FFI編 第四章
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いつの間にか、風丸と花織が夜に風丸の自室でその日の出来事を語らうのはふたりの日常になっていた。主には練習のことが大半で、時々チーム内の噂だったり笑い話だったりを交える。何も言わずに手を握り合って座っているだけでも良かった。少なくとも花織はそれで満たされていた。風丸と同じ時間を共有できることが嬉しくて幸せで、いつまでだってこうしていたいと思えた。一日の疲れがこうして彼の傍にいるだけで癒されていく。
でも、風丸は違った。この頃、花織とふたりきりになると胸の高鳴りが止まらない。確かに花織の仕草だったり表情だったり、何かしらにときめかされて彼女に日々恋に落ちている感覚が以前からあることは認める。だが、それとは違うのだ。もやもやする、というか妙に落ち着かないような気がする。練習の時や、みんなで過ごす時間にはこういう気持ちにはならないのに。
ちらと時計を見る、もうあと一緒にいられる時間は五分と無い。それなのに花織とふたりきりになって何となく良い雰囲気になるとどうしようもなく落ち着かなくなってしまう。
「今日は大変そうだったな、お疲れさま。花織」
だからそれを必死に覆い隠している。俺はどこかおかしいのかもしれない。そう思いつつも花織に心配をかけることだけは避けたかった。彼女は心配性のうえ、あの一件のせいで風丸のために気にかけてくれるようになったから些細な変化を悟るようになっている。
「ありがとう。さすがにちょっと疲れちゃった。やっぱりマネージャーは多い方がいいね」
今日もマネージャーたちは虎丸の家の手伝いに出ていた。花織と目金が残ってマネージャー業務をこなしている。正直、回り切っていないはずだ。それをなんとか頑張って追いつかせているのだから本当はクタクタに疲れ切っているだろうに、それでも彼女は疲れを微塵も見せない。風丸と目が合えばそれだけで嬉しそうに微笑む。
「頑張るのはいいが本当に無理はしないでくれ。もし花織が倒れたら俺は練習どころじゃないぞ」
「ふふ、大丈夫だよ。私だって鍛えてるから」
淑やかに笑いながらも彼女は頼もしい言葉を返す。元々の体力、そして風丸のために考案した筋トレ・ストレッチメニューを彼女自身もこなしている。こんなことでへこたれてなんていられないのだ。風丸はそんな彼女を見て目を細め、そっと彼女の髪に手を伸ばす。そして静かに肩へと流れる髪を梳いた。
「それでも、花織は女なんだから。つらい時は頼ってくれよ」
「……ありがとう。……じゃあ、ちょっとお願いしてもいい?」
「なんだ?」
風丸のベッドに背を預けていた花織が動く。風丸の手を握っていた手を解いて床につき、その手に彼女は体重をかけて、そうっと風丸に近づく。今まで隣に座っていたがぐっと距離が縮まった。
「ちょっとだけ……、抱きしめてもらってもいいかな」
眠気で潤む瞳で風丸を見つめ白い頬を桃色に染めて、花織が絞り出すような声で言った。ぞく、と風丸は心臓が飛び上がると同時にそんな感覚を覚える。一瞬で赤面して固まる風丸を見て花織は恥じらいを見せて俯いた。こういうところはいつまでも初々しい。
「ご、ごめんね急に。一郎太くんが嫌なら……っ」
「花織」
強引に花織の手を引き寄せて風丸は胸に花織を抱きとめる。
「これで、いいか?」
「……うん」
腕の中で彼女の頭が動く。柔らかで小さな身体。高い体温が風丸の身体に触れる。彼女が身動きするたびに良い匂いがして、いつまでだってこうしていられる。こうやって誰よりも近くにいられれば、どんな穢れからも花織を守ることができるのに。
それなのに無情にもふたりを引き裂く鐘が今日も鳴る。
「……もう、帰らなきゃ」
「……ああ」
ゆっくりと花織が身体を起こして立ち上がる。声に名残惜しさはあったが、彼女の切り替えは早かった。静々と彼の部屋の入口まで歩いて風丸を振り返る。
「おやすみ、一郎太くん」
花織が静かに目を閉じる。もうこれも習慣化している。風丸は流れるように花織の肩に手を掛けてそうっと顔を寄せた。ふたりの唇がゆっくりと触れ合う。
「おやすみ、花織」
茶色の瞳が優しく少女を見つめている。少女はその瞳に答えるように笑った。でもその微笑はいつもよりも別れがたそうに風丸には見えた。切なげな瞳が風丸を見上げる。
「……ほんとはもう少し一緒にいたかったな」
今にも消えてしまいそうな声だった。風丸は目をハッと見開いた。花織はまた明日ね、と風丸に背を向け、手を振って扉に手を掛ける。その手を風丸は掴んだ。そしてぎゅうと背中から花織のことを抱きしめる。
「えっ……、一郎太くん?」
「もう少し一緒にいるか」
風丸が花織の耳元で囁く。
「監督にバレなければ問題はないだろ」
優等生の風丸に有るまじき発言だった。自分が吐き出したその言葉の意味を風丸は完全に理解していなかった。でも花織は何かしらを悟ったようで、りんごのように頬を赤らめて風丸を振り返る。口元を手で覆い隠して風丸から視線を逸らしている。
「ダメだよ。……私のせいで一郎太くんを規則違反にできないから。今日は戻るから」
「……」
「ごめんね、私が我儘言ったから……。……一郎太くん」
するりと風丸の腕からうまく花織が抜け出す。風丸は何も言わずに花織を見ている。花織はやっぱり面映ゆしさから口元を右手で隠している。
「また明日、ね」
そして彼女は逃げるように部屋を出て行った。残された風丸は言いようのない虚無感を覚えながら花織のいない部屋に座る。手に残る柔らかい感触、いい匂い。逃がすつもりなんてなかったのに。強引に花織を引き留めそうになっていたのはむしろ彼の方だった。
「……花織」
部屋に残った彼女の香りが酷く心をかき乱す。