FFI編 第十三章
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消灯時間を一時間ほど過ぎた。廊下の照明は落とされて、選手たちは恐らく明日の試合に向けて寝静まっていることだろう。そんな廊下を忍び足で歩いて彼女は合宿所を抜け出した。彼女は抜け出しの常習だった。サッカー部に入部してからは何度だって夜間消灯時間の規則を破った。
合宿所の扉を閉めてピッチに降りる。ひそやかな夜のサッカーグラウンドは静まり返っている。いつも活気溢れるその場所が、とても清らかで神聖なように感じた。彼女は手の中に抱いたそれを強く握りしめて空を仰ぐ。空には宝石のような星が散りばめられている。空には大きな丸い月が見えた。もしかすると今日は満月なのかもしれない。
彼女は整備されたサッカーグラウンドのライン際に立ってピッチを見渡す。静寂が包むその場所で彼女は胸の前に腕を組んだ。目を伏せ、静かに風の音に身を包む。彼女の美しい黒髪が涼やかな風に靡いた。
彼女は両手に編み込まれた願いを握りしめて願う。サッカーの神様に、勝利の女神に。そしてこの世界の全てに。自分の想いの全てをのせたこの繋がりの糸が彼の力になるようにと。心から祈りを捧げた。
願いを掛け終えて彼女はゆっくりと目を開く。大事に大事に手にしたそれを手の中で確かめるように握りなおした。ふうと息をついて表情を緩ませる。風に靡いた髪を耳に掛けて整える。その時耳に、土を僅かに蹴る音が聞こえた。
「花織」
それと同時に彼女は名前を呼ばれる。花織はさらりと髪を揺らして声の主の方へと視線を向けた。声を掛けられて驚いたが、相手を見て口元が緩む。予感はしていた、前にもこんなことがあったから。
「豪炎寺くん」
花織は落ち着いた声色で彼の名を呼んだ。イナズマジャパンのエースストライカー豪炎寺修也。彼女の目の前に立っていたのは彼だった。彼はジャージのポケットに手を突っ込み、花織を見つめている。
「眠れないの?」
「まあな。……窓の外を眺めていたら誰かが見えた。間違いなく、花織だと思った」
「ふふ、夜間抜け出しの常習犯だからね。私」
くすくす、と花織が口元に手を当てて笑う。花織がこうして夜中に抜け出して豪炎寺に会うのは初めてのことではなかった。前回はイナズマキャラバンの旅の途中豪炎寺がチームに戻ってきた地、沖縄で。そして初めて豪炎寺とこうして夜中に出会ったのは、フットボールフロンティアの直前の合宿の夜だった。彼とこうして何か重要な夜に出会うのは、運命めいたところがある。花織が柔らかく微笑めば、豪炎寺も表情を緩ませた。しばし何も言わずに二人は見つめ合う。
「花織、今のお前に悩みはあるか?」
沈黙を破ったのは豪炎寺だった。花織は豪炎寺の問いかけに屈託なく微笑む。星明りが彼女の笑みを美しく照らす。彼女の表情に嘘偽りはなかった。
「ないよ。何も悩んでない」
きっぱりと彼女はそう言い切る。かつて、同じ問いかけを豪炎寺にされたことがあったか。その時も花織は同じように悩みはないと答えた。その時の言葉を繰り返すように彼女は言葉を続ける。
「私は自分の気持ちに言い訳しない。自分が何を思っているのか、チームのために何ができるのか。ちゃんと分かっているよ」
「そうか」
豪炎寺はその答えに満足げに微笑んだ。花織は今の問いかけで豪炎寺も最近の自分をきっと心配していてくれたのだろうことを悟る。豪炎寺はあまり花織の私情に踏み込むことはしないが、意外と花織のことをよく知っている。よく相談に乗ってもらった。いつも公平で厳しい人だ。だから信頼できる。
「ねえ、豪炎寺くん」
花織は豪炎寺を見つめてぎゅっと胸に手を当てる。彼女の瞳が豪炎寺の真っすぐな瞳を見据えた。豪炎寺は何も言わずに花織を見つめ返している。花織は透き通るような声で豪炎寺に問いかけた。
「私はちゃんと、豪炎寺くんに宣言したようなマネージャーになれてたかな」
純粋な疑問だった。花織はフットボールフロンティアの決勝戦前、豪炎寺に宣言した。見守るだけじゃ嫌だから自分ができることを全力ですると。もっと多くの選手の役に立ちたいと。豪炎寺は少しの間彼女の問いかけに何も返さなかった。何も言わず、静かに花織の傍に歩み寄って彼女の前に立った。
「花織、お前は」
そっと花織の髪に豪炎寺の手が触れる。彼の手は優しく花織の髪を撫でた。久しぶりだ、豪炎寺が花織の髪を撫でるのは。でも彼は以前はこうしてよく花織の髪を撫でていた。彼は優しい眼差しで花織を見つめる。
「お前はお前にできることをやっている。マネージャーとしてイナズマジャパンにとって必要不可欠な存在だ。お前が誰かに対しての贔屓が過ぎるのはもちろんだがそれ以上によくやってくれている」
その言葉は豪炎寺からの最大の賛辞だった。花織は豪炎寺の言葉に悪戯っぽく笑った。手の中のそれを大切に握りしめて花織はありがとう、と豪炎寺に礼を言った。豪炎寺は優しい眼差しで花織を見つめる。
「明日も期待しているぞ、マネージャー」
「うん」
花織がにっこりと笑うと豪炎寺がそっと花織の髪から手を退けた。そして再びポケットに手を突っ込む。そして数歩花織から距離を取った。
「俺はもう戻るが花織はどうする?」
「先に行ってて、すぐに私も戻るから」
彼女はそう言って豪炎寺を見送った。ひとりきりになり、彼女はポケットから携帯電話を取り出す。そしてひとり、彼女は静かに彼宛のメールを打ち込み始めた。