FFI編 第六章
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花織の地下修練所での夜間の特訓は続けられていた。今日も自分の組んだメニューを完璧にこなして練習を終える。終えた後は鍵のかかっていない大浴場に忍び込んでシャワーを浴びる、それが彼女の日課になっていた。
今日も練習を終えて彼女はシャワーを浴びる。練習の後、こうして汗を流すのはとても気持ちが良い。秘密裏に練習しているせいで洗濯物は増えてしまうけれど、実際洗濯を行うのは自分であるため基本的にはバレない。花織は髪や身体を洗いながら今日のことを思い返す。
今日も泥のフィールドで練習だった。段々選手たちも泥の中での特訓に慣れてきているようでパスがつながっていたり、ドリブルが前に進むようになってきている。そんな中で、気にかかるのは珍しいことに豪炎寺修也だった。最近の彼は何故かずっと怖い顔をしていて、練習でも自分にも他人にも厳しい。実際、春奈も今日の豪炎寺は怖いと言っていた。
キャプテンである円堂が何やら豪炎寺と話をしていたようだが、解決したのだろうか。豪炎寺の心の中で何か思い悩むことがあるなら話を聞いてあげたいと思う。話するだけでも心は本当に楽になるのだ。それは花織も経験済みだからわかっている。
花織はシャワーを止め、簡単に周りを洗い流すとタオルや洗面具を手に取って脱衣所へ戻った。簡単に身体を拭いて荷物の中からバスタオルを取り出す。この時間は人目を気にせず、着替えができるからいい。普段は胸のこともあって秋たちと風呂に一緒に入るのも少し恥ずかしかったりする。バスタオルで髪を拭き、花織は下着を手に取る。
先日リカと一緒に買ってきたランジェリー。例の赤の下着だが、つけるのは初めてだ。ここまで派手なものをつけるのも初めてだから妙にドキドキしてしまう。先にショーツを履き、ブラジャーを付けようとしたその時だった。
花織の背後から音がした。花織は自分しかいないはずなのに、とのんきなことを考えながら振り返る。そして目を丸くして固まった。背後にはなぜか、一人の人物が立っていた。目が合った瞬間、世界は硬直した。
「………」
「………」
見つめ合ったお互いはあまりの出来事に石のように固まってしまう。花織の目の前に立った相手方は見る見るうちに顔を真っ赤にしていく。花織は逆にさあっと青ざめて自分の姿を確認した。ショーツは履いているが上は裸、しかも手には赤いランジェリー。叫ぼうにも声が出ずに花織はその場に蹲った。
だがばっちり少年には見えてしまっていた。彼女の性格には似合わない男を刺激するような下着も、美しいすらっとした彼女の手足も、この頃話題に上がることが多かった彼女のたわわな果実も。
顔を真っ赤にした少年が逆に叫んで扉を勢いよく閉める。
「ば、バカッ! てめえ鍵閉めろよ‼」
バンっ‼ 勢いよく扉が閉められた。この音で皆が起きてしまうかもしれない。正常な思考ならそんなことを考えたのかもしれないが、今の花織はパニックに陥っていた。あのモヒカン頭、見間違えるわけがない。今ここに入ってきたのは不動明王だった。
何故こんな時間に、なんで、今日は鍵を閉めていなかったか。
とにかくとぎこちない動きで下着をつけ、Tシャツとハーフパンツを身に着ける。今頭の中では見られた、という混乱がぐるぐると渦巻いていた。
「……噓でしょ」
涙目になって花織は蹲る。なぜこの頃はこんな目にあうことが多いのだろう。こんなあられもない姿を見られてしまって、明日から一体どんな顔をして、不動と顔を合わせればよいのだ。
❀
見られた、どうしよう。
花織は酷く昨晩のことが気にかかっていた。気恥ずかしくていつもは無視されるものの行う挨拶すらできなかった。配膳の時だって不動に対してだけはどうしてもぎこちなくなった、そのくせ不動のことが気にかかってちらちらと彼のことを見てしまう。
不動は誰に言いふらしたりもしないだろうし、気にしなければよいだけなのだろうがどうしても気にかかって仕方がなかった。振り切ろう、忘れようとするたびにあの光景がフラッシュバックする。思い出すたびに完全に見られたと再確認することになる。
「花織!」
ぎゅっと後ろから肩を抱かれる。びくっと花織は飛び上がった。振り返るとリカがニコニコと笑いながら花織を見つめている。花織はほっと胸をなでおろした。不動ではなかった。いや、不動であるはずがないのだけれども。
「どや、作戦のチョーシは。風丸はなんか言うてくれたか?」
「あ……、えと」
正直言って今はそれどころではなかった。リップこそ塗ってはいるが、今日は髪を結ぶのを忘れていた。風丸と朝、どんな会話をしたかすら覚えていない。それほど昨晩の出来事が脳裏に焼き付いて離れない。リカは眉間に皺を寄せて花織にぐいと顔を寄せる。
「まさか、これだけやって何もないんか⁉ はーっ、風丸も乙女ゴコロが分からんやっちゃなあ」
「……」
花織は話に集中できずに、きょろきょろとあたりを不安げに見回す。同じ食堂内にいた不動と目が合って花織は慌てて目を逸らした。顔が熱くなっていくのが分かる。ああもう、何なの。お願いだから忘れてほしい。昨日の出来事がなかったことにならないだろうか。
「花織……?」
そんなふうに珍しく上の空の花織を見てリカは眉を顰める。もしかして花織は作戦が上手くいっていないことに相当悩んでいるのではないだろうか。花織の反応を見るに、風丸は一切何にも反応を示さなかったのだろう。ここまで乙女のアプローチを無視できるのは逆に凄い。
だが感心している場合ではない。いつもはしゃっきりとしている花織がこんなに悩んでいるのだ。ここは自分がもう一肌脱ぐべきではないだろうか。
❀
「ちょっと風丸! アンタに話があるんやけど!」
リカの行動は素早かった。今日の練習を終えた風丸を見つけると、彼が円堂や鬼道と談笑しているのにも関わらずスパッと彼を呼びつけた。風丸は身に覚えのないリカの呼び出しに困惑した様子でリカを見る。
「俺に?」
「せや! ちょっと面貸しい!」
そう言ってぐいぐいと風丸の腕をリカが引っ張る。花織は夕食の準備に入っていて今は外にはいない。外で話を付けようとリカは彼を雷門中のサッカー部部室裏まで引っ張ってきた。
「風丸。アンタ、最近の花織を見とって何か思わんの?」
「はあ? 花織を……?」
唐突なリカの問いかけに風丸は戸惑いつつも彼女の質問について考えた。花織を見ていて何か思わないのか、……思うことなどたくさんある。彼女はいつみても可愛いし綺麗だし、ここの所の彼女はあまりに目に毒でどうしてよいか分からない。でもそんな惚気のようなことをリカに言っても仕方がないだろうし、第一いうのが気恥ずかしい風丸は平凡な言葉で誤魔化そうとした。
「いつも通り、だと思うが」
「はああ? アンタ、ホンマに鈍いな! 花織がアンタのためにお洒落しとるのにホンマに気づいとらんの?」
いつも通り、などという言葉を使ってしまった風丸につかみかからん勢いでリカが食ってかかる。思わず風丸は一歩後ずさったが、リカの言葉に少なからず驚いていた。花織が、俺のためにお洒落を? 何故?
「花織、最近アンタが余所余所しいんやってウチに相談してきたんや。あの気遣いの子が、不安で夜中にメール送ってきててんで? アンタに飽きられたんかもとか、嫌われとるんかもとかいうて」
リカが渋い顔をして風丸を若干睨みつけながら言う。風丸は動揺した、確かに花織を避けていた。でもそれは花織と一緒にいると自分が花織をどうにかしてしまいそうだからであって、決して花織に飽きたとか、ましてや嫌いになったなんてことがあるわけがない。あれだけ風丸が強く花織に想い焦がれてきたというのに。
「花織がそんなことを……」
だから急に髪型を変えたり、色っぽく見えたりしたわけか。風丸は花織の最近の変化について腑に落ちたような表情をする。
「せやで。で、アンタはいったい何がしたいん。花織を避けて、あの子ショック受けてんで?」
「俺は……」
風丸は目を細める。……花織。そういえば最近、ずっと花織に触れないようにしてきた。先日だって自分に手を伸ばしてきた花織の手を避けた。花織は一体それをどんな風に感じ取っただろうか。俺が花織にそんなことをされたら何を思うだろうか。
でも今のまま接していれば、間違いなく俺は花織を傷つける。何が正しくて、何が間違いだろうか。
「俺は花織が好きで堪らない。好きでおかしくなりそうなくらいだ。一緒にいられるだけで十分なはずなのに、もっと花織が欲しいと思ってしまう」
「……」
「……その衝動が抑えきれなくて花織と一緒にいると花織を傷つけてしまいそうだった。だから距離を置こうとしていた」
風丸は胸の内を、恥を忍んで正直に告白する。花織と同じ女であるリカにこんなことを言うのはとても申し訳ないことだと思った。だが変な誤解をされているよりはマシだと踏んだ。リカは腕を組んで黙って風丸の話を聞いている。
「せやったら、それをちゃんと花織に言わな。黙って避けられたらそんなん誰だって傷つくわ」
「……」
「花織だってアンタが好きやからホンマはもっと一緒にいたいって思うとる。でもアンタの邪魔にはなりたくないって一番考えとるで」
今のまま放っとったら”一郎太くんの迷惑になるくらいなら別れた方がいいかも”、なんて言い出すかもしれん。とリカがため息をつきながら言った。
「でも安心したわ。花織のことを嫌いになったとか、そういうわけやないんやな」
「なるわけがないさ」
毅然とした態度で風丸がリカを見据えて、口元に微笑みを湛えてはっきりと宣言する。
「俺は花織が好きだ、今もそしてこれからも」
彼の愛の告白にリカは思わず赤面する。ああもう、こんなことなら首を突っ込まん方がよかったやろうか。そんなことを思いながら頭を掻く。取り越し苦労も本当にいいところだ。
「それ、ちゃんと花織に伝えり。やないとウチが通天閣シュートお見舞いしたるからな」