FFI編 第八章
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いよいよ今日がイギリス代表ナイツオブクイーンとの試合になる。あれから練習にも気合が入って、選手たちは厳しい特訓を積んでいる。花織たちマネージャーはそれを最大限にサポートすることに力を入れた。
朝、起床時間よりも一時間も早いこの時間に花織は目覚めて合宿所の外にいた。南の島だからか朝が早く、日が暮れるのも遅い。花織はうんとストレッチをして、背筋を伸ばす。そしてよし、と呟いて目先の街道を見つめた。
散々今まで抜け出しを行って特訓をしてきた花織が、今になってそれをやめる、などとは思わない。初日からいつならば自分の練習ができるかを考え、海外だから夜間の外出は怖いと感じた結果、早朝のランニングが妥当だろうと花織の中で結論付けられた。
ジャパンエリアから海沿いにアルゼンチン、イギリスエリアを抜け、セントラルパークで折り返して戻ってくるランニングコース。このコースなら一時間と少しで戻ってこられるはずだ。
さら、と結い上げた美しい黒髪を靡かせて走り出す。戻ってきた後にシャワーを浴びる時間を確保するために、今のうちにできるマネージャーの仕事は終わらせてきた。そこまでして、彼女にはトレーニングを積む意味があった。
――――もっと早く、誰よりも速く、彼の隣で走っているために。
不安を掻き消すため彼女はペースを保って走り続ける。走っていれば何も考えなくて済む。
❀
彼は早朝からランニングをしていた。誰よりも速くあるためにトレーニングを積むのは苦ではない。コトアール街からずっと真っすぐにセントラルパークを目指す。さほど時間はかからない、俺の足に掛かれば。
ちょうど折り返し地点に差し掛かった時、ふと別の方向から同じようにランニングをする人物が見えた。こんな早朝から走っている、ということはどこかの国の代表だろうか。彼は少しその人物に興味を持った。定めていたコースを少し外してその人物とすれ違うように走る。
顔を見れば後でどこの国の代表か調べられる。俺にとっての危険因子は事前に知っておいた方がいい。そんなことを思いながら彼はその人物の横を走り抜けようとした。
「……っ」
彼は思わず足を止めて振り返った。……今のは。彼は今、目の前を駆けていった人物を見た瞬間、衝撃が自分の中に走るのを感じた。
結い上げられた艶やかな黒髪が朝日に輝いていた。彼女が走るたびに揺れてきらきらと、白い肌に浮かぶ汗すら輝いて見えた。間違いない、あの開会式で見た日本人の少女だ。
――――でも。
すれ違った時に見えた凛とした面持ちは意志の強さを感じさせる。開会式で見たときの楚々とした微笑とはまた別の印象を感じた。何より走るフォームが無駄なく美しい。恐らく彼女は速い、本気を出せば。
思わず彼は走ってきた道のりを引き返す。全力で風になり、目の前を走る黒髪の少女の手首をつかんだ。
「えっ……?」
急に腕を掴まれた少女は困惑したような顔をして彼を振り返った。少しだけ息が切れている。当たり前だ、急にペースを乱されて足を止めさせられたのだから。少女は大きな瞳を揺らがせて彼を見つめる。目があって思わずどきっと少年の心臓は一際大きく拍動した。少年はその少女の一つ一つの小さな所作に見惚れていた。
「何か、御用ですか?」
「……っ、すまない」
我に返った少年がさっと手を離す。少女、月島花織は目の前に映るスカイブルーの髪の少年を見てなぜ自分を引き留めたのか、というよりも自分が想い慕う彼と目の前に立っている人物がどことなく似ていることに驚いていた。
もちろん肌の色や髪色、顔立ちは違うが全体的な雰囲気が彼にそっくりだ。
「アンタの走る姿があんまり綺麗だったから……。思わず引き留めてしまった」
「えっと……」
照れたようなどう反応してよいのかわからない、といった表情を花織は浮かべる。ただあまりに自分を見つめる目が真っすぐであったから彼が言っていることは嘘や偽りではないことは分かった。走ることに関して褒められることも満更ではなくて花織は困ったように笑ってとにかく礼を述べる。
「それは、その……ありがとうございます」
「俺はコトアール代表のウィンディだ。アンタの名前は?」
ぎゅっと改めて花織の手を握ってウィンディが花織の名前を問う。
「あ、えと……私はカオリです。ジャパン代表のマネージャーをしています」
「カオリか」
ウィンディはじっと花織を見つめる。もう二度と見えないと思っていた美しい人。あの日から走っているとき以外は気になっていて、会いたいと思っていた。その人がこうして目の前にいる、これは運命ではないだろうかそんな風にウィンディは思った。いや、そうに違いない。
「開会式の時から気になっていた、アンタの事。いつもこの時間に走っているのか」
「はい。できるだけ、ですけど……」
「俺もなんだ。また会えたら一緒に走らないか、セントラルパーク内だけで良い」
花織はどうしたものかと戸惑ってしまう。相手は見ず知らずの人間だが花織を見つめる目はあまりにも真剣で断るのは悪いと思ってしまう。悪い人ではないようだし、国際間の親睦を図るのもFFIの目的の一つであるからこの誘いは受けるべきなのだろうか。
「頼む、アンタの隣を走ってみたいんだ」
どき、と花織の胸が騒ぐ。今、自分を見つめているウィンディの瞳があまりにも彼に似ていて動揺してしまう。花織はあの瞳に弱かった。握られていないほうの手で前髪を掻き上げ、恐る恐る首を縦に振る。
「わ、私でよければ……」
「ありがとう、カオリ」
にこっとウィンディが花織に微笑みかけた。どことなく風丸と似ているその笑顔が花織の中の警戒心を払ってしまう。ウィンディはそっと花織の手を離すとひらりと手を振って花織に背を向けた。
「じゃあまたな、カオリ!」
軽快に彼は足を進めて走っていく。花織は目を見張った。ランニングであの速さ、もしかして彼の速さは風丸に匹敵するのかもしれない。残された花織はウィンディの後姿を見つめる。やはりどことなくその後ろ姿は風丸に似ていた。