FFI編 第十三章
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澄み渡った空は、どこまでも青く広がっている。絵の具を絞り出したままの水色を使ったような美しい色、花織の大好きな青い色。花織は朝、サッカーグラウンドの脇のベンチに腰掛けて空を見上げていた。朝の爽やかな風が気持ちいい。そんなことを思って目を伏せれば、木々のざわめきや小鳥の鳴き声が耳に飛び込んでくる。聞こえるはずのない、いつもこの場所で聞いているサッカーボールを蹴る音も。
今日は決戦の日だ。イナズマジャパンが世界一となるか、花織はそれを見届けなければいけない。イナズマジャパンのマネージャーになったその日から今日という日の訪れをずっと待ち望んでいた。だが、イナズマジャパンのマネージャーという立場以上に花織には大切なものがあった。
「花織」
どきんと心臓が深く音を奏でる。その声に花織はそうっと目を開けた。目に映るのは彼の走るフィールド、そして青い髪を揺らしてこちらに駆けてくる彼の姿。花織はゆっくりとベンチから腰を上げる。見つめているだけで柔らかく微笑みが零れた。彼が花織に歩み寄り、彼女の前に立った。
「一郎太くん。……ごめんね、こんなに朝早くに呼び出したりして」
花織は自分を優しく見つめるその瞳にまず詫びた。花織は昨晩、この時間にこの場所で待っていると風丸にメールを送っていた。現在時刻は朝の六時を過ぎた頃、ちょうど選手の起床時間と過ぎたころだ。花織は早朝から目覚めることに慣れているのだが、彼はきっとそうではない。花織が少し申し訳なさそうに目を細めれば風丸は何でもないことのように笑った。
「いや、構わない。俺も早く目が覚めたから」
そうやって花織に笑む彼の表情にはわずかに緊張が滲んでいる。当たり前だ、緊張しないわけがないのだ。日本代表の選手として世界最強を決める戦いに挑むのを目前にして。特に彼は繊細なところがある。花織は風丸の言葉を聞いてありがとう、と礼を言った。ふたりの間に沈黙が生まれる。しばらくはお互いを見つめて何も言わなかった。
「今日決まるんだね、少年サッカーの世界一が」
「ああ」
沈黙を破ったのは花織だった。花織の言葉に同調するように風丸が返答する。ふたりの視線は自然とサッカーグラウンドへと向いた。どちらともなく手を握り合って真正面からピッチに向き合う。胸の高鳴りがお互いの手を伝って共鳴し合う。
「これまで早かったね。初めは私たち、陸上部にいたのに」
「ああ、あの頃はこの場所に立っているなんて思いもしなかっただろうな」
花織のかつてを振り返る言葉に風丸はそれを懐かしむように目を細めた。早かった、本当に。思い出せば色々なことがあった。でもまだそれを振り返るには早い。花織は風丸を呼ぶ。
「一郎太くん」
花織が風丸を見つめれば、彼も花織のことを見た。彼の茶色い瞳と花織の黒の瞳が向き合った。彼の瞳を見て花織は決意する。彼とつながっていない方の手を握りしめて静かに言葉を告げた。
「私、一郎太くんが大好きだよ」
彼女が告げたのは愛だった。いつも何気なく交わしている言葉なのに風丸の心には大きくその言葉が響き渡る。彼女の白雪のような頬に手を添えた、温もりが指先から伝わっていく。
「……花織」
「私は、ずっと世界と戦う一郎太くんを応援してきた。でもそんな中でいつも悩んでいる自分がいたの。……自分が一郎太くんにとって相応しいのかずっと気になって仕方がなかった」
自分の頬に触れている風丸の手に自らの手を添えて、花織ははっきりとした声で風丸に自分の心を打ち明けていく。世界の頂点を見据えて走る風丸と共にいて感じていた自分の中の纏まり切らない感情。イナズマジャパンが、風丸が勝ち進むたびに大きくなっていった不安。風丸が自分の手の届かない遠くへ行ってしまうようなそんな思い。花織は風丸の両の手を取ってぎゅっと自分の両手で包む。そして彼を見上げて宣言した。
「一郎太くん、私は……。応援しているだけなんてできない。見守ることだけじゃやっぱり嫌」
見守るだけならば、他のマネージャーとファンの女の子と変わりはしない。花織は凛と風丸を見つめる。花織を見つめる風丸の瞳は少し驚いたようだった、花織がそんなことを悩んでいたなんて、という彼女の言葉に対する驚愕だった。だが花織の意志の強い瞳に押されて何も言わずに彼は花織の言葉を待つ。
「私も一緒に世界と戦いたい。……イナズマジャパンのマネージャーとしてよりも、風丸一郎太の恋人として私は一郎太くんと一緒に走っていきたい」
マネージャー失格でも、何でもいい。花織はマネージャーである前に風丸一郎太の恋人だ。きらりと花織の首に下げられたネックレスの石が太陽光を反射する。花織は自分のジャージのポケットからあるものを取り出す。そしてそれを風丸の手に手渡した。
「花織……」
「一郎太くんの活躍だけを願って編んだの。よかったらつけてほしい」
風丸の手の平に乗せられたのはイナズマジャパンのユニフォームカラーのミサンガだった。花織がずっと寝る間も惜しんで風丸のことだけを考えながら編み込んだ。まるで織られたように寸分の狂いもなく綺麗に編み込まれている。色にもそれぞれ願いを込めた。
情熱の赤には風丸が十分な実力を試合で発揮できるように。まっさらな白には風丸が試合で怪我などをすることのないように。そして彼の髪色と同じ青には直向きに前だけを見つめる風丸の活躍を願って。
FFIを戦う風丸に対する花織の全ての願いだ。
「一緒に戦ってるんだって、少しでも実感したいから」
風丸は花織から受け取ったミサンガを手の中で握りしめた。触れているだけで、胸の底から力が湧き上がってくるような気がする。風丸は何も言わずにその場に左膝をつき右足にそのミサンガをきつく結びつけた。そしてゆっくりと立ち上がり、花織を見つめる。
「花織、ありがとう」
彼の瞳は花織を慈しみ、愛おし気に見つめる色を映していた。風丸は花織の右手を取り、優しくその手を包み込む。
「あのさ、俺も……。決勝の前に花織に話しておきたいことがあるんだ」
風丸がじっと花織の顔を覗き込む。風丸の唐突な言葉に花織は不思議そうに首を傾げた。風丸は花織の美しい黒い瞳を見つめると柔らかな口調で語り始める。
「円堂のじいさんの最後のノートってあっただろ。あのノートの中の十一の言葉、その中で俺の心にも響く言葉があったんだ」
円堂大介の最後のノート。十一の格言が書かれた心の強さを表す言葉。花織は目を瞬かせる。風丸はそんな花織を見つめて表情を緩める。こんなにも、大切で温かで。俺には勿体ないほどの女性。
「その言葉は心のその三、大切なものを守る”ソコナシノヤサシサ”……花織、俺は」
あの言葉を耳にしてから風丸は自分のサッカーを振り返った。彼のサッカーの傍にはいつも花織の姿があった。いつしか夢中になったサッカーのきっかけは花織だった。サッカーを続けていくうえでも彼女のために勝ちたいと願う日があり、彼女を守るために戦った日もあった。花織のために強くなりたいと力に縋るときもあった。
そうやってくじけそうな日も、ダメになった時もいつも花織は傍にいてくれた。風丸のサッカーが始まったあの帝国学園との練習試合から、今日この日まで風丸のサッカーの隣に花織の姿が無い日はなかった。
「今まで花織がいたから強くなれた。他の誰でもない花織の全てが、俺の力だ」
だから心のその三を聞いた時、風丸は確信した。花織がいてくれれば俺はもっと速くなれる。俺はひとりじゃないから強くなれる。守るべきものがすぐそばにあるから俺は成長できるのだと。
「花織、俺は花織が好きだ。これからもずっと花織を守っていくと誓うよ、だから」
風丸はそっと花織の左手の小指に何かを通した。花織が視線を落として自らの手を見つめる。彼女の小指には可愛らしい細いリングの指輪が嵌められていた。指輪には小さな青みがかった石が台座に嵌めこまれている。心のその三を聞いてから、風丸はずっと花織に贈る何かを探していた他のマネージャーに相談して、やっと彼女に似合いそうなこれを見つけた。
「これからも俺の傍にいてほしい。俺の隣にいて、一緒に戦ってほしい。もちろん、今日も」
「……一郎太くん」
こんなの、まるでプロポーズだ。と花織は頬を桃色に染める。胸の奥がじんわりと熱くなった。その言葉の喜びから溢れた涙がぽろぽろと頬を伝って流れ落ちる。花織は指輪を付けた左手でぎゅうっと自らの胸に下げた彼からの初めての贈り物を握りしめた。これ以上はない、今はこれ以上幸せな言葉はない。
こくりと首を縦に振った彼女の頬に手を触れて、風丸は微笑む。優しく涙を拭ってやると彼女の瞳と視線が交わった。花織が静かに目を閉じる。風丸はそれに答えるように彼女の頬に手を添えて優しく口づけを落とした。一瞬がまるで、永遠のように幸せだった。
風丸は花織の身体を強く抱きしめる。花織が風丸の胸に頭を預けた。彼女が贈ってくれたミサンガが、風丸が贈ってくれた指輪がふたりを強い絆で結びつける。今ならふたりでどこまででも走っていけそうな気がした。
「一緒に世界一になろう、花織」
風丸が花織に囁きかける。朝日が優しくふたりを照らし、包み込んだ。まるで祝福のように優しい光だった。