FFI編 第五章
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「うわ……っ、凄いこれ……」
「知識としては知ってたけど、実際見ると生々しいっていうか」
消灯二時間前の食堂は今、異様な空気に包まれていた。そこに居合わせてしまった風丸一郎太は真っ赤にした顔を右手で隠しながら目を逸らす。ただ俺は花織と、この後部屋で会う約束をしていて、その彼女が風呂から上がってくるのを待っていただけなのに。一体どうしてこんなことになったのか、事の発端は吹雪の持ってきた一冊の本から始まった。
「ねえ、こんなものを君たちの部室で見つけたんだけど」
この時食堂にいたメンバーは風丸、ヒロト、緑川、鬼道、立向居、飛鷹、不動の七名だった。ヒロトと緑川、鬼道と風丸と立向居、飛鷹、不動、でそれぞれ談笑をしている最中、風丸たちの前にその爆弾は投下された。吹雪はばさりと風丸と鬼道の前に手に持っていた本を落とす。
「一体誰のかわかるかい?」
風丸は吹雪のいつもとは違うなんとも言い難い威圧感を孕んだような声に困惑しながら視線を落とす。そしてその本、正確には雑誌であるが、それをみて目を丸くした。
刺激的な言葉の数々、艶めかしい表情をしてポージングを取っている表紙の写真の女性はほとんど服を着ていない。アダルト雑誌……、すなわちエロ本だ。これが吹雪曰く、部室にあったらしい。
「な、何で持ってきたんだよ……」
「単純に誰のかなあって思ってね。でも、その反応の感じだと、風丸くんと鬼道くんは違うみたいだね」
ニコニコとあくまでもいつもの微笑みを絶やさずに吹雪が言う。風丸はすでに真っ赤になった顔で鬼道の方をちらりとみた。思い切り雑誌を前に固まっている。おそらく吹雪の言葉は正しい。立向居はそもそも雷門中の生徒ではないので、持ち主でないのは明確であるが彼こそ本気で硬直している。
「どうしたんだ?」
「何か面白いものでもあるのかい。……ってこれは」
わいわいと風丸たちが騒いでいるとそれが気にかかったらしいヒロトと緑川がやってきた。そして雑誌を見てふたりとも驚いたような反応を見せる。が、風丸や鬼道ほどのアクションは起こさなかった。ヒロトなどは普通に雑誌を手にとってみたり、ぺらぺらと中身をめくってみたりしている。
「え、誰が持ってきたの? これ」
「僕が雷門中サッカー部の部室で見つけたんだ。だから犯人捜し?」
吹雪が首を傾げながら言う。実のところあまり誰の持ち物であるかは興味ない。暇であったからただその辺にいる人間をからかいたいだけであった。染岡がいれば間違いなく一番に彼のもとに持っていったのだが、いないものは仕方がない。とりあえず他にはと考えるとやはりライバルである風丸がこういう雑誌を見てどういう反応をするかを見たかったというのも彼の元へ持ってきた一つの理由だ。
「これ結構レベル高い奴だね」
「え、ヒロトくん見たことあるの? こういうの」
「園の男子の中で意外と回ってくるんだよ、こういうの。だから見たことないとは言えないなあ」
ね、緑川とヒロトは雑誌をテーブルに置きつつ緑川に同意を求めた。緑川は俺に振るなよと言いたげだったが、何も言わずに頷く。テーブルに置かれた雑誌を吹雪は皆に見えるようにぺらりとページを一枚めくる。すると次は違うモデルが過激なランジェリーを身に着けた写真がページ一杯に現れた。
「ふうん、初めてみるけどこんな感じになってるんだね」
「あれ、吹雪くん。意外と興味ある?」
ぺらぺらと次々ページをめくる吹雪にヒロトが問いかける。吹雪は恥ずかしがりもせずにまるで手元にあるのがサッカー雑誌であるかのようにこともなげに言った。ページをめくるたびにモデルの身に着ける下着の面積が明らかに減っている。それでも彼はお構いなしだ。
「まあ、後学のためには必要かなって。ね、風丸くん」
「え、は、お、俺?」
未だに顔が赤い風丸に急に吹雪が話を振った。風丸はなぜ自分に話が振られたのかもわからないまま、吹雪を見る。吹雪はくすくすっと笑ってだって、と言葉を続けた。
「一番そういうことに近いのって、風丸くんだよ。勉強しておいた方がいいよ。今のうちに」
そんなこんなで、今に至る。はじめは下着姿の女性が載っているだけだったがどんどん過激な写真が掲載されてた。内容はというと最初はケロッとしていたあのヒロトや吹雪が赤面して苦笑いを漏らすほど、風丸はほとんど本の方には目を向けられずにいた。鬼道は無表情だがゴーグルの下は恐らく硬直しているし、立向居はモデルの下着が取り払われたあたりで早々に”疲れているんで部屋に戻ります‼”と誰にともなく宣言して食堂から逃げていった。
「あ、この女優さん少し花織さんに似てない?」
吹雪のその一声で逸らされていた視線が一気に戻ってきた。その女優は長い黒髪で目鼻立ちが花織によく似ていた。白い肌に何よりも大きな胸。花織が大人になった姿、と言われれば納得できるぐらい似ていた。だがその場にいる人間、花織に思慕を抱いている人間は花織のほうが何倍も魅力的だ、と即座に脳内で判断していた。似ているといっても所詮、似ているの域を超えない。
「でも月島さんってあんまり胸はないんじゃない?」
「確かに」
緑川とヒロトが言う。だが彼らは知らないだけだ。風丸は何も言わずにかつて小耳に挟んでしまった会話を思い返していた。ここにいる中では鬼道と風丸だけが知っている、キャラバンでの旅の最中、温泉に入ったときに彼女と音無春奈が話していた。彼女が本当は胸が大きいという事実を隠していることを。
「でも花織さんって中学生女子の中では凄く綺麗で、色っぽいよね。他のマネージャーさんも可愛いと思うんだけど花織さんは何か違うっていうか」
「女の子っていうより女性って感じだよね。吹雪くんの言うことわかる気がするよ」
ヒロトと吹雪がなぜか共感しあっている。風丸は何も言わなかったが、花織が二人の妄想の種にされていることは不快に感じた。だがそんなことを指摘する余裕はなく、矢は風丸にも飛んでくる。
「ねえ、風丸くんは花織さんとこういうこと、したことあるの?」
とんとん、と吹雪が雑誌のページを指先で叩きながら言った。その質問は単純な好奇心から来るものだった。仕方がないだろう、風丸と花織はあんなにも仲がよいのだから。吹雪が指差したそのページは紛れもなく全裸の男女が交わり合っていて、女の人が艶めかしい表情をしている。風丸は全力で首を横に振った。
「あ、あるわけないだろ‼」
「えー、ないんだ? あんなにいつも仲良しだから経験済みかと思ってたよ」
遠慮もなくずけずけと吹雪が言う。でも間違いなく風丸以外の男は安堵し、もしくはチャンスだと思ったに違いない。少なくとも現時点で月島花織の純潔は守られているわけだ。ふたりが不仲になれば彼女の”初めて”を頂くことができるかもしれないわけで。
「仲がいいのはいいけど、今は合宿中だから控えるようにね。そもそも俺たち中学生だしさ」
釘をさすヒロトの言葉に風丸は 恥じらいから唇を噛んで視線を逸らす。顔は相変わらず真っ赤だ。だが彼の思考の中であることが腑に落ちた。ここのところ彼が感じていた花織への感情はこれなのだ。花織をもっと欲しい、その答えが吹雪が差し出した本の中にあった。
俺は、花織と……。
「一郎太くん、いる?」
その時、食堂に花織がひょっこりと顔を出した。胸元の空いたTシャツと短めのハーフパンツといういで立ち。しかも今日に限って珍しく黒髪をアップにしており、真っ白な手足どころかうなじまでさらけ出している。屈めばその豊満な胸元が見えるかもしれない。中学生男子が夢想するには十分すぎる格好。
彼女は彼らが一体何を話し合っていたかも知らないで風丸を見つけて表情を綻ばせる。各々男子の視線は無防備な彼女に向けられた。湯上りの彼女は中学生女子とは思えないほどの色気を纏っている。
「待たせちゃってごめんね、行こう?」
手早くヒロトと吹雪が雑誌を隠したが、花織は食堂には入ってこず、何も知らずにニコニコと笑って風丸を待っている。風丸は変に高鳴る胸の鼓動を抑えながら立ち上がった。立ち上がりざま、隣に立っていた鬼道がぼそりと呟いた言葉を風丸は聞き逃さなかった。
❀
部屋に花織とふたりきりでいるのは良いが、いつも以上に風丸は上の空だった。先ほど読んだ本のせいで、自分の自分が何を欲しているのか、欲求が露わになってしまったせいだ。彼も中学生男子だから、様々な妄想が頭を駆ける。目の前で楽しそうに笑む彼女を今すぐに押し倒してしまいたいという気持ちがじわじわと彼の心を蝕んでいる。
「一郎太くん」
花織が風丸の肩を叩く。びくっ、と彼は肩を揺らして驚いた顔をした。風丸は硬直して花織の手を見る。小さい手、自分よりもはるかに白くて指は細いし。手首だって。腕も自分に比べればほっそりとしている。自分の手を見つめて何もいわない風丸を花織は怪訝そうに見つめる。花織は風丸のいつもとは違う反応に細い眉を寄せて首を傾げた。
「どうしたの? 何かあった?」
心配そうな声色に風丸の視線は正面へと引き戻される。いつもとは違うアップにされた髪型、惜しげもなく晒された白い肌、愛おしい彼女。
「ああ、いや……、疲れてるの、かな」
歯切れ悪く風丸が返す。すると花織はにこりと笑って風丸を見つめた。彼女が今日、髪を纏めて風呂から戻ってきたのにはわけがあった。
「一郎太くん、私よかったらマッサージしようか。今まで自分の足でやってたし、一郎太くんにしてあげられたらって思って勉強してきたんだ」
「えっ、」
よりによって今日、それも今この提案をされるとは間が悪い。他意のない彼女はやる気満々で、だからこそ邪魔にならないように髪を結んできたのだろう。純粋に風丸の疲れを取りたいその一心で。今、花織に触れられると色々とまずい気がする。でも彼女の好意を無駄にはしたくない。
……俺が堪えればいいだけだ。
風丸は腹を括って花織の提案を受け入れる。
「あ、ああ。じゃあ頼むよ」
「うん。じゃあ、うつ伏せに寝てくれる」
花織に言われるがまま、風丸は床にうつ伏せになる。花織は風丸の腰の横に座って準備を整える。
「じゃあちょっと触るから、痛かったら教えてね」
そう言って彼女は風丸の臀部に触れた。掌で仙骨と大転子の間を揺らすように解していく。体重を上手く掛けて、風丸にとって最適の圧を掛けてくれている。気持ち良い、のだが風丸はそれどころではなかった。
「……ん、ん」
マッサージをしている彼女の吐息があまりにも官能的なのだ。マッサージをする側は結構力がいる。彼女は全身を使って風丸に奉仕してくれているわけなのだから、吐息の一つや二つ漏れても仕方ない。いつもの風丸なら気にしないでいられた。むしろ自分のために頑張ってくれる彼女を微笑ましくさえ思えたかもしれない。
――――でも今は。
彼女が漏らす吐息一つ一つが、あの雑誌に掲載されていた行為を連想させる。自分が彼女にそういうことをさせている気分になってしまう。
「一郎太くんっ……」
心なしか切なげに聞こえる彼女の声、息を切らして僅かに息をこらえて。風丸はぞくりと走る衝動を堪える、どくどくと拍動する心臓。まるで血が体中をめぐる感覚まで感じられて全身が熱くて堪らない。
「ねえ……、気持ちいい?」
劣情を煽るような吐息交じりの声で囁かれた声は、あまりにも風丸を刺激した。
「花織、ストップ」
限界は近かった。風丸は今にも花織に飛びかかりそうな衝動と荒くなりそうな息をこらえて花織を止める。顔を真っ赤にしてゆっくりと起き上がる。そして少しだけ花織と距離を取った。
「悪い、今晩中にやらないといけないことを思い出した。……そ、そうだ、鬼道から風神の舞を使った戦術についての案を出してくれって言われてて」
このまま花織と一緒にいると花織を傷つけかねない。そう判断した風丸は咄嗟にありもしない嘘をつく。鬼道の名前を出してしまったのは食堂を出るときに鬼道が呟いた言葉を思い出したからだった。
”合宿中に花織に妙な真似をしたら、どうなるかわかっているな?”
低く威圧を孕んだ声だった。正直、鬼道は風丸と花織の関係に口を挟める立場ではない。彼の忠告に効力があるのは、風丸の立場と花織の立場が日本代表選手とそのマネージャーだからだ。
不祥事を起こせば最悪二人ともイナズマジャパンから追放ということも考えられる。いや、そんな鬼道の言葉の制約以上に風丸の中では花織を大切にしたいという感情が一番だった。自分の感情に任せた行動で花織を傷つけるようなことは絶対にしたくない。
「そうなの? じゃあ、私も手伝うよ」
風丸の葛藤を知らない花織は彼に合わせてゆっくり立ち上がる。その振動だけで僅かに彼女の胸が揺れた。誰だ、花織の胸がそんなに大きくないなんて言ったやつは。風丸は今にも飛び出そうとする衝動を必死に理性で抑えながらいつもと同じように笑顔を浮かべる。
「いや、花織には頼るなって釘を刺されててさ……」
「……そっか。じゃあもう私、部屋に戻るね。邪魔になったら悪いから」
聞き分けがよく、風丸を一番に考える花織はあっさりと引き下がった。風丸は安堵の息を吐く。だが彼への試練はまだまだ終わらない。花織はそっと風丸の傍に歩み寄ると風丸の両肩に手を掛けてぐっと背伸びをした。
風丸が目を丸くすると同時にちゅっと触れるだけの軽い口づけが花織から施される。同時に彼女の柔らかい胸が風丸の胸板に押し付けられた。彼女は照れたようにはにかみ、風丸に身体を密着させたまま、風丸を上目遣いで見つめる。
「頑張ってね、一郎太くん。おやすみ」
そう言って彼女は風のように去ってゆく。呆然と立ち尽くしていた風丸はからりと扉が閉まる音と共にずるずると床に 崩れ落ちた。部屋には彼女の香りがまだ残っている。