FFI編 第十章
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「ヒロトさーん、木暮くーん」
ある日の午前練習の後のことだ。花織は練習後、戻ってこないヒロトと木暮の二人を探していた。ヒロトは練習後、自主練をすると言って戻ってこないまま、木暮は練習後染岡に悪戯を仕掛けた後、逃走して戻ってこないままだ。
放っておいても戻ってくるとは思うのだが、今日の昼食は選手たちに人気の高いおかかおにぎりだ。ふたりが食べ損ねてしまうかもしれないという花織の考えもあって彼女は二人を探している。それに休憩時間にはしっかり休憩を取ってもらわなければ困る。
「ヒロトさーん!」
そういうわけで花織は風丸の心配を振り切って、彼らを探しに出てきていた。だがグラウンドの周囲を探してみてもふたりの姿は見当たらない。仕方なしに花織はグラウンド傍の森へ足を踏み入れる。彼らの名前を呼びながら深い森の中を夢中で進んだ。まっすぐ進んでいるのだから帰り道は来た道を戻れば大丈夫なはずだ。薄暗い森に霧が立ち込めるのにも気が付かないで彼女は真剣に二人を探す。
「……二人とも、どこにいるんだろう」
花織は足を止めてため息をつく。たった二人の選手たちを素早く見つけて宿舎内に連れ戻すことすらできない自分にまた落胆した。だがそんなことを考えている暇はないと、花織は再び歩き出そうとする。彼らの名前を呼ぼうとしたその時だった。
ざざっと草を踏んで何者かが走ってくる音。花織がそちらに視線を向けると同時にそのものは花織に思い切り突っ込んできた。
「うわっ‼」
「きゃっ」
どんっ、と激しいタックルを受けてしまい、花織はその場に尻もちをつく。今のは何だったのだろう、痛みを堪えて見上げれば、驚いた様子の赤い髪の少年がそこに立っていた。ころころと傍らでサッカーボールが転がる。
「ひ、ヒロトさん……?」
「花織さんっ⁉ ごめんっ、怪我はないかい?」
痛みに腰を摩っていた花織にヒロトが手を差し出す。花織は素直にヒロトの手を取って立ち上がった。そしてヒロトの問いかけに答える。
「うん、平気だよ」
「ならよかった。……ところで君はどうしてこんなところに?」
心底不思議そうな顔をしてヒロトが花織に問いかける。花織はジャージについてしまった土を払って、ヒロトに返答した。
「ヒロトさんを探しに来たんだよ。お昼の時間なのに戻ってこないから……」
ここで花織が言葉を詰まらせる。ヒロトと花織は自分たち以外の何者かの視線を感じたからだった。二人は自分たちを見つめる眼差しの方へ視線を向ける。そこにはサッカーボールを手に持った奇妙な生物の姿があった。
「……」
黄色いくちばし、キュウリのような眉毛、そして頭の上にはカップのようなお皿。背中には甲羅をしょっている。そんな奇妙な少年がサッカーボールを持って二人を見つめていた。
その奇妙な少年にヒロトは眉間に皺をよせ、若干引いたような表情をした。花織もその少年の奇妙な出で立ちに何とも言えずに押し黙っている。二人は何も言えずに立ち尽くすしかできなかった。
「助けてくれえ‼」
そんな拮抗した沈黙を割くように助けを求める声が森の中に響く。花織とヒロトはハッとして顔を見合わせた。今のは木暮の声だった。
「木暮くんっ⁉」
彼の身に何かあったのか、そう思ったヒロトは咄嗟に花織の手を握って駆けだす。花織もその手につられて声の元へと駆けた。声を頼りに駆け付けた先、木暮はきゅうりの蔦に絡まっていた。
「木暮くん!」
ヒロトが花織の手を握ったまま、蔦に絡まって身動きが取れなくなっている木暮に声を掛ける。必死で蔦から逃れようとみもがいていた木暮はその声に顔を上げた。
「ヒロトさん、それに月島さんも……」
なんで二人が一緒にいるんだろう、そんな顔をして木暮は二人を見上げる。ヒロトは可哀そうなものを見るような目で木暮を見つめていた。
「何してるんだ?」
「何って……」
返答に困ったように木暮が苦笑いをする。
「それより早く助けてよ‼」
❀
ヒロトと花織は木暮に絡まった蔦を取り除きながら、木暮から事の次第を聞いた。何でも染岡を落とし穴に嵌め、怒らせたのちこの森に逃げこみ、蔦の中に身を顰めたところすっかり体に蔦が絡まってしまったらしい。
「それじゃあ、帰ろう。月島さんも俺たちを心配して迎えにきてくれたみたいだし」
木暮の事情を聞いて、ヒロトは染岡に一緒に謝ることを約束し、何とか木暮に帰ることを了承させた。花織は少し不安げな表情をしている木暮に微笑みかける。
「何だったら私も一緒に謝るよ。ね、早く戻らないとお昼ごはん、なくなっちゃうよ」
「……うん、わかったよ」
木暮はそう言ってゆっくりと立ち上がる。彼は花織とヒロトの後ろを見て目を大きく見開いた。そして両手を挙げて大声でヒロトと花織の背後を指さした。
「う、うわあっ‼ 河童‼」
花織とヒロトは木暮の指さした方向へと視線を向ける。そこには先刻の奇妙な生き物が立っていた。サッカーボールを抱えて木の後ろからじいっと三人を見つめている。
「あ、あ…………。あれ、人間じゃん」
奇妙な少年はきちんと服を着ている。水かきもない。遠目に見れば河童の格好をしたただの人間に見えた。木暮は安堵した様子で声を漏らす。
「行こう」
ヒロトが関わらない方が良いとばかりに木暮と花織を促した。木暮は背後を気にしながら、花織は振り向かずに前へと進む。だが進む三人の足音とは違う足音が背後から微かに聞こえる。三人は目配せをした。立ち止まったり歩いたりを繰り返すと、その足音も彼らと一緒に動く。
「付いてくる……」
木暮は縋るようにヒロトを見上げる。花織も背後の得体のしれない存在に不安げにヒロトを見つめた。
「ヒロトさん……」
花織は、こうして何者か分からないものに後を付けられるということにトラウマがあった。かつて影山総帥の部下に後を付けられたことがあったからだ。彼女の瞳は僅かに潤み、今にも涙が零れそうになっている。
ヒロトはそんな彼女を見て、一刻も早く追跡者を遠ざけなければと真剣な表情をする。
「花織さん、手を」
ヒロトはそういうのと同時に、花織の左手を掴む。これで少しでも彼女が安心できればと思った。そして追跡者を振り切ろうと木暮に目配せをして歩行スピードを速める。
「……っ」
だが追跡者は全く同じスピードで三人を追ってくる。振り切れないとわかったヒロトは背後を振り返った。花織を庇うように背に隠し、じっと追いかけてくる奇妙な少年を見つめる。
「何か、用かな?」
勇敢にもヒロトがその生き物に声を掛けた。ヒロトが声を掛けるとその者はすたすたとこちらに歩み寄ってきた。花織と木暮は表情に怯えを浮かべて、後ずさりどちらともなく互いの服を掴む。まるで河童のような少年はヒロトの前で立ち止まると何かを彼の前に差し出した。
「くれ」
えっ、とヒロトが声を上げる。差し出されたのは色紙とサインペンだった。花織と木暮はほっと胸を撫でおろす。何だ、彼は変なコスプレこそしているものの、イナズマジャパンのファンだったのか。
「なぁんだ。こいつ俺たちのファンでサインが欲しかったんだな」
木暮が安堵したように呟く。亀崎カッパと名乗った少年はヒロトからのサインを受け取ると、彼らに一本のキュウリを渡して森の中へ消えていった。
❀
追手の姿はなくなったが、三人は一向に森から出ることができないでいた。森をずっと歩き続けるも、出口が一向に見えないまま。結局森から出ることはできずに日が暮れて、三人は野宿をすることになった。
ヒロトが木を擦って火をおこし、ヒロト、木暮、そして花織の普段は語らうことのないメンバーで火を囲んで様々な話をした。いつもは悪戯ばかりの木暮がヒロトと花織に無邪気に夢を語る様は、まるで子供が親に自分の空想を話すかのようだった。
しばらく話をして早朝から動き出すために。三人は眠りにつくこととなった。木暮も花織も疲れていたのか、すぐに眠りに落ちてしまった。ヒロトは一人焚き火番をしながら、少し離れた場所で眠る花織の顔を見つめていた。
彼女が戻らないことできっと、風丸くんが死ぬほど心配しているだろう。
ヒロトはそんなことを思ってふっと微笑む。決して笑い事ではないのだが、慌てる風丸の様子が目に浮かぶようだった。ヒロトは立ち上がってそろりと彼女の近くへ歩み寄る。すやすやと寝息を立てている彼女、とても可愛らしくて愛おしい。
……今なら、手の届く場所に彼女が居る。
ヒロトがそうっと花織の頬を撫でる。美しい黒髪に触れればさらさらとそれは彼女の頬に落ちた。羨ましいな、風丸くんは。いつもこんな風に彼女に触れられるなんて。
「……けほっ、けほ」
急に彼女が咳き込んで身を縮める。ヒロトはさっと手を引いた。寒いのだろうか、ここは外だし、南国の島とはいえ夜は冷える。かといって自分もユニフォームしか身に纏っていないものだから彼女には何もかけてやることができない。ヒロトは心配そうに花織の顔を見つめる。するとゆっくりと彼女の瞼が押しあがった。
「……ん」
「目が、覚めた?」
「うん……」
少しぼんやりとした様子の彼女は身体を起こして体育座りをする。身を縮め、やはり少し寒そうな様子だ。ヒロトは花織の手にそうっと触れた。
「寒いのかい?」
「少しだけ……、でも大丈夫」
花織は目を伏せてヒロトにそう告げる。ヒロトは彼女が無理をして大丈夫、といっているような気がしてならなかった。ここのところの彼女はずっと、きりきりと働きづめな気がするからだ。
「花織さん、良かったら俺の話に付き合ってくれないかな。焚き火の傍で」
ヒロトは立ち上がって薪を火にくべた。少しだけ火が大きくなる。美しい赤がチラチラと燃える。花織はヒロトの提案に了承するように立ち上がった。ヒロトが彼女に隣に座るように促せば、花織は木暮を起こさないようにそうっとヒロトの隣に腰掛ける。焚き火の近くで先ほどよりは格段に温かい。
「ここなら、さっきよりは温かいだろう?」
「……うん」
まだ眠いのだろうか、彼女の答えは少しぼんやりとしている。うとうととしている、というよりも体が気だるげなふうに見えた。きっと疲れているのだ、最近の彼女は人一倍働いているとヒロトは思う。何でもかんでも自分でこなそうという傾向が強い。そして時々、思いつめたような表情をしている。
「ごめんね、俺たちに巻き込んじゃって。きっと風丸くんが心配しているね」
少しでも彼女を元気づけようと花織の恋人の名をヒロトは持ちだす。花織はその名前を聞いて、ヒロトの思惑とは逆にふっと眉を顰めた。そして悲しそうな顔をして膝に顔を埋める。
「……ううん。でも、また心配かけちゃった。……私、マネージャーなのに」
マネージャーが選手に心配を掛けるなんて、彼女の口ぶりはそんなことを言いたげだった。ヒロトは少しだけ目を細める。やはりこの頃の彼女は少し変だ。あの時、褐色の肌の少年が彼女を訪ねてきたときも感じた彼女の違和感。この頃の彼女はどこか繕い笑っていることが多いような気がする。
「最近の花織さんは凄く頑張っているね。君がマネージャーでとても助かっているよ」
「……そんなことないよ。私なんかより、秋ちゃんや冬花さんのほうが」
ヒロトがこの頃の彼女の頑張りを称える。だが彼女は静かに首を振って否定した。それどころか悔しそうな顔を見せて俯いている。現状に、自分に納得がいかないというような表情。ポツリと彼女は微かに声を漏らす。
「こんなんじゃ私、一郎太くんの彼女に相応しい人になれない」
きっとこんな弱音を、ヒロトに告げる気はなかったのだろう。だが疲労と眠気が彼女に本心を零させていた。ヒロトはその言葉を聞いて自分の中で風丸に対する嫉妬と、だがそれよりも彼女を心配する気持ちが大きくなるのを感じた。やっぱり彼女は無理をしているんだ、彼のために。
「花織さん、俺の名前ってヒロトっていうんだ」
唐突にヒロトが話を切り出す。いきなり語りだした ヒロトを花織は不思議そうな顔をして見た。ヒロトは空を見上げる。満天の空には小さな星がいくつも散りばめられている。
「父さんの今はもういない息子さんの名前を、俺は貰ったんだ。父さんの死んだ息子に似てたから」
今でも思い出す。名前を貰った日のことを。そして名前の意味を知った日のことを。ヒロトの全ては自分を救ってくれた父のものだった。父の愛を受けるためにヒロトは父に相応しい息子になろうとした。
「だから俺はずっと父さんの息子に相応しい人間になるのに必死だった。父さんの望むヒロトになりたかった。父さんのために何でもしたいって思ってたよ」
ヒロトは花織に微笑みかける。花織は黙って話を聞いていた。ヒロトは花織の表情を見ながら語る。彼女はきっと、自分が恋い慕う彼のためにかつての自分のように無理をしているのだ。
「父さんのために、自分自身が望まないことだってやった。俺がエイリア学園のグランとしてやってきたこと、キミも知ってるだろう?」
大切な人のためにならどんなことだってできる。かつて彼女自身がそう言っていた。ヒロトもそう思ってどんな悪事を働いてきたことだろうか。幸いにも彼女がしているのは自分を追い込むことだけだが、それでも彼女体を壊してしまうような無理なのだろう。
「だから君の、大切な人に相応しくなりたいって気持ち、分からないわけじゃないけど」
ヒロトはそっと花織の髪を撫でる。自分がこの子の大切な者であるならば、今のままでいいんだと言葉をかけ、抱きしめるのに。何も気負うことはないのだと彼女を説き伏せることができるのに。
「俺は君に無理をしないでほしいな。君が元気に傍で笑ってくれていたら、彼はそれで満足だと思うよ」
ヒロトは彼ではない。だから憶測でしか語ることができない。花織は俯き、ヒロトの言葉を黙って聞いていた。炎を映して揺れる瞳からひとしずく、涙がこぼれ落ちる。
「……本当に、そうだったらいいのにな」
ヒロトに隠れて涙を拭い、花織は微笑む。ぱちぱちと火が音を立てる。花織は膝を抱え込んで、ヒロトを見上げた。ヒロトの言葉は彼女に響いている、だがそれでも彼女の心を動かすほどの力はない。
「ごめんね、励ましてくれてありがとう」
花織が作り笑いを浮かべる。普段の楽しそうな彼女とはやはり違う、無理した表情。二人の間に沈黙が流れた。ヒロトはそっと花織の肩を抱き寄せる。彼女はそれを振り払ったりしなかった。ただじっとヒロトではなく、目の前の赤く燃える炎を見つめている。ヒロトは切なげに目を細める。
――――俺じゃ、君の心を動かせない。
あの時の俺と同じ。きっと頑張る理由となる”誰か”の言葉でなければ。