという競技に比べてはるかに下だったはずだ。少なくとも彼女は彼にそう告げられた。彼の言葉は、私は暇つぶしの相手としては価値がある、という意味なのだろうか。そんな推測が彼女の中を飛び交っていた。
「鬼道さんは……」
私のことを嫌っていたのでは……、と花織は問いかけようとしたがその言葉は続かなかった。急に道が開けて今日試合が行われるフィールドに出た。厳粛で重々しい雰囲気が、試合会場全体を覆っている。
「とにかくだ。総帥は今日までバスの細工に始まり、雷門の出場を阻止しようとしていた。そしてそれを今まで阻むことができなかったからには、何としても今日、試合開始までに雷門が出場を断念せざるを得ない状況を作ろうとするだろう。俺は何としても総帥の企みを成功させるわけにはいかない」
ひらひらとマントを揺らして鬼道が歩き始める。その時にするりと花織から彼は手を離した。そしてフィールドにしゃがみ込み芝を少し摘まむ。それを凝視しながら鬼道は呟いた。
「何かいつもと違うところがないか……。雷門の連中がアップに出てくる前に調べておかなければならない」
花織は頷く。影山の意図も、鬼道の本当の意思も何もわからなかったが、とにかく風丸やチームの皆に危険が及ばぬようにするためには影山の策略を阻止しなければいけないのだということはわかった。
「では私も……、反対側から調べていきますね。きっとその方が効率もいいでしょうし」
「……っ、だめだ!」
花織がフィールドの反対側へと駆けようと踵を返した途端、ぐいと強い力で手首を掴まれた。驚いて花織は鬼道を振り返る。
「お前は、少なくともこの試合が終わるまで、人質としての価値がある。それに総帥の仕掛けた何かがどんなふうに危険かは俺にだってわからない。……試合が始まるまでは俺が手を伸ばしてお前を守れる範囲にいてくれ」
「でも、自分の身くらいは……」
昨日の今日で説得力がないことは知りつつも花織は言葉を紡ごうとした。一度でも花織の存在を迷惑だと感じたことのある彼に、守ってもらうというのはどうだろうという疑問を感じたからだ。しかしその言葉が零れる前に鬼道が言う。
「お前をもう危険な目に遭わせるわけにはいかない。言っただろう、お前は俺にとって大切な存在なのだと。それに、風丸ともそういう約束でお前と二人きりになることの許しを得てるんだ」
「!……一郎太くんが」
花織は大きく目を見開く。花織が鬼道を想うということ自体を切なく感じている風丸が、花織をその恋敵に引き渡したのはそういうわけだったのだ。花織はぐっと胸が締め付けられるような苦しさを感じる。一郎太くんはどんな想いで……。
自惚れなどではなく、心からいつも彼が自分自身を恋人として大切にしてくれているということを花織は感じていた。だからこそ胸が苦しい、風丸の花織を見送るあの表情を思い出せば。しかし、花織の心はこれほどまで自分を想ってくれる人がいるというのに、その彼の気持ちに対しては誠実であれなかった。
「ああ。……しかしそんな約束があったにしろ無かったにしろ、お前だけは必ず俺が守ってみせる。何に変えてもな」
どきりと胸の鼓動が大きくなる。自分を大切にしてくれる風丸を想いながらも、やはり花織の心は鬼道にもあった。でも、どうして鬼道はそこまで宣言するのだろう。わからない、その理由が。しかし、花織を守ろうとしている、その事実だけは何よりも確かなものだった。やめてほしい、花織は唇を噛む。もうこれ以上、この人のことを好きになりたくない。
しばらく花織は何も言えなかった。ただただ会場を調べて回る鬼道の後をついて、何か不自然なものがないかを見て回るだけだった。しかし何も見つからない。沈黙に耐えかねて、花織が何か鬼道に言葉を掛けようとした時だった。
「何を企んでいるの!!」
鋭い声がこちらを目掛けて飛んできた。その大声の主に視線を向ける。すると鬼道と花織のいるベンチ周辺のちょうど対面に、険しい顔をした春奈がこちらを睨んでいた。
「信じないから!! キャプテンや花織先輩は騙せても、私は信じないから!! 貴方は変わってしまった!!」
春奈の怒号が会場に響く。その言葉に悲しげに鬼道の眉根が下げられたのを、花織は見逃さなかった。
「変わった、か……」
ぽつりとつぶやいて鬼道が花織の手を握る。そして花織の手を引いた鬼道は、春奈に背を向けてすぐ傍にあった通路へと降りて行った。