FFI編 第十一章
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少年は着々と儀式のための準備を進めていた。魔界の者が生贄を手に入れた今、一刻も早く魔王封印の儀式を執り行わなければならない。茶髪を三つ編みにした少年、セインは厳しい面持ちで準備に取り組んでいる。
「セイン」
名を呼ばれて彼は振り返る。壇上から階下を見下ろせば、そこにいたのはエカデルだった。隣には白い花嫁衣裳を身に纏った、伝承の鍵に選ばれた花嫁を従えている。
「どうしたエカデル、そのお方には準備して頂かなければならないことが」
「セイン、花嫁様はお前に話があるとのことだ」
エカデルがそう言って花嫁、花織をセインの前に行くよう促した。花織は静かにセインの前に歩み出る。エカデルに花織がここへ連れてこられた理由、そしてこの後どうなるかは大体のところ説明を受けた。
「エカデルさんに儀式の話は聞きました」
「ならば貴女の疑問は無いはずだ。伝承の鍵に選ばれた貴女は魔王の花嫁となる。それ以上に説明が必要か?」
セインは冷めた声で花織に告げた。花織は両手を胸の前で握り合わせる。彼女が一歩前に踏み出せばかつんとヒールの音が大理石の床に響く。
「セインさん、私には心に決めた人がいるんです。ですから花嫁にはなれません」
「心に決めた者……? 戯言を。貴女は選ばれた、花嫁としての責務を務めて頂くだけだ」
「できません」
花織は凛とした面持ちでセインを見つめる。彼女の黒い瞳が真っすぐにセインを見つめた。強固な意志を持った瞳はきらきらと宝石のように輝いている。セインは顔を顰めた。
「私は彼と結ばれることを心から願っています。だから……、私は魔王の花嫁にはなりません」
強い拒絶の言葉にセインは少し苛立ちを覚えた。全く、これだから人間は。この儀式の重要性を、己に与えられた役割を分かっていないのだ。本当なら選ばれたことを誇るべきだというのに。セインは壇上から降りて、花嫁の正面に立つ。
装束の良く似合う、麗しい花嫁。ただの人間に与えるには惜しい。だから鍵はこの娘を選んだ。そして私はそれにただ従うだけ。だが……、あまりにも純真な瞳で少女はセインを見つめる。
「人間の愛は弱き繋がりなり……」
セインは冷たい表情で少女を見下ろした。セインは知っている、人間の愛情は儚く揺らぎやすい。時の流れにすら移ろう。そんな浅はかなもののために儀式を中断されては堪らない。
「所詮、下界の者の戯れだ。忘れてしまえ」
「嫌です」
花織の言葉にセインの表情が益々険しくなる。一歩一歩階段を下りて娘の元へと歩み寄った。強気な瞳、固い意志を感じる。セインは厳格なグリーンの瞳で花織を見据える。
「その愛は真か? 人間の娘よ」
「……はい。私の彼への気持ちに嘘はありません」
「では、相手の男はどうだ? 貴女を心から愛しているのか?」
凛としていた花織の瞳に一瞬だけ迷いが走る。風丸が本当に自分を愛してくれているかどうか。それは風丸にしか分からないことだ。本当は自分を想っていないのかもしれない。それでも花織は迷いを振り切る。信じるしかない、自分が彼を心から愛するのならば。
「……きっと。私はそうだと信じています」
「ならば娘よ、それを私と賭けをするか」
セインが静かな声で花織に告げる。そっと花織の頬に手を触れてその桜色の唇に親指を這わせた。花織がびくりと肩を震わせる。
「今から私が貴女に呪いを掛ける。さすれば貴女は深い眠りに誘われる。先ほどのものとは違う強き呪いだ、そう簡単には解けない。解けるのはそう、お前が愛する男にのみ」
賭け、とは言ったものの、セインは花織にその賭けを勝たせる気などまったくなかった。何しろ人間の愛ほど信用ならないものは無いと思っていたからだ。その男が少女を迎えに来ることなどない。ましてや真実の愛など、持ち合わせているわけがない。そもそも花嫁を簡単に下界のものに引き渡したりなどしないのだから眠りから覚めるわけもない。
「真の愛があれば眠りから覚める。その時は、その男の元へ貴女を返そう。だがなければ貴女は眠りについたまま、魔王の花嫁となる」
「……わかりました」
だが花織はすぐにセインの言葉に頷いた。真っすぐなその瞳は自分を迎えに来る者がいると信じきる浅はかな信頼を宿していた。花嫁とはいえ、所詮は人間の娘よ。……憐れで、それでも愛を信じるのだから美しいともいえるだろうか。セインはそんなことを思う。
「私は一郎太くんが来ることを信じます」
花織の宣言をせせら笑ってセインは花織の唇に人差し指を触れた。二言三言、呪いの言葉を唱えれば花織の身体がぐらりと揺れる。花嫁の瞳が強い光を失い、瞼を下した。セインは崩れ落ちる花嫁の身体を抱きとめる。憐れな娘だ、人間の愛などと根拠のないものを信じているだなんて。
「エカデル、花嫁を連れて」
そこまで言いかけてセインは口を噤んだ。エカデルも眉を顰める。ろうそくに燈された火が一斉に揺らいだ。空気が乱れている。背後からコツコツと石畳の上を歩く足音が聞こえる。
「セイン、お客さんだぜ」
声を掛けたのは外で準備をしていたエルフェルだ。忙しい時に、と忌々し気にセインが立ち上がる。わかった、すぐに行くと低い声で返答し、彼は儀式の間を後にした。