FFI編 第三章
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今日一日の練習で監督への不満は募るばかりだった。まずチームにとって良いプレーをしているとはいえない不動を評価しているところが選手たちの鼻についた。何故不動のプレーが評価されるのかが選手たちにはわからなかったのだ。不動を褒めることはチーム内に確実に軋轢を生んでいた。小さな綻びは選手たちの監督への不信感を倍増させた。
いや、選手たちだけではないか。花織も監督への不信感を募らせている一人だ。元々何となく引っ掛かりを感じていたが、今日の風丸と不動の件が引き金になり監督に対しての不信感を強くしていた。
「鬼道さん」
練習が終わってしばらく、花織は宿舎内で探していた一人の選手の姿を見て彼を呼び止めた。赤いマントがひらりと翻る。彼は花織の姿をみて少しだけ微笑んだ。
「どうした、花織。マネージャーの仕事はいいのか」
「今は大丈夫です。あの……。少しお話がしたいんですけれど、いいですか?」
少し俯き気味に花織が鬼道に問いかける。鬼道は花織の表情を見て静かに頷いた。
「表に出よう。……宿舎内じゃ落ち着いてできない話だろうからな」
花織が何を言いたいかを察したらしい鬼道は花織を連れ、宿舎の外へ出た。合宿所の反対側、雷門中体育館の方へ歩く。外はもう日が落ちて空がコバルトブルーに染まっている。
「ごめんなさい、急に……」
「構わない」
花織が申し訳なさそうに鬼道に謝る。上目遣いに見上げた表情は鬼道を頼りにしているという彼女の心が映っていた。その表情を見るとどうしても鬼道は花織に対して甘くなってしまう。
「だが俺と二人きりでいることを知ったら、風丸が妬くかもしれないな」
言いつつ鬼道は風丸が今二人で話をしていることを、花織が話さえしなければ知りようがないだろうと思った。風丸は今、円堂や壁山たちと響木監督の元を訪ねているはずだ。夕食もそこで食べて帰ると言っていた。あと一時間は戻らないだろう、アイツは俺が花織と二人でいることを知ることは無い。
「一郎太くんはそんなことを気にしたりしませんよ」
「さあ、どうだろうな」
ふっと悪戯っぽく鬼道が笑う。以前もこんなやり取りをした。その時は本気で言葉通りのことを感じただろうが、今はそうでもない。最近の風丸は花織が他の異性と話すことに少し寛容になったようだ。勝者の余裕という奴だろうか、少しだけ恨めしく思ってしまう。今はそんなことを気にしても仕方がないだろうが。
「お前が何を言いたいかはわかっている。……監督の事だろう。他の奴らも不信感を募らせているのは見えているしな」
花織と鬼道は強い信頼で結ばれている。鬼道の深いところにある悩みを聞くのは花織であるし、サッカーに関しての花織の悩みを聞くのは風丸ではなく、専ら鬼道の役目だ。
「よくよく考えてみれば久遠監督の素性って全然わからないんですよね」
鬼道の妹である春奈が言っていた。日本代表チームの監督になるほどの人間なのに調べてもデータが全くないのだと。
「久遠監督の采配には少々疑問があるんです。……キャプテンの言うように改善すべき点をはっきり言ってくれる、というのは良いのでしょうけれど」
険しい顔で花織が呟く。口には決してしないがはじめから何となく、久遠監督には多くの疑問があった。
まずは代表選手の選抜。不動のこともさることながら、未だに選ばれた理由が分からない人物が花織の中でも二人ほどいる。一人は宇都宮虎丸。確かに高い技術は持っているのだろうが、決定的なチャンスを逃しがちだ。決めるべきところで決められないというのは日本代表選考基準としてどうだったのだろう。選考試合では他によっぽど活躍している選手もいたのに。
もう一人は飛鷹征矢。こちらは完全に初心者だ。花織ですら彼よりはうまくプレーができるかもしれないと思う。運動神経が悪いわけではないようだから、綱海の前例もあることだし今後の成長に期待、ということも考えられなくはない。しかしそれは日本代表選抜チームでやることではない。
「確かに指摘は的確です。でも……、不可解な言動が多すぎる」
「ああ……、否定はしない」
「今日の不動君のプレーは……。私は、評価に値するとは思えませんでした」
俯き、苦虫を噛みつぶしたような表情をして花織が呟く。鬼道はその言葉で花織が一体何が言いたいのかを悟った。ずっと見ていた彼女の気持ちを探ることなんて容易い。
きっと言葉の通り、監督の采配が理解できないでいたり、鬼道と同じように不動たち、日本代表にとってふさわしいとはいえない人間が選ばれていることに疑問を感じているのは事実なのだろう。だがそれは彼女が憤慨している理由ではない。
鬼道は黙って拳を握る。 花織が苛立っているのは、久遠監督が風丸を傷つけるようなプレーを容認したことだ。 分からないでもない。分かっている。知っている。お前の心配は風丸に向けられるばかりだ。
ふたりは恋人同士なのだから、何もおかしいことはない。今までだってずっとそうだったはずなのに。胸の底で燻るような感覚がある。
「……お前が怒る理由は風丸か、なるほどな」
誤魔化すような微笑みを湛えて鬼道が呟く。花織は鬼道が何を言いたいのかを理解して少しだけ顔を赤らめた。
「だって……、不動君のあのプレー故意だってわかってますし。それに」
彼女の恥ずかしがるそのしぐさには風丸が好きで堪らないという感情が滲み出ている。鬼道の気も知らずに。
今までもずっと見てきただろう。何故、今更になってこんなに花織の言葉に胸が痛むのだろう。花織が始終風丸のことを考えていることなんてもうずっと前からだ。自分が視界に入れなくなってしまってもうずいぶん経つのだから。俺は花織の親友だ、それでいいと思っている。
いや違う、今まで誤魔化していただけだ。花織から遠ざかってしまうのが嫌で、彼女の良き理解者を演じている。狡く打算的な考えだ。本当は花織を諦めたことは一度もないのに。
この提案を出したときは大丈夫だと思っていたのに。エイリア学園の騒動が収束した、数か月の穏やかな日々の中でふたりの仲睦まじい姿を見るたびに確かに胸の中に募る感情があった。
「お前は本当に風丸が好きだな」
わざとではないが、少しだけ嫌味を含んだ口調になった。
「そんなにアイツが心配ならば、ここではなくアイツの傍にいればいいだろう」
「鬼道さん……?」
強い言葉に花織が表情を陰らせて鬼道を見つめた。鬼道はハッとして花織を見る。花織は不安げで、鬼道らしくない言葉を呟いた彼を心配そうにのぞき込んでいる。慌てて鬼道は口ごもった。
「いや、なんでもない。……すまない花織、気にしないでくれ」
今のは間違いなく失言だった。先刻の発言を取り消そうと鬼道が無理に笑って見せる。花織と俺との間にあるつながりは簡単に切れてしまうようなものではない。だがそれ以上に繊細で、複雑な立場だ。壊れてしまえばおそらく二度と元には戻れない。
言葉は怖い。かつて花織に告げた一言が、鬼道を花織の隣に立つことを今でも阻み続けている。
「俺にも解せないことが多くてな、疲れているのかもしれない……」
柄にもなく言い訳の言葉を綴る。今の俺は花織にとって良き理解者で、相談相手。それ以上を今の状況で願ってはいけない。何度だってそう胸に刻んだはずだ。
「ごめんなさい。鬼道さんにはいつも私の相談に乗って頂いて……。私はすぐに鬼道さんに頼ってしまうから……」
「違うんだ、花織」
花織が申し訳なさそうに俯く。鬼道は必死に弁明の言葉を続けようとした。だがそれを花織が首を振って遮る。鬼道はゴーグルのなかで花織を凝視した。
「こういうことは一郎太くんとは話さなくて。私、彼の前ではたぶん見栄を張ってるんです。こういうチームに対する不満みたいなものはあまり言いたくなくて。弱音を吐きたくないのかな……、きっと一郎太くんは気を使って、私の意見を全面的に肯定してしまうから」
きっと先刻の言葉は少なからず花織を傷つけたのではないかと思った。だが花織は微塵もそんな表情を出さなかった。穏やかに微笑み、胸元で手を握り合わせる。
「でも鬼道さんとは彼と出会うより前からお話をしてきて、ずっといろんな悩みを聞いてもらってきた。言い分を聞きつつ正しい返答をしてくれるってわかっている。だから鬼道さんに甘えてしまうんです」
あざとい、というのか。きっと鬼道の苦悩を知ったうえで彼女は相談を持ち掛けている。なぜなら他ならない鬼道自身がそれを望んだからだ。
でも彼女が紡ぐ言葉は彼女の本心だ。だからこそよりあざとい、意識していないからこそ性質が悪い。鬼道を信頼しているという言葉、聞き取りようによっては風丸よりも信頼しているのだというような言葉。思いを寄せている女性にそんなことを言われて何も感じない男がいるだろうか。
「お前が俺を信頼してくれていることはわかっている。……俺も、お前の信頼を裏切りたくないと思っている」
今でもお前を愛している。お前の幸せが何よりだと信じ、自分に言い聞かせてきた。だが他の男の隣で笑うお前をこの頃は耐え難く感じている。いつかお前の幸せを、俺は壊してしまうかもしれない。
「どんな些細なことでも相談には乗ろう。……お前のために」
本来ならば、俺たちは少しだけ距離を置くことが必要なのかもしれない。お前のためにも、俺自身のためにも。